適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

おっぱいなんてプーで演奏された曲の過去とその後を雑に追い掛けてみた

サザンの歴代ライブの中で最もマニアックな選曲と言われ、現在でもファンの間では(多分)度々話題となっている1997~98年の年越しライブ「おっぱいなんてプー」。そんなライブで選曲された27曲について、これはいつぶりの演奏なのか、そしてこのライブ以降にも演奏されたのかという追跡を行なってみました。

いつも通りテレビやラジオ等は除いています。

ちなみに2回目以降にライブ名を載せる際には多少程度に略していますので、分かりにくかったらごめんなさい…。

 

・Let It Boogie

1980年「ゆく年・くる年」でのみ演奏されており、17年ぶりの演奏となりましたが、その後は再び封印状態となり20年が経とうとしていますね…。

そういうこともあり何ともレアなオープニングで、テイクですね。…と思いきやその17年前のゆく年・くる年は一部が放送されているのですが何とここでもこの曲は放送されているのです。ライブで2回しか演奏されていないのに、その2回とも放送されているとは強運過ぎやしませんか…。

 

・ふたりだけのパーティ

1980年の「サザンオールスターズがやってくるニャーニャーニャー」から、ゆく年、81年の「そちらにおうかがいしてもよろしいですか?」の3公演連続で演奏されていましたが、この後は演奏されず、16年ぶり4度目の演奏となりました。このライブ後も2003年の「「流石(SAS)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~」」で(その前の建長寺ライブでもフライングで(?)やっていますが)演奏されています。

ゆく年とおうかがいではアンコールで演奏されており、当時のアンコール定番になりつつあった、と思いきやその後は行方不明になってしまい、おっぱいに惹かれて(?)姿を表した時には序盤曲として再起を図っていましたが、再び行方不明気味になりつつありますね…。

 

・ブリブリボーダーライン

貴重な90年代曲の1つということもあり、1992年の「歌う日本シリーズ1992~1993」、93年「しじみのお味噌汁コンサート」とそこまで間が空くことも無く演奏されています。その後も98年「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」、99年「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」とこのライブを含め3回連続で歌われています。ライブ定番曲になりつつありましたが、その後21世紀の声が近付くと共に表舞台から消えてしまい、ようやく2015年の「おいしい葡萄の旅」で16年ぶりに演奏されるという、このライブで選曲された曲の中では珍しい「その後」となっているのでは無いのでしょうか。

 

・ブルースへようこそ

サザン公式サイトのライブデータでは1979年の「Further on up the Road」のみの演奏と

なっていますが、1980年に行なわれた「JAPAN JAM2」とニャーニャーニャーでアンコールで演奏された公演もあったそうです(ちなみにこの2つのライブではアレンジバージョンで演奏されたらしいです…(同じアレンジなのかは不明))。

とはいえ80年代からすでにほぼ演奏されず、このライブ以降も演奏されること無く現在に至ります。

なるほどおっぱいなんてプーというライブ名は男性の同性愛を歌っていると思われるこの曲を歌いやすくするため(もしくは歌うため)という可能性がありますね(?)。

 

恋するマンスリー・デイ

ライブで演奏されたのは1980年のニャーニャーニャーとゆく年の2回のみとなっていますね。そして「JAPAN JAM2」でも歌っています。こちらは「ブルースへようこそ」さんが後に演奏されており、前後逆となりましたがコンビとしても復活を遂げましたね(?)。

17年ぶりの演奏となりましたが、もしかすると結婚15年と言うことで、ユウコさんに捧げた選曲だったのかもしれませんね(?)(それでおっぱいが何ちゃらとはどういうことなのでしょうか…)。もしそうなら「素顔で踊らせて」も同じ事が言えそうですね。

しかしこのライブ以後演奏されることがありませんね…。またおんもにも出られそうにないのでしょうか…(?)。

 

・赤い炎の女

1983年「SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー’83」から1984年「縁ギもんで行こう」まで4連続で演奏されており、特に縁ギもんでは年越し曲となるなど定番化しつつありましたが、88~93年までのサザン2期といえる時期には演奏されず、13年ぶりに店の奥から姿を表してくれましたね(?)。

このライブで久しぶりに演奏してメンバーもしくはファンの反応が良かったのか、このライブで選曲された80年代の曲の中でこの曲と「Computer Children」(こっちはコーナーありきでの選曲感がありますが)の2曲が翌年の渚園ライブでも選曲されています。

おっぱいと渚園で改めて好きになった人も多いのではないのでしょうか、と個人的には思います。

また2006年に行なわれた「THE 夢人島 Fes.」ではポップな裏サザンといいますか、マイナーソング枠(?)として再び登場しております。ちなみにこの時の「Moon Light Lover」からの流れは渚園の時と同じという割とどうでもいいことに今頃気が付きました。

 

・せつない胸に風が吹いてた

ここで1つ所謂「サザンらしい」曲とも言える曲が選曲されました。92年の日本シリーズ、93年のしじみで演奏されており、その後も翌年の渚園、1999年「晴れ着DEポン」ではメドレーコーナーでの1曲目、2008年「真夏の大感謝祭」(1日目のみとなってはいますが)と3度演奏されており(ソロですが2008年の石垣島ライブもありましたね)、流石に「勝手にシンドバッド」や「希望の轍」などの大定番曲とは比べられませんが、そういった大定番曲を除けば定番と呼んでも良いくらいのメジャーな部類に入る演奏率ではないのでしょうか。

 

Tarako

2016年のおいしい葡萄の旅でトップを飾ったのも記憶に新しい曲ですが、このおっぱいぶりの演奏でした。それ以前には発売直後の1984年の「大衆音楽取締法違反”やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで」と縁ギもん、そして前年の96年の「牛」の3回演奏されています。84年当時アメリカ進出を視野に入れていたとされ、全英語詩でロサンゼルスでレコーディングされた曲でしたが、その後そういった動きが無かったと共に封印されてしまった感がありますね…。干支が一周した後に牛とおっぱいで復活を遂げたのを見ますと、ある意味マニアックなシングル曲の象徴といえるのかも知れません。そして19年後に葡萄に擬態し(?)再び無事に復活を遂げました。

 

・奥歯を食いしばれ

1979年の「春五十番コンサート」からFurther on up the Road、ゆく年、おうかがい、82年「愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOOツアー’82」、83年「青年サザンのふらちな社会学」、大衆音楽、牛と、なんと実はこのライブまでに過去8回も演奏されている隠れた定番とも言える曲なのですね…。とはいえ赤い炎の女と同じく、88~93年のサザン第2期には演奏されていなかったので、牛で12年ぶりとなりましたが。

何と言いますか…、これだけ演奏されているのにマニアックナンバーの1曲に数えられてしまうとは曲調のせいなのか、歌詞カードがあれのせいなのか…(?)。

おっぱい以降も2004年「海の日ライブ」、2008年「真夏の大感謝祭」(のメドレーコーナー)で演奏されており、ファンクラブ限定という狭いところと7万人以上が入るスタジアムという真逆のところで登場と、21世紀になっても謎の存在感を保ち続けていますね(?)。

 

・Computer Children

過去には1985年の「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」の1度のみの演奏でしたが、おっぱいで復活以降は翌年の渚園、2000年「ゴン太君のつどい」、2014年「ひつじだよ!全員集合!」、そしておいしい葡萄の旅と年越しライブを中心に4度演奏され、このライブ以降、KAMAKURAライブでのCD音源に近いものから、ライブで演奏しやすいアレンジバージョン(?)(なのか?あっているのか?と不安に思っています…)に生まれ変わったこともあったのか選曲されやすくなりましたね。なるほどこれが「また生まれ変わって僕と踊ろうよ」ということでしたか(?)(これはソロ曲というツッコミを覚悟しております…(?))。

 

・素顔で踊らせて

1981年のおうかがい、82年の金魚で演奏されていますが、その82年の2月26日にささやかな二人の絆を結んだ以降はその象徴と言いますか、思い出の曲となってしまったのか演奏されませんでしたが、よりによって(?)おっぱいと付いてしまうこのライブで15年ぶりに演奏されてしまいました。

後にやさしい夜遊びで演奏されたこともありますが、ライブでは2003年の流石だツアーのメドレーコーナーでのみの演奏となっていますね。これは同じく03年に発売されたDVD「Inside Outside U・M・I」にも選曲されていた影響があったのかと思いますが。

 

わすれじのレイド・バック

演奏されたのは、サザンのライブでは発売直前の80年ニャーニャーニャーツアーのみの演奏でしたが、「JAPAN JAM2」でも選曲されていますね。…とここまで書いていて思ったのですが、FIVE ROCK SHOWのシングル5枚のうちの3曲はこのライブで演奏されているのですねえ…。まあいなせなロコモーションさんがFIVE ROCK SHOWライブ担当となっていますからね…(?)。

素顔で踊らせてと同じく2003年流石だツアーのメドレーコーナーでしかもラストを飾る曲として再び登場し、サザンとファン一体となった合唱が印象に残る曲となりました。その後も大感謝祭で演奏して欲しい曲のランキングにも16位に入るなど、おっぱいさんの功績(?)は大きかったのではないのでしょうか。

 

・BLUE HEAVEN

当時の最新曲と言うこともあり、このライブが初演奏の場でもありました。

意外にも翌年の渚園、この曲も収録されたアルバム「さくら」の99年ライブツアーセオーノでは演奏されず、1999年「’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」やゴン太君、海の日、ひつじとファンクラブ限定ライブや年越しライブのみで演奏されています。もしかするとマニアックソングたちの雰囲気と同化してしまったのかも知れません(?)(秋の発売だったのも影響しているのかも知れませんが)。

 

・ジャズマン(JAZZ MAN)

なんとなんと1980年に発売されたこの曲、発売17年目にしてこのライブが初演奏となりました。

しかもこのライブ以降再び演奏されること無く20年が経とうとしていますね…。このライブで演奏された最もレアな曲はもちろんこの曲になりますでしょう。

いつかまたもう一度演奏して欲しいですねえ…。

 

・Hey!Ryudo!

1980年のニャーニャーニャーツアー以来…って何度も書いていますがこのライブかなり後にレア扱いとなる曲多いですよね…。大森さんボーカルの「LOVE SICK CHICKEN」とか大感謝祭で28年ぶりに演奏されることとなる「働けロック・バンド(Workin' for T.V.)」とか…。

公式のセットリストのニャーニャーニャーセットリストを見ますと、この曲の演奏が「Spectrum」となっているので、もしかするとライブでサザンのメンバーが演奏するのは実は初になるのでしょうか…(テレビやラジオを除いて)。

 

・我らパープー仲間

この曲も81年のおうかがいのみ1度だけの演奏になっていますね。PAAPOOとツアー名に入っている金魚ではセットリストに入っていないのですねえ…(歌っている公演もありそうですが)。

ジャズマンからこの曲までの3曲、おっぱい以降は演奏されていないのですね…。ここの3曲いつか見てみたいですねえ…(このライブの一部しか、しかも昔動画サイトでしか見たことがないのにこんな駄文書いてしまって申し訳ございません…)。

 

・シャ・ラ・ラ

ゆく年、おうかがい、そしてビデオ版を含めまして金魚と81~82年に演奏されて以降のライブでは演奏されずと何となく「素顔で踊らせて」と同じく思い出の曲というような近い扱いとなっている感がありますね。

その後は流石だツアーのメドレー内とひつじ、そしてソロライブの「Xmas LIVE in 札幌」「年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会」でも原さん登場で演奏されるなど、ちょこちょこ選曲されていますね。

 

・世界の屋根を撃つ雨のリズム

「BLUE HEAVEN」のB面ということで発売後すぐのこのライブで初演奏となりましたが、「ジャズマン(JAZZ MAN)」と同じくこのライブ1度のみの演奏となっていますね…。

噂ではアルバム「さくら」に収録される予定もCDの収録時間の関係でカットされてしまったようで、これが無ければセオーノで演奏された可能性が上がっていたかも知れませんね。

 

・おいしいね~傑作物語

A面曲の「みんなのうた」がライブ大定番曲となっていますが、B面だったこの曲は1988年「真夏の夜の夢 1988大復活祭」でのみ演奏だったため9年ぶりのご登場となりました。しかしほぼヒット曲といいますか、レアな曲で構成されたこのライブでこの曲を歌うとは…産業ロックの陽を沈めようとしたのでしょうか…(?)。

その後は2016年のおいしい葡萄の旅で19年ぶりに演奏されました。一部ではライブツアー名に「おいしい」とあるためこの曲が演奏されるのでは…という噂があったとか無かったとか…。

 

・開きっ放しのマシュルーム

披露されていたのは1984年「熱帯絶命ツアー夏”出席とります”」と大衆音楽とアルバム「人気者で行こう」ライブツアーの2回で、人気者の必須アイテムの1つである(?)おっぱいと名の付くこのライブで久し振りに開きました(?)。

その後は春の人気者さくらに擬態し(?)99年のセオーノで演奏されたのみとなっています。(このブログやツイッターでこの曲を無駄に弄っている気がしますね…。まあ好きの裏返しですよ(?)。)

 

・BOON BOON BOON~OUR LOVE[MEDLEY]

過去演奏されたのはアルバム「世に万葉の花が咲くなり」のツアーでもあった歌う日本シリーズの1度のみでした。5年ぶりとそこまで間がなく演奏されましたが、流石におっぱいの上でコブラを踊らせたのはまずかったのか(?)、その後は演奏されずに終わっています。

同じ9月発売のアルバム1曲目仲間でこのライブが2度目の演奏となっていた「Computer Children」さんとはその後の明暗が分かれてしまいましたね…。

 

・怪物君の空

KAMAKURAライブ、1991年「闘魂!ブラティ・ファイト」、歌う日本シリーズ、しじみ、牛の5度演奏されており、これらすべてのライブで終盤の煽りコーナーに選曲されているというのも案外珍しいのではないのでしょうか。その後はしばらく選曲からは漏れていましたが、17年ぶりにひつじで演奏されました。同じKAMAKURA仲間の「Computer Children」さんと同じく年越しライブでの出現率が高い1曲ですね。

 

・01MESSENGER~電子狂の詩~

97年の夏に発売されたシングル曲と言うこともありこのライブが初演奏となりました。翌年の渚園、そしてセオーノと3連続で演奏されていますが、イントロがシングル版なのはもしかしてこのライブだけになるのでしょうか…?(察して下さい)。その後はおいしい葡萄の旅で演奏されるまで16年封印状態となってしまいました。

 

・汚れた台所

万座ビーチ、牛と3回連続での演奏となり、これだけ見ますと定番感が出ていますね(?)。流石アンコール1曲目に選曲されるだけありますね(?)。その後もセオーノ、海の日ライブ、そして「ROCK IN JAPAN FES. 2005」というフェスにもロックナンバー代表として(?)出演しており、年越し、野外、フェス、ファンクラブ限定の4つを制覇した(?)楽曲でもありますね。

 

・Happy Birthday

KAMAKURAライブ、90年「歌うサザンに福来たる」、牛の3度、このライブの後には晴れ着のメドレーコーナーで演奏され、その16年後おいしい葡萄の旅で初めて春から夏に誕生日を迎えたファンに向けて歌われました(KAMAKURAライブは9~10月、年越しライブはもちろん年末年始になるので)。

しかし「KAMAKURA」曲の年越しライブ登場率意外と高めな気がしますね…。だからこそおいしい葡萄の旅のKAMAKURA率は珍しい…と今更ながらに。

 

・LOVE AFFAIR~秘密のデート

年明けの98年2月に発売予定だったシングル曲でしたが、フライングで(?)ライブに登場してしまいました。このライブを皮切りに渚園、セオーノ、晴れ着、2000年「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」、ゴン太君、暮れ、2005年「みんなが好きです」、大感謝祭2013年「灼熱のマンピー!!G★スポット解禁!!」、ひつじ、とちゃんと書いてしまうと大変なことになってしまう数ですね…(ソロでも宮城ライブで演奏していますね)。今から見れば当然のように見えてしまいますが、当時は後にここまでライブ大定番曲になると思っていた方はどの位いたのでしょうか…。

 

ラチエン通りのシスター

ライブのラスト曲となった「ラチエン通りのシスター」、過去には80年のゆく年1度しか演奏されていませんでした。しかしこのライブ以降は演奏されるようになり、茅ヶ崎ライブの頃に公式サイトで行なわれた茅ヶ崎ライブで演奏して欲しい曲の18位に入り、その茅ヶ崎ライブ、海の日ライブ、大感謝祭、マンピーと主に大きいライブで選曲されるようになりました。しかしこのライブ、テレビで生放送されていましたが、この曲を演奏する前に放送は終わってしまいました。もしかすると最後がラチエンと知る→放送されなかったので聴く、改めて好きになる→リクエストが増える(妄想ですよ)、とそれが逆にこの曲の良さを広めるきっかけになったのかも知れませんね(?)。

 

 

さて27曲余計なコメント付きで雑にまとめてみました。

このライブ以降定番とは言わないまでもよく演奏されるようになったのは、「ラチエン通りのシスター」(4回)、「Computer Children」(4回)、「シャ・ラ・ラ」(サザン2回、ソロ2回)あたりになりますでしょうか…。

そして気が付いてしまったのですが、1995年の「ホタル・カリフォルニア」とこの「おっぱいなんてプー」で1曲も選曲が被っていないのですね。サザンのライブ的表と裏になるのでしょうか…。

そういえば8~9割書いた後に某Wikiの方を何となくチェックしていましたら、割と「この曲は~で演奏された」とか「~ぶりに演奏された」と記載されている曲がありまして、そっちを見れば解決するじゃないのよ…となりましたがもう手遅れでした(特にTarakoあたりは編集者が乗り移ったのかと思いました(?))。一応パクリでは無いのでどうかお許しを…。でも多分Wikiの方がちゃんとしているのでせめて劣化コピーということにしておいて下さい(?)

あとこんなに「おっぱい」と書いたのは初めてでした。まあ今後恐らくこんなことは無いでしょう。

…という締めが思い付かなかったことがバレてしまう締め。

 

 

あとがきのようなもの

サザンとは曲数の差がありますが、そろそろ桑田さんソロでもこういう選曲のライブ見てみたいですね…(もちろんサザンでもまた見たいですが)。

 

勝手にシンドバッドといとしのエリーの両方を演奏しなかったサザンのライブを雑にまとめてみた

先日、「「勝手にシンドバッド」と「いとしのエリー」という初期の初期であるこの2曲の両方を演奏したことの無いライブはいくつあったのだろうか…」とふと思ってしまったので(いつもこういう書き方をしてますけど、実際そんなことばかり考えているダメな人なのです…)、またまた調べてしまいました。…まあ思いっきり一番最近のサザンのライブのセットリストはそうだったのですけどね…(ネタバレというほどでもない余計な一言)。

 

SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー’83

初めてこの2曲を演奏しなかったのはこのライブでした。と言いましても「ステレオ太陽族」(1981年)以前の曲は1曲も選曲されていないのですよね…。アルバム「綺麗」のライブツアーで「綺麗」というアルバムがサウンドにコンピューターを本格的に使い始めた作品と言うこともあり、ライブにおいても「新しいサザン」を模索していた時期、なのかも知れません。

もしくはツアーが始まる前の夏に他アーティスト(と書くと桑田さんに一言言われてしまいそうですね)とのジョイントライブ・フェスを行なっておりその模様が「たいした夏」という写真集に収められており、セットリストもすべて(サザン部分のみ)記載されているのですが、ここではすべてでシンドバッド、時々エリーを演奏していまして、そこからのたいした発表会なのにこの2曲を演奏せず、私は騙された!!…というネタが浮かんでしまったので書いてしまった蛇足な文でした(ごめんなさい)。

余談ですが、とある会場では盛り上がってしまったため、シンドバッドを(恐らく追加で)演奏したという一文を見たことがあるので、完全にすべての人を騙せたわけではないようです(?)。

 

・熱帯絶命ツアー夏”出席とります”

残念ながら84年の夏はあのシンドバッドさんとエリーさん2人とも欠席となってしまいました。

このライブではさらに83年以前の曲は2曲のみの選曲になるなど(Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)(81年)とOh!クラウディア(82年))、更にシンドバッドもエリーも遠くになりけり…ともしかすると当時のサザンがこの2曲を使わずに人気者でいけるのかという試行錯誤の時期だったのかも知れません(?)。

ちなみにこのツアー終了後には「桑田佳祐オールナイトニッポン」でラジオライブ「ライブat鐘つき堂」というものがありまして、こちらではちゃっかりと(?)2曲とも出席しています。こう見ますとライブではニューサザンを押し出しつつ、ラジオなど不特定多数が触れるような所では「いつも(もしくはかつて、になりますでしょうか)のサザン」とバランスを取ろうとしていたのかも知れません。

 

・大衆音楽取締法違反”やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで

82年までの曲は6曲選曲されるなど、前回よりも増えてはいますが、大衆音楽取締法に違反していたのか(?)3連続で2曲とも演奏されませんでした。

こうしてみますと、現在ではセットで演奏されることが多い「ボディ・スペシャルⅡ」が登場してからシンドバッドが(83年フェス以外では)選曲されていないので、代役といっては失礼ですが、この2年で80年代のシンドバッドへ(もしくは新たな定番煽り曲として)育っていったと言えるのかも知れません。といいましてもこのツアーの間に行なわれた年越しライブ「縁ギもんで行こう」ではシンドバッド解禁+ボディスペさんとの共演を果たしているのですが…。

今思えば、後のライブ定番曲封印発言の頃よりちゃんと(?)封印している…と言ってはあれですが、ツアーで封印、ラジオや年越しなどのイベント的ライブでは披露、とうまくバランスを取っている気がします。

 

・牛

何と大衆音楽取締法違反ツアー以来約12年ぶりに2曲ともに選曲されないライブとなりました。つまりそれまでの年越しライブではどちらか(といいますかシンドバッドは縁ギもん~しじみまでのすべての年越しライブで選曲されていましたが)は演奏されていたと言うことなのですね。

定番曲も多少は演奏されてはいますが、お久しぶりな曲中心の所謂レア寄りな選曲がされていたこともあり、大定番であり、メジャー曲のトップでもあるこの2曲は当然ながら外れてしまっていますね。

2曲とも98年の野外ライブ「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」まで演奏されることがありませんでした(正確には新宿日清パワーステーションのファイナル・イベントである「FINAL COUNTDOWN “来ればわかる!”」では出演者全員という形で渚園よりも前に歌ってはいますが)。

 

・おっぱいなんてプー

前年の年越しライブ「牛」以上に濃厚なセットリスト(最近この選曲が所謂マニアックだったのか分からなくなってしまったひとり愚かなピエロの私)になってしまったことにより、多分そういうコンセプトになった時点で選曲される可能性はほぼ無くなってしまったのでしょうが…。

ちなみにこのライブで久しぶりに演奏されたエリーさんの同級生である「ラチエン通りのシスター」(発売日を見て学年が変わるやろ、というツッコミがありますでしょうが見逃してください(?))はこのライブ以降ちょこちょこ演奏されるようになり、サザンのライブに限定すればエリー6回、ラチエン4回とエリーさんの代役ポジションに…と書こうと思ったら、何とラチエンさんが選曲されるときには必ずエリーさんも選曲されているではありませんか…(過去のゆく年くる年もそうでしたね)。つまりエリー不在で同級生として(?)代役を務めたのはこの1度切りだったのでした(ということはまさかバータ…(以下自重+ラチエンさんに大失礼))。

 

・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~

渚園のビデオ(DVD)での定番曲封印発言後初のライブと言うこともあり、歌うことはありませんでした。ただ「おっぱいなんてプー」のように完全に定番曲を演奏しなかったわけでは無く「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」や「みんなのうた」「マンピーのG★SPOT」などは選曲されていますが。

こうしてみますと特にマンピーは(「牛」を含め)かつてのボディスペのようにシンドバッドの代打的ポジションになっているように思いますね。2000年の「茅ヶ崎ライブ」で本編ラスト曲となって以降はシンドバッドと同じく3回本編ラスト曲になっているため、偶然かも知れませんがよりそんな感じがしますね。

このサザン初のドームツアーに連れて行ってもらえなかったせいか(?)、その後2005年のツアー「みんなが好きです」でシンドバッドが演奏されたのみで、エリーに至っては1度もドーム公演を果たしてないのですね…。

 

・暮れのサナカ

セオーノから約5年ぶりに選曲されないライブが開催されました。同時に1999年の「歌舞伎町ライブ」から再び続いていたシンドバッドのライブ連続演奏記録が途切れたライブともなりました。

そもそも「暮れのサナカ」というライブが「牛」や「おっぱいなんてプー」とはまた違った珍しい部類のライブだったことも影響していたのかも知れません。もちろん定番曲も何曲か演奏しているのですが、マンピーで恒例のヅラを被らず歌ったり(「牛」もそうでしたが)、ラスト曲がバラードでは無く「みんなのうた」、序盤に大人な雰囲気のバラードコーナーがあったり、更に撮り下ろしの映像とカバーを含む横浜にちなんだ曲メドレーを合体された「横浜探偵物語」など目白押しでしたね。

…まさか色々詰め込みすぎて入れるのを単に忘れていただけなのかも…(そんな訳ない)。

 

・おいしい葡萄の旅

さあ冒頭に書きました1番最近のライブで同時に2曲を演奏しなかったライブはこれですよー。

36曲と2曲を演奏しなかったライブとしては最多でしたが、アルバム「葡萄」のツアーだったため葡萄収録曲は勿論ですが、途中にKAMAKURA、海のYeah!!コーナーといっていいようなところがあったり、桑田さん曰くいらない曲のコーナー(裏サザンとも)と「暮れのサナカ」にも負けていないくらい詰め込まれていたので、やる暇が無かったのでしょう(?)。もしくはボディスペ→マンピーとくれば最後は…と思ったらマンピーさんラストで本編を締めていたので、表と裏のサザンのバランスを取った結果だったのかも知れません。

しかしエリーさんは本当にドーム運が無いですね…。

 

はーい。そんな訳でまとめてみました。結局シンドバッド・エリーを共にやらなかったのは8回でしたね。…そもそも殆どのライブでシンドバッドが演奏されているので、シンドバッドを演奏していないライブで調べるのとほぼイコールになるのですが…。エリーを演奏してシンドバッドカットの方が逆に珍しかったですね。サザンオールスターズがやってくるニャーニャーニャー・愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOOツアー’82(公式サイトのライブデータではそうなっていますが、ライブビデオ「武道館コンサート」では歌っている)・青年サザンのふらちな社会学(ツアーの最初の方では演奏されていないっぽい)とありますが、実質ニャーニャーニャーの1回になるのでしょうか。

改めて「勝手にシンドバッド」は凄いなと思いました(勿論「いとしのエリー」も)(あまりにもお粗末な締め)。

 

おまけ

その2曲が演奏されなかったライブで逆に1番演奏されている曲を調べてみました。

5回

匂艶THE NIGHT CLUB、マチルダBABY、ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

4回

Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)、ボディ・スペシャルⅡ、赤い炎の女、開きっ放しのマシュルーム、メリケン情緒は涙のカラー、TarakoマンピーのG★SPOT

 

やはり「人気者で行こう」のスタジアム・全国ツアーがあったこともあり、この辺りの曲が多かったですね。基本的に盛り上がるタイプの曲が多く、シンドバッドのお休みの際に我こそが煽り曲ポジションを…という気持ちがあるのかもしれませんね(?)。

ちなみにですが、「開きっ放しのマシュルーム」はこの4回がライブで演奏された回数とイコールになるので、1度もシンドバッドとエリーのどちらの曲とも共演したことが無いのですね…。以前ツイッターにて「開きっ放しのマシュルームさんは、1985年に実刑判決を受け、おっぱいなんてプーでようやく12年ぶりに娑婆に出て、その後さりげなくセオーノで春の逢瀬を楽しんでいる姿を目撃された以降は隠居しているのでは…という謎の物語が出来そう(?)」というライブ演奏を絡めたネタツイートをしたことがあるのですが、これに付け足すとすれば大衆音楽取締法違反とはシンドバッドとエリーとの共演を熱望しすぎて、反旗を翻してしまったのが引っかかったのかも知れませんね(?)。ということはおっぱいなんてプーの頃は仮釈放だった…?、という余計な妄想が始まってしまいましたね(どうでもいい定期)。

 

 

あとがきのようなもの

6月はサザンのデビューがありますので、ここもサザン強化月間として(?)週1回…いや10日に1本書けたらいいなと思います(多分無理)。

 

阪神タイガースの二塁手史を雑にまとめてみた

私、野球のポジションですと「二塁手」が好きなのでございますよ…。プロ野球創立期の苅田久徳千葉茂から現代の菊池涼介山田哲人までの系譜もなかなか興味深いものがありますが、ここでは阪神タイガース二塁手史を取り上げてみようと思います。

タイガースのショートと言えば吉田義男藤田平鳥谷敬と長年にわたってレギュラーを務めた選手や1985年日本一時のレギュラー平田勝男や90年代を支えた久慈照嘉と言った選手が名を連ねていますが、その内野のセンターラインを組む二塁手となると結構早いサイクルで変わっていくイメージが個人的にありまして…。

まずは選手一覧を挙げてみます。ちなみにここで挙げた選手はベースボール・マガジン社から出ている「阪神タイガース80年史 PART.1-3」の年度別ベストオーダーからの引用です。

 

小島利男(1936)

奈良友夫(1937)

藤村富美男(1938)

本堂保次(1939,44,46-47,49)

宮崎剛(1940-41)

松本貞一(1942)

乾国雄(1943)

後藤次男(1948)

白坂長栄(1950,53-57)

河西俊雄(1951-52)

浅越桂一(1958)

鎌田実(1959-63,66)

本屋敷錦吾(1964-65,68)

吉田義男(1967)

安藤統夫(1969-70)

野田征稔(1971-73)

中村勝広(1974-78)

榊原良行(1979)

岡田彰布(1980-82,85-88,90-91)

真弓明信(1983-84)

和田豊(1989,92-95,97-99)

平尾博司(1996,2000)

上坂太一郎(2001)

今岡誠(2002-04)

藤本敦士(2005-06)

関本健太郎(2007)

平野恵一(2008-12)

西岡剛(2013)

上本博紀(2014-2015)

大和(2016)

 

ここから基本3年以上セカンドのポジションを確保しておりレギュラーと言える7名の選手をピックアップしていきたいと思います。

 

本堂保次(1939,44,46-47,49)

阪神タイガース1937-1947,49 大陽ロビンス48 毎日オリオンズ50-58

球団創立後初めての固定されたレギュラー二塁手と言えるのではないでしょうか。

1940年は外野手としての出場が多く(投手以外のポジションを守った選手でもあります)41-43年は召集されてしまいましたが、この3年間固定されたセカンドがいなかったため、召集されなければ10年近く阪神不動の二塁手としてプレーしていたことでしょう。

1946年にダイナマイト打線という愛称が新聞に登場した8月10日には打撃ベストテンにタイガースの選手が7人ランクインしていましたが、8位に名を連ねるなど(最終的には.297)打力もありました。

また待遇に不満があったとされ1年だけ大陽ロビンスへ移籍しますが、当時の監督若林忠志の招聘(48年の阪神は捕手として入団した後藤次男セカンドを守っていました)、さらにファンからの熱望もあり1年で復帰します。しかし翌年その若林が毎日オリオンズへ移籍すると、それについて行く形で本堂も毎日へ移籍してしまいます。

本堂と言えば、サイン盗みの名人と知られてもいました。有名な話ですと、その噂を聞いた太陽ロビンス(本堂が移籍したときには大陽になっております)の監督を務めていた藤本定義(1946年か47年でしょう)が本堂に挑戦したところ、「スクイズだけは分からなかった」(スクイズのサインは出していない)と返されすべて見破られてしまったとのこと。

1963年から1965年まで大毎(1964年からは東京)オリオンズの監督を務めますが、3年連続Bクラスに終わってしまいます。オリオンズ監督に就任した理由には二軍監督として優勝、前述した現役時代のサイン盗みを当時のオーナー永田雅一が気に入り抜擢したとも言われています(しかし監督としてはサイン盗みの技術は生かすことは出来なかったと後に本人は語っています)。

現役時代「玄人好み」といえるプレースタイルであった本堂にとって、スター監督を求め続けていたオーナー永田の下での監督生活はどこかやりにくい部分があったのかも知れません。

 

白坂長栄(1950,53-57)

阪神タイガース 1948-59

本堂保次が毎日オリオンズに移籍後、セカンドのレギュラーとなったのは白坂長栄です。

入団は1948年で本職はショートでしたが、主力選手が多くオリオンズに移籍してしまったこともあり1950年にセカンドとしてレギュラーを掴みます。2リーグ分裂による選手の増加やラビットボールの影響からかこの年生涯唯一の2桁ホームランとなる18本塁打をマークしています。その後は打率こそ2割7~8分を残す年が2年ほどありましたが、打撃はそれほど目立つ成績ではありませんでした。

翌1951年、前年には主に外野を守っていた河西俊雄セカンドに回ったため、白坂は本職であるショートに戻りプレーしますが、1953年に吉田義男の入団、更にオープン戦で右肩を痛めた影響もあり、セカンドに再転向します。その後鎌田実が台頭するまでセカンドのレギュラーを務めました。

白坂といえばやはり守備でしょう。同じ年に入団した(白坂はシーズン途中入団ですが)別当薫は「内野ゴロを捕るために生まれてきた男」と評し、吉田が白坂のプレーを見て守備の技術を学び、また二遊間コンビを組んだ際には、吉田曰く「併殺の時にどんな送球でも捕ってくる安心感があった」とのこと。吉田という選手の受け皿になってくれたとも発言しており、守備の評価はかなり高いものがありました。このコンビでシーズン192併殺という記録を作っています。

ショート→セカンド→ショート→セカンドというのもなかなか珍しい経歴の気がしますね。

マチュア時代には投手兼ショートとしてプレーしており、プロでも8試合マウンドに上がっています。

 

鎌田実(1959-63,66)

阪神タイガース 1957-66,70-72 近鉄バファローズ67-69

1960年代前半、阪神の内野陣は鉄壁と言われていました。ショートはもちろん吉田義男サード金本知憲以前にフルイニング試合出場記録を持っていた三宅秀史、そしてセカンドを守っていたのは鎌田実でした。しかしこの内野陣もしかすると実現しなかったのかも知れませんでした。

鎌田は元々慶大志望でしたが、スカウトに口説かれ入団を決意します。その入団を決意したチームは阪神では無く中日ドラゴンズでした。しかし中日を解雇され阪神のスカウトに「移籍」したことにより、担当していた鎌田も一緒に移籍する形となり阪神に入団となってしまいます。このスカウトの名は佐川直行、後にプロ入りする気の無かった江夏豊の性格を見抜きそれを利用したことで入団させることに成功します。これに関して鎌田は「(本職のショートには吉田がいるため)冗談じゃないと思った」。

そのためセカンドに転向しますが、高い守備力からすぐにレギュラーとなります。それまでセカンドのレギュラーだった白坂は鎌田のプレーを見て「もう自分の時代は終わった」と引退を決意したとも。その白坂が吉田の「受け皿」になったのと同じように、「君の好きなように投げてこい」と今度は吉田が鎌田の「受け皿」となります。鎌田の天性の守備力、努力ももちろんありますが、代名詞となったバックトスも吉田がいたからこそ「完成」したとも言えます。

しかしそんな天才肌のプレーが当時の監督であった藤本定義はあまり好まなかったようで、64年に移籍してきた本屋敷錦吾と併用され、67年にはトレードで近鉄に移籍となります。しかし70年に兼任監督となった村山実に呼び戻される形で阪神に復帰しました。

一方で打撃ではなんと規定打席に立ち、しかも全試合に出場しながら打率2割を切ってしまう(1962年.199)という珍しい記録を持っています。ちなみに余談ですが、71年にも阪神の捕手であったダンプ辻こと辻恭彦も全試合出場+規定打席到達で2割を切る(.193)という記録を残しています。過去規定打席1割台の打者は何人かいましたが、全試合出場選手となるとかなり限られますし、しかも同じチームで複数人が達成というのは恐らく無いのではないのでしょうか。

 

中村勝広(1974-78)

阪神タイガース 1972-82

読売ジャイアンツのV9が終わった1974年からセカンドのレギュラーとなったのは、後に監督・GMも務めた中村勝広でした。監督・GM時代については色々と言われていた方ではありましたが、その予兆(?)はドラフト時にあったのかも知れません。

71年のドラフト2位で指名されましたが、この指名の際、当時は指名用紙に名前と学校(会社)名を記載し提出するのですが、「早大 中村勝広」と記入するところを「早大 中村裕二」と記載して提出してしまいました。実は法政大に中村裕二という選手がいたため(高校時代東京オリオンズに指名されるも拒否、この年のドラフトでは指名されず、73年に巨人に指名されるもまた拒否しプロ入りはしませんでした。あの巨人が1~3位指名選手に入団拒否されてしまったあのドラフトです。)、どっちを指名したのか?と混乱を招いてしまいました。

ちなみにこの年の1位指名は100勝100セーブを達成する左腕山本和行でしたが、「ロッカーの位置を見て、自分と中村の将来の立場の違いが分かった」と言ったとか言わなかったとか。

打順は1番での起用が多かったのですが、打率は.250前後のシーズンが続き一方で長距離砲ではありませんでしたが5年連続2桁ホームランを記録しているのは以外でしたね。阪神監督時代の松永・オリックスフロント時代のカブレラ・ローズの獲得は案外現役時代のそういうプレースタイルからきていたりするのかも知れませんね。

ホームランといえば、1976年には1番打者から4者連続ホームランを記録していますが、その時の口火を切った1番打者は中村でした(2番掛布、3番ラインバック、4番田淵)。

セカンド守備でも75年には1試合11捕殺、78年にはシーズン守備率.995を記録するなどの堅実なプレーを見せていましたが、ゴールデングラブ賞は中日に高木守道、大洋にシピンという選手がいた為か1度も受賞することがありませんでした。

(某野球チームを作るゲームではお世話になりました…)

 

岡田彰布(1980-82,85-88,90-91)

阪神タイガース 1980-93 オリックス・ブルーウェーブ 94-95

阪神ファンなら知らない人がいないであろう人物でしょう。タイガース歴代ベストナインでは必ずと言って良いほど二塁手部門で1位を取り、あのバックスクリーン3連発からの日本一、そして監督としてもリーグ優勝を遂げるなどバラ色のタイガース人生を送っていると言っても良いでしょう(えっ…晩年の移籍とか何ちゃらとか…まあそれは置いておきましょう…)。

大学時代に守っていたサードには掛布雅之がいたため、セカンドにコンバートされ現役時代の大半を守ることになり、実際に約9シーズンと球団史の中で最も長くセカンドのレギュラーを務めた選手となりました。

また阪神二塁手で初めてゴールデングラブ賞(当時はダイヤモンドグラブ賞)を受賞した選手でもあります。

83年に脚の故障があり、その影響で翌84年は外野を中心に守っていましたが、監督に就任した吉田義男は、センターラインの強化を基本方針としており、セカンドに岡田を戻したい吉田はコーチ・トレーナーにセカンド守備に故障の影響が無いことを確認し、83-84年にセカンドを守っていた真弓明信が外野転向を了承してくれたため岡田が内野に復帰します。

吉田が岡田を戻した理由を著書等に詳しくは載せていませんが、親分肌で気配りの出来る男、と評しているところを見ますとチームリーダーとしての岡田を内野に戻すことによって、どちらかというと背中で引っ張るイメージの掛布と言葉でも引っ張ることの出来る岡田という2人を揃えたかったのかも知れません。

この岡田から職人気質な選手や守備型といえる選手が多く守っていた時代から打てる二塁手が中心となる時代に突入していったように思えます。

 

和田豊(1989,92-95,97-99)

阪神タイガース 1985-2001

阪神暗黒時代と言われた90年代レギュラーを守り通した和田豊が、約8年セカンドのレギュラーとしてプレーしました。90-91年は岡田がセカンドに戻ったこともありショートとして出場しており、96年はサードのスタメンで出ることが多いシーズンでしたが、本人もセカンドにこだわりがあったこともあるのか翌年はセカンドに戻っています。

右打ちに定評があり、90年代の暗黒期には和田のヒットだけが楽しみだったというファンもいたとかいなかったとか…。

シーズン最多安打は1度のみ(1993年161本、この翌年に表彰の対象となるタイトルになります。イチロー効果ですね…)でしたが、シーズン150安打以上を5回記録しています。チーム記録は鳥谷敬が9回記録していますが、和田はそれに次ぐ回数でありチーム右打者最多タイの5回記録しています(マートンが右打者のタイ記録保持者で、左打ちでは金本知憲赤星憲広が同じく5回記録していますが、金本は広島時代にも1回記録しています)。

通算ホームラン数は29本となっていますが、主にセカンド以外を守っていたシーズンでシーズン自己ベストのワン・ツー(90年8本、96年5本)を記録しているのは面白いなと思います。

守備でもゴールデングラブ賞3回は阪神セカンドでは最多受賞となっています。

実は生え抜き選手として初めて1億円プレーヤーとなっていたりしています。

中村→岡田→真弓→和田とセカンドレギュラー経験者が4人連続で監督となったのは、二塁手好きとしましては、マニアックな歓喜でしたね(?)(結果等は置いておくとしまして…)。

個人的には監督時代のあれこれで現役時代の職人らしさが薄くなってしまったように見えるのが残念と言いますかねえ…。まあそれで現役時代の実績が落ちるというわけでもないのですが。

 

今岡誠(2002-04)

阪神タイガース1997-2009 千葉ロッテマリーンズ 2010-2012

2003年のあの猛虎フィーバーを知るファンにとって忘れることの出来ない強打の「1番・セカンド今岡誠が和田の後の二塁手の系譜を次いだ選手と言って良いでしょう。

入団1年目の1997年には主にセカンドとして早くも出場していましたが、当時の監督吉田義男はショートで使えると判断し、ショートを務めていた久慈照嘉をトレードしたため2年目にはショートとして出場しレギュラーを掴みます。しかし1999年から監督に就任した野村克也には打撃だけで守備・走塁に関心を示さない(と言われていた)プレーやあまり感情を表に出すタイプでは無かったこともあり、2000年以外は100試合以上に出場したものの内野の準レギュラーというポジションに収まってしまった感があります(しかしその一方でショートから再びセカンドでの出場機会が増えていきます)。

そして星野仙一が監督となった2002年からセカンドとして再びレギュラーの座を確保します。そのセカンド時代の3年間すべてで3割をマークしているのは流石ですね。

歴代のセカンドでは打撃はトップに入るかも知れません。1985年の成績を除いた3割打てる岡田という感じでしょうか(何か変な例えだ…)。いやでも2年だけセカンドだった真弓もなかなかなんですよねえ…(83年.353 23本 77打点、84年.286 27本 64打点)。ってそれを言い出すと切りが無くなってしまいますね…。

守備はゴールデングラブ賞を1度受賞しているとは言え、やはり打撃の印象の方が強いこともあるのかあまり語られることも少ないですねえ…。入団時に吉田には「打撃が良くても守備が悪くてはプロではレギュラーになれない」と言われ、吉田の元で練習に励み、後にその言われたことが理解できたと語ったそうな(それには野村時代の影響もありそうですが)。

しかし球史に残る遊撃手吉田義男が名手と言われた久慈を出しても…と判断していたあたり、もちろんこれから育てなければいけない選手だった、ということもあるでしょうが守備力もそれほど悪くはなかったのでしょうか…。

 

平野恵一(2008-12)

オリックス・ブルーウェーブバファローズ) 2002-2007,2013-2015 阪神タイガース 2008-2012

一応5年間レギュラーを確保していましたが、外野手としての出場も多い選手でしたね。まあセカンドの割合の方が高いので入れてしまいました。

移籍選手で3年以上セカンドレギュラー+規定打席というのは球団史上初になりますね。

2010年に記録したシーズン犠打数59は阪神の球団記録になっています。ちなみに全記録保持者は和田豊(56)で平野がFA移籍したときの監督、現役時代はセカンドのレギュラーだったというのはまた面白いと思いました(犠打の記録を作った1988年はショートでのレギュラーでしたが)。

またその2010年には唯一の3割となる.350という高打率を記録していましたが、これはこの年監督を務めていた真弓明信が1983年にマークした.353に次ぐ、セカンドのレギュラーでのシーズン打率になりますね(こういうセカンド関係の絡みばかり気にしてしまう人)。そしてそのセカンドシーズン打率の3位に当たるのが平野をトレードで獲得したときの監督だった岡田彰布(1985年.342)というのもまた出来過ぎたセカンドの偶然ですね…。

またゴールデングラブ賞2回と連続受賞は和田の3回・3年連続に次ぐものになっています。

1番赤星・2番平野という1・2番コンビというのは歴代でもなかなかの身長の低いコンビだったのではないでしょうか。

個人的には内外野をこなしレギュラーを張った移籍選手ということもあり、盗塁出来ない河西俊雄というイメージをずっと持っていました(ということは名スカウトになる可能性が…(?))。

個人的にはオリックスからの移籍選手はあまり活躍しないジンクスがありましたが(松永・山沖・石嶺、星野伸…外国人のアリアスが成功したくらいでしょうか)、平野獲得以降は活躍する選手が増えた印象があります(糸井・高宮・桑原…他球団からオリックスに移籍してきた選手が多いですね…)。

 

さて7人雑なまとめをしてしまいました。…が3年以上からは漏れてしまいましたが、あと2人だけよろしいでしょうか…。野球は9人ですので数合せです(?)。というのは冗談でどうしても個人的に載せたい方々なので…。

 

後藤次男(1948)

阪神タイガース 1948-57

セカンドのレギュラーだったのは新人時代の1年間のみでしたが、元々捕手として入団でした。当時の監督は法政大学の先輩に当たる若林忠志で、若林とバッテリーを組みたいと阪神に入団しましたが、上記しました本堂の移籍により空いてしまったセカンドに抜擢されプレーしました。翌年本堂の復帰により、外野が中心となりましたが、ショートと投手を除いたポジションを守るなど所謂ユーティリティプレーヤーとして活躍しました。鎖骨骨折の影響により出番が減りましたが、4年連続3割、3年連続シーズン150安打以上と打撃でも活躍し、毎日オリオンズに主力が移籍した後の時代を支えた名選手でした。

そんな後藤ですが、引退後は阪神の監督に2度(1969、1978年)就任しています。しかし2度とも1年のみで退任しています。最初の監督ではシーズン2位を確保したのにも関わらず、村山実吉田義男を監督にしたい球団の意向もあり退任してしまいます(監督には村山が選手兼任で就任)。一説には当時は南海ホークス野村克也西鉄ライオンズ稲尾和久という30代前半の選手を監督に任命していたこと(稲尾は監督専任)で青年監督誕生と話題となっていたこともあり、その流れに乗りたいという考えがあったとか…。

結果的に村山を監督にするのが早すぎたように思います。それが選手寿命も勿論監督としての寿命も短くしてしまったのかも知れません…(後に日本一を達成するとは言え吉田にも似たような感じを受けます)。監督交代のサイクルが早くなってしまい、それが後藤2度目の監督となったチーム初の最下位に繋がってしまったのではと…。

後藤は去年2016年に93歳で亡くなってしまいましたが、2リーグ分裂前からのタイガースを見続けた貴重な人物としてもっと取り上げて貰いたかったなあと…。とはいえ晩年始球式を何度か務めるなど長老OB(?)として決して悪い扱いではありませんでしたが。

 

安藤統夫(1969-70)

阪神タイガース 1962-73

俗に言えば遅咲きの選手ですね。8年目の1969年にセカンドのレギュラーとなり翌年には唯一の規定打席に到達し打率2位に食い込みました。これには裏話があり、1968年のシーズン試合中の走塁の際に左足のアキレス腱を断裂してしまいましたが、ケガの影響もあり左足を高く上げる一本足打法のような打ち方に変えると、悪いクセが直り打撃が向上したとのことでした(wikiですと68年ではなく71年にアキレス腱断裂になっていますね…2度切ってしまったのでしょうか…)。

元々守備に関しては「内野守備の基本は安藤のプレーを見て習え」と言われていた選手でしたが、入団時の内野には吉田、鎌田、三宅という恐ろしく守備力の高い選手が揃っていたのも安藤にとっては不運と言えますか…。

その入団時巨人や大洋も獲得に奔走していましたが、元々阪神ファンで巨人のような強いチームを倒したいことから阪神に入団したという経緯があります(しかし契約金の提示は阪神が1番低かったらしいです)。

ちなみに阪神二塁手では初めてのベストナイン受賞選手となりました(1970年)。

監督としてはバースの獲得や福間納や山本和行のリリーフ固定など1985年日本一の土台を作りましたが、一方でコーチの審判暴行事件やタイトル争いによる敬遠合戦などの当事者となってしまい結果的に中途半端な形で監督の座から降りることになってしまうと言う不運もありました。

 

 

はい以上でございます。こうして見ますと中村勝広以降は大卒の選手がセカンドのレギュラーとして長くプレーしている傾向がありますね。また鎌田までの3人は守備職人、岡田以降は打力のある選手、というように二塁手のタイプが180度変わったかのような感じがありますね。ちょうど現役でセカンドのポジションを狙っている主な選手の上本博紀が大卒で打、大和が高卒で守と分かれているのがまた面白いなあ…と思います。

今後また長年チームの二塁手を守るのがどんな選手なのか楽しみに歴史を陰ながら見ていきたいですね。

 

 

あとがきのようなもの

野球ネタは思い付くのですが、何故かうまく書き進められないのが悔しいですね(?)。

 

2007年の個人的桑田ソロライフで思い出したことを雑に書いてみた

或る日雑事の間に間にTwitterを見つめていましたら、「明日晴れるかなから10年」というツイートを目撃し、今日が5月16日だったとうっかり忘れてしまうと言う私らしい(?)失態を犯してしまいました。

反省の意味も込めまして改めて明日晴れるかなを聴いていたところ、「2007年はどんなサザン…といいますか桑田ライフ(ライブじゃないよ)を過ごしていたのか…」とまたつい余計なことを思ってしまったので、Twitterではちょっと呟こうとしてもツイートボタンを押す直前で「やーめた」と消してしまうのでお馴染みの私にも関わらず(?)、こちらには何も自重せずに書き逃げしたいと思います。

 

2007年は前年末くらいから流れていた明治ショコライフのCMにたまに遭遇しつつ、土曜日夜11時にやさしい夜遊びを聴く習慣が定着していた頃でしたかね…。夜遊びのヒストリーを見返すと2006年の最初の方は聴いた記憶がないので…(2月の生歌スペシャルは聴いていないけど、5月の「海」の生歌は聴いた記憶があることを頑張って(?)引っ張り出しました)。

そうしている間に3月にCMで新曲が流れ始め(こんな僕で良かったら)、「へー今年はソロなのね」と思っていたところ4月1日に突然「桑田容疑者」エイプリルフール企画が始まっていましたねえ。確か動画が何回かに分かれていて次は「何時に速報が入ります」的なものをちゃんと時間通りに追いかけていました(何だ意外とその頃の方がちゃんとファン的行為をしているでは無いか)。

そこからの「明日腫れるかな」の情報解禁でしたね。それからは月曜日になると家族がドラマを毎週見ていたのでエンディングの時間に合わせて部屋から何事もなかったかのようにやってきてエンディングだけ見て帰るという謎の生活をCD発売まで…いや結局ドラマの最終回までしていました。

そんな生活の間にミュージックステーションに2週連続で出演していましたね。当時はまだビデオテープに録画していまして繰り返し見ていました。

前年の2006年はDIRTY OLD MAN+夢人島と限定的な活動で、それまでサザンのリアムタイムを見ることが出来ませんでしたが(その分過去のCDを買いひたすら聴く、過去の活動について色々と調べる、ということに時間を使えたため、今考えると後のサザン好きの基盤を作り、ある程度広げることが出来たのではと思いますね)、この2007年は音楽番組やCMで「リアルタイムの桑田佳祐」を数多く見ることができ、今を追い掛ける(いや遠くで立ち止まって見つめているくらいでしょうか…)楽しさを初めて知った年と言えるのかも知れません。あとその前年に知ったフライングゲットを初めてしたCDでもあります(詳しくはDIRTY OLD MANの思い出的な事を書いた雑文で)。

そういえばもう1つこの頃の個人的そこまで重要でもないトピックスがありまして、サザンオールスターズ応援団にうっかり入団してしまいました。当時はライブの先行抽選があるとか会報がくるなどは正直あまり考えていませんでした。ただ単純に私の弟と妹がそれぞれアーティストのファンクラブに入会しており、「好きならファンクラブに入るものなのか…」と勝手に思っており、なら私も…とその流れに乗っかってしまったのです。金額を見てみますと当時は入会費1000円+年会費4800円となっており、「月500円と考えればまあ…」と、マネーに汚いおじさんが住んでいるでお馴染みの(?)私の脳内会議でも無事承諾を得たので入会しました。ちなみにどうでもいい話ですが毎年会員期限が7月末になっているので、継続の更新はいつも6月25日にしています。毎年この日に手続きをする度に「まるでファンみたいなことしてるな」とセルフツッコミするのはそろそろ止めたい(?)。

 

風の詩を聴かせて」が発売された直後はテレビ用ではありましたが、NHKとMusic Loversでライブが放送され、夜遊びでは出たとこやり逃げライブと3つも見る・聴くことが出来たのは良かったですねえ。特にこの頃から大好きになっていた「MERRY X’MAS IN SUMMER(NHKライブ)」と「可愛いミーナ(やり逃げライブ)」を聴けたのはもうねえ…。夏は嫌いですが、この年の夏はそれまで生きてきた中では1番だったと思います。

風の詩を聴かせて」と言えばCDを購入し、自分の部屋で初めて聴いた時、何故か部屋を締め切って汗を流しながらひたすらリピートしていたことを思い出しましたが、何故そんなアホな事をしていたのでしょうか…(「ダーリン」の時はちゃんと暖房付けて聴きました(?))。

あと風の詩か次の「ダーリン」の時か忘れましたが、シングル発売事にCDショップで配られていたフリーペーパーを弟と妹が複数枚ずつ貰ってきており10枚以上が部屋の何処かでまだ眠っているような…。欲しいという方がいれば、ご意見ご感想を記入の上こちらまで(はい、嘘ですごめんなさい)。

 

そんなシングル2枚のメロディを口ずさむ間もなく(?)ハラフウミ「夢を誓った木の下で」やライブツアー開催、「ダーリン」発売など秋冬も途切れなく桑田さん(そして原さん)を見ることが出来ましたね。

ハラフウミは何故かしばらくハラミドウと思っていたのは内緒です(焼き肉でも食べたかったのだろうか)。2008年のことになりますが、関口さんの「口笛とウクレレ2」、弘さんの「GOOD CELEBRATION」も発売され、桑田さん以外のメンバーのソロ作品の新作に触れることが出来たのも大きかったと思います。その後のサザン無期限活動休止の報にもそれほど動揺しなかったのは、まあ性格的な物や過去何度も休止していた、というのもあると思いますがソロの楽しみと言いますか、そういうものを知り始めていたのもあったのかなと今更ながら感じたり。

そしてライブツアーの開催、今までは自分がライブという物に行くということはまあ無いな…と考えていましたが、この時多分一瞬ではありましたが初めて「行こう…かな…」と考えてました。結局行くことはありませんでしたが。まあそういう気持ちが積み重なった結果何度かライブへ行くようになったので、この年に希望の苗(?)は植えられたのですね(?)。

「ダーリン」のCDはバッチが付いているバージョンの方は結局10年一度も開けることなく封印してしまっていますね…。バッチさん今でも光るのでしょうか。次のライブでは近年の光るリストバンドさんとコラボさせようかなと思います(?)。あとサザン=夏というのをよく見るじゃないですか…。なので冬のシングルというのは結構インパクトがありました。それに冬のシングルというと「白い恋人達」やサザンの「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)」だったりバラード曲が多いイメージを持っており、ポップ寄りなのも影響していましたと思います。

 

この年のシングル3枚、様々なタイアップが付いていましたが、ドラマも映画も見ず、コーヒーも苦手(今は飲めます。でも無糖以外…)で大人のエステもカードとも無縁だった私はひたすら「ショコライフ」を囓る生活でした(いつの間にか無くなってしまっていましたね…嗚呼…)。

WOWOWにも加入していなかったため、年末はこの3枚をリピートして締めたのでした…あれでもその中に年内最後の夜遊びで歌っていた「私の世紀末カルテ」も混入させていたような気も…。

そして年明けに呼び捨てライブのセットリストを見まして、2008年が始まったのでした…。

 

はいどうでもいい私の2007年でございました。あとこの年は過去作品でもサザンではなくソロ作品を意識して多く聴いていましたねえ。2006年のサザン漬けから2007年のソロ漬けとうまくバランスを取れたのは今考えると良かったのかも知れません。のちのソロライブで2007年シングルA面3曲を聴けた時はやっぱり嬉しかったもの。

 

CMも出演+曲提供で目にする機会が多く、その度に「ほら、桑田だよ」と家族に言われたり、そういう目線を送られたり大変でしたね(?)。恐らくいちいち顔がにやけているのをツッコみたかったというのもあったのかと…(だってそれ言われると我慢してるはずなのに顔に出てると言われていましたし…ってどんな家族なの…)。

 

あと音楽番組ってこんなにやっていたのね…とも思いました。僕らの音楽、Music LoversやFNS歌謡祭、ベストアーティストなどの特番など、それまでまあ多分見たことくらいはあると思いますが、全く記録になかったので少しは世間の感覚に近づけたなと思いました(桑田さん出演部分しか見てなかったけど)。

 

…今思いますとこの2007年は翌年のサザン無期限活動休止を視野に入れた活動にも見えますね。桑田佳祐のソロでもサザンに負けないくらい動ける(動かせるとも言えるかも知れません。何が…とはあえて言いませんが…)と証明した、サザンの30周年に向けた活動と言うよりその後のソロ活動を見据えたものだったのかも知れません。

あとそういえばこの年でソロデビュー20周年でしたが、あまりそこを大きく取り上げてはいなかったような。5年後の25周年の時から大々的に取り上げるようになった気がします(今年もそんな感じですね)。

 

こう改めて振り返ってみますと、今よりちゃんとファン的行動をしている気がします(?)。もしくはこの年が基準になってしまい、その後はそういう行動が日常になっただけかも知れませんね。

 

 

あとがきのようなもの

タイトルの桑田ソロライフは明治ショコライフの捩りになっていると最後の最後に気付いてしまった私はどうすれば。

 

サザン・ソロでCMした物で1日生活できるのか雑に考えてみた

サザン・ソロ問わずCMに楽曲提供、時にはそれプラス出演というタイアップがありますが、例えばそんなCMした商品で1日暮らせるのか何となく気になってしまったので、やってしまいました。

Wikiさんを見てみますと、とても便利なことに一覧になっていますのでそちらを参考に致しました。

なんか某日本テレビの日曜夜7時の番組の企画みたいですね(?)もしくは電波な少年…?(ちゃんと見た記憶の無いおじさん)。

流石に家や米、野菜などはご勘弁を…(それこそ農家のアイドル達の番組になってしまう)。

 

とりあえず1日の流れを物語風に記していきましょう(いらないでしょうが)。休日編です(?)。

 

朝目が覚め、まず洗顔でしょうか。おっと男性とはいいましてもスキンケアは必要ですね。ここで「UL・OS」(君にサヨナラを・EARLY IN THE MORNING)を洗顔後に使いましょうか。汗をかいた体にはシート式で拭くとしましょう。

さて朝食の時間です。家には数多くのコーヒーが置いてありますが、朝ということで「WONDAモーニングショット」(DEAR MY FRIEND)をチョイスしましょうか。それともブラックな気分の時には「UCC BLACK無糖」(大河の一滴)にするか悩むところですね。

コーヒーと言うことでパンにしましょう。パンの上には「雪印メグミルク)スライスチーズ」(女流詩人の哀歌・祭はラッパッパ)をのせ、サラダには「キューピーマヨネーズ」(キューピーはきっと来る)をかけていただきましょう。

朝食を終え、一段落付いたら家族でお出かけしましょう。もうお母さんは資生堂(BAN BAN BAN・MERRY X’MAS IN SUMMER・OH!! SUMMER QUEEN ~夏の女王様~)の化粧品でメイクを済ませていますよ。そうそう、充電したスマホは忘れずに(スマホ役だった明日へのマーチがありますが、電話と言えばドコモ、auソフトバンク富士通とCMに曲が使われていますね)。

車でお出かけのようですね。愛車の「フォルクスワーゲンNew Golf」(ピースとハイライト)を運転しつつ、そういえば今まで色々な車に乗っていたなあ…とかつての愛車たちを思い出しているようです。「日産 パルサー」(走れ!!トーキョー・タウン・来いなジャマイカ)、「TOYOTA カリーナ」(君だけに夢をもう一度)(のちに「MORE THAN BEST」キャンペーンなんてのもありましたな…しかも4曲も使われていました)、「ゼネラルモーターズ キャデラック・セヴィル」(胸いっぱいの愛と情熱をあなたに)、「NISSAN ルキノ」(01MESSENGER ~電子狂の詩~)…なんて車たちを乗り回していたころもあったのです…(当時サザンがCMをやっている、という理由で車を買い換えていたファンもいたのでしょうか…)。

さて洋服を見るようですね。「Town&Country」(夏の日の少年)の物を色々と物色していますが時間はあっという間に過ぎてもうお昼となってしまいました。

お昼は「ケンタッキー」(BLUE HEAVEN)に決定しましたが、何とお金を下ろし忘れてしまっていました。幸いクレジットカードを持っていたため、「アメリカン・エキスプレス」(こんな僕で良かったら)のカードで支払いを済ませます。

お昼の後は、忘れずにお金を下ろします。ちょうど近くに「三井住友銀行」(月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)・幸せのラストダンス・栄光の男・東京VICTORY)のATMがありました。

そろそろ夕飯の準備のため買い物をしなくては行けませんね。スーパーで買い物をして今日は帰るとしましょう。あらら子ども達がカゴの中へ勝手にお菓子やジュースを入れていますね。「チップスター」(C調言葉に御用心・ふたりだけのパーティ)や「三ツ矢サイダー」(勝手にシンドバッド・青い空の心(No me? More no!)・いなせなロコモーション)、「コカコーラ」(SHE'S A BIG TEASER・波乗りジョニー白い恋人達・可愛いミーナ・ROCK AND ROLL HERO・影法師)…などなど入れていますが、残念ながら戻されてしまいました。一方お父さんも好物の「焼そばU.F.O.」(アブダ・カ・ダブラ)をこっそりとカゴに入れていたのでした。

さて買い物も無事に終え、おうちに帰ってきたところで夕飯の支度をしましょう。そろそろ夕飯が出来上がる頃ですね。まずは晩酌です。やはり最初はビールですね。「キリン ラガー」(太陽は罪な奴・恋のジャック・ナイフ)で乾杯しましょう。そんなこんなしていると友人が訪ねてきました。友人の大好きな「トリスウイスキー」(My Foreplay Music)を勧めますが、車で来てしまったためアルコールは飲めないとのこと。そこでノンアルコールビール「サッポロ プレミアムアルコールフリー」(おいしい秘密・パリの痴話喧嘩)でもう一度乾杯です。こうして夜は過ぎて行くのでした…。

 

というわけで無理矢理ではありましたが、サザンな1日を送ることが出来ました…よね…?ゴールデンウィークでまだ休みも残っている方は試してみましょう…といいたいところですが、まず車のハードルで引っかかってしまいますね…(金銭的にも年齢的にも)。そんなあなたにはJALJTB関係の乗り物に乗って誤魔化しましょう(?)。

あと地味にクレジットカードも同じような理由で引っかかりますね。とりあえず口座だけ「三井住友銀行」にしておきますか(?)。

他の物も使いたかったのですが(カセットテープや本とか)、私にはうまく繋げることが出来なかったので、実態に試そうという方が(多分いないと思いますが)いらっしゃいましたら冒頭で書きましたようにwikiさんの方に記載されていますので追加してみましょう(?)。

商品だけではなく企業に広げてやってみても良かったかも知れません(特に食べ物系は)。

え、私ですか…とりあえずこれを書いている間に「マウントレーニア」と「三ツ矢サイダー」は飲みましたのでお許しを…(?)。

(これテレビ番組か何かだったらスポンサー料結構とれそうな記事だなあ…。)

 

おまけ

1つやってみたかったネタを…飲料のCMで使われた曲でセットリストを組んでみました。

当たり前のようにサザンとソロ混ざっていますのでそこに関しては大目に見ていただけると有難いです…。

 

 

1.ふたりだけのパーティ

2.My Foreplay Music

3.ダーリン

4.C調言葉に御用心

5.CAFÉ BLEU

6.DEAR MY FRIEND

7.NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~

8.大河の一滴

9.真夜中のダンディー

10.SHE'S A BIG TEASER

11.花咲く旅路

12.太陽は罪な奴

13.パリの痴話喧嘩

14.おいしい秘密

15.影法師

16.白い恋人達

17.波乗りジョニー

18.恋のジャック・ナイフ

19.怪物君の空

20.ROCK AND ROLL HERO

21.すべての歌に懺悔しな!!

22.勝手にシンドバッド

アンコール

23.青い空の心(No me? More no!)

24.いなせなロコモーション

25.可愛いミーナ

26.祭りのあと

 

…私が組みますとこのようになってしまいました(漏れがあったらごめんなさい…こっそり直します…)。

終盤の煽りコーナーで選曲されるような曲が多く意外に難しかったですね。その中でソロラストの定番「祭りのあと」やライブ2曲目でお馴染み「My Foreplay Music」そして原坊ソロ曲「花咲く旅路」があり要所で助けられました(?)。原さん曲があるとよりサザンのライブっぽくなりますね(?)。

曲数も26曲と丁度良い数になっているので、ライブのスポンサーの企業で揉めそうですがやろうと思えば可能ですね。

以上がやってみたかったシリーズでした。

 

しかし今回は飛び抜けてアホな記事でしたねえ…。あ、今までもそんなに変わらないか。

 

 

あとがきのようなもの

ゴールデンウィーク…?そんな期間にいつの間にか入っていたのですねえ…。だから街中が混んでいるわけでしたか…。

 

サザンオールスターズ「おいしい葡萄の旅」の感想のようなものを(復刻修正版)

以前TwitterのTwitLongerという長文を書けるもの(雑な説明)に投げていた感想文を1ヵ所にまとめたくなったため、こちらに移籍させてみました(いちいち検索が面倒くさいという理由なのは内緒です)。…の「おいしい葡萄の旅」版です。

ただそちらに載せた後、あそこはああすれば…ここ間違ってる…というのがありましたので、人に嫌われそうな細かい男としまして(?)無駄に直してみました(文庫化みたいなものですね(?))。

ではここから先は約2年前の私(と時々現代の私)です(?)。

(この雑前文は「ひつじだよ!全員集合!」感想とほぼ同じです(コピペって便利))

 

 

サザンオールスターズライブツアー「おいしい葡萄の旅」の宮城初日4月18日にまたこっそりと行ってきてしまいました。ということで今回も懲りもせず、4か月近くの前の感想のようなものと前回以上に無駄の多い駄文をメモ代わりにだらだらと書いてしまったので架空の広場に置き去りたいと思います。(いい迷惑ですね)

完全に出すタイミングを逸してしまい、ほっときすぎて腐っているかもしれないのでお腹を壊さぬようにお読みください。えーそして長いです…

…とここまで本来は書いていたのですが、いつの間にか手元にチケットがあったので(?)実は8月18日の武道館公演の方にもこっそり行ってしまったのです…そういうことなので、宮城の感想に武道館の感想を足す形というまるでサザンのDVDの編集のような(?)文章となりますので、さらに長くなってしまいました…(武道館の感想には※を付けて書いていきたいと思います。…なんと手抜きな)

 

 

 さてさて、今回のライブは「葡萄」のアルバムツアーということでしたが、私自身アルバムツアーというのは初めてで、しかも新曲の発売からライブの日まで2週間ほどしかないというのも不安でしたね。とにかく「葡萄」が手元にやってきてからライブの日まで、「葡萄」を聴き続けてはいましたが、はたしてどこまで自分の中で消化することが出来たのでしょうか…。いつかは「私の体には葡萄色の紫の血が流れているんだ」と言えるくらいには消化できるようになりたいですね(それは病気の色だ)。ただその前に運よく試聴会に行けたのは大きかったですね。1度アルバムを通して聴けたうえにあのスクリーンに(PVのある曲以外は)歌詞だけが映るという曲の情報しか入ってこない約70分が自分の中へ葡萄を受け入れやすくなった重要な時間になったのでは…と今になって思ったり。

 

 

 そして当日、灼熱のマンピーの宮城スタジアムを入れれば3度目となる宮城セキスイハイムスーパーアリーナへ。なんとか会場に潜り込んで開演20分前にトイレにいったら長蛇の列。結局間に合いましたが、1曲目はトイレで聴く覚悟をしました(数分後そうならなくて本当に良かったと思うことに)。こういう時男に生まれて本当によかったなと思います。しかし並んでいる間にウェーブの練習とか会場に流れる映像への歓声は分かっていても「え…まさかもう始まったの…?」と思ってしまうので心臓に悪いですね。

今回もリストバンドがありました。過去2回とは違って四角い形でした。ひつじに続いて今回も終了後回収でした。(回収するとも何も言われず持ち帰った灼熱のマンピーでのリストバンドは宝物です…)

そういえば会場で流れてたのはサザンの曲でしたね。自分たちの曲を開演前に流すのは珍しいのでしょうか?それほどライブに行ったことが無いですし、他の方がどうなのかも分かりませんので…

 

※一方武道館公演当日、7月末まで悩み続けていました。個人的には1度観たならもういいかなといつもは思うのですが、今回はもちろん大満足でもう充分というのもあったのですが、上に書いているように今回「葡萄」というアルバムを消化する前に行ってしまったのかも…という後悔があり、でももう1回行くのは…というどうでもいい葛藤が自分の中でずっとあり、最後にはチケット挑戦してみよう、という思いの方が強くなり勝負に出る事にしました。

挑戦した先行で当たり前のように外した後、いつもなら諦めてしまうところを最後の抵抗で再挑戦した一般でうっかり取れてしまったチケットで(がらけーさんは偉大なり)こっそりと行くことになりました。

あえて水道橋から歩いて行くことにし、某大感謝祭風に言えば(?)東京ドームから神保町を経由して武道館へ、という感じで、東京サリーちゃん~栄光の男~亀が泳ぐ街~葡萄の曲というメドレーが頭の中で始まってしまいました(そこは聴いていけ)。

そしてなんだかんだで武道館に無事忍び込むことに成功し、この日流れていた多分ビートルズの曲をBGMに野球本を読むという、分かりやすいぼっちらしい時間の過ごし方をし、トイレも余裕を持って行けたので安心しながら(?)待っておりました。武道館は当然初めてだったので、回りを見てみると上の階段急でしたね…まるで大阪球場のようです(南海ホークスファンの方のみに向けたコメント)。

リストバンドは丸型でしたね。武道館型を期待したのですが(?)。

 

そんなこんなで舞台が暗転し、皆様がご登場。ライブが始まりました。

 

1.Tarako

イントロが流れてきた瞬間、「えっ…嘘でしょ…」と思うのと同時に一瞬で顔のニヤニヤが始まってしまいました(はい、気持ち悪いですね)。

この1曲目を予想出来た人はほとんどいなかったのではと。葡萄やアロエと同じ3文字で食べ物の曲名だったからこの曲が1曲目だったのでしょうか…。また全英語詞の歌というアルバム「葡萄」とはある意味正反対に位置するような曲ですから、そういった意味でもインパクトがありました(実はそれを狙っていたりもしたのでしょうか…)。それにしてもまるで口が葡萄の糖分を求めていたところにいきなりたらこの塩分を思いっきりぶち込まれた感じでしたね(?)。

ライブでは1997年「おっぱいなんてプー」以来実に18年ぶりの演奏でした。そんな曲を当たり前のようにオープニングに持ってくるなんて…この目で観て、聴いてきたはずの今でもまだちょっと驚きが残っている1曲目でした。

こう観てしまったという補正があるかと思いますが、近年で最高の1曲目ではないかと。

しかし生で聴ける日が唐突にやって来るとは…

※前に1度観に行っていて1曲目が分かっていても、いざ始まると高揚感は前回となんら変わらないものなのですね…

 

2.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

Tarakoの衝撃からのこのライブ大定番曲への流れ。ただ私自身エンジンがかかるのが遅いのか、こういう曲が2曲目に来ると「あ、あ…」となっているうちに終わってしまうので、少し悔いを残してしまいますね。そして拳を上げるところは分かっているはずなのに何度かタイミングを逃してしまう私は相変わらずノリ方が下手というか、悪いというか…

ちなみにライブの2曲目で一番演奏されているのがこの曲のようですね(次点はMy Foreplay Musicとフリフリ‘65らしいです)。

今回希望の轍、LOVE AFFAIR、イエローマン茅ヶ崎でお留守番となったため(?)3度のドームツアーすべてで演奏された唯一の曲となりました。

※ふと回りを見てみると(何早速よそ見をしている)、一部座ってじっと見てるところがあって、もしかしてあそこが関係者席なのかしら…と思わず気になってしまいました。私みたいなノリ方の駄目な奴は、1度ああいう風にただじっとライブを観てみたいものですな…

 

3.ロックンロール・スーパーマン 〜Rock'n Roll Superman〜

なんとなくミス・ブランニュー・デイを聴いたときに、今回の3曲目はこれが来るかな…、と薄らと思っていました。今回も風船はありませんでしたね。2005年「みんなが好きです」から今回のライブまで唯一の皆勤賞曲となりましたが、序盤、終盤、アンコールとどこでも演奏されるあたり、第2の希望の轍的ソングとなりつつあるような気がします。今回のライブではその希望の轍を演奏しなかったこともあり、よりそんな感じがしましたね。連続登場はどこまで続くのでしょうか。今のところ運よく行けているサザンのライブでは毎回聴けているので、最初の頃とかなり印象が変わってきた曲ですね。

※私の見ているところだとステージと天井の日本国旗が一緒に眼に入ってくるので「嗚呼 お日様~」の部分であの日の丸がまさにお日様に見えたような、そんな気がしました。

 

MC

年齢調査が。アリーナにいた10代の人が標的に。私は中途半端な年齢で良かった(?)最高齢の方にはサイン入りTシャツをプレゼントしていましたが、こういうのは珍しい気が。他のところではどうだったのでしょうか?

さて、ここから葡萄コーナーへ突入のようです。

※最初にステージを組んだスタッフへの感謝が。今日はみんなおひとり様ですねという話から他の公演に行った人―と聴く場面も、そして年越しでのあの髭を買ってきて付けて出たら怒られちゃったと、木村主任を責めるという夜遊びリスナーにはうれしい(?)絡みが(おそらく会場にいるほとんどの人が夜遊びを聴いているのでしょうが…)。

 

4.青春番外地

MC明けはこの曲だろうなーとは思っていました。この曲からどことなく漂う昭和感がとても好きです。どのサザンのアルバムでも2曲目になっていそうな感が良いですね(?)

個人的には夜遊びで初解禁になった時ちょうど居酒屋に行っていた両親を車で迎えに行っていて、酔っぱらった両親を乗せた酒臭い車の中の空間とラジオの電波の悪さが、この曲に何故かすごくマッチしていて良くも悪くもそのイメージが残ってしまっていますね…(そんな事を思いながら、夜遊び中に呼び出した両親にはちょっとイラっとしてしましたが…w(土曜日の23時からは基本駄目と言ってはあったのですが))。

 

5.イヤな事だらけの世の中で

予想していたよりも早いご登場でしたね。終わってみればここで聴けて良かったと思いましたが。確かこの曲からステージの後ろに大きな葡萄の絵の暖簾(?)が2本出てきていましたね。(もしかしたら青春番外地で出ていたかも…)その後曲によって出てきたり引っ込んだりしていました(武道館では5本でしたね。メンバーと一緒ですね)。

葡萄収録曲の中ではこの曲のイントロが一番好きですね。曲の雰囲気もどこか懐かしくもあり新しくも感じる不思議な雰囲気が漂っている気がします(サザン以外ほとんど聴いていない奴が何を言っている)。実は最初に聴いた時はあまりピンとこなかったのですが(自分の中で消化するのに時間がかかるみたいで大半の曲はそんな感じなもので…)、試聴会で聴いた後、家に帰るまでやけにこの曲のイントロが頭で何回もリピートされるようになってきてから変わってきたのか、CDで聴いてからやっと「ああ…これは」と少しは分かった気がします。

※とても暑かった会場の中で、「小雪が舞っている」のところで急に涼しい風を感じ、一瞬何かそういう現象が…?と思ったら斜め前の人のうちわの風でホッとしました(?)。

 

6.バラ色の人生

モニターの映像は分かりやすくスマホ(主にSNSとやら)が出てきていましたね。映像の動画再生場面からサビに行く演出は好きです。

イヤな事だらけの世の中でからの流れで聴きますと、確かに世の中はイヤな事が多いけれど、そんな中でもバラ色の人生と言えるようなそんな恋愛をしたい、という風にまた違った曲への感想が生まれたりしましたね。

この曲の初聴きは、試聴会でしたが、サザンに興味を持って以降新曲のフルバージョンは夜遊びで聴いていたので、映画館での初聴きというのはなんだか不思議な経験でしたね。

個人的にはアナログ人生というタイトルの方が好きだったかも。

「完璧すぎる世間を 嗤ってやりたいな」という部分が何故だかすごく好きです、はい。

あと「このバラ色の人生を 分けてあげたいな」というところを聴いてしまうと、こっち側はそう思っても、歌っている本人は絶対に自分の人生をバラ色だとは思ってないのだろうな…とついつい考えてしまう私はやっぱり…なあ…(嗚呼…こういうことを思うからダメなのでしょうね)。

まあそんなことを言いつつも10年近く愛の魔法に酔わされ続けているのですが…。

※ここまで来てしまったら、今度もずっとほろ酔いでも何でも、悲しくて酔えなくなるまでは酔い続けようと謎の決心をしてしまいました。

 

7.Missing Persons

なんとなく中盤あたりにMr. ブラック・ジャック~裸の王様~とセットで歌うのではと予想していましたが。

映像は思っていたよりも落ち着いていましたね。まあ仕方のないことかもしれませんが。

ライブで聴いてようやくかっこ良さと言いますか、そういうものが分かった曲でしたね。ライブ終了後に聴いた葡萄の中で聴こえ方が変わっていたのもこういう感想になったのかも知れません。私はやはり全体像を掴むのに時間がかかるタイプだなと…。

 

8.平和の鐘が鳴る

この曲も中盤以降に来るのではと思っていたら、まさかこんな序盤に鐘が鳴るとは…。映像はこの曲の話に出ていたNHKの番組の映像でしょうか(見ていないので分かりません…)。

試聴会での「貴方」という2文字がスクリーンに浮かんだ時の印象が今でもすごく強く残っていますね。そのせいなのかこの曲にようやく少しピンと来たのが仙台へ移動中のライブの前最後に聴いた時だったのかもしれません。その時初めて「やっとこの曲はちゃんとライブで聴けるかも知れない…」と良く分からないことを思った事を覚えています。ただその一方で(この曲に限らずですが)もう少し聴いてからライブにいた方が良かったかも…と思いながら観ていましたが…。

※武道館に来て、それまでは貴方(You)というのが、自分の方にようやくほんの少しだけ向いてきたのかなと思えるようになり(本当にほんのちょっとだけですよ)、私の中でやっと平和の鐘が鳴ったような気がしました…。

 

9.彼氏になりたくて

ある種の重さを感じた2曲が続いたところでの「彼氏になりたくて」は良い位置にいるな…と。これはアルバムの曲順でも感じましたね。ここでようやく落ち着けた気がします。

最初に聴いた時からどこか暖かさを感じる曲だなとずっと思っていたのですが、聴いているうちにLONELY WOMANに似た暖かさかなと…。そのせいかなんとなく男性版LONELY WOMANだなと勝手に都合のいい解釈をしちゃっております(この2曲とも招待状と乗車券が消えてしまっていますね、そういえば)。

 

10.はっぴいえんど

ここまで披露された葡萄の曲の方々はどこか哀しさややるせなさなんかを感じるような物が多かったところでこの曲が来たというのは良かったですね。なんとなく彼氏になりたくてが演奏された時に次はこれかな…なんて思っていたりしていましたが。

この曲は桑田さんからメンバーに向けて歌った曲ということですが、何度か聴いているうちにI AM YOUR SINGERと繋がっているように思えてきまして、実ははっぴいえんどI AM YOUR SINGERの続き…もしくは同じ主人公なのではないのかと思ったり。

例えば「旅の途中で羅針盤 キミに預けたら」のところは2008年の無期限活動休止の時に言っていたサザンの屋号を預けます、という発言に繋がっているように聴こえてしまったり(あてなき旅の途中で預けたのかな…なんて妄想も)

他にも太陽が沈むのを…というところは昇る朝日に繋がってるように見えたり(その太陽というのがおそらく…と)、みんなでアンコールしたLove songはイカす仲間が奏でる愛の歌じゃないのかな…などなど色々とついつい感じてしまったり。

以上が実に都合のいい解釈でした(以上とある日のつぶやきから引用)。

※まさかいつの間にか宮城で羅針盤を預かっていて、武道館で返しに来る事になるとはね…。

そして2番で「旅の途中がハッピーエンドなら…」と間違えてしまうというらしい間違いが。でもこれがサザンなんですよね、きっと。

 

11.黄昏のビギン~天井棧敷の怪人

知らない曲が始まったと思って、モニターの字幕の方を見たら、ああなんか夜遊びとか何かで聴いたような気がするなと…(サザン以外の音楽は全くと言っていいほどの無知な物で…)。

そして多分1番が終わった後に天井棧敷の怪人が。最後のよいしょっとは桑田さんが言っていたような。ダンサー演出といい舞台感が凄く出ていたと思います(舞台も見たことないくせに何を)。

個人的に怪物君の空と連続で演奏してもらって、怪物君と怪人さんの共演が観たかったですね(?)

今のところ葡萄の曲の中で一番好きな曲ですかねー。曲名も歌い方も曲の雰囲気もすごく良いですね…素晴らしいです…

試聴会で初めて聴いた時に、「御来場の皆さん」のところでまさかこのために替え歌したのか…?とそんな訳がないことを一瞬でも思ってしまった自分はなんなのでしょうか。

※字幕と言えば武道館ではモニターがセンターにしかなかったので、曲名と歌詞が出ていませんでしたね。もうみんな分かっているんでしょ、というメッセージだったのかもしれません(?)。ステージの見にくい恐らく参加席と思われるところにはセンター固定カメラの映像が観れる小さな画面がありました。

 

12.ワイングラスに消えた恋

劇団サザンオールスターズが誇る大女優マダムゆうこりんがご登場。

今回は桑田さんが言っていたようにハンドマイクで歌って少し踊って(?)いました。京都物語でTVに出ていた時にハンドマイクで歌うのは見ていましたが、…ふと気付くと原さんが歌っている後ろの方に蝶ネクタイで指揮棒を持って、たまにコーラスをしている方がいましたが、あれはもしかして天井棧敷の怪人さんだったのでしょうか…。

またそろそろ原さんのソロライブなんてどうでしょうか…毛ガニさんの流れに乗って(?)来年あたり還暦ライブなんてどうでしょう?(もちろん今すぐにでもお願いしたいものですが)

※歌って踊る原さん。まさに武道館で舞踏会でしたね(?)。怪人さんが最初仮面をつけていましたね。すぐ外していましたが。毛ガニさんや弘さんと絡もうとしたりしつつも、コーラスはきちんとしている怪人さんがなんだか愛おしかったですね(?)。ハンドマイク原さん(?)も24年ぶりの武道館となりましたね。確かこの91年の原さんソロライブがサザン関係で初めてWOWOWで放送されたライブだったと、どこかで読んだことがあったようなのを思い出しました(何故今更ここで)。そしてそのライブのセットリストが公式には載っていないという愚痴はまたどこかで(?)。

 

MC2

主なところを要約すると

松田独眼竜弘さん

サザンの仲間外れ毛ガニさん

TIGERさんが猫を踏む

関口さん、仙台(千台)ネタは桑田さんもソロライブで来た時に似たような替え歌やっていましたよ

ここからは古い曲を…70年代、80年代、90年代とか…と言って始まったのは…

※やはり武道館と言う事もあるのか、ビートルズの話が。そこからビートルズ風のメンバー紹介をとなっていました(ただ徐々にいつもの感じになっていたような)。その後サザンの初ライブが、武道館に近い九段会館だったという話を(その時桑田さんは「春五十番コンサートで…」と言っていましたが最初のコンサートは「胸さわぎ」でしたね。しかし30年以上前のタイトルが出てくるのは流石ですね…)。そしてここで沖縄では急にやって失敗したので、ちゃんと練習してきたビートルズの曲を1曲と…

 

12.5.Help!

これは音楽寅さんで見たことがあると、何とか分かった曲でした。多分自分の曲をやるよりも楽しいんだろうなーというか本当楽しそうね、と思っていたら。終了後「これが1番楽しいかも…」と一言。ですよね…w

 

13.よどみ萎え、枯れて舞え

まさかのこの曲が、嬉しかったですね(さっきからまさかと嬉しかったばかり…語彙の無さと頭の悪さが丸出しですね)。どこか葡萄に収録されていても良いような曲な気がします。

この曲の雰囲気が好きで、何年か前に突然「ライブに行くことがあったらこの曲は聴いてみたい…」と思った時があったので、不意打ち感がありましたが、数年越しの夢が叶ってしまう形となってしまいました。

…関係無いですが、このあとの流れの中で「そういえばこの曲はKAMAKURAのライブの時でもこんな感じで紛れ込んでたような…」なんて急に思い出してしまうくらいには(詳しくはKAMAKURAツアーのセットリストをチェックして下されば…)まだどこか冷静な自分がいることにちょっとガクっとしましたね…(まるでそのライブを見ていたかのような発言)。

 

14.顔

Tarakoに次ぐ衝撃でしたね…いや、喜びはそれ以上だったのかもしれません。

老け顔な事もあり(?)大好きな曲の1つだったので本当にうれしかったですね…(学生時代顔をネタにされていたのも好きになった要因かもしれませんね)。

まさに忘れ難き顔(?)。

大感謝祭でのメドレーでも演奏されていますが、単独での演奏となると88年の「大復活祭」以来実に27年ぶり…まさに完全体での大復活でしたね(?)しかし本当今回は次に何が来るか油断の出来ないライブでしたね…。

しばし浮世を忘れてしまいました。

※正面からの顔もモニターも見れない席だった私はただ横顔を見ていたのさ。

 

15.Happy Birthday

この曲がきた瞬間思わずステージに向かって一礼してしまいました。何故かというと私事ではありますが、私がうっかり生まれてしまったのが、このライブに行った4月なもので…(その日はまだ誕生日を迎えていませんでしたが)サザンからの少し早いプレゼントをもらえたような気がして嬉しかったのです…。終わった後もまた一礼。

間奏は少し短くなっていたような。

※しかし8月という個人的に誕生日に関係ない時に聴いても感じる幸福感は何なのでしょうか…。

(2017年のひとりごと:この修正版を上げたのもギリギリですが4月になってしまいましたね。これは偶然ということで…。)

 

16.死体置場でロマンスを

この辺りから「あれ?今回KAMAKURAのライブツアーでしたっけ…?」と思ってしまっていました。2番では「ひつじだよ!全員集合!」の時と同じように毛ガニさん還暦ネタでの替え歌でした。ただ前回での「今年ついに…」というところが「去年ついに…」となっていましたが。

個人的には間奏で関口さんにダンサーが大接近してきた時のあの表情が忘れられません…w

この会場でこの歌を聴く日がやってくるとはね…

※もしかしたら前回の武道館経験者として選曲されたのでは…などと思ってしまったり(最近初めて歌う日本シリーズのビデオを見た影響もあるのかもしれません)。

 

17.Computer Children

死体置場でロマンスをとこの曲の時の映像はひつじの時とはあまり変わっていなかったような。前回のひつじでも見ていましたが、やはり良いな…と改めて。

ここまでKAMAKURAからの曲が4つ続きましたが、ひつじで聴けなかった人への短縮版として演奏したのか、KAMAKURAと葡萄という2つのアルバムの比較のコーナーにしたかったのかな…なんて妄想が始まってしまいましたね(と思ったけど、そういえばさくらの時はYoung Love、キラーストリートの時は海のYeah!!収録曲を続けて演奏していたコーナー的なところがあったので珍しい事ではなかったのかもしれない…)。

ここでKAMAKURAコーナー(?)は最後でしたが、今後のライブでも過去のアルバム曲コーナー的な物があるといいなあ…とささやかでわがままな希望が出てきてしまいますよね…(次は綺麗あたりお願いします…と早速わがままな希望)。

※あの指差しで腕を振るあれあるじゃないですか。この曲でそれをやる時「外で遊べない Computer-Child」というところでステージに向かって指を指すのはいいものか…と考えてしまい、結局手拍子に終始してしまうという謎の約5分間を過ごしてしまいました(ソロの悲しい気持ちの時はそんなことを考えてなかったので本当なんなのか)。でもミス・ブランニュー・デイの時も結局はやってなかった僕…。

 

18.栞のテーマ

まさかのドクダミ・スパークのテーマに映像が付いてのCM(?)が流れ(ぶどう味新発売的なネタをやるかなと思ったけどCD音源のままでした)、その直後に演奏されたのがこの曲。そういえばその映像内で海のYeah!!という字が映っていたのはここからの3曲の伏線だったのかもしれません。(3曲とも海のYeah!!収録されている曲ですね)

2005年「みんなが好きです」以来10年ぶりとなりましたが、音楽寅さんの時の山中湖ライブや宮城ライブ、夜遊びライブなどソロ関係で演奏されることが多かったこともあり、お久しぶり感はあまりなかったような。

実はそれまであまりピンと来ていなかった曲だったのですが、今回初めて生で聴けてやっと良さが分かってきたような気がする1曲でした(遅い)。

 

19.あなただけを~Summer Heartbreak~

今回のライブではTarakoと顔に次いで驚いた曲でしたね…1999年「晴れ着DEポン」のメドレー以来でしたが単独演奏となるとYoung Loveのライブツアーだった1996年「ザ・ガールズ万座ビーチ」以来と実に19年ぶりで一番間が空いていましたから…まさか聴けるとはなんて思ってもいませんでした。

7月の沖縄で聴けた人はちょっと羨ましいなと思ったり。

※8月に聴けたというのも良かったですね…。

 

20.真夏の果実

夏のライブではほぼ演奏される曲ですが、今回のツアーは春~夏なのでどうなのかなと思っていましたが、やりましたね。まあやらない理由がないですが。(そういえば夏のライブで必ずと言っていいほど演奏されている愛の言霊は今回やらなかったですね)

前回演奏した灼熱のマンピーの時と同じく、ハンドマイクで歌っていましたが、今までほとんどのライブではマイクスタンドに置いていたと思うので、ステージの右に左に動きながら歌う真夏の果実は珍しいというかまだ新鮮だったといいますか…見慣れない分どこか若干の違和感がありましたね。

 

MC3

ここまでで20曲終わりましたと聴いた時は「もうそんなにやってたのか…」と…まさにあっという間の夢のTONIGHTですね。

ここからはセットリストがネットに上がったりするけど、次からはここはいらない、外すべきと言われるコーナー、でも歌っちゃうよ的なことを話していたので、期待感が高まりました。

※ここのMCはあまり変わっていませんでしたが、話の流れから桑田さんが私はガラケーですが、ガラケーの人はいますか?と聴かれ、手を挙げられて良かったです(?)。

そして結局は感想をこんな無駄に長くネットに垂れ流してしまうこんな私でした…。

 

21.おいしいね~傑作物語

そんなMCから始まったのはこの曲。百人一首の件から最初は世に万葉の花が咲くなりの曲かCRY 哀 CRYあたりが来るのかと。

今回のライブツアー名が発表になった時にこの曲をテーマソングとして(?)やるのではないのかと思った人は少なからずいたのではと思いますが、本当にやってしまうとは…。

発売の頃の事を調べたりしていると、この曲は怒りの曲というイメージでしたが、この時代に聴くと、どこか嘆きの感情が強いように聴こえました。

皆さんが一度は通るように(?)一時期みんなのうたよりも聴いていたので、もう本当においしかったです(?)。

※おいしい(葡萄だ)ね そりゃ見事(なアルバムとツアー)だね。

 

22.Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)

これが来るのかーと。頭痛持ちとしては頭痛の度にこの曲を思い出してしまう程度には好きです(ただ頭痛にうならされているだけかもしれない)。

おいしいねとこの曲を今のサザンが歌うというのも、またいろいろと思ってしまったり。

この曲は1999年の「セオーノ」以来だったので、21世紀になって精神爆破魔さん初めての登場でしたね(もしくは復活?)。おめでとうございます(?)。

※サビで手拍子が変わってしまうのに対応できずに終わってしまうという、実に回りに迷惑な私でございました。

 

23.01 MESSENGER~電子狂の詩~

バラ色の人生とComputer Childrenを演奏したあたりからなんとなーくやると思っていました。これで3大ネット(ゲーム)への風刺曲そろい踏みという形になったのでしょうか?

アルバムバージョンでの演奏だったのでタイトルは正確には、(The Return of)01 MESSENGER~電子狂の詩~になりますね。ということは16年ぶりにライブにリターンして来たということで(?)。

これもライブで聴きたかったので(まあ結局ほとんどの曲がそうなんですが)、もう本当に今回はねえ…。

次はシングルバージョンも是非…。

この3曲で、葡萄のライブツアーだということをまた少し忘れてしまっていました。

※レーザーの演出がよく見えましたが、あれいいですね…宮城とは違う角度から観ることが出来て良かったでしたよ…

 

24.ブリブリボーダーライン

前3曲の流れからだとちょっと拍子抜けしてしまった感じですね。もしかしたらイエローマンさんの代打だったのかもしれません(手を振るのと黄色は葡萄の色じゃないですからね(?))。同時に終盤への足がかりかなとも感じましたが。個人的にどこか不思議なノリの曲だなーと思っていたので、生で観れて良かったと楽しさが改めて分かった曲ですね。今回葡萄収録曲以外で今までと一番印象が変わった曲でしょうか?もちろん良い方に。

※左右の人の腕の振りが逆だったのですが、こういう時間にいる私はどうすればいいのでしょうか?結局小さくなってこそっと腕を振る私に誰か良い案を下されば…。

 

25.道

桑田さんがギターを持って演奏されるとばかり思っていましたが、ハンドマイクで歌ってましたね。まあ歌うたいに楽器は必要なかったのでしょう。ベンチに座る桑田関口コンビの2ショットがとても良かったですね…。もしかしたらこのライブでのベストシーンかもしれません。そしてセルフで枯れ葉撒き。

暗転している中で見えたセット準備のスムーズさに謎の関心をしておりました。

そういえばこの曲の時だけは座って聴いている人が多かったですね。前の方は立っている人が多かったのですが、ふと振り向くと後ろの人、スタンドの人は結構座っていましたね。

この曲も架空の主人公がいるらしいですが、聴いているとやっぱりイコールで結びたくなりますよね…。

今までのロックンロール・スーパーマンでもI AM YOUR SINGERでもROCK AND ROLL HEROでもMUSIN MANのように憧れやなりきりのように、どこか武装しているように見える人物像に比べて、極力装備の無い、ただどこかで過去の色々な人物たちのその要素をもっているような桑田佳祐に一番近いようで最も遠い人物だなと良く分からないことを思ってしまいます…(ええ、途中から何を言っているか自分でも分かっていませんとも)。

 

26.栄光の男

序盤で演奏されると思っていたので終盤のこの位置に置かれていたとはちょっと意外でした。道からの流れですと道の主人公がこの曲を歌っているように見えて、「生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない」というフレーズの響き方が今までと違って聴こえてきました。

ちなみにこの栄光の男、アルバムでは11曲目ですが、あの天覧試合で長嶋にサヨナラホームランを打たれ、打倒長嶋茂雄に燃え、最大のライバルと言われた阪神タイガースの投手村山実の背番号「11」と同じなんですよね。おそらくは偶然なのでしょうけど、もし意図的だったら流石しか言えませんが…村山について書き出すと多分止まらなくなるのでここまでにしておきます(ちなみにその天覧試合が行われたのは6月25日、つまりサザンのデビュー日と同じという別な偶然もあったり)。

今回のツアーでは東京ドーム公演がありましたが、もし後楽園球場が残っていたらそこで聴いてみたかったなあ…と。なのでいつかせめて神宮球場で…(そっちもそっちで絶対に無い)。

※そして武道館でこの曲を聴いた時、どうしてもプロ野球の父と言われ、武道館の建設にも関わった正力松太郎が頭をよぎってしまうのです…。この人がいなければ、プロ野球や長嶋、そしてこの武道館公演はどうなっていたのだろうか…なんてことなどを考えてしまいましたね…(捻くれた野球史好きな物ですいません…この事も表や裏の色々な想像が止まらなくなるのでストップします)。

 

27.東京VICTORY

道から東京VICTORYまでの流れ良かったですね…。この曲がアンコール前最後に演奏かなと予想していたのですが。ここでリストバンドが思い出したかのように光出す。

葡萄に収録されたシングル曲の中で印象が一番大きく変わった曲ですね。感覚的な物なのでどう変わったのか説明しにくいのですが、アルバムで通して聴いていた時に突然この曲が鮮明に聴こえてきた瞬間がありまして、なんというか今まで脳内での映像が白黒だったものが一気に鮮明なカラーの映像になったかのような何とも言えない不思議な感覚が走りましたね…。うーんやっぱりうまく説明できない…(本当自分の語彙の無さが腹立たしいですね)。

そんなこともあってか今回のライブで聴くのが特に楽しみな曲の1つでした。

感想としては良かった…なんて言葉しかないけど、ひつじの時の良かったとはまた違うものだった…ね。

※東京で聴く東京VICTORY…自分の中でこの曲の印象が変わってしまったことも含め去年とはすべてが本当に変わってしまった曲だなと…そんななのにWowが未だちゃんと出来ない私でした。

 

28.アロエ

あれですよね、杏仁豆腐とジャージャー麺が食べたいけど1人で中華料理屋に行く勇気がない人を応援する曲でしたよね(絶対に違う)。

中華料理人風の恰好をした毛ガニさんを見た時に一瞬でもあり得ないのに、「もしかしてチャイナムーンとビーフン娘やるのか…」と思ってしまう私はなんなのか。あと給食のおばさんにも見えましたね。

ただミラーボール的な物が出てきていたので、アロエ愛と欲望の日々のどっちかかなと。

PVの踊りをしている人結構いましたね。私はしませんでしたが、踊っていた左隣の方の手が何度か当ってしまい、申し訳なく思ってしまいました。そういえば前にいたおば…お姉さまが終始ノリノリだったことを今更ここを書いてる時に思い出す。

「葡萄」収録曲の中でまだまだこの曲は良さをちゃんと分かってないままだったかな…とライブ中にあらためて思ってしまいました。この時は何故だか分かっていなかったのですが、どうやら私はまだアロエが苦手なようなですね…。その理由も分かってないのですが…。

※最近気づいたのですが、苦手な理由と言うのは、多分色々と考え過ぎて聴いていたようなのですね…あまり深く考えずに聴き始めてからは少し苦手感が薄れてきていました。なので武道館でもう1度聴き、観ることが出来て4月に思ったある種の後悔を吹き飛ばす楽しさを感じることが出来ましたが、恐らく8~9割の人があの踊りを踊っていたので驚きましたね…。やっぱり踊れた方がいいのかなあ…でもPVそんなに見てないしなあ…と新たな不安が生まれてしまうということに(これこそ勝負に出るものではないのであろうか)。

 

29.マチルダBABY

この曲が始まった瞬間特攻の爆発への覚悟をしました。正直逃げたかったです(?)あのボッ、ボッと出てくる炎の熱さも感じましたがステージはもっと熱かったんだろうなあ…と(何故かそこだけ冷静)。そして毎回爆発直前で手拍子を…といいますか動きを止めて身構える私は本当ただのチキン野郎でした。まさに体が震えてやまぬという感じでしたね(大袈裟)。

ちなみに私この曲のCD版のスピードもライブと比べて猫を被ってる感があって(?)結構好きなのです(というかアルバムの綺麗がただ好きなだけかもしれない)。

そういえばミス・ブランニュー・デイとマチルダBABYを同じライブで離れ離れで歌われたのはいつ以来だろうかと思って調べてみたら90年の「夢で逢いまSHOW」以来だったようですね。だから今回のライブは夢だったわけだ(?)

※あの特攻の爆発の後で、「イェーイ」と回りの皆様言っておられましたが、チキンな私にはとてもとても…いやいや…。

 

30.エロティカ・セブン EROTICA SEVEN

チルダでの炎を消化してしまうような、奥歯も凍るようなキスをしたい曲が。マチルダBABYからエロティカ・セブンの流れで1993年の「しじみのお味噌汁」でのあれを思い出した人は私以外にもきっといたはず。

大感謝祭で演奏されてから何故かまたしばらくは演奏されないのではと勝手に思っていたので驚きました。

そういえばセオーノから大感謝祭の間まで9年間演奏しなかったのは「君もエロティカ・セブン~」(当時サザンの6人+君で7人)が出来なくなるからだと勝手に思っていました(えっ、シングルのジャケットは5人だったから関係ないって?あ…そうですね…ごめんなさい)。

※1番と2番の最初では前川清さんが降臨していましたね…w。

 

31.ボディ・スペシャルII (BODY SPECIAL)

葡萄、Tarakoアロエ、杏仁豆腐、ジャージャー麺、ロマンティックなジュース、しじみのお味噌汁(これは関係ない)…等々をすべて吐き出してしまいそうな曲が始まってしまいました。

また特攻の爆発を(以下省略)前回のひつじの時にかなり遠慮がちに腕を上げてしまっていて終わった後に後悔したので、今回は前回より頑張ったつもりです。でもまあなかなかね…。もちろん心はハイテンションになってはいるのですがライブに慣れていないせいかなかなか表にまでは出せないのです…(言い訳)。マチルダBABYの時もでしたが、ビクビクしながらも特攻の爆発の時には天井を見上げて思わず確認してしまいますね…残念ながら天井棧敷の怪人さんはいませんでした(いや違うそこじゃない)。

※冒頭のギターのところで私の回りでは、「誠さーん」や「まこっちゃーん」との呼びかけをしている方が何人もいましたね。

 

32.マンピーのG★SPOT

銀テープがパーン。今回は灼熱のマンピーの時のような演出は無く、ハゲヅラもかぶっていなかったので割とシンプルなマンピーを見れた気がしてなんか新鮮でしたね。過去にもハゲヅラをかぶっていないライブもたまにありましたが、実際に見てしまいますとレアなものを見たかのような、妙な嬉しさがありましたね。あと私はやっぱり水着のお姉さんが苦手なようだ。

そういえば今年でマンピーさん成人なんですね。(凄く今更ながら灼熱の時は18歳ですからそういった意味でも解禁だったんですね(?))おめでとうございます(?)。

ラストマンピーさんもすっかり定着しましたね。ここで一旦終了しアンコールへ続きます。

※なんと武道館ではまさかのハゲヅラが登場。付けているところもばっちり観てしまいました。灼熱のマンピーの時と同じく、上からティッシュが出るタイプのものでしたね。ノリノリだった隣の人が「あ…ヅラかぶってる」と素の反応をしているのがちょっと面白かったです。最後の弘さんドラムソロのところで、片山さんの前あたりでハゲヅラをとった桑田さんが徐々に弘さんに近づいてくるのが、なんか気になっていましたね…w。

最後の特攻が来るのをずっとビクビクしながら待っていたので疲れました(?)。

 

33.C調言葉に御用心

メンバーご登場前にアブダ・カ・タブラの1か3をバックにダンサーさんによるちょっと洋画風(?)な演出が。

そしてアンコール1曲目はこの曲でした。アンコール前の熱気もあってか、どこか爽やかさを感じましたね。いい曲だなーと今更ながらに改めて実感。

確か「砂の浜辺で~」からはカットだったような気が。

ふとホーン隊の方を見た時に山本拓夫さんだけは立ってステップを踏んでいました。確か楽器は持ってなかったと思いますが…

※どうやらここが会場によって曲が変わっていたようで。

 

33.匂艶THE NIGHT CLUB

そして武道館ではこの曲でした。人がびっしりと入っている武道館がNIGHT CLUB に変貌してしまうとまさに情熱以上の熱さが。C調言葉とは違ってマンピーからの熱をそのまま引き継いだような感じでしたね。この曲でリストバンドは光りませんでしたが、匂艶だから七色に光ったりするといいのにねとちょっと思ったり。まあ難しいのでしょうが。

 

34.ピースとハイライト

銀テープがパーン(2回目)。個人的にはC調言葉に御用心からの流れは良かったですね。今後使っていきたいです(何にだ)。

映像の方はかなりシンプルになっていましたね。でもこっちの方がいいかも。

2013年サザン復活の時のシングルでしたね。初めて聴いた時には、今までの活動再開のシングルよりいい意味で肩の力が抜けてるなと思いつつも、サザンが再活動したことへのいろいろな思いや、この曲はきっと試行錯誤したんだろうなあ…と余計に感じたものがあって、それがずっと残っていたのですがこの2年間、ライブで聴いたり、葡萄で聴いたりでそのいろいろと感じたものが薄まっていき、「ああ…良いな…」とようやく曲への方に思いが向いてきたのかなとようやく感じることができました。

 

35.みんなのうた

みんなのうたに入る前に「あの日から何度目の…」のあの曲が。個人的には大感謝祭と灼熱のマンピーで完結して欲しかったので、ちょっとうーんという思いが。しかしなんか登場する度にあの曲さん徐々に長くなっていますね。あと3~4年すれば完成しそうな勢いです。

歌詞はあまり間違えていなかったと記憶。これまた逆に珍しいものを見れた気がします…w。

今回のみんなのうたは聴けた時すごく嬉しかったんですよね…何故かは良く分からないのですが…。

途中の歌詞で仙台にまた来るねと。いつかは私の住んでいる街にも…とは意外と思わない私よ。

※アンコール位からでバテてきてしまっていて、この腕振りで力を使ってしまおうと思ったら、また左右の人の振りが逆という悲劇(?)が。途中のところは武道館またやろうねと、でも次も22年後というのはご勘弁を。

あと7回ジャンプしたのは、ここでしたっけ?(マンピーとどっちかの時だったのですが抜けてしまいました…)私今度はタイミングを失敗して6回ジャンプになってしまい、あと1回ジャンプ出来ませんでした…。

 

36.蛍

アルバムと同じくラストはこの曲でした。リストバンドの色は緑じゃなかったですね。前回演奏された灼熱のマンピーでは腕を振るのに必死で、ステージをあまりちゃんと見れていなかったので、あまり腕を振らずに聴いておりました。もしこの日に行かれた方がいましたら、飛んでいなかった1匹の蛍の主は私です。ごめんなさい。

※また腕を振らずに棒立ちで聴いてしまいました。ごめんなさい。でも隣の人も途中から腕を振らなくなったので、きっと許されますね(?)。Tarakoで始まり、蛍で終わった葡萄のツアー、まるで3文字と言うのが、裏テーマだったのでは…となんてまたまたくだらないことを考えてながらの会場を後にしておりました…

 

そしてライブの最後には恒例になりつつある「おおブレネリ」(調べました)を替え歌で回していき終了。誠さんの動きのキレがやたら良かった気が。そしてオチに便利な(?)金原さん。

劇団サザンオールスターズらしい(?)終わり方でしたね。

※蛍が終わると桑田さんはメンバーや各スタッフチームすべての人にありがとうと感謝の気持ちを伝えており、すごく暖かい空間でしたね…「おおブレネリ」は無しかなと思ったらもう1曲とやりますと言い、(大歓声がありましたが…w)しっかりやるとあたり流石でした(?)。

最後に2度「死ぬなよー」と桑田さんは仰っておりましたが、いつもライブが終わると、もうこれで死んでもいいや…といつも思ってしまっています…それくらい満足以上の何かが生まれてしまうのです…

 

 

さてライブが終わって改めて振り返ってみますと、葡萄収録曲以外は前年の「ひつじだよ!全員集合!」のセットリストと入れ替えても違和感が無かったかのような、どこか少しマニアックさを感じる曲が多かった気がしますね。「大感謝祭」や「灼熱のマンピー」がこちらから見ている、いかにもサザンというイメージのライブであった反動なのでしょうか…?。

 

今回は勝手にシンドバッド希望の轍、LOVE AFFAIR~秘密のデートなどライブ大定番曲が演奏されませんでしたから、余計にそう思ったのかも知れません。

今後名前を出した3曲を1曲もやらないライブを観ることがあるのかな…?なんてちょっと思ったり(特に勝手にシンドバッド希望の轍の両方を演奏しなかったライブと言えば「おっぱいなんてプー」と2004年の「暮れのサナカ」だけで10年に1度物ですからね…。

御開帳みたいなものか(?))。

 

そういう意味ではまたすごくレアなライブを観てしまったのだな…と。

個人的には希望の轍を演奏しないライブを1度観てみたかったので(ほとんどのライブでやっている分逆を観たくなってしまっていて…)、ある種の嬉しさがありました(へそ曲がりで本当すいません)。

 

しかし毎回のようにライブでは10年以上ぶりという曲が出てくるというのも、昔からのファンには懐かしく、最近ファンになった方には新鮮に感じる嬉しいサプライズですね。今後も長年演奏していないあれやこれを聴いてみたいものです…(ただキラーストリートからでも10年ぶりになってしまうのですね…時の流れとは恐ろしい)。

 

「葡萄」からは天国オン・ザ・ビーチのみが演奏されずでした。ただシングル曲以外の収録曲は全曲演奏されていましたね。これは多分「人気者で行こう」以来かと(ただ未演奏だったのはミス・ブランニュー・デイのB面だったなんば君の事務所だけなので、実質全部やっているようなものですが)。

天国オン・ザ・ビーチもひつじ以降にやっと消化できたような感じだったので、今回聴くことが出来なかったのは残念でしたね。アルバムの中ではなんとなく他の15曲の実を繋げている蔕というか茎の役割をしているある意味重要な曲なのかなーとなんとなく思っていたのですが、それをこの「おいしい葡萄の旅」に当てはめると蔕や茎の部分は食べれないので置いてきたのかもしれません(?)。もしくは天国での公演が無かったからかもしれません(お前は何を言っているんだシリーズ)。

 

 

※そして武道館…まるで歌舞伎町ライブビデオの夏をあきらめてと似たようなところから観ていましたが、こういうのも良かったですね。同じツアーに2回行くというのも初めてでしたが、演奏曲をすべて知った上で行くとこんな感じなのね…と新しい見方が出来ました。

そしてアルバム「葡萄」…

今回で消化できたかと言われると、どうでしょうか…でも消化不良だったかもという後悔は薄れ、今までは葡萄をどう食べていいのだろうか…?という思いだったのですが、ようやく少しは味が分かるような食べ方が出来るようになったのでは、とは感じることが出来るようになりました。本当に行って良かった…。

 

 

そんなこんなで今回もまた長々と、まとまりも語彙も無い感想を架空の広場に晒してしまいました。でもみんなが集まるところではないので問題ないですね(?)

うっかりここまで読んでしまった方ありがとうございました。そして貴重なお時間を使わせてしまい本当に申し訳ございません(なら何故書いて置き逃げした)。

(以下言い訳タイム)実は正直今回は書かないつもりだったのですが、前回は書いてみようかとしましたが、早く書こうとしてしまい後で、ここはこうすれば…、これを書いておけば…と後悔してしまったので、リベンジを兼ねて書いてしまいましたが、時間をかけても酷い文章と漂うネガティブさは変わらないですね。次回以降ライブに行くかは分かりませんが、今後は多分書かないのでどうかお許し下さい…。

 

最後にサザンオールスターズ、そしてサザンに関わる皆様、これを読んでしまった方本当にありがとうございました。また明日からそれなりに頑張っていこうと思います。

 

サザンオールスターズの皆さん!!

最後にブラボー!!

素敵なライブをありがとう

さよならを言う前に

 

…最後までごめんなさい。

 

 

以上が発掘した感想でした。まず1つこれ長いですね…。読む方のことを一切考えていないですね。当時の私に代わって(?)ここで謝罪いたします。

あと最後の方に今後は多分書かないと言っておいて、こんな駄文集ブログをやっているとは2015年8月の私は思っていなかったでしょうね…。

以上この2つが過去に書いていた感想でした。

 

サザンオールスターズ年越しライブ「ひつじだよ!全員集合!」の感想のようなものを(復刻改訂版)

以前TwitterのTwitLongerという長文を書けるもの(雑な説明)に投げていた感想文を1ヵ所にまとめたくなったため、こちらに移籍させてみました(いちいち検索が面倒くさいという理由なのは内緒です)。

ただそちらに載せた後、あそこはああすれば…ここ間違ってる…というのがありましたので、人に嫌われそうな細かい男としまして(?)無駄に直してみました(文庫化みたいなものですね(?))。

ではここから先は約2年前の私(と時々現代の私)です(?)。

(この雑前文は「おいしい葡萄の旅」感想とほぼ同じです(コピペって便利))

 

 

今回サザンオールスターズ年越しライブ「ひつじだよ!全員集合!」の初日12月27日にこっそりと行かせていただきました。という訳で(?)感想のようなものをだらだらと長々と駄文のお手本のような形で書いてしまいました。ただ記憶違いなどもありますので、もし間違いを発見した際には冷たい目で見ていただくか、舌打ちでもして消してしまってくださいませ。

 

さて私、今回のライブがサザン・ソロと含めて3回目となりますが(というかライブというもの自体が3回目であります)、冬・横浜でのサザンというのは初めての参加でした。

ただ過去2回はいずれも9月のライブだったので、それほど夏!という感じでもありませんでしたが。

駅から横浜アリーナまで歩いていると、「チケットを譲ってください」という紙を持った方がちらほらといて、本当にそういう人がいるんだなあ…となぜか妙に感心してしまったり。

そんなこんなで横浜アリーナの中に入り、座席を見つけて回りを見渡して最初に思ったのは意外に大きくないな…と。映像で見たイメージでは結構大きいイメージがあったもので…初めて行った人はだいたいそう思うのですかね…?

今回のライブにも前回の灼熱のマンピーと同じようにリストバンドが配られましたが、今回は終了後に回収とのこと(灼熱のマンピーの時は各席に置いてあり、特に回収とも言われませんでした)。開演前には何度か点灯テストがあったのですが、リストバンドが点かず、

付いてない人はスタッフに…→「あれ、みんな付いてないよ…?」

消灯テストを行います→「えー!?」

以上で点灯テストを終わります→「えー!?w」

という一連の周りの反応の流れが少し面白かったです(その後のテストではちゃんと点灯しました)。

今回の会場内のBGMはひとり紅白で歌っていた(多分)曲達が流れていました。ただ最後の方にAKB48さんの曲が流れていたので、「まさかまたフライングゲットブルース的な曲があるのか…?」などと思ったり。

そしていざ開演となり暗転して聴こえてきたのは、Wow… となんと「東京VICTORY」が。大歓声とともにまさかこれが1曲目…?とあわててフレフレフラッグを出そうとしている人がちらほらと。しかしすぐにサザンの面々が登場しますと、ああ…これはCD音源だったのか…というある種の安堵感と再びの大歓声。そしてメンバーがいつもの位置に立ち聴こえてきた1曲目は…

 

1.Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)

ライブのザ・1曲目というイメージのある曲でライブがスタートしました(実際公式HPに載ってるライブデータを数えて見ると一番1曲目の曲として演奏されているみたいです)。

サザンとしては2005年「みんなが好きです」以来の演奏ですが、夜遊び1000回記念ライブでも歌ってたのであまりお久しぶり感はなかったですね。

 

2.フリフリ' 65

2004年「暮れのサナカ」以来の演奏となるこの曲。この時も2曲目でしたね。このBig Star Bluesからフリフリ' 65の流れを聴いて思わず歌舞伎町ライブを思い出してしまいました(たまたま最近歌舞伎町ライブのビデオを見ていたもので)。

ちょうど東京VICTORYで東京オリンピックの話が多く出てたこともあり、前回の東京五輪の年である1964年の次に当たる65という数字が入ってるこれを選曲してきたのかな…なんてことも思ったり思わなかったり。

まだライブのテンションに付いて行ききれずにHey Hey Hey…やフリフリのところでノリきれなかったのが悔やまれますね…。

 

3.希望の轍

もうライブ定番中の大定番が早くもここで登場いたしました。実は来る前に、妹と希望の轍の話になった時にライブではほぼ毎回演奏してるから、逆に演奏しないといういろいろな意味でレアなライブも見てみたいね、なんて会話をしていたのですが、あのイントロからの大歓声を聴いた瞬間、自分の愚かな考えを猛省しました…

今回2番のBaby Loveの部分をシャウトせず普通に歌ってましたが、普通に歌ったのはいつぶりなのでしょうか(31日ではシャウトをしたそうで)。

 

4.気分しだいで責めないで

MCを挟んで懐かしい曲のコーナーと題した1曲目がこの曲でした。

個人的にはこの曲に入る直前のひつじちゃんと桑田さんの流れ(ひつじちゃんがコーナー紹介のボードを掲げていたのですが、客席の方を向くと笑顔で、桑田さんの方を向くと渋い顔になる)から桑田さんの「気分しだいで表情を変えないでよ…」というコントが隠されていたのではないのかと勝手に思っていました…w。

 

5.匂艶THE NIGHT CLUB

ここでこれか!と。会場が一瞬でナイトクラブとなったように思えました。こんな序盤でのご登場だとはまったくの予想外で驚きと喜びでここからテンションが変になってきました、というよりようやくライブのテンションになってきたというところでしょうか。

 

6.メロディ(Melody)

匂艶からのこの曲で最近の桑田さんの「ライブは1時間くらいで終わろうよ」的発言から本当に10曲位で終わるんじゃないのかと一瞬危惧してしまったり。

ところでメロディの表記って場所によって「メロディ(Melody)」「Melody(メロディ)」となっていますけど、どっちが正しいのでしょうか…(今回の会場では「Melody(メロディ)」でした)。いい意味で期待を裏切ってくる選曲が続くなーと思っているとまた次の曲も…。

 

  1. 逢いたくなった時に君はここにいない

気分しだい、匂艶、メロディと来てここで完全に今回のライブがどうなるかが完全に分からなくなってしまうと同時に、これが聴ければ…なんて考えていたものが、もうなんでも来い!という気持ちになり、いろいろ考えてしまう余計な冷静さが解けてきて本当に楽しめるライブになってきました。1990年の曲はもう懐かしい曲の方になってしまうのですね…

 

8.あっという間の夢のTONIGHT

もう今回のライブというものをこの曲名だけで表していますね。まさにあっという間の夢のTONIGHTという3時間でしたね。毎回思うのですがサザンのライブに行く、というのは夢のような時間で、あとで本当に自分はあの場所にいたのかな…なんて思ってしまいます。

 

  1. JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)

個人的に1番驚いた曲。歓声も「わー」というものではなく「おお…」と、どこか「まさかこの曲を…」という思いが混ざっていたかのように聴こえました。

2008年「真夏の大感謝祭」の時の演奏して欲しい曲ランキングにも上位に(18位)入っていたのも、どこかに残ってたのかな…と。

本当に聴けるとはまったく思っていなかったので嬉しかったなあ…(一瞬でもTarakoのB面の全英語詞バージョンが来たりしてなんて思ってたのは内緒です)。

 

  1. 死体置場でロマンスを

1999年年越しライブ「晴れ着でDEポン」以来の演奏で同時にLOVE AFFAIRとの不倫ソングの再共演となりました。

2番ではその「晴れ着でDEポン」と同じく毛ガニさんへの替え歌となっておりました。

あらためて毛ガニさん還暦おめでとうございます。

 

  1. Computer Children

またまたまさかの選曲。これのライブバージョンも好きで渚園のDVDでこれを何回も見直してた時期があったくらいです。かっこよかった。

ところで前の席がご夫婦と女の子だったのですが、この曲の時にお父さんに抱かれた女の子とやたら目があってしまって、この子もこのライブのことを覚えていて将来コンピューターで調べたりしたりするのかなあ、なんてまたくだらないことを思ったり。

 

  1. 鎌倉物語

今回の原坊曲コーナーはこの曲でした(今回はチャイナムーンとビーフン娘やるかなあ、なんてちょっと思ってましたが)。横浜で聴く鎌倉物語は良いものでありますね。

いつか鎌倉へ観光に行った際にはこの曲を聴きたいものです…

 

  1. BLUE HEAVEN

ちょっと新しい曲のコーナーと題し演奏されたのがこの曲。1997年の曲で新しい曲ということは「さくら」曲からは新しい曲ということなのでしょうか…。とはいえ「逢いたくなった時に君はここにいない」が1990年の曲なので境がどこにあるのか気になりますね(36年なので半分にするとだいだいちょうどいいですが)。

この曲は個人的に大好きな曲の1つでラジオでかけてた際に是非1度は生で聴いてみたいと思っていたので、流れてきたときにはもう…ただ棒立ちのままステージの方を見ることしか出来ませんでした…。

 

  1. LONELY WOMAN

棒立ち状態のまま次に流れてきたのはこれまた大好きなこの曲。私がサザンのファンのようなものになった大きなきっかけの曲で、その時もし自分がライブに行くということがあったら1番聴いてみたい曲と思っていたため、また棒立ちのままで聴き入っていました…。

後日この2曲をライブで聴いている夢を見て、朝起きたら大号泣していました。なぜ生で聴けた時に涙を出さないで後日泣いているんだ、自分よ。

 

  1. SAUDADE~真冬の蜃気楼~

正直にいえば前の2曲の印象があまりにも強すぎて、若干記憶から抜け落ちているところがあります。意外と忘れがちな冬の曲ですね。まだ少し呆然としながら、これがあったか!と。

「人はどうして~過去への扉を叩いて生きるの?」のところは何故かとても好きなのです…。

このライブは夢でも蜃気楼でもないんだよなあ…きっと…。

 

  1. ごめんよ僕が馬鹿だった

ここでようやく私は元のライブテンションに戻った感じです。

今回は、不倫の曲(死体置場でロマンスを、LOVE AFFAIR)と浮気がばれた男の曲という3大な曲(?)がそろい踏みとなりましたね。

そして曲明けのMCでは紫綬褒章の話となり、褒章御披露目とラブユー褒章という曲の披露が(曲名は紫綬褒章ブルースだと思ってたのに)。

 

  1. 涙のアベニュー

とある港町のコーナーと題し、最初に何が来るのだろうと思っていたところで、いきなり「お気に召すまま~」と不意打ちで聴こえてきて一瞬の驚きとこれかーと一気に高揚し、後半へのエンジンがもう一段掛かった曲でした。

 

  1. 思い出のスター・ダスト

歌詞の「二人立たずむスタジアム」は横浜スタジアムのことでしょうけど、日産スタジアムでの大感謝祭や灼熱のマンピーのことも思い出していた人もいたのかなと。

またいつか日産スタジアムでライブをやる際には、夏・横浜のサザンを1度見たいものです。

 

  1. シャ・ラ・ラ

クリスマス風の演出、とある港町から、ああもうこれしかないな…と。

1997年「おっぱいなんてプー」で久しぶりに演奏されて以降はソロだったり、なんだったりでちょこちょこ演奏していますね。

冬の横浜で聴けたのは良かったなあ…

 

  1. LOVE AFFAIR~秘密のデート

流石に中盤から終盤へと向かっているこのあたりでは回りを見ると座ってる方が何人いらっしゃったのですが、この曲のイントロが流れた瞬間に総立ちになり、序盤で演奏した某曲で言えば「LOVE AFFAIRのイントロは皆を立たす」ということでしょうか…(?)。

バックステージにいた女性をステージに上げるという約1万人が見つめる秘密のデートが(秘密になってない)。

 

  1. ピースとハイライト

ここで忘れかけてたリストバンドが光り出しました。年越しライブ開催決定と聴いた時になんとなくこの曲で年越しかなと思っていましたが、外れでしたね。

31日にはこの曲と次の東京VICTORYで31年ぶりの紅白出場となりました。

良くも悪くも2010年代のサザン代表曲となりそうですな。

ここで銀テープがパーン。当然(?)キャッチは出来ず。

 

  1. 東京VICTORY

バックに炎が登場。フレフレフラッグは思ったよりも持っていた人は少なかった印象が。

かく言う私も持って行ってましたが、出さずに終わってしまいました。

この時だけは横浜VICTORYでしたね(?)。

ここでちょっとした間があり(今考えると紅白のための間だったのですね。まあ匂わせてはいましたが)、時間調整のコーナーと題し次の曲へ。

 

  1. 爆笑アイランド

「現下の…」ところは変えてくるかなと思いきや原曲のままでした。ただ別のところで衆議院解散を入れた替え歌がありました。

最後のサビに入る前に入りミスがありましたが、ああこれがライブだなあ…と。

しかし東京VICTORYの前後にこういった曲を持ってくるあたりがサザンらしいな…と。

 

  1. 愛と欲望の日々

序盤のナイトクラブから終盤にはディスコとなった横浜アリーナ

サビで踊ってる人も多々いました。私はそこでチキンぶりを発揮+振りに集中してステージを見れなくなりそうと思ったため踊れず(言い訳)。

 

  1. イエローマン~星の王子様~

ライブ定番曲ですね。「真夏の大感謝祭」と「灼熱のマンピー」ではやらなかったので、もしかしたら…と思っていた中でのご登場。これがライブでのイエローマンか…と圧倒されました。この辺からはひたすら圧倒し続ける展開に。

間奏では馬と羊のケンカ、そして仲直り。

 

  1. 怪物君の空

夜遊びで流していた曲はほぼやっていたので、この曲はいつ来るか…と待ちわびていたところついに降臨。思わずガッツポーズ。生で聴いてみたくて仕方がなかった曲です。

かっこいい…最高…なんて単純な語彙の無さを晒すだけの感想しか出てこず。

 

  1. BOHBO No.5

生で聴くと迫力がまったく違う!と感じてしまうほどのパワフルさがひしひしと伝わってきました。ライブ終了後寝る前に思わず聴き返してしまうほどでした。

「ピースとハイライト」からここまで「怪物君の空」以外は平成の曲でしかも、2003年以降の曲が多いというのも新鮮で、リアルタイムで聴いてきた曲ばかりというのも嬉しかったですね…。

イエローマン、怪物君、BOHBOくん(出てこなかったけど)と固有名詞3連発(?)。

2番が終わると突然あの曲のイントロが。

 

  1. ボディ・スペシャルII (BODY SPECIAL)

始まった瞬間間違えなく会場内の温度が急上昇しましたね。間奏のブレイクするアレンジは好きですね。周りのオーオやOh,yeah!に圧倒してしまうところまだまだライブに慣れておりません。そして特効の爆発に身構える私はやはりチキン。

 

  1. 勝手にシンドバッド

出だしの特効の爆発で思いっきり驚いてしまって、思わずのけ反るような反応をしてしまったのはお恥ずかしい。過去に生で観た勝手にシンドバッドはギター持ちだったので、ついにマイク1本シンドバッドを見ることが出来ました。

もう一撃必殺の曲ですね。BOHBOまでの流れだと(怪物君の空を除いて)平成曲締めになるのかな、と思っておりましたが満を持しての大登場。本編ラストを生で見るとやはりそのパワーにただただ圧倒…

どうやらこの曲で年越しだったようで。

 

  1. 天国オン・ザ・ビーチ

アンコール1曲目。本編ラストはこの曲だと思ってたので、まさかアンコールで演奏するとは思わず。季節外れの水着のお姉様ご登場。

今日、横浜アリーナという天国に来ることが出来て良かったと…。フライングでラストムードになってしまいました。

??「きゃーの声が枯れてるよ」。

 

  1. ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~

キラーストリート収録、発売後「みんなが好きです」から皆勤曲。

その演奏率といい、序盤、中盤、終盤、アンコールとどこでも演奏されるあたり第2の希望の轍と言ってもいいような曲となってきていますね。

そういえば風船無かったなあ…。

 

  1. 栄光の男

ここでこれかーと。この曲も好きなのですが、野球好きというあれがありまして、この曲の本当の良さというものを私はまだまだ分かってないのでないのかな…と。

ところで長嶋茂雄国民栄誉賞に影響を受けて誕生したこの曲、28日には安倍首相も来たということですが、国民栄誉賞受賞の際の総理と考えると実はこの曲誕生の陰の功労者なのかも知れませんな…。

ちなみにここで32曲目の演奏となりますが、途中のラブユー褒章を入れれば33曲目となり、2度目の監督時代(93~99年まで)の背番号33と同じになるというのは偶然でしょうか…。

 

  1. Oh! クラウディア

最後はこのバラードでした。映像ではありますが初めて動いてるサザンを観たのが、歌舞伎町ライブのビデオで最後がこの曲でやけに印象に残っていたので、ファンみたいなものになった頃のことなんかを思い出しながら、全体が腕を揺らしてる中でまたまた棒立ちとなり眼に、心に焼きつけながら観て聴いていました(常にこれで生で見るのが最後かもしれないとネガティブなことを無意識の内に考えてしまうので最後の曲の時にはいつもこうなってしまうのです…)。

 

 

ライブが終わって振り返ってみると、「灼熱のマンピー」との被りは意図的に避けたかのようにほとんどなかったですね。(被りは6曲のみで2013年の新曲だったピースとハイライト、栄光の男を除けば4曲)

個人的には1996年「牛」や2000年「ゴン太君のつどい」っぽい、いかにも年越しライブというセットリストだなと感じました(動物繋がりだったのかなと言いたいだけ)。

また夜遊びで流していた曲はほぼやっていたので、ほぼネタばれになっていましたね…w

やらなかったのは多分「I AM YOUR SINGER」だけだったと思います。(終盤の流れを見ると途中まではセットリストに入ってたのかな、なんて妄想したり)

 

そんなこんなで今回のライブについての感想的な物を書いてみましたけど、ここまで読んだ人いますかね…(自分の記憶用メモ的なものでありますので)。もし読んでくれた方にはただただ感謝であります。

 

そして2015年となりアルバムの発売日とツアーの日程が発表となりましたね。

私個人の話ですが、2015年はサザンオールスターズのファンのようなものになってちょうど10年目の年となります。これで少しはささやかなファンくらいにはなれたかな…と。

10年前には自分が実際にライブに行くなんて想像も出来ませんでしたし、この先サザンを好きで居続けているだろうか…なんてことを考えていたことを思い出します。

アルバムをゆっくりと楽しみに待ちつつ、今年もツアーのどこかに参加できるかは分かりませんが、これからもこっそりとサザンの活動を見つめることが出来たら(応援しています。なんて言うのはなんかちょっとおこがましいので)なあ…と思っております。

 

最後にサザンオールスターズの皆様、サザンに関わるすべての皆様2014年も本当にありがとうございました。どうか2015年もご縁がありましたらよろしくお願いいたします。

 

 

以上がTwitterから掘り出してきた感想のような物でした。

今読み返しますと、あまり使うのが好きでは無い「!」を何度か使うなど、頑張って(?)書こうとしていたのでしょうか…。

あともう1つ「おいしい葡萄の旅」の感想のような物もこちらに移籍させておりますので、よろしければ…。