適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

サザンオールスターズ第2活動期(1988~93年)に「もう1つの夏」が生まれたような気がしたのでそんな感じのことを雑に書いてみた

もう夏ですね。暑いですね。嫌ですね。…とのっけから偉大なる(?)夏様への不満をストレートに漏らしてしまいましたが、そんな夏に負けないような(?)、暑苦しい無駄に長いタイトルの雑文でございます(ライトなノベル的になってしまったけど、これ以上短いタイトルが思い付かなかった)。

夏のアーティスト、と言われると必ずサザンオールスターズが上位に来るわけですが、1988~1993年の頃に夏というイメージでも別な所謂「もう1つの夏」のイメージが決定づけられたのでは…とふと思ってしまったのです…。

とその前に1つ、サザン=夏というイメージは、どのあたりから出てきたのでしょうか…?

桑田さん自身は「ブルー・ノート・スケール」の中で「(ジャケットの関係もあって)「NUDE MAN」(1982年)でサザンが夏のバンドだというのを決定づけたのでは(その後に良くも悪くも、が付いていますが)」と発言していますね。

更にこの前後を見ますと、前年81年に発売されたアルバム「ステレオ太陽族」もタイトルに「太陽」が含まれていることもあるのか過去3作と比べ、夏のイメージがある曲が多く、全体的にも夏の雰囲気が漂っているように聴こえますね。このアルバムから84年の「人気者で行こう」まで4作連続でアルバムが毎年7月に発売となっており、この影響も少なからずあるのでしょうか。

また翌83年には7月から全国5ヵ所で野外フェス・ジョイントライブを、84年には初のスタジアムライブツアーを7~8月まで行なっていました。メディアでの露出も多いバンドであるため、テレビなどで「野外を汗だくのタンクトップ姿で歌うサザン」というのを見る機会があり「サザン=夏」が自然と定着したのかも知れません。

 

さて、勝手に思っている「もう1つの夏」ですが、85年までの「サザン=夏」というのは、「勝手にシンドバッド」を汗だくで歌っているような、どこか暑苦しい…というよりは日本特有の夏のような蒸し暑さを思ってしまう一方で学生感の残るお気楽さ、的なものがあり、また楽曲的にも真夏の時期と言うよりも、夏の終わりのイメージが強い曲が多くように見えます。

それがこの時期になりますと、活動再開最初のシングル「みんなのうた」(88年)や「真夏の果実」「希望の轍」(90年)「涙のキッス」(92年)に代表されるように今までの「蒸し暑い夏」を感じさせる曲だけではなく、どちらかというと「爽やかな夏」を連想するような曲が多く発表されるようになりました。これには87年の桑田佳祐ソロ作品から小林武史氏が参加するようになった影響がありますかね。桑田ソロでのポップス感や繊細さをサザンに持ち込んだことで、桑田さんを始めサザンのメンバーがそれを吸収したことにより、サザンの新しい夏が生まれたと言うことでしょうか…。もしかすると小林さんは日本特有の湿気を含んだ夏バンドサザンに海外の湿気の少ないカラッとした夏を持ち込んだ黒船のような人物なのかも知れません。もしくは今までサザンでは扇風機を使っていたけど、ソロで小林さんによりエアコンのクーラーを覚えてしまい、そのエアコンをサザンに持ち込んだとも言えるのかも知れません(?)。

この時期の曲で編曲の中に小林さんの名前がクレジットされていない「さよならベイビー」や「冷たい夏」などは前に上げた曲よりもどこか何となく少し「湿り気」を感じてしまうのは私だけでしょうか…。

 

1990年に桑田さんが映画監督を務めた「稲村ジェーン」の影響もあると思います。映画の内容については様々な意見があったようですが、舞台の季節が「夏」の映画で、多くの観客動員数を記録したと言うこともあり、「サザン=夏」というイメージはこの年に決定的になったのではないのでしょうか。

特にこの映画の中で使われた「真夏の果実」「希望の轍」という2曲は好きなサザンの曲というアンケートがありますと必ずベスト5には入るような曲でファンの方には勿論、サザンの曲はあまり知らない、という方でもこの曲は知っている、という人は多いのではないのでしょうか(…とサザンをちゃんと聴くまでこの2曲を知らなかったあまりにもにわかな人がこんな文を書いているのですけど…)。

勿論楽曲の持つパワーもあるとは思いますが、この「稲村ジェーン」という映画の影響も大きいのではと思います。この映画によって「爽やかな夏のサザン」という海外の夏のようなもう1つの夏のイメージも定着したのではないのでしょうか。

そういえばこの映画の上映時間が約2時間40分になる予定だったとのことらしいですが(結果的には2時間に納めたようで)、この当初の長さがなんと申しましょうか…日本の夏を象徴しているようにも見えます。その長さと夏の蒸し暑さをどこかイコールで結びたくなる感覚が個人的にありまして…。個人的には2時間何かを見続けるというのはなかなか長く(内容にもよりますが)どこかで飽きが来てしまう時があり、でもそれを見続けている時間というのが、夏の蒸し暑さを感じながら過ごしているのと近いものを感じてしまうのです。

ちゃんとこの作品を見ていないため(何故かメイキングだけは見ていますが…)推察と妄想を重ねてしまいますが、その初期サザンからの「蒸し暑い夏」(映画)とこの第2期の「爽やかな夏」(楽曲)が融合し「サザンの夏」というイメージが徐々に認知され、現在に繋がったように思えます。

 

最後にもう1つは桑田さんの「声」の影響もあるのではないのでしょうか。

桑田さんの歌声といえば独特で(ものまね番組でも歌い方を真似していても歌声はまねしきれていないように見えます(まあ好き故に厳しく見てしまう面もありますが…))所謂「だみ声」とも「しゃがれ声」とも言われていたりしますが、87年あたりから、独特の感じは残しつつも、クリアな歌声になっていったように聴こえます(当社比)。特にバラード曲は「甘く」(で表現はあっているだろうか…)歌うようになったと思います。もしかしたら今まで感じた「蒸し暑さ」と「爽やかさ」はこの変化がある意味で1番影響しているのかもしれません…。

 

サザンは様々なジャンルや要素を含んだ幅広い楽曲があると言われていますが、この時期以降の「あなただけ~Summer Heartbreak」「愛の言霊~Spiritual Message~」「太陽は罪な奴」「HOTEL PACIFIC」「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」…という夏曲もまた温度や湿度まで考えて制作されているのでは…と考えてしまいますし、そう聴こえてしまいますね(これもやっぱり私だけ?)。

 

とつらつら書いてみましたが、如何でしたでしょうか…。あ、あくまでふと思ってしまった事から広げてしまったので、所謂妄想雑文ですぞ(しかしそれにしても酷い文ですな)。なのでまあきっと私だけが勝手に思ってしまった事でしょう…。

何となく毎年この季節になりますと、「サザン=夏、というのはいつ頃定着したのだろうか…」ということを考えてしまいまして、今年はそれをこじらせてしまいましたね(?)。

でもこういうどうでも良いことを考えるのが好きなものでどうかお許し下さい…。

 

 

あとがきのようなもの

毎年夏になると、扇風機のみ稼働し部屋を締め切って、「悪魔の恋~東京サリーちゃん~亀が泳ぐ街」という謎メドレーを1人熱唱するのですが、年々辛くなっております(?)(じゃあ止めなさい)。