適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

近年のサザンと桑田ソロライブ本編ラスト曲についてふと思ったことを

近年のライブ本編ラスト曲や演出が何と申しましょうか…。最後、曲終わりを普通に締めず、演出を加えたり、曲が固定されつつある感じがありまして、そのあたりで感覚的に思うところがあるので何とか言語化しようとした雑文でございます。

 

近年のサザンライブでは、本編ラスト曲に「マンピーのG★SPOT」がご登場されることが非常に多くなりましたね。特に30、35周年そして今年と、周年ツアーでは勝手にシンドバッドを押しのけて(?)このポジションに置かれました。

少し演出面について触れてみましょう。曲終了後に演出があったのは「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」の時からでしたでしょうか。ステージに登場していた神輿に乗ったきのことアワビの合体で終了という演出がありました。そして「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」では桑田さんの「下着を頭に被ったら~」という弾き語り音源が流れる中、男性ダンサーがパンツを拾う…などと演奏終了後に何かしらの演出が加えられるようになりました。

これは90年代以降に定番化し始めた終盤ダンサー大量投入という流れも大きいのではないのでしょうか。シンドバッドもその系統ではあると思うのですが、その演出がしやすい曲というのもあるのではないのでしょうか(HOTEL PACIFICが煽りコーナーで定番化したのもこの影響があるのでは…という話はまたいつか(?))。

良い見方をすれば未だ煽りコーナーの模索が続いている、と言いましょうか、攻めの姿勢を崩していないとも言えましょうか…。

これはやはりマンピーという選曲が大きい気がしますね。何と申しましょうか…「勝手にシンドバッド」は締めとして100点満点だと思うのですよね。全員を楽しませ、なおかつ納得させるといいますか。マンピーも終盤の大定番曲で、「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」や「真夏の大感謝祭」といった大きな区切りとなったライブで前述したような演出がなくともラストに選曲されたように、最後でも違和感の無い、シンドバッドに次ぐ、みんなのうたと並ぶ位というようなポジション(結果よく分からない)にいる曲になったのだとは思います。ただ同時にシンドバッドが満点過ぎるためか、どうしても100点になれない2番手的な位置になっている気がします(あくまで感覚的なあれです)。

だからこそ、と言いますか。ラストに演出を加えることで0か120を狙っているのでは…と思ってしまったのです。おそらく「何これ…」や「これはこれでサザンらしい」といった賛否両論といいますか、1人1人の価値観・解釈に敢えて委ねるようになったのではないのでしょうか。

それと5人サザンとしてのラスト定番曲としてのマンピーなのでは、という側面も見える気がするのですよね。もしくは21世紀のサザン、としての変化なのではないのかなと。

 

このようにラスト曲の後にこのような演出が分かりやすく加えられるようになったのは、恐らくですが2012年のソロライブ「I LOVE YOU -now & forever-」での「100万年の幸せ!!」になるのではないのでしょうか。あのエアバンド演出からの最後、ステージ中央に桑田さんとサポートメンバーが勢揃いしての小芝居(?)がありました。あれもアウトロが終わってからも続いていて、終わりだろうけどなかなか終わらない下がらないという雰囲気が会場に漂う演出だった気がします。

この前年が「Let's try again ~kuwata keisuke ver.~」という曲誕生の背景もありますが、締めとして綺麗だっただけに、逆といいますか桑田佳祐のイメージに忠実なところを付いてきたといいますか…。

あともしも30周年が無期限活動休止前ライブという側面がなく、ラスト曲として「I AM YOUR SINGER」が楽器を持たずメンバーがセンターに登場したときの演出になった時の世界観の再現だったりしたのかもしれません。まあこれは流石に妄想が過ぎますが。

そしてこの演出話に欠かせないのはやはり「ヨシ子さん」でしょう。2016~17年のソロライブ全てで本編ラスト曲となり、曲終了後のヨシ子さんへの絡みやヨシ子さんの一人芝居(?)こそ、この近年の演出の全て、といいますか。この演出やあの演出終わりから拍手までのあの何ともいえない「間」を具現化した曲がヨシ子さんになるような気がします(余談ですが私はこの微妙な「間」が好きだったりするのです…)。

この曲こそ0か100…いや、マイナスから無限大くらいの感想や解釈の振り幅があると思うのです。

まあソロはソロで一番盛り上がる曲である「波乗りジョニー」で1度も締めたことがない(石垣島ライブはありましたが、純粋なソロライブかと言われると難しいところですので…)ので、サザン的終わり方を避けているとも言えますし、基本的に新曲ラスト+演出をサザン以上に意識しているのかと思えますが果たして…。

 

またこの影響なのか分かりませんが、第2回以降のひとり紅白でも締め方が似たような形となっていますね。2013年の第2回ではジジイ・ガガとして「Born This Way~東京五輪音頭」を替え歌含みで、2018年の第3回では神良壁郎として「Havana(ダメなバナナ)」を締めに持ってくる、といった演出がありました。

これはアンコールラストの和田アキ男さんとセットで考える必要があるのかな…と思います。

本家紅白歌合戦は対戦形式なので最後に勝敗を決めますが、ひとり紅白ではこれはありません(第一回の時は野鳥の会がカウントという演出がありましたが結果は出ず)。敢えて和田アキ男というオスもメスをも超えたイエローマンな存在として、この方を出す事で男女も時代もそして勝敗も関係なく、どちらに対しても桑田さん流のリスペクトを示している…という風に解釈しておりまして、本編ラストも恐らくその意図をある程度汲みつつも、ああいうキャラクターを使い、替え歌でAAAならではのメッセージを伝えようとしているのでは…とも感じますね。

まあこういう演出にすることによって本家紅白との差別化を図っていただけでそれほどの意図は無かったのかもしれませんが。

あとこの2曲は締めの演出というより退場時に看護師と共にカートで下がる・バナナを光らせたりなどの、何かをやって、という感が上記の例と比べると若干薄めといいますか、そのキャラクターを忠実に演じた故の終わり方、という感じでしょうか。

 

さて、またも雑に振り返ってしまいました。

こう見てますと改めて「勝手にシンドバッド」の締めとしての凄さといいますか、ステージと客席の一体感は、他のどの曲でも出すことが非常に難しいということがより分かったような気がします。

 

果たして今後の本編ラスト曲はどうなっていくのでしょうか…。

桑田さんのソロライブでは、そういう盛り上がる系の新曲次第というところが大きい気がしますね。流石にヨシ子さんで今後も定着というのは考えにくいといいますか、2016~17年はもちろんあのライブでの置き所が難しい曲調であるというところがあるのだと思いますが、ヨシ子さんというキャラクターの誕生が結果的にあの本編ラストというポジションに置かれることに大きな影響を与えたように思います。

そしてサザンです。このままマンピーラストを軸に、シンドバッドその他諸々を使い分ける形となるのでしょうか。私個人としてはいつか「東京VICTORY」が定着する時が来るのでは…と妄想したりしてしまうのです。曲調としては少しラストとしては弱めで、何か特別な演出というのはしにくく、ダンサー投入曲ではありませんが、発売以降毎回ライブで演奏され、今年のツアーでは1曲目でしたが、近年の曲では終盤に定着しつつあることと、年々増すステージと客席との一体感を見ますと、また演出の少ない本編ラストに戻る時が来るとしたら今の60代サザンに適した温度感を持った曲だと思うので、1度使われたら案外定着しそうな気がするのですが…。

もちろんそういった新曲がご登場する可能性もまだまだある訳で…。桑田さんとしても同じような事を続ける方では無いのでまた新しい何かの演出が生まれてくるかもしれませんね。

 

まあこれだけ書いていてあれですが、何が来てもこっちで勝手に考えて都合良く解釈してしまうので、何でも良い…と言いますと語弊がありますが、受け止めて楽しむ次第でございます。