適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

歌舞伎町ライブ以外でのTSUNAMI誕生の要因をぼんやりと考えてみた

TSUNAMI関係の文章を読みますと、よく「歌舞伎町ライブでファンの空気に触れたことで…」云々、といった文脈で語られるように思います。確か1999年に行われた「シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」の影響は大きいと思うのですが、それ以外に何かしらの要因が「TSUNAMI」という曲に繋がっているのでは…と思っておりまして…。と言う訳でお得意の(?)都合の良い解釈を駆使しまして、TSUNAMIリリースまでの時期で要因に当りそうな事柄について書いていきたいと思います。

 

このTSUNAMI前の時期、といいますと、アルバム「さくら」の頃になりますね。サザン史の中ではこのダークな印象の強いさくらと、1996年年越しライブ「牛」・1997年年越しライブ「おっぱいなんてプー」に代表される選曲がコアなライブを行っており、マニアックな路線に入っていた時期ということになりますでしょうか。そこから所謂王道なラブソングのTSUNAMIが生まれることになる訳ですが、サザンのバラードの中では珍しいロック色の強さと繊細さを兼ね揃えたTSUNAMIサウンド面だけを見ますと、さくらに収録されてもおかしくない曲調に思えるのですよね…。B面の「通りゃんせ」が分かりやすくさくら路線を引きづっている曲なので隠れがち(?)ですが、しっかりさくら路線の延長にいるのですよね。ある意味でさくらの集大成とも、マニアックと王道の境という絶妙なところにいるシングル曲とも言えるのではないのでしょうか。

 

サザンから桑田さん個人の活動を見てみましょう。この時期桑田さん個人の企画ライブとして、Act Against AIDSが毎年の恒例企画となったことが1つ大きいトピックスになったのではないのでしょうか。96~99年までのAAAライブをまとめてみますと、

Act Against AIDS’96 夷撫悶汰レイト・ショー~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~

Act Against AIDS’97 歌謡サスペンス劇場

Act Against AIDS’98 オールリクエストショー

Act Against AIDS’99 エリック クラプトソ横浜公演

と今改めて振り返ってみますと、ジャズに歌謡曲・クラプトンと桑田さんのルーツに当たる音楽への、ある種挑戦と原点回帰になっていたのかのようなラインナップになっていますね。サザンに話を戻しますと、1995年のアルバム「Young Love」がバンドとしての原点回帰のアルバムと呼ばれており、次の「さくら」が挑戦と考えれば、ある種原点の集大成としての歌舞伎町ライブ、挑戦の集大成としてのさくら(と1999年のライブ「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」)が合わさった故の「TSUNAMI」だった…とも捉えられるのかもしれません。

 

最後は島健さんとの関係です。「Act Against AIDS’96 夷撫悶汰レイト・ショー~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~」以降ひとり紅白など編成が大きく、またアレンジが多いAAAライブではお馴染みとなり、またレコーディングでも1998年のシングル「LOVE AFFAIR~秘密のデート」の弦編曲で初めてクレジットされて以降、「さくら」でも数曲参加されておりますね。TSUNAMI以降にはなりますが、2001年も「波乗りジョニー」で弦編曲、「白い恋人達」では弦&管編曲にクレジットされており、島健さんが関わったシングル曲が悉くヒットしているという凄まじさです。AAAでの共演がやがて桑田さんと島健さんの、そしてTSUNAMIの大ヒットに繋がった、というのもまた興味深いといいますか、人の縁の面白さといいますか…。ちゃんとTSUNAMIへの1本の線になっていくのが物語としては出来過ぎているようにも見えてしまいますね(もちろんその後の道も続いてはいますが)。

 

と一先ず3点を思い付いたままにつらつらと書いてしまいました。もちろんこれ以外の要因(未来日記のタイアップだったり)もたくさんあってのTSUNAMIだとは思いますが、まあ生まれるべくして生まれた曲ということなのでしょう(急に雑な締め)。

 

という訳で(多分)今年最後の更新でございました。では、MERRY X'MAS IN SUMMERです(?)(これが言いたくて12/25に書き上げました…また寒い事をしてすみません(?))