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何故、大復活祭のラスト曲がOh!クラウディアだったのか、を雑に考えてみる

ええ、タイトルの通りでございますよ。「サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭」のセットリストを見ていますと、ふとラスト曲が「Oh!クラウディア」だったのかしら…と考えてしまいまして…。今回はその個人的ふと、をつらつらと書いていきたいと思います。

 

そもそも、何故そんなことを思ってしまったのかと言いますと、大復活祭はサザン10周年であり、3年ぶりの活動再開のライブですよね。そのラストが「いとしのエリー」でも「Ya Ya(あの時代を忘れない)」でも歴代アルバムのラスト曲でもなく、この曲というのが当時のライブの流れからしますと意外な選曲に映った、といいますか…。このライブまでのクラウディアの過去のライブ披露を見ましても、2回披露されたうち、1982年「青年サザンのふらちな社会学(ツアーTHE NUDE MAN)」は序盤、1984年「熱帯絶命ツアー夏“出席とります”」は中盤での披露とラストに使われそうな雰囲気をまだ出していないことも影響しているのかもしれません。とがいえ熱帯絶命の人気者で行こう収録曲以外で選曲されていることから既に夏のライブ曲としてのポジションを持っていたのかも知れませんね。

先程ラスト曲候補として上げました、Ya Yaはツアー初日の西武球場公演で1曲目に使われていますので、ラスト曲の選択肢から既に除外、エリーは翌年の「いっちゃえ'89サザンde'90」で演奏されたとはいえ、1987年に出ました書籍「ブルー・ノート・スケール」で「もう勝手にシンドバッドいとしのエリーは歌わないでしょう」という内容の発言をしていますし、まあシンドバッドは大復活祭で演奏していますが、そういった手前流石に両方歌うのは…というのもあったかもしれませんし、何より久々のサザンで全部を出してしまうライブをいきなりやってしまうというのは抵抗があったのかもしれませんね。逆に活動休止前最後のライブとなりました1985年「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」では両方とも演奏していますし、3年空いているとはいえ多少前回との区別を付けるという意味もあったのかもしれませんね。

いずれにしましても安易に2曲ともに頼り過ぎない、復活と同時に新生サザンとして動き出す為の1つ必要な要素だったのかもしれませんね。

 

では、アルバムのラスト曲から…となりますと、また難しいところですね。例えば「働けロック・バンド(Workin' for T.V.)」あたりですとまた違う「意味」を持ってしまいそうですし、「旅姿六人衆」というのも後々の使い方を見ましても区切りのタイミングでの披露が主になっていますし、復活のライブでは…というのがあったのではないのでしょうか。

ツアーの中で「メロディ(Melody)」の演奏位置が何度か変わっているとはいえ、アンコールがクラウディア以外ではメロディと「Bye Bye My Love(U are the one)」とシングルではありますが、アルバム「KAMAKURA」からの選曲でもあったので、KAMAKURAからのNUDE MANという、打ち込み中心からバンドサウンドに戻る流れがある意味で、原点回帰といいますか、バンドとしてのサザンにもう一度立ち返るという意味も含まれていたのかもしれませんね。

 

このライブでラスト曲として演奏されて以降、Oh!クラウディアさんはラストの定番曲の1つとして定着するようになりました。面白いのは真夏のツアーで初めてラストに演奏された後はほぼ年越しライブのラストとして定着したことでしょうか(年越し以外ですと「シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」厳密に言えばラストは「A Hard Day's Night」ですがあくまでオリジナルで、ということで…)。

何と申しましょうか…。恐らくこの時代から人気曲ではあったと思うのですが、このライブ以降より広く知られるようになったのではと思います。「女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ)」のシングルB面にこのライブの音源が、そしてVHS版には結果的に大復活祭の中で唯一映像化された曲、というのも1つ要素としてあったのかと思います。

そして立ち位置も変わりましたね。夏の曲ではありますが、前述したように年越しライブのラスト曲というポジションを務めることが多くなったことからか、逆に夏のライブでの披露は珍しい(サザンのライブでは「THE音楽祭 -1991-」と「真夏の大感謝祭」の2回)という曲になりました。個人的に年越しライブの締めに演奏されやすいのはサザンの活動に続きがある、というのがあるのではないのでしょうか。旅姿六人衆のところでもチラっと書きましたが、サザンのライブラスト曲はその期の活動の終わり・区切りを示唆しているような曲が多い気がするのですよね。それこそ旅姿やYa Yaあたりはそういった雰囲気が強めな曲な気がするのですよね(Ya Yaは活動再開のタイミングのライブでの披露も多いので、もう少し自由さがあるとは思いますが)。あくまでサザンという物語が続く過程のライブでの締め、という意外と代わりが限られる絶妙なポジションを任されている曲になったように思います。

 

その物語の過程、といいますか大復活祭というリスタートのタイミングでラスト曲に使われた、というのはある種必然だったのかもしれません。もしくはその大役に選ばれたことで後々それに近い役割を担うようになった、というのが正しいのかもしれませんね。

 

というわけで、個人的などうでもいいささやかな疑問から、また都合の良い解釈雑文を書いてしまいました。いつもよりもちゃんとした(?)タイトルの割に大した答えの出ないままといういつものパターンになったことを反省しつつ(本当に毎回それで反省しているのかね、君は)、今年の様々な実りの秋を楽しみにしたいと思います。