6月25日といえば、主にここの文を読んで下さっている方にとってはサザンオールスターズのデビュー記念日というのが多くを締めるのだろうか。最もこの雑文もその日に更新する前提で書いているので(故に何か告知があったとしても反映はされていない)、私にとってもサザンの日、というのが染み付いていると言えようか。
そしてもう1つ私に、そしてプロ野球という存在にとって重要な日でもある。
66年前の1959年6月25日に昭和天皇・皇后両陛下が後楽園球場で行われた讀賣ジャイアンツと大阪タイガース(現阪神タイガース)との試合を観戦された所謂「天覧試合」が行われた日である。
この試合でプロ2年目ながらジャイアンツの4番打者を務めた長嶋茂雄は試合を決めるサヨナラホームランを含む2本のホームランを放ち、自らを国民的ヒーローとしての座を決定的なものにするのと同時に、地位の低かった職業野球をプロ野球という国民的娯楽に押し上げ、プロ野球人気を不動にしたのである。
その19年後の1978年6月25日、サザンオールスターズは「勝手にシンドバッド」でデビューした。発売当初こそ売れなかったものの、テレビ出演をきっかけにブレークを果たし、いきなりデビュー作がヒットソングとなり、瞬く間に人気者へなっていくことになる。
偶然にも両者は「6.25」に転機が訪れたのである。とはいえ立教大学時代から名が知られ、プロ1年目から大活躍を見せ、既にプロ野球の花形スターであり、そのイメージ、そして象徴として決定的となった日になった長嶋とは違い、この日にデビュー作として発売した1枚のシングルレコードのヒットにより、世に知られ人気者になって「いく」サザン、という大きな違いはあるにしても、国民的野球選手、でありヒーローと呼ばれる長嶋とやがて国民的ロックバンドと呼ばれるようになるサザンと「国民的」というワード(個人的には少し引っかかる、使うのに違和感のある言葉ではあるが)で交わることになるというのは、興味深いし、長嶋もサザン(特に桑田佳祐、といえるだろうか)もそういった言葉や世間のイメージを守るためのある種のペルソナを被っているようなところ、そしてそれを被っていることを皆何処かで感じてしまう、本当の「神様」ではない、人間らしさのようなものを思わせてしまうところもまた共通しているように思えるのである。
天覧試合は長嶋のサヨナラホームランで決着がついているが、このサヨナラホームランを打たれたタイガースの投手である村山実は生涯このホームランを「あれはファールだった」と言い続けている。とはいえ同じタイガースのチームメイトでレフトを守っていた西山和良やキャッチャーの山本哲也は、はっきりとホームランであったと振り返っており、マウンドにいた村山の位置からはポール際の当たりはファールに見えたのでは、という説を唱えている。打倒巨人・打倒長嶋に野球人生を捧げ、長嶋最大のライバルとなった村山にしてみればその原動力として、そう言い続けていたという側面もあったのだろう。そういえば長嶋がホームに戻ってくる際に狙ったかのように、長嶋がホームインする直前、その後ろを通り村山は三塁ベンチへ戻っていくシーンが残っているが、そういった「交差点」を作る村山も、ある意味では長嶋に負けない役者っぷりを発揮している。
「勝手にシンドバッド」で早くも売れたサザンであったが、その曲調や所謂ジョギパン姿に「目立ちたがり屋の芸人」発言もあって、コミックバンド、という評価がされてしまうことになり、そのイメージ先行によるギャップに翌年1979年発売のシングル「いとしのエリー」のヒットまで悩まされることになる。ある意味で「勝手にシンドバッド」のヒット、というのはデビュー作でホームランを打っているのと同時に、そういった自分達が想像していなかったところにイメージが作られ困惑してしまうというある種のファール的側面があったのではないのだろうか。
試合はその場で判定が下り、ファールではなくホームランとして永遠に残る。そして今年野球の星へ帰った長嶋は永久に不滅の存在となった。
一方、サザンは今日デビューから47年目の記念日を迎え、現役として活動を続けている。あの1959年6月25日の天覧試合のように「結果」が残ってはいるが、まだ現役である以上、あの時の「評価」はまだ判定が下ってはいないと言えるのだろう。1978年6月25日のデビューとその後というところでは、ホームランかファールの判定は未だに下っていないのかもしれない。いや、もしかすると本人達は村山と同じく「あれはファールだった」と思っていたりするのかもしれない。
サザンの6.25にはまだゲームセットは告げられていないのである。