適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

「サザンオールスターズ 1978-1985」を読んだ雑な感想のようなものを

今年久し振りに所謂「サザン本」と呼べます1冊の本が発売されましたね。スージー鈴木氏による著書「サザンオールスターズ 1978-1985」。サザン関係の本ではサザンのメンバーが出したものを除けば2007年中山康樹氏の「クワタを聴け!」、2008年別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ サザンオールスターズ桑田佳祐」(後に文庫化)以来になりますでしょうか…(えっ…、2008年の「5年後までのサヨナラ!?サザンオールスターズ」…?あれは結果的にタイトルが正解となったことがすべての感がありますから…)。

そんな約10年ぶりのサザン本が登場、それを書いた方がスージー鈴木氏ということで、私は個人的に野球方面で名前を知っていた方で(後にサザンも好きだということを知る)、ある年の某東京野球ブックフェアで遠目からお姿を拝見していて(一瞬サザントークをしたくなってしまったけど流石に空気を読みました(?))、勝手に親近感を抱いていたこともあり(?)こっそり楽しみにしておりました。

さて、無駄な前置きからの本題に入りましょう。ネタバレもなるべくはしないようにしたつもりですが多少は入っているかも知れませんのでそこはどうかお許しを…。

 

まずいきなりの「勝手にシンドバッド」の分析でしょうか。今までのシンドバッドといいますと、テレビで演奏された当時の衝撃が語られることは多かったと思いますが、曲の1つ1つを解体しボーカル・歌詞・メロディなどを分析し解説するというのは恐らく初では無いのでしょうか。それなりにページ数も割いていますので本家の曲に負けないくらいのインパクトがありましたね(?)。ちなみに「メロディ(Melody)」でも同じように細かい分析がされております。このラストに書かれている解釈といいますか、あれは好きですね…。具体的にはP.226です(桑田さんの誕生日で覚えていました(?))。

あと「開きっ放しのマシュルーム」(84年)の「Blueberry Boy」からの「blueberry lady(strawberry woman)」(メロディ(Melody))は読む前に気が付きたかった…(10年何してたんだ老人と化した私)。

章のラストにはアルバムの批評が載っておりましたね。アルバム収録曲は1曲1曲に星1~5つでの評価、数行のコメントがされていますので、「クワタを聴け!」の評価と比べるのも面白いかも知れません(実際「クワタを聴け!」と評価が違う曲だとそれに触れているところがありますね)。ただああいうタイプの曲やそういうパターンの曲だと評価が辛めなのは共通していると言いますか…(ネタバレ防止)。

「モーニング・ムーンは粗雑に」を見た感想(?)や「ふぞろいの林檎たち」の中でサザンの曲がストーリーの中でどのように使われていたのか、という実録がされているのもなかなかお目にかかれないテーマではないかと思います。それ関連で言いますと、ビデオ「サ吉のみやげ話」のレビュー(的なもの)も載っているのは、発売から30年以上経ちDVD化もされておらず、レビュー的なものを書いていた個人サイトも消えつつある中では貴重なものではないのでしょうか。

7人目のサザン、という項目もありますが、86年以降ではもっと多くの人物がご登場しそうですね(まあそれだとサザンオールスターズ&オールスターズになってしまうか…)。

文章の構成上メンバーのソロに関してはあまり触れていませんでしたね。嘉門雄三と「ステレオ太陽族」の比較として「はらゆうこが語るひととき」が出ては来ましたが。個人的にはサザン・桑田以外のメンバーのソロ活動に焦点を当てた本を読んで見たいですねえ…色々あると思いますが、いつか誰かが書いていただけると未練は1つ減りそうです(?)。

最後にサザン(桑田)と、他アーティスト(はっぴいえんどやキャロル)などの比較分析も書かれていますが、私はサザン以外をほぼ知らないため「ほーなるほど…」位の感想になってしまうのが勿体なかったですね。そういう知識を持っていればちゃんとした反応が出来たのですが…(まあ私の勉強不足という名の視野の狭さに問題があるだけなのですがね…)。

終章は何と申しますか…氏のホームページのブログ(日記?)でサザン(桑田)に関して触れていたものをいくつか読んでいたので「ほうほうと…」。

 

…と結局は側を触るだけの感想を長ったらしく書いてしまいました。

まあ結局は、現代にデビューから85年までのサザンを分析し、しかも本にしていただきありがとうございました、ということが言いたいだけだったのです…。

個人的に好きなものに対して「過去があって今がある。今があって過去がある」と勝手に考えて接してしまっているので、この本から86年(サザンで言いますと88年ですが)以降の「大きくなったサザン」を分析した本が出るといいですねえ…

そして余談ですが去年11月に発売された「ベースボールマガジン1月号」では「工藤公康=桑田佳祐論」というのが載っていますのでそちらもチェックしてもいいと思いますね(雑誌なので新刊では多分もう手に入りませんかね…?ちなみにサザンのサの字も出ては来ませんが小林克也氏のインタビューも載っていたりしますのでサザン臭があります…でも本当に見て欲しいのはその号の取材後記だったり…?)。

 

 

あとがきのようなもの

この本を発売日に購入し読んでいたのですが、妹に「今日何か忘れてない?」と言われてしまいました…。そりゃあ、だってサザンはHappy Birthdayの中で「何も言葉はいらない」と歌っていますし…(言い訳)。

 

サザンオールスターズ第2活動期(1988~93年)に「もう1つの夏」が生まれたような気がしたのでそんな感じのことを雑に書いてみた

もう夏ですね。暑いですね。嫌ですね。…とのっけから偉大なる(?)夏様への不満をストレートに漏らしてしまいましたが、そんな夏に負けないような(?)、暑苦しい無駄に長いタイトルの雑文でございます(ライトなノベル的になってしまったけど、これ以上短いタイトルが思い付かなかった)。

夏のアーティスト、と言われると必ずサザンオールスターズが上位に来るわけですが、1988~1993年の頃に夏というイメージでも別な所謂「もう1つの夏」のイメージが決定づけられたのでは…とふと思ってしまったのです…。

とその前に1つ、サザン=夏というイメージは、どのあたりから出てきたのでしょうか…?

桑田さん自身は「ブルー・ノート・スケール」の中で「(ジャケットの関係もあって)「NUDE MAN」(1982年)でサザンが夏のバンドだというのを決定づけたのでは(その後に良くも悪くも、が付いていますが)」と発言していますね。

更にこの前後を見ますと、前年81年に発売されたアルバム「ステレオ太陽族」もタイトルに「太陽」が含まれていることもあるのか過去3作と比べ、夏のイメージがある曲が多く、全体的にも夏の雰囲気が漂っているように聴こえますね。このアルバムから84年の「人気者で行こう」まで4作連続でアルバムが毎年7月に発売となっており、この影響も少なからずあるのでしょうか。

また翌83年には7月から全国5ヵ所で野外フェス・ジョイントライブを、84年には初のスタジアムライブツアーを7~8月まで行なっていました。メディアでの露出も多いバンドであるため、テレビなどで「野外を汗だくのタンクトップ姿で歌うサザン」というのを見る機会があり「サザン=夏」が自然と定着したのかも知れません。

 

さて、勝手に思っている「もう1つの夏」ですが、85年までの「サザン=夏」というのは、「勝手にシンドバッド」を汗だくで歌っているような、どこか暑苦しい…というよりは日本特有の夏のような蒸し暑さを思ってしまう一方で学生感の残るお気楽さ、的なものがあり、また楽曲的にも真夏の時期と言うよりも、夏の終わりのイメージが強い曲が多くように見えます。

それがこの時期になりますと、活動再開最初のシングル「みんなのうた」(88年)や「真夏の果実」「希望の轍」(90年)「涙のキッス」(92年)に代表されるように今までの「蒸し暑い夏」を感じさせる曲だけではなく、どちらかというと「爽やかな夏」を連想するような曲が多く発表されるようになりました。これには87年の桑田佳祐ソロ作品から小林武史氏が参加するようになった影響がありますかね。桑田ソロでのポップス感や繊細さをサザンに持ち込んだことで、桑田さんを始めサザンのメンバーがそれを吸収したことにより、サザンの新しい夏が生まれたと言うことでしょうか…。もしかすると小林さんは日本特有の湿気を含んだ夏バンドサザンに海外の湿気の少ないカラッとした夏を持ち込んだ黒船のような人物なのかも知れません。もしくは今までサザンでは扇風機を使っていたけど、ソロで小林さんによりエアコンのクーラーを覚えてしまい、そのエアコンをサザンに持ち込んだとも言えるのかも知れません(?)。

この時期の曲で編曲の中に小林さんの名前がクレジットされていない「さよならベイビー」や「冷たい夏」などは前に上げた曲よりもどこか何となく少し「湿り気」を感じてしまうのは私だけでしょうか…。

 

1990年に桑田さんが映画監督を務めた「稲村ジェーン」の影響もあると思います。映画の内容については様々な意見があったようですが、舞台の季節が「夏」の映画で、多くの観客動員数を記録したと言うこともあり、「サザン=夏」というイメージはこの年に決定的になったのではないのでしょうか。

特にこの映画の中で使われた「真夏の果実」「希望の轍」という2曲は好きなサザンの曲というアンケートがありますと必ずベスト5には入るような曲でファンの方には勿論、サザンの曲はあまり知らない、という方でもこの曲は知っている、という人は多いのではないのでしょうか(…とサザンをちゃんと聴くまでこの2曲を知らなかったあまりにもにわかな人がこんな文を書いているのですけど…)。

勿論楽曲の持つパワーもあるとは思いますが、この「稲村ジェーン」という映画の影響も大きいのではと思います。この映画によって「爽やかな夏のサザン」という海外の夏のようなもう1つの夏のイメージも定着したのではないのでしょうか。

そういえばこの映画の上映時間が約2時間40分になる予定だったとのことらしいですが(結果的には2時間に納めたようで)、この当初の長さがなんと申しましょうか…日本の夏を象徴しているようにも見えます。その長さと夏の蒸し暑さをどこかイコールで結びたくなる感覚が個人的にありまして…。個人的には2時間何かを見続けるというのはなかなか長く(内容にもよりますが)どこかで飽きが来てしまう時があり、でもそれを見続けている時間というのが、夏の蒸し暑さを感じながら過ごしているのと近いものを感じてしまうのです。

ちゃんとこの作品を見ていないため(何故かメイキングだけは見ていますが…)推察と妄想を重ねてしまいますが、その初期サザンからの「蒸し暑い夏」(映画)とこの第2期の「爽やかな夏」(楽曲)が融合し「サザンの夏」というイメージが徐々に認知され、現在に繋がったように思えます。

 

最後にもう1つは桑田さんの「声」の影響もあるのではないのでしょうか。

桑田さんの歌声といえば独特で(ものまね番組でも歌い方を真似していても歌声はまねしきれていないように見えます(まあ好き故に厳しく見てしまう面もありますが…))所謂「だみ声」とも「しゃがれ声」とも言われていたりしますが、87年あたりから、独特の感じは残しつつも、クリアな歌声になっていったように聴こえます(当社比)。特にバラード曲は「甘く」(で表現はあっているだろうか…)歌うようになったと思います。もしかしたら今まで感じた「蒸し暑さ」と「爽やかさ」はこの変化がある意味で1番影響しているのかもしれません…。

 

サザンは様々なジャンルや要素を含んだ幅広い楽曲があると言われていますが、この時期以降の「あなただけ~Summer Heartbreak」「愛の言霊~Spiritual Message~」「太陽は罪な奴」「HOTEL PACIFIC」「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」…という夏曲もまた温度や湿度まで考えて制作されているのでは…と考えてしまいますし、そう聴こえてしまいますね(これもやっぱり私だけ?)。

 

とつらつら書いてみましたが、如何でしたでしょうか…。あ、あくまでふと思ってしまった事から広げてしまったので、所謂妄想雑文ですぞ(しかしそれにしても酷い文ですな)。なのでまあきっと私だけが勝手に思ってしまった事でしょう…。

何となく毎年この季節になりますと、「サザン=夏、というのはいつ頃定着したのだろうか…」ということを考えてしまいまして、今年はそれをこじらせてしまいましたね(?)。

でもこういうどうでも良いことを考えるのが好きなものでどうかお許し下さい…。

 

 

あとがきのようなもの

毎年夏になると、扇風機のみ稼働し部屋を締め切って、「悪魔の恋~東京サリーちゃん~亀が泳ぐ街」という謎メドレーを1人熱唱するのですが、年々辛くなっております(?)(じゃあ止めなさい)。

 

2012年、桑田佳祐を初めて見た日の思い出のようなものを

私のこの駄文ブログのライブ感想等を読んだことがある方は(そんなにいらっしゃらないでしょうが…)ご存じかも知れません、持ちネタの1つ(?)に「I LOVE YOU -now & forever-」のツアーが人生で初めて行ったライブとありましたが、桑田佳祐という人物を生で初めて見ることになったのは実はそのライブでは無いのです…。

 

あれは忘れもしない…いつだっけ…?(お約束)おっと失礼致しました。

2012年7月にNHK「SONGSスペシャ桑田佳祐の歌ってガッテン!」という番組があったじゃないですか…。あの番組でライブパートがありましたが、実は私あの場に何故かいましてそれが初桑田佳祐でございました…。

その前にI LOVE YOUツアーのチケットは当選していたのですが、「いきなり3時間近いライブに行って良いものか…」「映像で何度も見ているとは言え実際の現地のテンションについて行けるのかしら…」などなどの不安が大きく若干憂鬱気味になっていまして、「ちょうどテレビ用の公開ライブなら多少は落ち着けるかしら…」という単純な理由で申し込んだところ忘れもしない(いやメールが残っていたので確認しました…。)6月19日にご当選のお知らせが…。受信料を払っていて良かったと思いました(?)(ちなみに同時期の音楽寅さんも申し込んでいたけど外れた)。

 

そしてその日がやって来ました。それがちょうど5年前の2012年の6月25日の事でした。

開催場所に向かいますと、人の列がありまして一安心し、係の方にメールを見せ無事に建物の中へ侵入することに成功しました。

一度別スタジオのようなところへ荷物を置き、誘導され収録のスタジオへ。全員がスタジオに入ったところで、サザンのスタッフかNHKのスタッフかは忘れましたが、前説が始まりました。確かあのちびま○子ちゃん風の格好をしていたような。内容は放送前にSNSや掲示板などでネタバレはしないで下さいねー。とか倍率は凄かったですよー。的な事を言っていたような(5年も経ったので多分大丈夫でしょう…)。しかし私、ここで重要な事に気が付いてしまいました。

「ステージが見えない…」

私がいたのはやや後ろの席。テレビ放送を見たことがある方は分かるかも知れませんが、一番前の人は桑田さんがもう数センチの位置にいるくらいに近いステージではありましたが、ほぼ地面が平面で、加えて私が男性の平均身長より低い(むしろ女性寄りですね…)ということもあり、普通に立っていると、前説のスタッフの方の頭しか見えなかったのです。きっと恐らく雰囲気をなんちゃらとか言っていた天罰でしょう。「まあテレビでも見れるし仕方ないわね…」と割り切りましてその時を待ちました。

そしてついにあの人が…桑田佳祐が目の前に(ちゃんと見えてないけど)。ただ当たり前ですが、「桑田さんの登場でーす」とあってから(スタジオなので)普通に出てきましたね(この約3ヶ月後下から登場するとは思わなかった)。背伸びしたり左右に頭を動かしたりしながら、ようやくチラリと…。

「これが桑田佳祐か…」「本当に実在しているんだ…」と勿論興奮も多少はありましたが、意外と冷静に見てしまったような。今思うと実に勿体ない事をした…と後悔がありますね。…といいましても見えない・見えた、という格闘をしていたせいもあるのかもしれませんが。

 

1.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

そんな自分の身長を嘆きつつ格闘している間に曲がスタートしてしまいました。ここで「あ、髪が随分と短く…」と気付きました。

「Oh,yeah…」のところはテレビ用なので(?)頑張りましたが、思いっきり出来ませんでしたね…(今も出来てないけど)。あと皆さん腕を上げてパチパチするので余計に桑田さんが見えなくなるという悲劇(?)が。

「いついつまでも~」のところはCDと同じく普通に歌っていたので、珍しい物を見れたと思うのと同時に「うわーテレビー」とも思いました(?)。

この曲が初めて目の前で本人が歌っているのを見ながら聴く曲になりました。1つささやかな思い出を持つ曲となりました。

 

2.明日晴れるかな

ここで少しハプニングといいますか、そういうものがありましたね。

曲が始まり何事も無いように歌い始めていたのですが、すぐに桑田さんが「ごめんなさい!」と演奏を止めてしまいました。曰く「ギター弾かなくてもいいところ弾いちゃった…」とのこと。そして最初から演奏し直したのですが、また同じようなところで(明日もあてなき道を~辺りだったでしょうか…)再び「ごめんなさい…」と再び演奏を止めてしまいました。またギターで余計なことを…と言っていたような気が(ここは忘れてしまいました)、その後「いつもより皆さんとの距離が近くて緊張して…」と。その話の流れから「後ろに大きなモニターがあって歌詞とギターのコードが出ていまして…」とモニターに触れた瞬間、皆さん一斉に後ろを振り返り確認してしまったので、「見なくていいんだよ!w(振り返らなくていいんだよ、だったかも知れません。そういうニュアンスでした)」という渾身のツッコミが桑田さんから入れられてしまいました。

撮り直し、というのもいかにもテレビだな…とまた思うのと同時に、珍しい物を見ることが出来たなあと…。

そしてTake3で無事に終わった…と思っていたのですが…?

 

3.東京

続いては東京でした。そういえば曲の間には短いMCといいますか、距離が近いこともありどちらかというと会話に近い感じでしたね(何を話していたかは忘れてしまいました。髪を短くし過ぎた事をどこかで話していたのは覚えていますが)。

しかしこれがもしライブでしたらテンションがジェットコースターな感じで大変な気がしますね(?)。しかし流石は皆様。悲しい気持ちではしっかり盛り上がり、明日晴れるかなでは涙ぐみ、東京ではじっとステージを食い入るように見つめており、鍛錬された方ばかりだ…とステージに目を奪われながらも回りを伺ってしまう矛盾するような行動をしていたのでした。

そのせいで(?)客席を映していたカメラが移動したときに目を合わせてしまう痛恨のミス(?)をしてしまいました。雰囲気を壊してしまったらどうしよう…と不安になりましたが、そのシーンは使われていなかったので安心しました(当たり前だ)。

そういえば東京で東京を聴いたのはこの時だけですね。

 

4.愛しい人へ捧ぐ歌

ここから新曲コーナー(?)に突入しました。

この収録の2日前かその前の週にやさしい夜遊びで初解禁されていたので、そんな最新の曲がすぐに目の前で歌っているのを聴くことが出来たのはなんだか不思議な感覚でした。面倒くさいけど単純な男なので、そんな理由でもう好きな曲になってしまいましたね…。

そんな感覚と好きという思いをすぐに持つことが出来たので、I LOVE YOUツアーでは特に楽しみな曲の1つとなっていましたね…。

 

5.幸せのラストダンス

もしかするとここと「愛しい人へ捧ぐ歌」逆だったかもしれません…。

ここの曲の前後のMCだったかは忘れましたが、I LOVE YOUツアーと同じように「最近結婚した人は…」と聞いていましたが、なんとこの前日(前々日だったかも…)に式を挙げたカップルが。しかもこの後に新婚旅行とのこと。いやはやなんて贅沢な二次会なのでしょう(?)。やっぱり女の子が生まれたら名前は「栞」なのだろうかと考えていた私は何なのか。

ヨシ子さんへの手紙でのライブ感想のような物でこの曲が好きになって改めて聴けた、的な事を書きましたが、思えばこの時その苗が植えられたのかな…と今になって思います。

 

6.100万年の幸せ!!

ちび○る子ちゃん風のダンサーさんがご登場し、「あ、これがラストになるのかしら…」と何となく思っていました。

誤解を恐れずに書いてしまいますと、この曲の事はあまり印象に残っていないのです…。「幸せのラストダンス」もそうなのですが、やはり新曲でしかも発売前だったこともあり殆ど聴けていないというのもあったのかと思うのですが(「愛しい人へ捧ぐ歌」のようにすぐに好きになるというのは珍しいもので…)。

発売したらしっかりちゃんと聴かなくては…と当時反省したところでしたね。

 

7.それ行けベイビー!!

バンドメンバーの方々が下がり、ステージには桑田さん1人残り、スタッフの方がギターを持ってきたので、「まさか噂の放送されないおまけ部分とやら…?」と思っていたところ聴いたことのあるイントロが…。

なんと「それ行けベイビー!!」でした。「おお…」と思うのと同時に「NHKだし紅白感があるわね…」と若干冷静でつまらないものが出てきた私は本当に何なのか。

これがヨシ子さんへの手紙の感想のような物で書いていた「これが2度目のそれ行けベイビー!!」の何とも面白みの無い真相なのでした。

 

8.勝手にシンドバッド

「それ行けベイビー!!」の演奏が終わった後、何となくもう1曲くらい演奏しそうな雰囲気があり、「多分また希望の轍かね…」と思っていたところで「ラララ…」と…。

「えっ…まさか…嘘でしょ…」と全く予想していないこの曲がしかも弾き語りでやってきてしまい一瞬パニックのような状態になってしまいました。しかし他の皆様は「ラララ…」の「ラ」からしっかりすぐ反応しており、飛び跳ねる人がいるわ(この後のMCでもうすぐ出産という人を桑田さんが発見し(自白(?)しただけですが)「ピョンピョン跳ねてるんじゃないよ」と心配しながらしっかりとツッコミを入れておりました。)、ラララの合唱がちゃんと始まるわ、流石過ぎました(2度目)。

また会場のボルテージが一気に上がり、雰囲気が180度変わってしまったのをはっきりと感じることができ、「勝手にシンドバッド」という曲のパワーといいますか、何とも言えないものを目撃してしまったのは本当にすごい経験だった…と未だに思います…。

この後(前だったかな)のMCで今日が6月25日で、サザンでデビューして34年ということにも触れており、そろそろまた皆さんの前に…ということを話していたような。

もしかしてデビュー日に勝手にシンドバッド生演奏というのはとても珍しいのでは…。

 

9.祭りのあと

バンドメンバーの方々が再び登場し(この前に「今日は原さんもいるんですよ」と桑田さんが言ってしまったことから原坊が出てきたのですがまったく見えませんでした…)、「最後にもう1曲…」と「祭りのあと」がバンドスタイルで始まりました。こっちはもしかしたら放送されるのかなと思ったらこれもおまけだったのですね。

もう完全に終わりモードに入っていたので、良かったですねえ…。しかも「勝手にシンドバッド」というお祭り曲ともいえる曲のあとに来ましたから尚更良かったですねえ…(もう同じ事しか言えない…といいますか思えていなかった)。

やっぱりソロの締めにはこの曲よね…。と思いきや…。

 

10.明日晴れるかな

その「祭りのあと」でラスト…かと思いきや。スタッフの方が桑田さんに耳打ちし、「すみません、もう一度だけ明日晴れるかなを…」ということになり、何と4度目の「明日晴れるかな」でした。多分(いや勿論)放送されたのは、このTake4バージョンですかね。

I LOVE YOUツアーでラスト曲になったのは、この収録がきっかけになったのかなーと宮城の最後に聴いたときに都合の良い解釈をしていたのでした。

…そりゃ1日4回も(実質2回ですが…)聴けたら「好きな曲」から「大好きな曲」になるに決まっているではありませんか…。

 

 

これが私の本当の初ライブであり、初桑田佳祐でございました。何だかんだで全体的には意外と冷静でいたのと同時にずっとふわふわしていたような不思議な感覚でいましたね。約1時間くらいでしたが、とてもゆっくり時が流れていましたね(普通は逆の気がするけど…)。

ただ楽しかった、というよりは「本当に目の前に桑田がいる…」という気持ちがちょこちょこ表に出てきていましたねえ。

 

あっ、ここからは今まで以上にいらない超が頭に付くような個人的どうでもいい文なので読まなくても何も問題はありません。

 

 

…実はこの2年目、2010年のソロツアーの東京ドームに当選していたのです。ただまだ気持ちが固まっていないまま(当時の友人が行きたいと言っていたこともあり)だったので、「本当に行っても良いのだろうか…」という思いが2012年の頃より大きく毎日自問自答していました。そんな中で桑田さんの病気が発覚、ツアーも中止となってしまい「自分がそんなことを考えていたせいかも…」と今にして思えば何言ってんだこのアホは、という思考に陥っておりました。

そしてあっという間に2年の時が経ち、この2012年の3月にとある訃報を聞きました。とある元プロ野球選手だった人物の訃報でした。私はこの選手がきっかけでプロ野球の歴史に興味を持っており歴代で1番好きな野球人と言える方でした。その方は引退後殆ど表に出ることが無く、実際に動いている姿を見たことはありませんでしたが(動画サイト等では僅かに現役時代の映像があるのですが…)、もしかすると万に一つ野球殿堂入りするときには表に出てくるのではないのかと…その時を待っていたのですが叶うことはありませんでしたね。

この時改めて思ったのです。「そういう好きになった人に逢えるチャンスがある時には逢っておかなければ…」と(ちなみにこの年にはプロフィールに書いている好きなものの1つである声優さんのイベントに初めて行くことになるのはまた別のお話…)。

そういう事もあり2012年という年は自分が少し変わった年でもありましたね。やっと大人になれたような(よりなった気になった)と行っても良いのかも知れません。

とはいえライブやイベントの何日か前になると謎の頭痛と腹痛に襲われ、当日現地に行くと帰りたくなる症候群を発症してしまう何ともな男なのですが…。解放される日はやってくるのだろうか…。

 

 

あとがきのようなもの

この年、某アニメのラジオで「勝亭にシンドバッド」という波乗亭米祐師匠には到底及ばない偽名を使っていたことをここに懺悔いたします(?)。

 

1978-1979年の江川卓とサザンオールスターズ

「今何時? そうね だいたいね…」

1978年の秋、音楽番組にチャンネルを回すとまるでマシンガンのように早口で言葉を飛ばすかのように聴こえる歌が連日ブラウン管の中から流れていた。この年にデビューしたサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」である。発売当初はまだ無名の新人バンドだったこともあり話題にはならず、またメディアでの露出も少なかったが、「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」に出演後、徐々に話題となりヒット曲となると同時にテレビ等での露出も増えて行く一方で、ボーカル桑田佳祐の独特の歌い方や歌詞に賛否両論が起こり始めた時期でもあった。

時を同じくして、野球界に衝撃のニュースが流れた。前年のドラフト会議でクラウンライターライオンズからの1位指名を拒否し、この年のドラフトに備えアメリカへ野球留学していた江川卓読売ジャイアンツの間で契約を結んだと発表したのだ。当時ドラフトで指名した選手との独占交渉期間は翌年のドラフトの2日前までとなっており、ドラフトの前日は準備期間として設けていたものだったのだが、いわばこの「空白の1日」を突いたのである。当然そんな理屈が通るはずが無く、契約は無効、という裁定が下されたが、これに対し巨人は翌日のドラフト会議をボイコット、江川は4球団が指名し阪神タイガースが交渉権を獲得したが、巨人側は12球団が出席していないドラフト会議は無効、江川との契約が認められない場合はリーグ脱退を公言するなどの姿勢を見せており、巨人軍の「横暴」と江川の「我が儘」に対し、マスコミの報道を始め、野球ファン、世間からも大きな批判を呼んでいた。

一見無関係に見える両者であるが、ここではそんな2組の1978~79年に焦点を当ててみたい。

 

まずは先に両者の78~79年について簡潔にまとめてみたい。

サザンオールスターズは1978年6月25日に「勝手にシンドバッド」でデビュー、8月の「ザ・ベストテン」に出演後、知名度が上がり始めると同時にレコードも売れ始め、10月9日付けのオリコンでは最高位となる3位となり、テレビ等のメディアでの露出が増えていく一方で、その曲名や曲調、そしてベストテン出演時の「目立ちたがり屋の芸人」発言もありコミックバンド、芸人としてのイメージが強く定着することとなった。その後勝手にシンドバッド路線の新曲「気分しだいで責めないで」を発売した頃には、毎日のようにテレビの仕事が入り、その間に新曲のレコーディングを行なうなど休み間もなく活動を行なっていた。そんな生活に疲れ果て、今自分たちのやりたい音楽を…と79年3月に発売したのが「いとしのエリー」である。前2曲の路線から180度変化したバラードソングということもあるのか、発売当初は売り上げが伸びなかったものの、徐々に伸ばし始め、6月4日付けのオリコンでは最高位となる2位となる。売り上げが伸びていくと共に「コミックバンド」という世間の評価から「正統派ロックバンド」という評価に変わりつつあった。その後アルバムと2枚のシングルの発売、2度のライブツアーを行ない、紅白歌合戦にも出場したが、メンバーは79年の暮れに音楽活動に集中するため、半年間テレビ等への出演を休む、言わば「休養宣言」を行なったのであった。

 

江川卓は、前年のドラフト指名の拒否後、翌年のドラフトに備え(社会人野球入りすると最低2年待つ必要があるため)アメリカの大学へ留学したが、練習生という扱いのため試合に出ることが出来なかった(そのためか試合感が鈍り、体格も少し太ってしまったためプロ1年目はその影響が残っていた)。10月12日には江川を指名した「クラウンライターライオンズ」を運営していた福岡野球株式会社から西武グループの国土計画が買収と同時に本拠地を埼玉に移転することを発表し、ドラフトで得た江川との交渉権は1年有効だったため、その権利を引き継いだ西武も交渉を行なったが、拒否の姿勢は変わらなかった。ドラフトの前々日、父親からの突然の連絡により緊急帰国した江川は、巨人入団へのシナリオ、所謂「空白の1日」の説明を受け、巨人との契約を決意、翌日契約を行なった。しかし当然そのような契約は無効とされたのだが、契約は正当と訴えた巨人がドラフト会議をボイコットした。そのドラフト会議では4球団が指名し、阪神タイガースが交渉権を獲得したが、12球団が揃わないドラフトは無効と巨人は主張。その主張もまた却下されると、巨人はプロ野球機構からの脱退を示唆した。江川問題は泥沼化する中、問題解決のため当時のコミッショナー金子鋭は「江川は阪神と1度契約し、トレードという形で巨人入団」という解決案を「強い要望」として提示。翌年1月31日に巨人のエース格の投手であった小林繁とのトレードにより巨人入団を果たした。江川は開幕日から2ヶ月間出場を自粛したため、6月、プロ初登板は因縁のタイガース戦となったものの敗戦、結局はこの年9勝10敗に終わり、エースを失ったチームも5位に沈んでしまった。

 

この両者の激動の日々の中で生まれたと言ってもいい2つの言葉を上げてみたい。

1つは騒動の中で江川が発した「興奮しないで」という言葉である。当時江川の生意気さを象徴する発言となったのであるが、実際には阪神との契約後の記者会見の際、会見が始まる直前(直後とも)というタイミングで1人の記者がかなり激しい口調で詰め寄るように質問したことに対して「興奮しないで、冷静にやりましょう」と発したのであったが、テレビではその記者の部分はカットされ、江川の発言のみがクローズアップされてしまったのである。当時江川へのバッシングや非難・マスコミの罵倒は凄まじいものがあり、高校時代からマスコミ慣れしていたとはいえ、江川だけでは無く家族も精神的にすっかり参ってしまい(母親はノイローゼ状態となってしまったという)、そのため耐えきれずつい生意気な行動や口をきいてしまったこともあったのか、巨人入り直前というタイミングで発したこの言葉が再び江川バッシングの大きな材料の1つとして「利用」されてしまったのでは無いのだろうか。

しかしこの発言について少し別なところから見てみたい。「空白の1日」という野球協約の盲点を突いた入団のシナリオを描いた人物が勿論いたわけではあるが、江川は不安と困惑がありつつ説明を受け、何度も周りの人物に質問・確認を取った上で最終的にこの「裏技」に同意した訳であるが、この時もし何かがあってもすべて自分の責任とすることを自覚し、「大人」として誰かに責任を押しつけることも無く、自らの憧れを貫くことを決断したのではないだろうか。どこか客観的で冷静に行動していたように見える江川であったが、あの発言は「大人」を演じていた江川卓23歳の不意を突いた僅かな「隙」だったのかも知れない。もしくはプロ入り後のピッチングや財テク、(本人曰く)成金趣味に見られる、知的に動いていてもどこか抜けている、ポカをしてしまうという江川卓が本来の(というのは少し違うか)顔を出してしまったのだろうか…。

 

もう1つは勝手にシンドバッドがまだ世間を賑わしている中11月に発売されたサザン2枚目のシングル「気分しだいで責めないで」である。勝手にシンドバッドのヒットを受け同じ路線の曲を求められ、本人達にはまだ2枚目の事が頭に無かったが、レコード会社に缶詰状態にされ無理矢理ほぼ作らされた曲だったのである(一説にはタイトルの気分しだいで…というのは事務所やレコード会社に向けられたものとも言われている)。後に桑田佳祐は1987年に発売された自身の著書の中でこの曲を指し「最低の曲だと思う」とも記している(ちなみに近年雑誌のインタビューでは当時は演奏するのが苦痛だったが今は楽しい、と述べている)。実際この時期には劇的に環境が変わってしまったことによりノイローゼ状態だったとも言われているほどメンバー全員精神状態が落ち込んでいたという。

ちなみにテレビ等での扱いはほぼ変わることは無かったが、12月25日付けのオリコンでは10位に入るなど、流石に勝手にシンドバッドには及ばなかったが、ヒットはしたこともあり、勝手にシンドバッドだけの「一発屋」という風潮だけは払拭することになったのだが。

この「気分しだいで責めないで」の中には当時の心境が色濃く含まれているのでは無いのだろうか。桑田のあの特徴的な歌声も勿論あると思うが、当時の曲の中では特に荒々しいというよりも吐き捨てるよう・叫ぶように歌っているのが印象的である(シングル版では実際間奏で叫びとも取れるデタラメなパートが存在するのだが)。歌詞の冒頭「気分しだいで責めないで 涙がでちゃう」…ここだけでもう全てを表しているとも言えるのでは無いのだろうか。桑田独特のボーカル、「日本語を乱す」とも言われた意味よりも語感重視の作詞への批判なども起こっていた時期でもあった。また「心がわりがしたら 水に流す」などはまだまだ仕事への困惑(不信感とも言えるかも知れないが)を隠しきれないでいるようにも見える。…というようにここまで当時の心境をストレートに表した曲をそのままパッケージしたレコードというのはこれが唯一では無いのだろうか。

 

そして1979年、江川は高校時代に「怪物」というニックネームを付けられたほどの投手であったが、ドラフト破りの大騒動の末、小林繁の「犠牲」により巨人入りを果たしたことで「怪物」から「悪役」というダーティーなイメージが完全に定着してしまった。

一方でサザンは「コミックバンド」「芸人」というイメージから「正統派」「実力派」というバンドとしての評価が付くことが増えていった。

しかしこの2組はこの異なるイメージを自分の顔に変えてしまったのである。

上記したように江川の1年目は評判通りの実力を示すことが出来なかったが、翌年には早くもセ・リーグ最多勝利投手となり、81年には2年連続の最多勝利を初めとして最優秀防御率奪三振・最高勝率・最多完封という過去5人後に1人の計7人しか達成していない投手五冠王となりMVPにも選ばれるなど、チームの日本一に大きく貢献するピッチングを見せ、再び「怪物」となった。また人を食ったような発言や江川自身の意外とひょうきんな性格も表に出てきたこともあり、若者を中心に「悪役」イメージから人気者となっていった。一方でNOされても新聞の一面となり、それがまた良く売れるという「悪役」の面も良いように残していった(こっちの面はマスコミがうまく利用していたとも言えるが…)。

サザンもいとしのエリーだけでは無く、後の「真夏の果実」「涙のキッス」「TSUNAMI」などのバラードソングに代表されるように本格派というよりも「大人」な一面もイメージの1つに昇華されていった。一方で「芸人」路線を捨てた訳ではなく82年に紅白歌合戦で演奏した三波春夫風「チャコの海岸物語」やハゲヅラを被り歌う「マンピーのG★SPOT」などなどその路線は今でもしっかり受け継いでいるが、当時との違いは楽しんでその路線を自らの意思で突き進んでいるところでは無いだろうか。むしろ楽しませたいというサービス精神があるため客観的な視線もあり、どこか「演じる」ことが出来るようになったのかも知れない。

そして両者とも共通するイメージと言えるものの1つに江川の代名詞でもある「怪物」があるのではないだろうか。江川は勿論高校時代に残した鮮烈な快投が、サザンはデビューから40年近く経った今でも第一線で活躍しヒット曲を残し続けていることでそう呼ばれることがあるが、同じ怪物でも江川は人類の脅威となり「悪役」となるも、やがて他の怪獣から(本人にそういう意図が無くとも)人類を守る味方となっていく「ゴジラ」、サザンはある島から無理矢理連れてこられてニューヨーク(都会)を暴れ回った「キングコング」、と別な怪物に分類されるのでは無いだろうか。

この1978-79年というのは、両者には不本意だったのかも知れないが80年代のプロ野球・音楽会を面白くした「怪物」へ変身する前の「子ども」から本当の「大人」へと成長していく重要な時期だったのかも知れない…。

 

結果的に江川が空白の1日のシナリオを聞くことになった11月20日、緊急帰国した江川は後見人でもあった政治家船田中宅へ向かっていた(最もそのシナリオを聞いたのは当時船田氏の秘書を務めていた蓮見進宅であったが…ちなみにこの蓮見氏が江川の巨人入りへ動いた中心人物とも言われている)。船田氏の自宅は南青山にあった。サザンもまたメンバーの殆どは青山学院大学出身であり、レコーディングを行なうビクタースタジオもまた青山に建っている。もしかするとこの日、日常が劇的に変わりつつあるグループと、まさに運命が変わろうとしている1人の野球選手はどこかですれ違っていた…と思うのは流石にこじつけが過ぎるだろうか。

 

江川卓は1987年シーズン終了後、引退を表明し9年間の現役生活に別れを告げた。この年エースの座は「桑田」真澄に移りつつあった…。

サザンオールスターズは1985年まで活動後、一度休止し88年に再活動した。その後も休止と活動再開を繰り返しながらも、未だ第一線を走り続けている…。

 

 

長めのあとがきのようなもの

はい、野球とサザンシリーズの(?)第2弾でございました。長嶋×サザンという駄文で懲りずにまたこんなものを書いてしまいました。

また長いですね…ごめんなさい。一応「空白の1日」のところなどは、某wiki等を見れば早いと思ったのでかなり省略してしまいました(どうしても野球成分が濃くなってしまうもので…)。

タイトルには1978-79としていますが、ほぼ78年後半から79年の春までなのでまたちょっと詐欺っぽくなってしまいましたね。1978年度にすべきでしたか(?)。

連続で巨人関係の選手との組み合わせですが一応偶然です…。でも書いているうちにいくつか思い付くことがあるのですがそれも巨人寄りになってしまいますねえ…。いっそのことY新聞かスポーツHに記事載せて貰えないかしら(?)(でも私は高橋ユニオンズファンなのよね…)。

6月最初の雑文あとがきに、今月はサザンデビューの月(6月25日)なので雑文強化月間とまた適当な事を書いていましたが、何故かちゃんとやってしまいましたね(?)。ここに書いたらやらないというジンクスが(?)そろそろ危ういですね…(?)。

 

Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)が歌われたライブを雑にまとめてみた

サザンオールスターズの歴史の中では、最も売れなかったシングルとなっていますが、ライブではよく演奏されているイメージのある「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」。

今回はこの曲を歌われたライブを雑にまとめてみました。個人的には1曲目に演奏されるイメージの強い曲ですがはたして…。

例によって、テレビやラジオ等の番組で演奏したものはカウントしておりません。

 

・そちらにおうかがいしてもよろしいですか?

22曲中(アンコール2曲を含む)18曲目(前後曲:ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)/いなせなロコモーション

所謂煽りコーナー(私が勝手にそう名付けているだけ)でアルバム「ステレオ太陽族」からの選曲では最後に演奏されていますね。ツアーや単発ライブ前に発売されるシングルやアルバムのポップ・ロック寄りな曲は煽りコーナーの頭かラストに来る傾向があり、この曲もその例に漏れず終盤にご登場となりました。

ちなみにこのライブが一部ラジオで放送されていまして、この曲もしっかり放送されていますが、この曲の元ネタのタイトルがあれなのに選曲してくれた方の英断に感謝ですね(?)。

 

・愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOOツアー’82

26曲中(アンコール1曲を含む)3曲目(前後曲:I Saw Her Standing There/素顔で踊らせて)

ビデオ「武道館コンサート」にはこの曲も収録されており、1曲目の金魚のテーマからこの曲に繋がっていますが、あれ編集されていますよね…多分。

テンポが原曲とほぼ同じですね。ラストの「なんやかんや言うたかて~」後に「I want you~」とライブオリジナル(元ネタがありましたらごめんなさい…)のパートがあり、ブレイク、再び同じように歌いブレイクというアレンジがありますね。このライブ限定だったのか初期の頃に使っていたライブアレンジなのか気になりますね…。

ちなみにデビューから85年までのサザン第1期と言える時期のライブでこの曲が序盤に使われたのはこのライブが唯一になりますね。

 

・青年サザンのふらちな社会学

23曲中(アンコール5曲を含む)16曲目(前後曲:NUDE MAN/匂艶THE NIGHT CLUB)

このライブで再び煽りコーナーの1曲となりました。

しかしこのライブの煽りコーナー、ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)からNUDE MAN、そしてこの曲の流れですと、おじさんの悲劇と勘違いしてしまいそうですね(?)。

ただ公演によっては「走れ!!トーキョー・タウン」をNUDE MANとこの曲の間に演奏していることがあるそうなので、この勘違いも甚だしいですね(?)。

「おうかがい」ツアーの「いなせなロコモーション」や後のライブでの「ボディ・スペシャルⅡ」、「マチルダBABY」など煽りコーナーに置かれますと、次に演奏される曲もライブ大定番曲となっていますね。

 

SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー’83

23曲中(アンコール2曲を含む)19曲目(前後曲:ALLSTARS’ JUNGO/ボディ・スペシャルⅡ)

ここまで煽りコーナーではラスト3曲前のところに置かれていますね。それにプラスして新アルバム収録曲(ALLSTARS’ JUNGOはシングルB面ですがアルバムと同時発売なのでセーフと言うことで(?))と盛り上がるシングル曲の間にいるというのも、こういう2曲をうまく繋げることの出来る曲なのかも知れません。

ちなみにこのツアー前に行なわれ、出演したフェスのすべての公演でも選曲されています(「たいした夏」に記載されている5公演)。

 

・熱帯絶命ツアー夏”出席とります”

20曲中(アンコール2曲を含む)15曲目(前後曲:祭はラッパッパ/ボディ・スペシャルⅡ)

ボディ・スペシャルⅡと共にアルバム「人気者で行こう」曲の間に選曲されていますね。この流れは前年の「私は騙された」ツアーと同じですね。この頃はブルースからのロックという選曲がサザンの皆様の中でしっくりきていたのかも知れません(?)。

2つ前の雑文、シンドバッドとエリーを演奏していないライブの云々でも書いていますが、83,84年発売曲が大半を占めていた曲の中で、1番古い曲(81年)となっております。

 

・大衆音楽取締法違反”やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで

25曲中(アンコール3曲を含む)19曲目(前後曲:開きっぱなしのマシュルーム/マチルダBABY)

「熱帯絶命」ツアーと同じく、「人気者で行こう」曲の間に選曲されていますが、このライブではボディスペさんからマチルダBABYにバディを変えて臨んでいますね。この流れで見ますとBig Star Bluesの「ちょっと待って下さいねェちゃん」がマチルダの「囚われの彼女」のことを指しているように聞こえてしまいそうですね(?)。

しかしこのデジタル音が使われている曲が並んでいますが、この曲もそういうアレンジをされて演奏していたのでしょうか…?。

 

・縁ギもんで行こう

22曲中(アンコール3曲を含む)17曲目(前後曲:ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)/マチルダBABY)

「大衆音楽取締法違反」ツアーの間に行なわれた年越しライブでツアーのセットリストを少し変更したというような選曲だったため、この曲もしっかりと演奏されています。

「おうかがい」ツアー以来、ラッパとおじさんとのコンビが復活しましたが、おじさんはこのライブ以降演奏されていませんね…。まさかBig Star Bluesはベンちゃんだった…?(六本木のベンちゃんネタ)。

ちなみにこのライブ、後にテレビで放送されているのですが、数曲カットがあり、なんとそのうちの1曲が「勝手にシンドバッド」なのです…。なるほどこれがビッグスターの悲劇ですか(?)。

 

真夏の夜の夢 1988大復活祭

34曲中(アンコール2曲を含む)1曲目(前後曲:-/ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY))

シングル「フリフリ’65」のB面に収録されているのは、このライブの音源ですね。

最初のドラムスタートの音が、KUWATA BANDの「ROCK CONCERT」1曲目の「SMOKE ON THE WATER」の始まりと似ているため、シャッフル機能で聴くとしばらくどちらかが分からないのは多分私だけでしょう…。

初めて1曲目に選曲されましたが、最初の公演では「YaYa(あの時代を忘れない)」を1曲目に演奏していたので、代打でスタートした(?)1曲目というポジションがのちの定番ポジションになっていったのは面白いなと思います。

 

・いっちゃえ’89サザンde’90

23曲中(アンコール2曲を含む)2曲目(前後曲:夏をあきらめて/女呼んでブギ)

2曲目という珍しい位置に置かれていますね。「大復活祭」では1曲目、「愛で金魚が救えるか」では3曲目とこのライブでスタートから3曲目というポジションを制覇しました(?)。

夏をあきらめてと女呼んでブギの間という何とも不思議な繋がりに見えますところに配置されることで違和感なく見える効果がある気がします。

イントロのキーボードの音はいつもより重く聴こえる気がします(青春番外地っぽさがありますかね)。

このライブは地上波で放送されていましたが、ライブ定番曲というビッグスターにも関わらず(?)生放送版ではカットという悲劇(?)となってしまいましたが、後日放送された再放送版では無事放送されました。

 

・夢で逢いまSHOW

27曲中(アンコール3曲を含む)20曲目(前後曲:YOU/マチルダBABY)

サザン第2期(88~93年)のライブでは唯一煽りコーナーで演奏されていますね。「大衆音楽取締法違反ツアー」以来6年ぶりのマチルダさんとのコンビ復活となりました。

アルバムの新曲「YOU」から(いっちゃえ…の年越しで初披露されてはいましたが)のライブ定番煽り曲へ続く先頭打者というある種の1曲目というポジションと言える(?)というところに選曲されていますね。

 

・歌うサザンに福来たる

24曲中(アンコール3曲を含む)1曲目(前後曲:-/勝手にシンドバッド

「大復活祭」以来の先頭バッターとして登場しましたが、年越しライブでは初めての1曲目となりました。

ラストは次のシンドバッドへ繋げるアレンジが加えられていますね。

生放送版ではしっかり放送されましたが、再放送版では残念ながらカットとなってしまいました。

「そちらにおうかがい~」からこのライブまで「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」以外すべてのライブで選曲されていましたが、次の「牛」まで約6年演奏されず、となってしまいました。

 

・牛

26曲中(アンコール3曲を含む)2曲目(前後曲:女呼んでブギ/マンピーのG★SPOT

約6年ぶり、ライブでは7公演ぶりとなりました。イントロでハーモニカか加わっていますが、桑田さんが吹いていますね。そのせいか一瞬ソロツアーの「さのさのさ」ライブを思い出していまいますね(?)。

ちなみに地上波の生放送だったこともありこの曲の途中でCMに入ってしまいます。だいたい間奏に入った約1分30秒位のところでCMに入ってしまうので、アニメのOPかED感がありますね(?)。

しかしこのライブは、再放送がなく生放送版のみの放送だったためこの半端バージョンのテイクのみなのが残念ですね…。

 

・’99 SAS 事件簿in歌舞伎町

28曲中(アンコール5曲を含む)20曲目(前後曲:栞のテーマ/フリフリ’65

「夢で逢いまSHOW」以来9年ぶりに煽りコーナーでの演奏となりました。

メンバー6人のみでの貴重なテイクですね。同じ6人で演奏している武道館コンサートのビデオと比べてみても面白いのかも知れません。…が、しかしビデオ版ですと、間奏の途中から始まり、1分30秒位で終わってしまうという編集になっております…。あれ…ということは、「牛」の生放送版テイクと合体させればちょうど良いくらいになるということでしょうか…。是非両方のテイクをお持ちの方はお試し下さい(?)。

 

・晴れ着DEポン

21曲中(アンコール3曲を含む)15曲目(前後曲:TSUNAMI/フリフリ’65

全体的に「歌舞伎町ライブ」と選曲が被っていることもあり、同じく煽りコーナーで演奏されております(といいますか、煽りコーナーの4曲は歌舞伎町と曲も順番も同じですね)。

CDと同じく間奏に入る前に桑田さんが「はい、間奏」と言っていますね。

他のライブと比べてもテンポが早いテイクのような気がします。

 

・みんなが好きです!

29曲中(アンコール4曲を含む)1曲目(前後曲:-/My Foreplay Music)

サザン2度目となりましたドームツアーの1曲目に選曲されたのは、なんと「歌うサザン」以来15年ぶりとなりました。

ドラムスタートからのギター、そしてイントロというのは「大復活祭」っぽい始まりですね(といいますか、ほぼ同じ…?)。

ライブ2曲目に選曲される事の多い曲の1つである「My Foreplay Music」との1,2曲コンビ(野球の1,2番コンビみたいですね(?))というのが実は初だった、というのは意外でした。

 

・ひつじだよ!全員集合!

33曲中(アンコール4曲を含む)1曲目(前後曲:-/フリフリ’65

9年ぶりの演奏であると同時に、9年ぶりの年越しライブとなったので、離れてはいますが。2回連続で年越しライブの1曲目となりました。

全体的に原曲に近い感じで演奏されている気がしますね。スタートもライブオリジナルのイントロが無く、原曲通りスタートしています。また「晴れ着」と同じく間奏に入る前「はい、間奏」と言っていますね。

このライブで2曲目3人衆の(?)「My Foreplay Music」「ミス・ブランニュー・デイ」「フリフリ’65」の3曲と初めて1,2曲目コンビを組んだ曲となりました。

 

・FINAL COUNTDOWN SESSION『来ればわかる!!』~NISSIN POWER STATION

最後に1つおまけとしまして…。1998年に行なわれた、日清パワーステーションのファイナル・イベントであるこのライブでも実は演奏しております。各メンバーがその日限りのユニットを組み、披露しましたが、唯一サザンとして演奏したのはこの曲でした(もう1曲勝手にシンドバッドも演奏していますがこちらは出演者全員が参加しています)。

昔このセットリストを見た時、意外な選曲と思っていたのですが、ライブでの演奏率だったり、何度もライブ映像を見ていると納得するといいますか、そう思ってしまうパワーのある曲だと改めて感じました(そういえばテレビ番組になりますが、ミュージックステーションに初めて出演した時もみんなのうたと一緒にこの曲を歌っていますね…似たようなものでしょうか(?))。

 

 

という訳で雑にまとめてみました。ライブでは16回と、誕生以前を除けばほぼほぼ2回に1回は演奏されている計算になりますね。特に85年までのサザン第1期では発売以降「KAMAKURA」ツアー以外すべてのライブで選曲されています(回数を出しますと7回になりますが、これはいとしのエリーと同じ回数になります)。…といいますか、「歌うサザン」まではほぼパーフェクトなのですねえ…。KAMAKURAツアーの何処かの公演で気まぐれに(?)演奏していたりしていませんかね。

少し間があった後復活した(?)「牛」以降は5回と切り札的使い方…というよりはプレミア化してきたのでしょうか(?)。

何と言いますか…。サザンオールスターズというバンドが大きくなった(大きく扱われるようになった)ことで、ビッグスターという単語が自分たちのことを指していると思われることをあまり良く思っていない、もしくはまだまだそう思われたくないという思いがあったりするのかも…というのは流石に私の深読みが過剰なだけでしょうね…。

 

 

あとがきのようなもの

何と言いますか…こういう雑文を書いていますと己の知識・語彙の無さに呆れてしまうことありますよね(?)(今更の懺悔)。

 

おっぱいなんてプーで演奏された曲の過去とその後を雑に追い掛けてみた

サザンの歴代ライブの中で最もマニアックな選曲と言われ、現在でもファンの間では(多分)度々話題となっている1997~98年の年越しライブ「おっぱいなんてプー」。そんなライブで選曲された27曲について、これはいつぶりの演奏なのか、そしてこのライブ以降にも演奏されたのかという追跡を行なってみました。

いつも通りテレビやラジオ等は除いています。

ちなみに2回目以降にライブ名を載せる際には多少程度に略していますので、分かりにくかったらごめんなさい…。

 

・Let It Boogie

1980年「ゆく年・くる年」でのみ演奏されており、17年ぶりの演奏となりましたが、その後は再び封印状態となり20年が経とうとしていますね…。

そういうこともあり何ともレアなオープニングで、テイクですね。…と思いきやその17年前のゆく年・くる年は一部が放送されているのですが何とここでもこの曲は放送されているのです。ライブで2回しか演奏されていないのに、その2回とも放送されているとは強運過ぎやしませんか…。

 

・ふたりだけのパーティ

1980年の「サザンオールスターズがやってくるニャーニャーニャー」から、ゆく年、81年の「そちらにおうかがいしてもよろしいですか?」の3公演連続で演奏されていましたが、この後は演奏されず、16年ぶり4度目の演奏となりました。このライブ後も2003年の「「流石(SAS)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~」」で(その前の建長寺ライブでもフライングで(?)やっていますが)演奏されています。

ゆく年とおうかがいではアンコールで演奏されており、当時のアンコール定番になりつつあった、と思いきやその後は行方不明になってしまい、おっぱいに惹かれて(?)姿を表した時には序盤曲として再起を図っていましたが、再び行方不明気味になりつつありますね…。

 

・ブリブリボーダーライン

貴重な90年代曲の1つということもあり、1992年の「歌う日本シリーズ1992~1993」、93年「しじみのお味噌汁コンサート」とそこまで間が空くことも無く演奏されています。その後も98年「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」、99年「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」とこのライブを含め3回連続で歌われています。ライブ定番曲になりつつありましたが、その後21世紀の声が近付くと共に表舞台から消えてしまい、ようやく2015年の「おいしい葡萄の旅」で16年ぶりに演奏されるという、このライブで選曲された曲の中では珍しい「その後」となっているのでは無いのでしょうか。

 

・ブルースへようこそ

サザン公式サイトのライブデータでは1979年の「Further on up the Road」のみの演奏と

なっていますが、1980年に行なわれた「JAPAN JAM2」とニャーニャーニャーでアンコールで演奏された公演もあったそうです(ちなみにこの2つのライブではアレンジバージョンで演奏されたらしいです…(同じアレンジなのかは不明))。

とはいえ80年代からすでにほぼ演奏されず、このライブ以降も演奏されること無く現在に至ります。

なるほどおっぱいなんてプーというライブ名は男性の同性愛を歌っていると思われるこの曲を歌いやすくするため(もしくは歌うため)という可能性がありますね(?)。

 

恋するマンスリー・デイ

ライブで演奏されたのは1980年のニャーニャーニャーとゆく年の2回のみとなっていますね。そして「JAPAN JAM2」でも歌っています。こちらは「ブルースへようこそ」さんが後に演奏されており、前後逆となりましたがコンビとしても復活を遂げましたね(?)。

17年ぶりの演奏となりましたが、もしかすると結婚15年と言うことで、ユウコさんに捧げた選曲だったのかもしれませんね(?)(それでおっぱいが何ちゃらとはどういうことなのでしょうか…)。もしそうなら「素顔で踊らせて」も同じ事が言えそうですね。

しかしこのライブ以後演奏されることがありませんね…。またおんもにも出られそうにないのでしょうか…(?)。

 

・赤い炎の女

1983年「SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー’83」から1984年「縁ギもんで行こう」まで4連続で演奏されており、特に縁ギもんでは年越し曲となるなど定番化しつつありましたが、88~93年までのサザン2期といえる時期には演奏されず、13年ぶりに店の奥から姿を表してくれましたね(?)。

このライブで久しぶりに演奏してメンバーもしくはファンの反応が良かったのか、このライブで選曲された80年代の曲の中でこの曲と「Computer Children」(こっちはコーナーありきでの選曲感がありますが)の2曲が翌年の渚園ライブでも選曲されています。

おっぱいと渚園で改めて好きになった人も多いのではないのでしょうか、と個人的には思います。

また2006年に行なわれた「THE 夢人島 Fes.」ではポップな裏サザンといいますか、マイナーソング枠(?)として再び登場しております。ちなみにこの時の「Moon Light Lover」からの流れは渚園の時と同じという割とどうでもいいことに今頃気が付きました。

 

・せつない胸に風が吹いてた

ここで1つ所謂「サザンらしい」曲とも言える曲が選曲されました。92年の日本シリーズ、93年のしじみで演奏されており、その後も翌年の渚園、1999年「晴れ着DEポン」ではメドレーコーナーでの1曲目、2008年「真夏の大感謝祭」(1日目のみとなってはいますが)と3度演奏されており(ソロですが2008年の石垣島ライブもありましたね)、流石に「勝手にシンドバッド」や「希望の轍」などの大定番曲とは比べられませんが、そういった大定番曲を除けば定番と呼んでも良いくらいのメジャーな部類に入る演奏率ではないのでしょうか。

 

Tarako

2016年のおいしい葡萄の旅でトップを飾ったのも記憶に新しい曲ですが、このおっぱいぶりの演奏でした。それ以前には発売直後の1984年の「大衆音楽取締法違反”やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで」と縁ギもん、そして前年の96年の「牛」の3回演奏されています。84年当時アメリカ進出を視野に入れていたとされ、全英語詩でロサンゼルスでレコーディングされた曲でしたが、その後そういった動きが無かったと共に封印されてしまった感がありますね…。干支が一周した後に牛とおっぱいで復活を遂げたのを見ますと、ある意味マニアックなシングル曲の象徴といえるのかも知れません。そして19年後に葡萄に擬態し(?)再び無事に復活を遂げました。

 

・奥歯を食いしばれ

1979年の「春五十番コンサート」からFurther on up the Road、ゆく年、おうかがい、82年「愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOOツアー’82」、83年「青年サザンのふらちな社会学」、大衆音楽、牛と、なんと実はこのライブまでに過去8回も演奏されている隠れた定番とも言える曲なのですね…。とはいえ赤い炎の女と同じく、88~93年のサザン第2期には演奏されていなかったので、牛で12年ぶりとなりましたが。

何と言いますか…、これだけ演奏されているのにマニアックナンバーの1曲に数えられてしまうとは曲調のせいなのか、歌詞カードがあれのせいなのか…(?)。

おっぱい以降も2004年「海の日ライブ」、2008年「真夏の大感謝祭」(のメドレーコーナー)で演奏されており、ファンクラブ限定という狭いところと7万人以上が入るスタジアムという真逆のところで登場と、21世紀になっても謎の存在感を保ち続けていますね(?)。

 

・Computer Children

過去には1985年の「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」の1度のみの演奏でしたが、おっぱいで復活以降は翌年の渚園、2000年「ゴン太君のつどい」、2014年「ひつじだよ!全員集合!」、そしておいしい葡萄の旅と年越しライブを中心に4度演奏され、このライブ以降、KAMAKURAライブでのCD音源に近いものから、ライブで演奏しやすいアレンジバージョン(?)(なのか?あっているのか?と不安に思っています…)に生まれ変わったこともあったのか選曲されやすくなりましたね。なるほどこれが「また生まれ変わって僕と踊ろうよ」ということでしたか(?)(これはソロ曲というツッコミを覚悟しております…(?))。

 

・素顔で踊らせて

1981年のおうかがい、82年の金魚で演奏されていますが、その82年の2月26日にささやかな二人の絆を結んだ以降はその象徴と言いますか、思い出の曲となってしまったのか演奏されませんでしたが、よりによって(?)おっぱいと付いてしまうこのライブで15年ぶりに演奏されてしまいました。

後にやさしい夜遊びで演奏されたこともありますが、ライブでは2003年の流石だツアーのメドレーコーナーでのみの演奏となっていますね。これは同じく03年に発売されたDVD「Inside Outside U・M・I」にも選曲されていた影響があったのかと思いますが。

 

わすれじのレイド・バック

演奏されたのは、サザンのライブでは発売直前の80年ニャーニャーニャーツアーのみの演奏でしたが、「JAPAN JAM2」でも選曲されていますね。…とここまで書いていて思ったのですが、FIVE ROCK SHOWのシングル5枚のうちの3曲はこのライブで演奏されているのですねえ…。まあいなせなロコモーションさんがFIVE ROCK SHOWライブ担当となっていますからね…(?)。

素顔で踊らせてと同じく2003年流石だツアーのメドレーコーナーでしかもラストを飾る曲として再び登場し、サザンとファン一体となった合唱が印象に残る曲となりました。その後も大感謝祭で演奏して欲しい曲のランキングにも16位に入るなど、おっぱいさんの功績(?)は大きかったのではないのでしょうか。

 

・BLUE HEAVEN

当時の最新曲と言うこともあり、このライブが初演奏の場でもありました。

意外にも翌年の渚園、この曲も収録されたアルバム「さくら」の99年ライブツアーセオーノでは演奏されず、1999年「’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」やゴン太君、海の日、ひつじとファンクラブ限定ライブや年越しライブのみで演奏されています。もしかするとマニアックソングたちの雰囲気と同化してしまったのかも知れません(?)(秋の発売だったのも影響しているのかも知れませんが)。

 

・ジャズマン(JAZZ MAN)

なんとなんと1980年に発売されたこの曲、発売17年目にしてこのライブが初演奏となりました。

しかもこのライブ以降再び演奏されること無く20年が経とうとしていますね…。このライブで演奏された最もレアな曲はもちろんこの曲になりますでしょう。

いつかまたもう一度演奏して欲しいですねえ…。

 

・Hey!Ryudo!

1980年のニャーニャーニャーツアー以来…って何度も書いていますがこのライブかなり後にレア扱いとなる曲多いですよね…。大森さんボーカルの「LOVE SICK CHICKEN」とか大感謝祭で28年ぶりに演奏されることとなる「働けロック・バンド(Workin' for T.V.)」とか…。

公式のセットリストのニャーニャーニャーセットリストを見ますと、この曲の演奏が「Spectrum」となっているので、もしかするとライブでサザンのメンバーが演奏するのは実は初になるのでしょうか…(テレビやラジオを除いて)。

 

・我らパープー仲間

この曲も81年のおうかがいのみ1度だけの演奏になっていますね。PAAPOOとツアー名に入っている金魚ではセットリストに入っていないのですねえ…(歌っている公演もありそうですが)。

ジャズマンからこの曲までの3曲、おっぱい以降は演奏されていないのですね…。ここの3曲いつか見てみたいですねえ…(このライブの一部しか、しかも昔動画サイトでしか見たことがないのにこんな駄文書いてしまって申し訳ございません…)。

 

・シャ・ラ・ラ

ゆく年、おうかがい、そしてビデオ版を含めまして金魚と81~82年に演奏されて以降のライブでは演奏されずと何となく「素顔で踊らせて」と同じく思い出の曲というような近い扱いとなっている感がありますね。

その後は流石だツアーのメドレー内とひつじ、そしてソロライブの「Xmas LIVE in 札幌」「年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会」でも原さん登場で演奏されるなど、ちょこちょこ選曲されていますね。

 

・世界の屋根を撃つ雨のリズム

「BLUE HEAVEN」のB面ということで発売後すぐのこのライブで初演奏となりましたが、「ジャズマン(JAZZ MAN)」と同じくこのライブ1度のみの演奏となっていますね…。

噂ではアルバム「さくら」に収録される予定もCDの収録時間の関係でカットされてしまったようで、これが無ければセオーノで演奏された可能性が上がっていたかも知れませんね。

 

・おいしいね~傑作物語

A面曲の「みんなのうた」がライブ大定番曲となっていますが、B面だったこの曲は1988年「真夏の夜の夢 1988大復活祭」でのみ演奏だったため9年ぶりのご登場となりました。しかしほぼヒット曲といいますか、レアな曲で構成されたこのライブでこの曲を歌うとは…産業ロックの陽を沈めようとしたのでしょうか…(?)。

その後は2016年のおいしい葡萄の旅で19年ぶりに演奏されました。一部ではライブツアー名に「おいしい」とあるためこの曲が演奏されるのでは…という噂があったとか無かったとか…。

 

・開きっ放しのマシュルーム

披露されていたのは1984年「熱帯絶命ツアー夏”出席とります”」と大衆音楽とアルバム「人気者で行こう」ライブツアーの2回で、人気者の必須アイテムの1つである(?)おっぱいと名の付くこのライブで久し振りに開きました(?)。

その後は春の人気者さくらに擬態し(?)99年のセオーノで演奏されたのみとなっています。(このブログやツイッターでこの曲を無駄に弄っている気がしますね…。まあ好きの裏返しですよ(?)。)

 

・BOON BOON BOON~OUR LOVE[MEDLEY]

過去演奏されたのはアルバム「世に万葉の花が咲くなり」のツアーでもあった歌う日本シリーズの1度のみでした。5年ぶりとそこまで間がなく演奏されましたが、流石におっぱいの上でコブラを踊らせたのはまずかったのか(?)、その後は演奏されずに終わっています。

同じ9月発売のアルバム1曲目仲間でこのライブが2度目の演奏となっていた「Computer Children」さんとはその後の明暗が分かれてしまいましたね…。

 

・怪物君の空

KAMAKURAライブ、1991年「闘魂!ブラティ・ファイト」、歌う日本シリーズ、しじみ、牛の5度演奏されており、これらすべてのライブで終盤の煽りコーナーに選曲されているというのも案外珍しいのではないのでしょうか。その後はしばらく選曲からは漏れていましたが、17年ぶりにひつじで演奏されました。同じKAMAKURA仲間の「Computer Children」さんと同じく年越しライブでの出現率が高い1曲ですね。

 

・01MESSENGER~電子狂の詩~

97年の夏に発売されたシングル曲と言うこともありこのライブが初演奏となりました。翌年の渚園、そしてセオーノと3連続で演奏されていますが、イントロがシングル版なのはもしかしてこのライブだけになるのでしょうか…?(察して下さい)。その後はおいしい葡萄の旅で演奏されるまで16年封印状態となってしまいました。

 

・汚れた台所

万座ビーチ、牛と3回連続での演奏となり、これだけ見ますと定番感が出ていますね(?)。流石アンコール1曲目に選曲されるだけありますね(?)。その後もセオーノ、海の日ライブ、そして「ROCK IN JAPAN FES. 2005」というフェスにもロックナンバー代表として(?)出演しており、年越し、野外、フェス、ファンクラブ限定の4つを制覇した(?)楽曲でもありますね。

 

・Happy Birthday

KAMAKURAライブ、90年「歌うサザンに福来たる」、牛の3度、このライブの後には晴れ着のメドレーコーナーで演奏され、その16年後おいしい葡萄の旅で初めて春から夏に誕生日を迎えたファンに向けて歌われました(KAMAKURAライブは9~10月、年越しライブはもちろん年末年始になるので)。

しかし「KAMAKURA」曲の年越しライブ登場率意外と高めな気がしますね…。だからこそおいしい葡萄の旅のKAMAKURA率は珍しい…と今更ながらに。

 

・LOVE AFFAIR~秘密のデート

年明けの98年2月に発売予定だったシングル曲でしたが、フライングで(?)ライブに登場してしまいました。このライブを皮切りに渚園、セオーノ、晴れ着、2000年「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」、ゴン太君、暮れ、2005年「みんなが好きです」、大感謝祭2013年「灼熱のマンピー!!G★スポット解禁!!」、ひつじ、とちゃんと書いてしまうと大変なことになってしまう数ですね…(ソロでも宮城ライブで演奏していますね)。今から見れば当然のように見えてしまいますが、当時は後にここまでライブ大定番曲になると思っていた方はどの位いたのでしょうか…。

 

ラチエン通りのシスター

ライブのラスト曲となった「ラチエン通りのシスター」、過去には80年のゆく年1度しか演奏されていませんでした。しかしこのライブ以降は演奏されるようになり、茅ヶ崎ライブの頃に公式サイトで行なわれた茅ヶ崎ライブで演奏して欲しい曲の18位に入り、その茅ヶ崎ライブ、海の日ライブ、大感謝祭、マンピーと主に大きいライブで選曲されるようになりました。しかしこのライブ、テレビで生放送されていましたが、この曲を演奏する前に放送は終わってしまいました。もしかすると最後がラチエンと知る→放送されなかったので聴く、改めて好きになる→リクエストが増える(妄想ですよ)、とそれが逆にこの曲の良さを広めるきっかけになったのかも知れませんね(?)。

 

 

さて27曲余計なコメント付きで雑にまとめてみました。

このライブ以降定番とは言わないまでもよく演奏されるようになったのは、「ラチエン通りのシスター」(4回)、「Computer Children」(4回)、「シャ・ラ・ラ」(サザン2回、ソロ2回)あたりになりますでしょうか…。

そして気が付いてしまったのですが、1995年の「ホタル・カリフォルニア」とこの「おっぱいなんてプー」で1曲も選曲が被っていないのですね。サザンのライブ的表と裏になるのでしょうか…。

そういえば8~9割書いた後に某Wikiの方を何となくチェックしていましたら、割と「この曲は~で演奏された」とか「~ぶりに演奏された」と記載されている曲がありまして、そっちを見れば解決するじゃないのよ…となりましたがもう手遅れでした(特にTarakoあたりは編集者が乗り移ったのかと思いました(?))。一応パクリでは無いのでどうかお許しを…。でも多分Wikiの方がちゃんとしているのでせめて劣化コピーということにしておいて下さい(?)

あとこんなに「おっぱい」と書いたのは初めてでした。まあ今後恐らくこんなことは無いでしょう。

…という締めが思い付かなかったことがバレてしまう締め。

 

 

あとがきのようなもの

サザンとは曲数の差がありますが、そろそろ桑田さんソロでもこういう選曲のライブ見てみたいですね…(もちろんサザンでもまた見たいですが)。

 

勝手にシンドバッドといとしのエリーの両方を演奏しなかったサザンのライブを雑にまとめてみた

先日、「「勝手にシンドバッド」と「いとしのエリー」という初期の初期であるこの2曲の両方を演奏したことの無いライブはいくつあったのだろうか…」とふと思ってしまったので(いつもこういう書き方をしてますけど、実際そんなことばかり考えているダメな人なのです…)、またまた調べてしまいました。…まあ思いっきり一番最近のサザンのライブのセットリストはそうだったのですけどね…(ネタバレというほどでもない余計な一言)。

 

SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー’83

初めてこの2曲を演奏しなかったのはこのライブでした。と言いましても「ステレオ太陽族」(1981年)以前の曲は1曲も選曲されていないのですよね…。アルバム「綺麗」のライブツアーで「綺麗」というアルバムがサウンドにコンピューターを本格的に使い始めた作品と言うこともあり、ライブにおいても「新しいサザン」を模索していた時期、なのかも知れません。

もしくはツアーが始まる前の夏に他アーティスト(と書くと桑田さんに一言言われてしまいそうですね)とのジョイントライブ・フェスを行なっておりその模様が「たいした夏」という写真集に収められており、セットリストもすべて(サザン部分のみ)記載されているのですが、ここではすべてでシンドバッド、時々エリーを演奏していまして、そこからのたいした発表会なのにこの2曲を演奏せず、私は騙された!!…というネタが浮かんでしまったので書いてしまった蛇足な文でした(ごめんなさい)。

余談ですが、とある会場では盛り上がってしまったため、シンドバッドを(恐らく追加で)演奏したという一文を見たことがあるので、完全にすべての人を騙せたわけではないようです(?)。

 

・熱帯絶命ツアー夏”出席とります”

残念ながら84年の夏はあのシンドバッドさんとエリーさん2人とも欠席となってしまいました。

このライブではさらに83年以前の曲は2曲のみの選曲になるなど(Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)(81年)とOh!クラウディア(82年))、更にシンドバッドもエリーも遠くになりけり…ともしかすると当時のサザンがこの2曲を使わずに人気者でいけるのかという試行錯誤の時期だったのかも知れません(?)。

ちなみにこのツアー終了後には「桑田佳祐オールナイトニッポン」でラジオライブ「ライブat鐘つき堂」というものがありまして、こちらではちゃっかりと(?)2曲とも出席しています。こう見ますとライブではニューサザンを押し出しつつ、ラジオなど不特定多数が触れるような所では「いつも(もしくはかつて、になりますでしょうか)のサザン」とバランスを取ろうとしていたのかも知れません。

 

・大衆音楽取締法違反”やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで

82年までの曲は6曲選曲されるなど、前回よりも増えてはいますが、大衆音楽取締法に違反していたのか(?)3連続で2曲とも演奏されませんでした。

こうしてみますと、現在ではセットで演奏されることが多い「ボディ・スペシャルⅡ」が登場してからシンドバッドが(83年フェス以外では)選曲されていないので、代役といっては失礼ですが、この2年で80年代のシンドバッドへ(もしくは新たな定番煽り曲として)育っていったと言えるのかも知れません。といいましてもこのツアーの間に行なわれた年越しライブ「縁ギもんで行こう」ではシンドバッド解禁+ボディスペさんとの共演を果たしているのですが…。

今思えば、後のライブ定番曲封印発言の頃よりちゃんと(?)封印している…と言ってはあれですが、ツアーで封印、ラジオや年越しなどのイベント的ライブでは披露、とうまくバランスを取っている気がします。

 

・牛

何と大衆音楽取締法違反ツアー以来約12年ぶりに2曲ともに選曲されないライブとなりました。つまりそれまでの年越しライブではどちらか(といいますかシンドバッドは縁ギもん~しじみまでのすべての年越しライブで選曲されていましたが)は演奏されていたと言うことなのですね。

定番曲も多少は演奏されてはいますが、お久しぶりな曲中心の所謂レア寄りな選曲がされていたこともあり、大定番であり、メジャー曲のトップでもあるこの2曲は当然ながら外れてしまっていますね。

2曲とも98年の野外ライブ「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」まで演奏されることがありませんでした(正確には新宿日清パワーステーションのファイナル・イベントである「FINAL COUNTDOWN “来ればわかる!”」では出演者全員という形で渚園よりも前に歌ってはいますが)。

 

・おっぱいなんてプー

前年の年越しライブ「牛」以上に濃厚なセットリスト(最近この選曲が所謂マニアックだったのか分からなくなってしまったひとり愚かなピエロの私)になってしまったことにより、多分そういうコンセプトになった時点で選曲される可能性はほぼ無くなってしまったのでしょうが…。

ちなみにこのライブで久しぶりに演奏されたエリーさんの同級生である「ラチエン通りのシスター」(発売日を見て学年が変わるやろ、というツッコミがありますでしょうが見逃してください(?))はこのライブ以降ちょこちょこ演奏されるようになり、サザンのライブに限定すればエリー6回、ラチエン4回とエリーさんの代役ポジションに…と書こうと思ったら、何とラチエンさんが選曲されるときには必ずエリーさんも選曲されているではありませんか…(過去のゆく年くる年もそうでしたね)。つまりエリー不在で同級生として(?)代役を務めたのはこの1度切りだったのでした(ということはまさかバータ…(以下自重+ラチエンさんに大失礼))。

 

・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~

渚園のビデオ(DVD)での定番曲封印発言後初のライブと言うこともあり、歌うことはありませんでした。ただ「おっぱいなんてプー」のように完全に定番曲を演奏しなかったわけでは無く「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」や「みんなのうた」「マンピーのG★SPOT」などは選曲されていますが。

こうしてみますと特にマンピーは(「牛」を含め)かつてのボディスペのようにシンドバッドの代打的ポジションになっているように思いますね。2000年の「茅ヶ崎ライブ」で本編ラスト曲となって以降はシンドバッドと同じく3回本編ラスト曲になっているため、偶然かも知れませんがよりそんな感じがしますね。

このサザン初のドームツアーに連れて行ってもらえなかったせいか(?)、その後2005年のツアー「みんなが好きです」でシンドバッドが演奏されたのみで、エリーに至っては1度もドーム公演を果たしてないのですね…。

 

・暮れのサナカ

セオーノから約5年ぶりに選曲されないライブが開催されました。同時に1999年の「歌舞伎町ライブ」から再び続いていたシンドバッドのライブ連続演奏記録が途切れたライブともなりました。

そもそも「暮れのサナカ」というライブが「牛」や「おっぱいなんてプー」とはまた違った珍しい部類のライブだったことも影響していたのかも知れません。もちろん定番曲も何曲か演奏しているのですが、マンピーで恒例のヅラを被らず歌ったり(「牛」もそうでしたが)、ラスト曲がバラードでは無く「みんなのうた」、序盤に大人な雰囲気のバラードコーナーがあったり、更に撮り下ろしの映像とカバーを含む横浜にちなんだ曲メドレーを合体された「横浜探偵物語」など目白押しでしたね。

…まさか色々詰め込みすぎて入れるのを単に忘れていただけなのかも…(そんな訳ない)。

 

・おいしい葡萄の旅

さあ冒頭に書きました1番最近のライブで同時に2曲を演奏しなかったライブはこれですよー。

36曲と2曲を演奏しなかったライブとしては最多でしたが、アルバム「葡萄」のツアーだったため葡萄収録曲は勿論ですが、途中にKAMAKURA、海のYeah!!コーナーといっていいようなところがあったり、桑田さん曰くいらない曲のコーナー(裏サザンとも)と「暮れのサナカ」にも負けていないくらい詰め込まれていたので、やる暇が無かったのでしょう(?)。もしくはボディスペ→マンピーとくれば最後は…と思ったらマンピーさんラストで本編を締めていたので、表と裏のサザンのバランスを取った結果だったのかも知れません。

しかしエリーさんは本当にドーム運が無いですね…。

 

はーい。そんな訳でまとめてみました。結局シンドバッド・エリーを共にやらなかったのは8回でしたね。…そもそも殆どのライブでシンドバッドが演奏されているので、シンドバッドを演奏していないライブで調べるのとほぼイコールになるのですが…。エリーを演奏してシンドバッドカットの方が逆に珍しかったですね。サザンオールスターズがやってくるニャーニャーニャー・愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOOツアー’82(公式サイトのライブデータではそうなっていますが、ライブビデオ「武道館コンサート」では歌っている)・青年サザンのふらちな社会学(ツアーの最初の方では演奏されていないっぽい)とありますが、実質ニャーニャーニャーの1回になるのでしょうか。

改めて「勝手にシンドバッド」は凄いなと思いました(勿論「いとしのエリー」も)(あまりにもお粗末な締め)。

 

おまけ

その2曲が演奏されなかったライブで逆に1番演奏されている曲を調べてみました。

5回

匂艶THE NIGHT CLUB、マチルダBABY、ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

4回

Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)、ボディ・スペシャルⅡ、赤い炎の女、開きっ放しのマシュルーム、メリケン情緒は涙のカラー、TarakoマンピーのG★SPOT

 

やはり「人気者で行こう」のスタジアム・全国ツアーがあったこともあり、この辺りの曲が多かったですね。基本的に盛り上がるタイプの曲が多く、シンドバッドのお休みの際に我こそが煽り曲ポジションを…という気持ちがあるのかもしれませんね(?)。

ちなみにですが、「開きっ放しのマシュルーム」はこの4回がライブで演奏された回数とイコールになるので、1度もシンドバッドとエリーのどちらの曲とも共演したことが無いのですね…。以前ツイッターにて「開きっ放しのマシュルームさんは、1985年に実刑判決を受け、おっぱいなんてプーでようやく12年ぶりに娑婆に出て、その後さりげなくセオーノで春の逢瀬を楽しんでいる姿を目撃された以降は隠居しているのでは…という謎の物語が出来そう(?)」というライブ演奏を絡めたネタツイートをしたことがあるのですが、これに付け足すとすれば大衆音楽取締法違反とはシンドバッドとエリーとの共演を熱望しすぎて、反旗を翻してしまったのが引っかかったのかも知れませんね(?)。ということはおっぱいなんてプーの頃は仮釈放だった…?、という余計な妄想が始まってしまいましたね(どうでもいい定期)。

 

 

あとがきのようなもの

6月はサザンのデビューがありますので、ここもサザン強化月間として(?)週1回…いや10日に1本書けたらいいなと思います(多分無理)。