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2000年「茅ヶ崎ライブ」のセットリストを今更雑に見てみる

サザンオールスターズの個人的リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第8弾でございます。今回は2000年の「茅ヶ崎ライブ」のセットリストを振り返って見ようと思います。

製品化発表のタイミングよりも遅く、Netflix配信・製品版発売よりも早い、という半端なタイミングで敢えて2000年を振り返るという私らしい(?)ズレかたで行きたいと思います。


例によっていくつかのブロックに分けて書いていこうと思います。


1.希望の轍

2.いなせなロコモーション

3.みんなのうた


1曲目は事前にイニシャル「K」で始まる曲、という予告があり、その「K=希望の轍」、というスタートでしたね。もちろん当時を知らないので何ともですが、やはり「K=勝手にシンドバッド」という予想が多かったのでしょうか…?私だったらきっと「恋するマンスリー・デイ」辺りを出して周囲を煙に巻いていたことでしょう(?)(蛇足文&厄介)。

前に別な雑文にも書きましたが、ライブ定番曲の希望の轍から茅ヶ崎ライブ1曲目、そしてこの次のライブである年越しライブ「ゴン太君のつどい」で年越し曲であり、世紀を跨ぐ曲という役割を果たしたこの時期以降扱いといいますか、1つまた違うステージに向かった感じがあるのですね…。

いなせなロコモーション」~「みんなのうた」は1995年の夏ライブ「ホタル・カリフォルニア」で「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の後、サザンとしての実質1〜2曲の流れを踏襲した感じになりますでしょうか(流れとしては大復活祭の煽りコーナー内でこの並びがありましたが)。ちなみに「この青い空、みどり〜BLUE IN GREEN〜」のレコード盤に収録されています。いなせなロコモーションをよく聴きますと(イヤホンだからでしょうか…)、最初の方で客席の女の人らしき歌声がよく聞こえます…w


4.茅ヶ崎に背を向けて

5.YOU

6.海

7.涙のキッス

8.夏をあきらめて

9.C調言葉に御用心

10.チャコの海岸物語

11.思い過ごしも恋のうち

12.気分しだいで責めないで

13.勝手にシンドバッド


MC明けは「茅ヶ崎に背を向けて」からスタートしました。背を向けて、というよりも「平塚」や「小田原」を織り込んだ替え歌というただいまなご当地ソングという感じになりましたね。前年の1999年に「シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」で19年ぶりに披露されてから晴れ着DEポン、この茅ヶ崎ライブと3回連続で披露されるということになりました。この続き方はもちろん構成の関係もありますが、茅ヶ崎ライブと世紀末感、原点回帰がうまく重なった感じがありますね。

5曲目の「YOU」から8曲目の「夏をあきらめて」までの流れですが、偶然にもこのライブ以降の茅ヶ崎公演でも結果的には踏襲されたといいますか、このライブでは「海」が演奏されている「YOU」の次で「涙のキッス」の前の曲以外は流れが同じなのですよね(2013年「SUPER SUMMER LIVE 2013「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」」はこのポジションに「愛する女性とのすれ違い」、2023年の茅ヶ崎ライブでは「My Foreplay Music」、最も2013年は最初の日産後援では愛する女性とのすれ違いと涙のキッスの演奏順が逆だったので、完全に偶然なのでしょうが…)。

ちなみに「夏をあきらめて」から「勝手にシンドバッド」までは現在の公式サイトには記載がありませんが、メドレーという扱いになっているのですよね。

ここで「勝手にシンドバッド」が演奏されました。流れからもうこれしかない、といったところですが、中盤に披露されるというのはかなり珍しい、といいますかこれが唯一ではあるのですよね。1曲目のK予想からも終盤の煽りからも敢えて外した感じがあるのですよね。これはもちろん所謂いつものサザンの煽りパターンを崩したい、というのはあったと思いますし(後で触れますが、セットリストは基本渚園がベースという感じがありますし…)、100%演奏するであろうこの曲をここで演奏したことで、始めてサザンのライブに触れた人にも、ライブ慣れしている人にもこの先何が待っているか分からない、というある種のわくわく感を持たせる絶妙なポジションにいたのではないのでしょうか。

それまでの披露のパターンとして多かった、ハンドマイクスタイルでの桑田さん煽りシンドバッドではなく、ギター+スタンドマイクスタイルのサザンというバンドとしての披露というのが、茅ヶ崎という地に戻ってきたシンドバッドとしては正しい姿だったのかも知れません。


14.鎌倉物語

15.NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH

16.爆笑アイランド

17.イエローマン~星の王子様~

18.虫歯のブルース~インディアン狂想曲[MEDLEY]

19.通りゃんせ

20.愛の言霊~Spiritual Message


MCを挟んで原さん曲からこのブロックはスタートしましたね。茅ヶ崎ライブで原坊曲となるとやはり「鎌倉物語」になりますよね。2回目以降茅ヶ崎ライブではセットリストの候補からはずらすとは思っていたので、その後の選曲もこの2000年の選曲も納得してしまいますね。

ここまでの所謂「イメージのサザン」といえますポップな曲が続いていましたが、その空気を壊す(変える)かのように降臨されました「NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH」大先輩でございます。その後「爆笑アイランド」「イエローマン~星の王子様~」と続く流れは渚園での「CRY 哀 CRY~Computer Children~01MESSENGER〜電子狂の詩〜」の流れを踏襲しているのは想像に難しくないのですが、どこか渚園の流れよりもマイルドになっている感はありますね。もちろんサザンの一面といいますか、1つの「顔」を見せる選曲だと思うのですが、ただアルバム「さくら」からの選曲(アルバム発売後のシングルではありますが路線としてはイエローマンもさくらサウンドではあると思いますので…)というのが、よく歌舞伎町で初期の曲を披露した原点回帰がTSUNAMIに繋がったという話がある中で、もちろんそれも1つの要素ではあるかと思いますが、それだけではなくさくらがあってこそ、TSUNAMIが生まれ、このライブも開催されたというのもまた外せない要素であり歴史である、というのを示したところがあったように思うのですよね(TSUNAMIサウンドはさくらサウンドだと思いますし…)。

さくらコーナーの後、茅ヶ崎ライブとのその狭間にある意味で最もある曲達である、2000年シングルB面コンビの「虫歯のブルース〜インディアン狂想曲[MEDLEY]」「通りゃんせ」が連続で登場しましたね。

そして「愛の言霊〜Spiritual Messenge」、通りゃんせからの流れもあったかと思いますが、由比ヶ浜や鎌倉という周辺を歌うある種のご当地ソングであるのと同時にサザン流「和」、茅ヶ崎だけでなく湿気の多い日本の夏をサウンドに載せたようなこれもまたサザンの別な一面を見せるというのもまたこのコーナーだからこそ出来た感じでしょうか。

鎌倉物語を除けば、1996~2000年の曲が続く流れでもありましたし、マンピー以降のサザン3期の活動総括にもなっていた感がありますね。


21.メロディ(Melody)

22.冷たい夏

23.SEA SIDE WOMAN BLUES

24.ラチエン通りのシスター

25.真夏の果実

26.TSUNAMI


ここからはアコースティック編成での演奏が「ラチエン通りシスター」まで続きますね。一見するとこの辺りはサザンのバラードコーナーではありますが、「メロディ(Melody)」は音楽祭以来9年ぶり、「冷たい夏」と「SEA SIDE WOMAN BLUES」がライブ初演奏と実は珍しい曲が続いたコーナーではあったのですよね。

ここで触れなくてはいけないのはやはり冷たい夏になりますでしょうか。発売から9年後(こう見ますとメロディの間の時期とほぼ同じなのですね、この並びは多少そういう意識があったりしたのでしょうか(なさそうですが))に初演奏となりました。当時の茅ヶ崎ライブ特設サイトではこのライブで聴きたい曲のランキングがあったのですが、この曲は20位にランクイン(ランキングになっていた20曲中13曲がこのライブで披露されています)しており、演奏を待望されていた1曲でもあったのですよね。

このライブでの披露以降、何度かセットリストの候補に挙がってはいるようですが未だ演奏はありません。候補に挙がっていると言うことはいつかは…ということはあるのかもしれませんが、所謂隠れた名曲と呼ばれていたこの曲が2024年1月現在ライブでたった一度演奏されたのが、最も注目を集めていた2000年の茅ヶ崎ライブ…というのはある種の美しさを感じてしまうのですよね…。

「SEA SIDE WOMAN BLUES」はこの曲結構好きなんです…という一言で始まりますが、桑田さん、この曲を演奏する度に好きな曲、と前置きしてから演奏をスタートするので、もはや曲に付く枕のような一言になっていますね。

アコースティックコーナーが終わり、続いて歌われるのが「真夏の果実」そして「TSUNAMI」…。何と申しましょうか…。真夏の果実は「強い」曲ではないですか…。その強いパワーを持った曲を唯一凌駕した瞬間といいますか、ある意味でTSUNAMIの前座的な感じを受けてしまうのは、あの2000年のTSUNAMIというのはやはりとんでもないエネルギーがあったと思うのですよね。そのエネルギーといいますか待望されていた曲が始まったあの瞬間に生まれたパワーは凄まじかったのかしら…と。

2008年「真夏の大感謝祭」でも連続で披露されていましたが、あの時は「いとしのエリー」を含めた3曲の個々の強さ+総合力が合わさった強さといった感じでしたし、それぞれでやはり特別なライブだったのね…と。


27.HOTEL PACIFIC

28.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

29.マチルダBABY

30.フリフリ'65

31.ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)

32.マンピーのG★SPOT


煽りコーナーは茅ヶ崎ライブの為に作られた「HOTEL PACIFIC」から始まりました。TSUNAMIからの2000年リリース曲の流れとなっていますね。そして「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」で本格的にスイッチが入る、といった感じでしょうか。2曲目or煽りというイメージのミスブラさんですが、2013年・2023年と茅ヶ崎でのライブでは全て煽りコーナーでのご登場となっていますね。

ミスブラさんとマチルダさんの順番が逆、「フリフリ’65」と「勝手にシンドバッド」が違うだけで、渚園の煽りと同じ曲になるのですよね。その年のシングルA面×2からの煽りコーナー、という流れまで同じですね。前述しましたが、渚園がベースとなっているのは間違いないと思うのですよね。それが所謂イメージのサザン的であり、同時に90年代のサザンのライブの姿であった、ということになるのかしらと…。ただそこに変化を加えて+さくらと2000年曲を含めることで、渚園とはまた違った総括であり、20世紀最後の夏を飾るイベント(ライブ)に相応しい内容になったのかしら…と。

シンドバッド先輩が中盤で早々に出番を終えてしまったので、本編ラストは「マンピーのG★SPOT」師匠を務めました。このライブ以降本編ラストを任されることが多くなったマンピー師匠でございますが、その最初が茅ヶ崎ライブというのもまた意味を持つ気がするのですよね…。以前にも書いたかと思いますが、このライブからマンピーの立ち位置が変わったといいますか、希望の轍マンピーのG★SPOTという曲の扱い方が変わり始めた瞬間でもあり、その後の21世紀のサザンのライブに繋がる瞬間でもあったのかしら…と。


En1.LOVE AFFAIR~秘密のデート

En2.夕方Hold On Me

En3.いとしのエリー

En4.心を込めて花束を


アンコールでございます。「LOVE AFFAIR〜秘密のデート」・「夕方Hold On Me」と所謂アンコール定番曲が続きました。LOVE AFFAIRはアンコールだけではなく定番曲として現在まで定着していますが、ここで新旧アンコール定番曲の世代交代が行われた感じでしょうか。実際にこのライブ以降サザンのライブでは2度(大感謝祭・2020年年越しライブ「ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」」)の披露と90年代の登場率を見ますとそんな感じがしてしまうのですよね…。

そして「いとしのエリー」…もはや言葉はいりませんね。

ラストは「心を込めて花束を」。そのタイトルは茅ヶ崎ライブに関わった方々全てにそのまま送る言葉なのでしょうね…。CD版で聴きますと弘さんのコーラスが大きめに聞こえているのが、良いといいますか声の調子があまり良くなかったように聞こえる桑田さんをカバーしているようなコーラスがとても印象に残っているのですよね。それと原曲とは違いバンドサウンドで披露されているというのがまた違った印象を受けるといいますか、そういったある種別なアレンジといえますバージョンをCDに残して貰えたというのはありがたいことね…と(「Bye Bye My Love(U are the one)」のB面に収録されている「Dear John」のライブバンドサウンド版と同じような感じでしょうか)。

「若さにまさせて家を出た時」は茅ヶ崎に背を向けて感がありますし、その旅立ちは「夢をのせて走る車道(希望の轍)」に、そして主人公の「僕」はTSUNAMIの主人公と同じ一人称という何となく全てが繋がってのラスト曲であるこの曲になった感がありますし、茅ヶ崎ライブのラストに相応しい曲だった、ということだったのでしょうか…。

 


さて雑に振り返ってまいりました。改めて見ていきますと、渚園以上に求められている、もしくはイメージのサザンをやりつつもどこまで過去のライブとの差別化や自分たちが見せたい今のサザンをやるか、ということへの苦悩といいますか、一方でどこまで喜んでもらえるか、をきっと悩んだのだろう…と感じてしまったといいますか…。

結果的にこのライブを最後に大森さんは脱退してしまいますし、6人サザンの総括、極端に言ってしまえば6人サザンとしての解散ライブという部分もどこか見え隠れする、一見すると王道に見えて、深く見ようとすればするほど実はそうではない側面が見えてくる、ライブ開催の背景や当時の空気感も含めて不思議なセットリストだったのでは…と思ってしまったのでした。