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1999年年越しライブ「晴れ着DEポン」のセットリストを今更雑に見てみる

リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第3弾でございます。今回は1999年の年越しライブ「晴れ着DEポン」を振り返って見ようと思います。

例によっていくつかのブロックに分け書いていこうと思います。


1.女呼んでブギ

2.My Foreplay Music

3.太陽は罪な奴


1曲目は「女呼んでブギ」でした。1996年の年越しライブ「牛」以来の1曲目でもありましたね。前回のライブとなります、「シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」では2曲目ではありましたが、1曲目は「私の世紀末カルテ」でしたから、バントスタイルとしての1曲目と考えますと、今回の晴れ着DEポンというライブがある程度歌舞伎町ライブの内容をなぞったものになるという示唆的なものがありますし、同時に1999年と2000年を跨ぐライブのスタートをアマチュア時代に作った曲で始める、というのも1900年代の総括とも見えるように感じますね。

3曲目であり年越し曲ともなったのは「太陽は罪な奴」でしたが、所謂ザ・夏というイメージのある曲で年越しというのも珍しいですね(勝手にシンドバッドみんなのうたマンピーのG★SPOTなどは夏を漂わせつつもライブに於いてはあまり四季を問わない感じがありまして…)。この曲も何となく2000年意識といいますか、今後のサザンがさくら路線から世間が求めるサザンに戻るというメッセージだったり、翌年の「TSUNAMI」の大ヒットや「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」の開催などサザン一色となる「太陽(サザン)は罪な奴」というある種の予言、もしくは結果的に太陽が自分達を指すアイコンになったのでは…と今から見ますと感じてしまいますね。

…えっ、2000年問題のあれですか…?まあそれは置いておきましょう(?)。


4.茅ヶ崎に背を向けて

5.当って砕けろ

6.朝方ムーンライト

7.愛する女性とのすれ違い

8.あっという間の夢のTONIGHT

9.死体置場でロマンスを

10.Ya Ya(あの時代を忘れない)


ここは9曲目に「死体置場でロマンスを」が入ってはいますが、それ以外の曲は実質歌舞伎町ライブの前半を再現するコーナーになりましたね。2日間のライブハウス公演という見る人が限られたファンクラブ限定ライブの雰囲気を少しでもここで…というのもあったのかと思いますが、前奏アレンジが付けられるなど、全く同じにしない、というのがサザンらしいように思います。

役割は全て異なりますが、4曲目の「茅ヶ崎に背を向けて」は結果的に翌年の茅ヶ崎ライブにも繋がる大きな1曲となりましたね。何と申しましょうか…大まかに歌舞伎町ライブ-TSUNAMI茅ヶ崎ライブと1本の線が引けると思うのですが、その1本を支える柱の役割を担った感じがあるのですよね。

死体置場でロマンスを、は2番の歌詞が毛ガニさんのホラ話ネタに替え歌されていますが、その後のライブでも毛ガニさんネタの替え歌が挿入されるようになり、そのアレンジの始まりともなりましたね。

コーナーのラストは「Ya Ya(あの時代を忘れない)」。歌舞伎町ライブのように曲だけでなく唇型の風船を掲げる方がいなくて良かったですね(?)。


11.ミレニアムメドレー

 せつない胸に風が吹いてた

C調言葉に御用心

~Bye Bye My Love (U are the one)

~Happy Birthday

~君だけに夢をもう一度

~マチルダBABY

ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

~爆笑アイランド

チャコの海岸物語

~そんなヒロシに騙されて

~松田の子守唄

涙のキッス

~あなただけを~Summer Heartbreak~

~LOVE AFFAIR~秘密のデート

~THE END〔THE BEATLES

希望の轍

思い過ごしも恋のうち

いなせなロコモーション


このライブ最大の目玉になったのはやはりこのメドレーコーナーになりますでしょうか。これ以降2003年の「SUMMER LIVE 2003「流石(SASが)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~」、2008年の「真夏の大感謝祭」とメドレーコーナーが設けられましたが、この2つが1978~1985年という所謂初期サザンからの選曲だったのに対し、キャリア全てからの選曲とまさにミレニアムメドレーという名に相応しい豪華さとなっております。

「せつない胸に風が吹いてた」から始まりますが、この曲で始めるのが意外な気もしますが、15年、20年、30年、40年と周年ライブでの演奏率が高いこともありますし、お気に入りなのかこういった節目で使いやすい曲としてメドレーの頭に持ってきたのかも知れませんね。

メドレーの中でもコーナー、と言いますか色分けされているようなところをいくつか感じまして、「Bye Bye My Love (U are the one)」~「爆笑アイランド」はデジタル色の強い構成ですね。ギター+スタンドマイクスタイルの「マチルダBABY」はレアですね。放送・映像化されたライブテイクでは唯一ではないのでしょうか。

チャコの海岸物語」~「そんなヒロシに騙されて」~「松田の子守唄」の流れはチャコのB面が「翔(SHOW)~鼓動のプレゼント」だったことを考えますと実質松田弘メドレーと言えるのではないのでしょうか(?)。もっとやってください(?)。

涙のキッス」~「LOVE AFFAIR~秘密のデート」の3曲は90年代を代表するサザンポップスメドレーといったところでしょうか。90年代最後のライブだったと考えますと結果的にサザンの90年代の総括を担った選曲のように感じます。少し飛びますが、ラストの「思い過ごしも恋のうち」~「いなせなロコモーション」という歌舞伎町ライブの中盤と同じ曲の流れを持ってきたところも尚更そう感じさせられますね。またある種大感謝祭でのいとしのエリー真夏の果実TSUNAMIという3曲の流れの原型になったような気がしますね。

1991年「闘魂!ブラディ・ファイト」でのサザンビートルズ合体メドレーに続きメドレーで起用されている「希望の轍」ですが、翌年の茅ヶ崎ライブの1曲目から2018年の紅白歌合戦登場など、サザンの代表曲とさての階段を駆け上る中で、あくまで「ライブ定番曲の1つ」としての起用だった最後のライブになった感じがあります。


12.いとしのエリー

13.涙のアベニュー

14.TSUNAMI

15.Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)

16.フリフリ'65

17.ボディ・スペシャルII(BODY SPECIAL)

18.勝手にシンドバッド


終盤を一気に行きましょう。みんな大好き(?)私の世紀末カルテの振りからの「いとしのエリー」大先生のご登場です。この演出がなかなかのインパクトといいますか、割と有名になったイメージがあるのですが、桑田さんの弾き語りスタイルからバイオリンが絡んでいくのも良いですよね。このアレンジ好きなのですよね。このいつものエリーと少し雰囲気が違う感じがどこか「TSUNAMI」への伏線にも思えてしまいますね。このTSUNAMIも恐らくライブでは唯一のギター+スタンドマイクスタイルになるのですよね(次の「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」との兼ね合いもあったのかもしれませんが)。その間にいらっしゃるのが「涙のアベニュー」さんですね。繋ぎというと失礼だと思いますが、ワンポイントで挟まっていることで、エリー→TSUNAMIで繋ぐよりも1曲1曲が引き立つようになった気がします。これぞいぶし銀です(?)。

しかしTSUNAMIからBig Star Bluesの流れがこの数ヶ月後にはサザンの歴代一番売れたシングルから一番売れなかったシングルへの流れになってしまったとは誰が予想出来たのでしょうか(?)。

「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」から「勝手にシンドバッド」の煽りコーナーは歌舞伎町ライブと同じ流れですね。とはいえアレンジが変わっているところもありまして、例えばシンドバッドは90年代前半のライブで使われていた、終盤にジャンジャンジャンと前の3人が左右に振り向くあのスタイルに変わっております(あれはどう説明したらいいのだろうか…)。


En1.イエローマン~星の王子様~

En2.マンピーのG★SPOT

En3.Oh!クラウディア


そしてアンコールでございます。全身黄色のコスチュームに身を包んだ桑田さん。そりゃ「イエローマン〜星の王子様〜」ですよね。「茅小」の小学生帽子は2005年「みんなが好きです!」のランドセルを背負うあのスタイルに繋がっていく訳ですね(?)。そういえばここでも茅ヶ崎の要素が出ていた、というのも今見ますと意味深ではありますね。個人的にこの曲の2番で映ります客席にいる表情を変えずに風船をブンブン振るおじさまが好きだったりします(余談)。

そして「マンピーのG★SPOT」。アンコールでは現時点で唯一の披露になりますね。この2曲も90年代後半に生まれた煽りの定番となりましたし、改めてこのライブが歌舞伎町ライブと90年代の総括が混ざったライブであったことを今見ると感じますね。

ラストは「Oh!クラウディア」。そういえば「女呼んでブギ」で始まりこの曲で締め、というのは「牛」と同じだったのですね。その牛とブラディ・ファイトでもラストとすっかり年越しライブ締めの定番曲となった瞬間でもありますね。

 

さて雑に振り返って見ました。先程も書いたのですが、やはりこのライブは歌舞伎町ライブと90年代サザンの総括だったと感じますね。それと同時にMCだけではなく翌年の茅ヶ崎ライブに繋がるような解釈も出来る点もいくつかありましたし、例年の年越しライブとは色が違う少し周年ライブっぽさが1999年と2000年を跨ぐライブとして、そしてTSUNAMI初披露の場としては暗過ぎずとはいえ、周年ライブの派手過ぎない華やかさを持った雰囲気があったように思います。


名は体を表す、ではありませんが、晴れ着DEポンというライブ名がTSUNAMIにそしてサザンの2000年のスタートになったのかもしれませんね。