適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

真夏の大感謝祭における希望の轍の立ち位置についてふと思ったことを

2008年に行われましたサザンオールスターズのライブ「真夏の大感謝祭」。30周年という記念すべき舞台であるのと同時に翌年以降のサザンとして無期限活動休止前最後のライブという非常に複雑なものを持ったともいえるライブとなりました。

そんなライブを見返す・思い出す度にここ絶妙ね…と個人的に感じる曲がありまして、その曲である「希望の轍」について今回は書いてみようと思います。

曲順としては37曲目(「せつない胸に風が吹いてた」が演奏された初日・その模様が収録されている製品版は38曲目になりますね)、当時の新曲であった「I AM YOUR SINGER」と「OH!! SUMMER QUEEN~夏の女王様~」の間に挟まれた、場所としては盛り上がりコーナーに突入する所謂煽りの頭といったところでしょうか。

まず言ってしまえば、この位置に希望の轍がいるというのも過去にいくつかありましたし、曲のアレンジも何か劇的に変わっていた訳ではないのですよね。

それが何故絶妙なのかといえば、ここに至るまでの過程ですね。

最初のMCで桑田さんがこのライブのコンセプトとして「いつものサザン」と話しておりました。確かに最初のメドレーコーナーやアコースティックコーナーは過去の周年ライブ等でも行っていた、まさにその宣言通りの「いつものサザン」という演出でありましたが、その「いつもの」を崩す、といいますか、そこから少し外れたのでは…と感じたところがありました。

いとしのエリー」「真夏の果実」「TSUNAMI」と所謂サザン3大バラードとも呼ばれる3曲が連続で演奏されたところです。何と申しましょうか…。過去にはこの中の2曲+他のバラード(1999年年越しライブ「晴れ着DEポン」のいとしのエリー涙のアベニューTSUNAMI)という形での連続演奏はありましたが、この3曲を並べるというのは、30周年ライブ、というよりも、このライブが終わればサザンは無期限活動休止に入る…という側面がより強く出てしまったような印象が個人的にありまして…。

このライブから暫く経った後のやさしい夜遊びだったでしょうか。桑田さんがぼそっと「TSUNAMIの辺りからだれてきて…」と話していた事が何故だかずっと頭に残っているのですよね…。もちろんこの時にセットリストや細かい心境等の話はありませんでしたので、あくまで憶測でしかないのですが、当初桑田さんとしては、サザン3大バラードとも呼ばれるこの3曲を連続で披露、というのは30周年という区切りの中でベタなファンサービスの1つ位の認識だったのかもしれません。

しかし客席からどこかそれまでの30周年ライブという雰囲気からその後の無期限活動休止へ向かってしまう悲しみといった空気が強くなってしまったことを感じてしまい、それがだれたという表現になったのでは…と。

そして次の「I AM YOUR SINGER」です。メンバーがステージ中央に集合すると共に腰痛の影響でライブをお休みしていた毛ガニさんのサプライズ登場で久々にサザン5人が公の場に揃う形となり、まさに笑顔と涙の交差するこのライブをある意味で一番象徴する場面だったのではないのでしょうか。しかし一方でバラード3曲からのこの曲でしかもこの演出ですから、恐らくアンコールを除くライブ本編の中で「無期限活動休止」という言葉がある意味で色濃く表れてしまった瞬間だったのではないのでしょうか。

その無期限活動休止>30周年ライブという空気がピークに達したといえるこの時に演奏されたのが、「希望の轍」でした。何と申しましょうか…。あのイントロが流れた瞬間大歓声が上がるではないですか。あれが桑田さんのいう「いつものサザン」、といいますかこれから終盤の煽りコーナーに突入するのと重なって、会場の空気が明るく、30周年ライブという側面が再び前面に現れた瞬間になったように感じてしまうのです…(同時に曲のパワーで強引に持っていった、とも見えてしまうのですが)。それが希望の轍というライブ大定番曲といえます、ある意味で「いつもの」を担った曲によって「いつものサザン」に戻るように感じたというのが、勝手にシンドバッドに代表されるような盛り上がり系の大定番でもいとしのエリー真夏の果実等のバラード系の大定番でもない、良い意味での微熱感を持ったこの曲でなされた…というのが非常に興味深いと思うのです。

伏線ではないとは思うのですが、このライブの前年2007年桑田さんソロ活動の時、テレビ番組用ライブやライブツアー「呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW」の最後弾き語りで希望の轍を演奏するという機会が何度もありました。特にツアー最終日で披露された時は、ソロからサザンへの橋渡し感が個人的にとてもありまして(石垣島ライブは…まあ置いておいてください(?))、今回はサザンとファンを空気感的な意味で1つにするといいますか、サザンがサザンであるための重要なキーになったように思うのですよね。

何と申しましょうか…元々の知名度や人気の高さも勿論あるかと思いますし、2000年の「茅ヶ崎ライブ」1曲目や2006年の「THE夢人島Fes.2006 WOW!! 紅白! エンタのフレンドパーク Hey Hey ステーション …に泊まろう!」でラストに他の出演者とともに歌唱するなど、既に扱いとしましてはサザンの楽曲の中で頭1つ抜けた曲の1曲になっていたとは思うのですが、ソロですが、2011年の「宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~」と2013年のサザン活動再開後のツアーとなった「SUPER SUMMER LIVE 2013「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」」でのアンコールラスト曲での登場や、2018年の「キックオフライブ2018「ちょっとエッチなラララのおじさん」」では意図的に外し、その為に温存したと後に語った「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018」での1曲目、そして同年の紅白歌合戦での披露など、この真夏の大感謝祭以降はそこより更に上になったといいますか、希望の轍という曲自体がサザンの曲(正確にいえば違うのですが)から「=サザン」といえる存在になったように思うのです。

ある意味希望の轍にとって真夏の大感謝祭というライブは、1つのライブの大定番曲からサザンそのものを表わす曲いうところに変化した瞬間といいますか、この2つのポジションが絶妙に同居したライブになったのではなかったのでしょうか。今何となくそう思ってしまうのです。

 

…と唐突な大感謝祭における轍論(大袈裟)でございました。長年思っていた事を改めて文字にするのは難しいですね。まあ酔っ払いの戯言だったと思って下されば(?)(シラフで書いているからまた厄介)。