適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

サザンオールスターズのアルバムツアーでの非アルバム曲コーナーについて雑にまとめてみた

アルバムツアー、と一言で言いましてもアルバム以外の曲も当然演奏するわけで…。

そんなアルバム以外の曲で構成されるコーナーのような物が何となくサザンのライブの中にあるではないですか…。そこに何か意図があるのでは…と勝手に解釈した雑文でございます。

セットリストを見渡してそういうコーナーになっていそうな1990年のアルバム「Southern All Stars」のライブツアーである「夢で逢いまSHOW」からの6つのライブからまとめてみました(それよりも過去のライブでそういう法則を勝手に見つけたら勝手に追記しているかもしれません…)。

 

・夢で逢いまSHOW(Southern All Stars

ライブ9~15曲目

朝方ムーンライト

夕陽に別れを告げて

C調言葉に御用心

タバコ・ロードにセクシーばあちゃん

よどみ萎え、枯れて舞え

思い過ごしも恋のうち

いとしのエリー

 

このコーナーはメドレーで披露された…という記載が当時の代官山通信にありますね。

「夕陽に別れを告げて」と「いとしのエリー」以外の曲は1988年の活動再開後のライブで初めて演奏される曲となり、特に「思い過ごしも恋のうち」は「コンサートツアー ゆく年・くる年」以来実に10年ぶりの演奏となりました。

アルバム「Southern All Stars」が原点回想といえるタイトルと言うこともあるのか、その後のライブでもしばしば演奏されるような初期サザンナンバーで構成されていますね。

個人的にはこのコーナー「朝方ムーンライト」で始まり「いとしのエリー」で終わる、というのがちょうど「バラッド'77~'82」のDisc1と同じなのが、まあ偶然なのでしょうけど良いなあ、好きだなあ、と何となく思ってしまうのです…。

 

・歌う日本シリーズ1992~1993(世に万葉の花が咲くなり

ライブ11~14曲目

YOU

死体置場でロマンスを

希望の轍

真夏の果実

 

4曲と少なめではありますが、夢で逢いまSHOWとは逆に「死体置場でロマンスを」以外は復活後の曲が並んでいますね。

世に万葉の花が咲くなり」は全曲編曲に小林武史氏の名前が載っているようにサザンの作品としては唯一全面的に参加したアルバムとなりましたが、その前段階といえますアルバム「稲村ジェーン」から「希望の轍」と「真夏の果実」が選曲されていますね。当時この2曲はセットで演奏されることが多かったということもあるのかもしれませんが、同じくアレンジャーとして小林さんが参加されていることもありアルバムの世界感に近いため選曲されたのかもしれません。

その小林さんがアレンジャーとして初めて関わった桑田さんのソロアルバム「Keisuke Kuwata」がありますが、もう1人「人気者で行こう」の頃から参加している藤井丈司氏との3人体制で製作が進められていましたね。その前の「KAMAKURA」にも関わっていたことから「死体置場でロマンスを」が選曲されたのではないのでしょうか。

ここで「Keisuke Kuwata」から「世に万葉の花が咲くなり」という小林時代の集大成的な側面を持っていたのかもしれませんね。

 

Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」(Young Love)

 ライブ12~17曲目

C調言葉に御用心

夏をあきらめて

涙のキッス

愛は花のように(Ole!)

希望の轍

真夏の果実

 

11曲目の「平和の琉歌」も「Young Love」収録曲ではありませんが、演奏前に桑田さんが「Young Loveの15曲目です」と言っていましたので今回外しました。

まさにザ・サザン夏の王道、といった曲が並んでいますね。夏のスタジアムツアーという側面もあったと思いますが、「愛は花のように(Ole!)」以外は2年後の「海のYeah!!」に収録されることになるという夏のサザン色の強いコーナーですね。

何と申しましょうか…前年1995年の「ホタル・カリフォルニア」、そして原点回想といえるアルバムだった「Young Love」のように世間の求める、もしくはイメージのサザンを見せようとしていたのかもしれません(この辺は関口さん復帰と小林武史時代からの脱却という影響もありそうですが)。

この反動が後の「牛」や「おっぱいなんてプー」のようなライブや「さくら」の世界感に繋がっていった…もしくは所謂定番曲の封印を考え始めていたのかも知れませんね。

 

・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~(さくら)

ライブ12~15曲目

胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ

Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)

汚れた台所(キッチン)

愛無き愛児~Before The Storm~

 

前作のアルバムとなる 「Young Love」収録曲からコーナーが構成されていますね。

しかしサザンのイメージである夏やポップ感のアルバムにも関わらず、そのイメージから敢えて遠い、何と申しましょうか…。「胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ」以外はYoung Loveの暗い、青春の影に潜んでいるような曲たちが選曲されていますね。

もしかすると「さくら」の曲の間に挟んでも違和感の無い曲を選曲した結果かと思いますが、さくらの曲調は暗いものが多くそれが原因か思ったほどヒットしなかったけれど前作の大ヒットアルバムにもこういう曲があるのですよ、というある種の皮肉が混ざっていたりするのかもしれませんね。

もしくはドームという巨大な密閉空間に漂う一種の息苦しさや圧迫感をさくら以外の世界で表現したかったのかもなどと思ってしまうのです。

まあ過去を見ますと、勝手にシンドバッドいとしのエリーなどの初期の曲を意図的に選曲から外すライブはアルバム曲+過去2年ほどの曲から選曲、というパターンだったりしたので(綺麗〜人気者で行こう)そのパターンに沿っただけかも知れませんが…。

 

・みんなが好きです!(キラーストリート

ライブ12~15曲目

YOU

栞のテーマ

Bye Bye My Love(U are the one)

 

セオーノとは逆に海の家にも収録されています夏やポップ感のある曲が4曲続けて演奏されていますね。

とはいえ実は割とお久しぶりな曲が多く、「栞のテーマ」や「Bye Bye My Love(U are the one)」はテレビやラジオ等を除くライブに限れば21世紀に入って初めて演奏されています。

おそらく世間のイメージにあるサザンをここで出そう、という所謂ファンサービスな一面があったと思いますが、次から再びキラーストリートの世界に戻り「からっぽのブルース」から始まるダークなサザンの世界へ入る前の息抜きといいますか、そのダークさをより強調しようという狙いがあったのかも知れません。前回のセオーノがダーク一辺倒という印象があったのでこういったコーナーも必要と判断したのでは…と。

 

・おいしい葡萄の旅(葡萄)

ライブ13~24曲目

よどみ萎え、枯れて舞え

Happy Birthday

死体置場でロマンスを

Computer Children

栞のテーマ

あなただけを~Summer Heartbreak~

真夏の果実

おいしいね~傑作物語

Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)

01MESSENGER~電子狂の詩~

ブリブリボーダーライン

 

さあ仕分けが大変です(?)。まあMCや映像等で一応の区切りがあるので3つに分けることができますが。

「よどみ萎え、枯れて舞え」~「Computer Children」はKAMAKURA収録曲が中心の(よどみ~以外そうですが)コーナーとなっていますね。

栞のテーマ」~「真夏の果実」は偽CM映像(?)もあってか海のYeah!!コーナーとしておきましょう。

ここは何となく葡萄とのスペシャルマッチとして作られたコーナーのような感じがします。

実験的サウンドで当時のサザンの全てを出し切り最高傑作ともいわれる「KAMAKURA」とサザンのイメージで最も大きいでしょう夏にコンセプトを置いたベスト「海のYeah!!」という過去の2大巨頭に新作葡萄で挑んだ、というように見えるのです。

「葡萄」というアルバムへの満足感と、サザンというバンドが現在進行形であるというメッセージが込められているように思えるのですね…。

「おいしいね~傑作物語」からのセットリストを見られたときにいらないコーナーと言われるけど今歌いたい曲のコーナーという桑田さん自身が答え(?)をおっしゃっていたりしているのでここは省略しましょう。

 

さてまた妄想と都合の良い解釈100%でお届けしてしまいました…。とりあえず酔っ払いの戯れ言ということにして下さい(?)

 

 

あとがきのようなもの

こういうライブネタから引っ張り出して妄想をぐだぐだと書いているときが何だかんだで楽しいことに最近気が付きました(?)

 

昭和のライブでは演奏されたけど平成のライブでは演奏されていないサザンオールスターズの曲を雑にまとめてみた

平成が間もなく終わってしまいますね。ふとそんな1989年からの約30年の間に、昭和の時代では演奏されているのにも関わらず演奏されていない曲はどの位あるのかしら…と思ってしまったが為の雑文でございます。

今回は1978~1988年(「サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭」までのカウントですね)までに1度は演奏された曲からカウントしたため、1度も演奏されたことがない曲は今回省略しております(少し古いものですが一応「もしライブで1度も、もしくは1回だけ演奏された曲でセットリストを組んだら(サザンオールスターズ編)」という雑文で大まかにまとめているので、もし気になるという方はこちらで確認して頂ければ…)。

例のごとくテレビ・ラジオで演奏された曲はカウントしておりません。間違い等ありましたら申し訳ありません。

 

・別れ話は最後に

・レゲエに首ったけ

・今宵あなたに

・アブダ・カ・タブラ

・青い空の心(No me? More no!)

・LOVE SICK CHICKEN

・FIVE ROCK SHOW※

・ごめんねチャーリー

・ラッパとおじさん(Dear M.Y's Boogie)

・Let’s Take a Chance

・走れ!!トーキョー・タウン※

・Plastic Super Star(Live In Better Days)

・NUDE MAN

・来いなジャマイカ

・Just A Little Bit

・星降る夜のHARLOT

・YELLOW NEW YORKER

・MICO

・サラ・ジェーン

・女のカッパ

・祭はラッパッパ

・Dear John

・真昼の情景(このせまい野原いっぱい)

・Brown Cherry

 

※公式サイトのセットリストには記載がないがファンサイト等では演奏されたライブがあるとの記載のある曲

 

計24曲が平成の時代に未だ姿を表していない曲達のようですね。多いのか少ないのか何とも言えない曲数ですね。

しかしライブで演奏されていない、といいましても1989年にはテレビで「YELLOW NEW YORKER」を披露、「別れ話は最後に」は2009年に音楽寅さんの公開収録でのおまけで演奏されていたり、1997年の年越しライブ「おっぱいなんてプー」で演奏された「恋するマンスリー・デイ」のアウトロに「星降る夜のHARLOT」のアウトロを使用するなど、何かしらでちょこちょことご登場はされていたりはしていますね。

果たしてこの夏のROCK IN JAPANや来年のツアー、もしくはその間に何かしらの演奏されることはあるのでしょうか…。もしかしたら先日行なわれていたNHKでの収録ライブで実はしれっと演奏されていたりして…。

といいつつ仮に平成の間に歌われることがなくとも、元号が変わった後に演奏されることがあれば、昭和と次の元号で演奏されたけど平成では演奏されなかったというネタに生まれ変われるチャンスのある希有な(?)曲達ではあるので、サザンの歴史の長さを後々に説明するにはもしかすると1番おいしいのかもしれません(?)。

 

 

あとがきのようなもの

今後これ以上の「何か」がなければ私、今年はライブ等ご縁がなさそうですね。まあ昔はライブに行く、ということを考えたこともなかったのである意味では原点回帰ですね(?)。

 

サザンオールスターズ キックオフライブ2018「ちょっとエッチなラララのおじさん」の感想のようなものを(ライブビューイング編)

6月26日に行なわれた、「ちょっとエッチなラララのおじさん」のライブビューイングにひっそりと行って参りました。その感想のようなものでございます。

えー…最初に。いつものことですが長いです(ライブビューイングなのでもう少し短くなると思っていたのに…)。

今回のライブに関しては月・火という平日と言うこともあり、ライブ会場のチケットを取るということは最初から考えておりませんでした。しかもライブビューイングも場所が遠い・雑務終わりの時間を考えると参加は難しい…ということで諦めていたのですが、直前23日のやさしい夜遊びで桑田さんがある曲をやることを示唆する発言をしており、それはどうしても見たいと…。そこで一般のチケットを見るとまだ一番近い劇場は残っているではありませんか。それに新幹線を使えばギリギリ間に合うかもしれないと…。とりあえずチケットは確保。

そして当日何とか雑務を終え、駅へ向かいギリギリ新幹線の時間に間に合い乗車。まさか県内のしかもたった1駅の移動というまるでファンのような(?)荒技を披露し、上映5分前に席へ。右隣のおじさんはポップコーンを食べながら待機しており、いかにも映画館という感じがしました(?)。そして1つ前の席のお兄さんはマンピーのカツラのようなものなちょっと深めな紙皿のようなものを装着しているというライブ感の溢れる方で、この方に私の内に秘めたままの持ち上がりをしっかりと表現していただけたのでしっかりとスクリーンのみに集中できました(?)。

3分前に会場の中継映像がスクリーンに映し出されました。そして19時いよいよ開演となりました。

メンバー登場前にナレーションが。正体は何と元NHK有働由美子アナウンサーでした。デビュー直後はコミックバンドと呼ばれ…というナレーションが流れる中、後ろの方から「大森くんの…」という話し声が。その後の話は聴き取れなかったので、うまく大森さんの姿を消した写真のように、存在を消されてしまった可能性がありますね(?)(大袈裟)。そしてサザンの5人が登場。歓声で聞こえなかったのですが、あそこで最初紹介違うバンドか何かでしたよね…。5人がズコーとなってからサザンオールスターズという紹介だったと思うのですが…。

なんやかんやでメンバーが定位置にいよいよライブのスタートとなりました。

 

1.茅ヶ崎に背を向けて

これはやさしい夜遊びで桑田さんがネタバレした通りでしたね。

ほんとうに今までありがとう、とスタート良いではないですか。ちょこちょこと替え歌になっていましたね(「さびしいね」が「うれしいね」になっていたなど(全部は覚えておらず))。ラストに2000年の茅ヶ崎ライブでもありました「オーオオーオ」というあれが(説明下手)追加されていましたね。「ここは天下のNHK~」とも歌っておりました。やはり裏番組はビデオで見るべきということでしょうか(?)。

 

2.女呼んでブギ

何となく2曲目に来るような気がしていました。フルバージョンは2004年の「暮れのサナカ」以来14年ぶりでしょうか。サビの適当部分はみんな来てくれてありがとう的なニュアンスのことで(具体的な物は忘れてしまった…)埋めておりこういう使い方でついに完成したか…と謎の感慨にふけっていましたね(?)

原さんのCD版とは違うかっこいい「もう一丁」が聴けたのは、思わず待っていましたと掛け声を返したくなってしまうほどでした(?)。

マチュア時代から演奏されていた曲が続けて披露されたというのも40年+αという感じがして良いなあ、と思っておりました。

あとここで私の左隣のおじさまが手拍子をせずじっとスクリーンを見ていることに気付き、「あっ、無理に手拍子しなくていいんだ」と便乗し、ここからほぼほぼ人形のようにただただスクリーンを見つめ続けておりました。

 

3.いとしのエリー

間を長めにとっており、桑田さんも水分補給を行なうなど明らかにここで1発決めに来る感じがありましたね。雰囲気がバラード曲へ…という中で「Ah~」と始まり、ああここでエリーなのね…と。

ここまで曲の発売順であり、3枚目のシングルということで3曲目に置かれたのでしょうか。

「Ah~」でエリーと分かってからの歓声は大きかったですが、1番終わりの拍手は映画館では少なかったような。

序盤ということもあるのか最後の「エリー」のところはさほど溜めずに歌っておりましたね。個人的には1985年の「KAMAKURA」での1曲目に登場テイクが好きだったりするので、3曲目という序盤エリーを見れたのは少しうれしかったですね。

 

MC

ここで最初のMCが。会場がNHKホールということもあり、デビュー当時「レッツゴーヤング」によくゲスト出演しておりよく来ていたという話をしていましたね。あとは40年ですというような事を話していたと思いますが忘れてしまいました。

 

4.さよならベイビー

何故だか分からないのですが、この曲の始まる直前、弘さんのカウントが始まった瞬間でしょうか…「次はさよならベイビーだ…」と直感的に頭に思い浮かんだのです…。そしてあのイントロが流れてきたとき何とも不思議な気持ちになりました…。こういう事って他の方も経験があるのでしょうかねえ…。それかさよならベイビーさんからのテレパシーを捉えてしまったのでしょうか(?)(BABY違い)。

1998年の「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」、2013年の「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」と節目のライブで演奏されることが意外と多いですね。

 

5.せつない胸に風が吹いてた

2008年の「真夏の大感謝祭」1日目以来10年ぶりの演奏となりました。個人的にはソロではありますがラジオで聴いた「石垣島ライブ」のテイクでこの曲により惚れてしまっていたので、スクリーン越しとはいえ今回聴けたというのはうれしかったですねえ…。さよならベイビーもですが、今回は英語詞部分もしっかりと歌われておりましたね。

この曲で原さんの手元が映った際、キーボードの前に小さな楽譜のカードのようなものが置いてあったのですが、そのカードに「さよなら」と「せつない」という文字が書かれていたのを発見してしまいました…。ギリギリネタバレは回避出来ましたが、その後はあまり見ないように気を付けました(?)

 

6.愛の言霊~Spiritual Message

今回演奏するのでは、と思ってはいたのですが、予想以上に早い登場でした。ここで曲を詰めたような選曲なので今回は25~26曲くらいでは…というふうに何となく予想が立ちました。

和な感じのSEが入りその後曲が始まりました。映画館でも「おおー」というような歓声がちらちらと聞こえました。

間奏前のラップがカットされラストのラップが復活していましたね。ラップの後に「禮」が。間奏では桑田さんのギターもありました。

個人的には映画館のような狭めの暗い空間(私が行きました映画館は席が400ほどでした)で愛の言霊というのは少しだけ怖い気がしました…w。

 

ここで少しだけMCを挟み次の曲へ

 

7.SEA SIDE WOMAN BLUES

演奏前に「13年ぶりに演奏(正確には2004年の「海の日ライブ」以来となるので14年ぶりですね)しますけど、好きな曲なんです…」と語ってからこの曲がスタートしました。茅ヶ崎ライブでもこの曲結構好きなんです、と言ってからこの曲に入っていたので実はかなりのお気に入りソングなのでしょう。

この曲で後ろの幕が再び上がり江ノ島などの映像が流れていました。

私もこの曲大好きでして…。「悲しくて酔えないこともある 涙を浮かべた水割りのせいだよ」のところが特にねえ…。「やるせない今宵の南風」のところも南風をサザンと置き換えて、勝手に哀愁のサザンオールスターズに思いを寄せてしまったりするのです…。

まさか生で(映像ですが)聴ける日が来るとは…。嬉しいとかそういう言葉でしか表現できない自分がもどかしくなるくらいの衝撃でした…。

 

8.汚れた台所

片山さんのキーボード前奏があってからこの曲がスタートしました。夜遊びでやりますと言っていた通りでしたね。ちょくちょく映る弘さんがこの曲では特に格好良かった印象があります。あと原さんのキーボードを弾いている手の動きですね。これもまた格好良かったですね。映像化の際には是非弘さんの姿と原さんの手元だけで構成して貰いたいくらいです(?)。

しかしNHKさんは不細工な精液の歌詞テロップにやたらと縁が(?)ありますね…w。

 

9.My Foreplay Music

この位置でのご登場は珍しい…と思いきや、1983年の「SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー」や1988年の「真夏の夜の夢 大復活祭」ではこの辺りに配置されていましたね。近年の序盤orアンコール起用の印象に引っ張られておりました。

ライブ版を聴く度「無理をしてるばっかの All Night Long」のあのAll Night Longの歌い方好きなのよねえ…といつも私の中の女子が出てきてしまうほど(?)うっとりとしてしまいます。

 

10.私はピアノ

今回の原坊ボーカル曲は初めて単独ボーカルを取ったこの曲でした。まだ生で聞いたことの無い曲が来ると嬉しいな…と思っていたので暗闇の中でフフフのおじさんとなっておりました(気持ち悪い)。

ラストで前の4人(桑田さん・関口さん・誠さん・TIGERさん)がステップを踏んでいたのですが、心なしか関口さんのステップが小さめに見えて、つい可愛いなと思ってしまいました(謎目線シリーズ)。

ライブ会場で歌うことはない私ですが、「おいらを嫌いに~」のラストの笑い声部分をうっかり歌いそうに(そもそもあそこは歌っているという解釈で良いのだろうか)なってしまい自分でも驚きました…w(恐らく私がいつも歌う時そこまでやってしまうのが原因かと)。

 

MC

ここでメンバー紹介がありました。サザンのメンバー紹介時には桑田さんが出逢った頃の

エピソードなどを交えていましたね。

弘さんのサザンは楽しい発言や、関口さんのデビューする時に親や親戚に色々と言われたけど私の人生は幸せです。といったMCは特に印象に残っていますね。こういう話は節目の時でないとなかなか聴けないものが多いので、もう少し掘り下げたものを何かしらの形で残しておいて貰いたいものです…。

 

11.闘う戦士たちへ愛を込めて

新曲を聞いて下さい、とスタートしたのは、映画「空飛ぶタイヤ」の主題歌となりましたこの曲でした。映画館で絶賛上映中ということもありライブビューイングで見ている方はポスターを目にしてから会場入りしていると思うのですが、ライブ前に空飛ぶタイヤを見てからそのままライブビューイングへ…という方はどのくらいいたのでしょうか。

イントロは原さんの正面にセットされていた2台のキーボードのうち上のキーボードを使っていましたが、出番はこの曲の時だけでしたっけ…。

ここでダンサーが登場&初めてギターを持たず、ハンドマイクスタイルとなりました。バックには都会の映像ともに背景的な使われ方で歌詞が出ていましたね。今回は会場の両サイドにモニターが無かったことで歌詞の表示はありませんでしたが、こういった形でうまく新曲の歌詞を表示しているのね…と謎の関心をしておりました。

 

12.はっぴいえんど

頭に波の音のSEがありいつの間にか巨大都市から海街へやって参りました。

イカす仲間のところで5人をそれぞれ写すのはベタだなーとは思っても、やはり良いんですよねえ…。

デビュー日に40周年ライブ、ということで「新しいふたりの出発(たびだち)の日に」いう歌詞がより響くといいますか、新しいサザンとファンによる40周年の舵を切ったのですね、きっと。

何だか今後も定番曲になりそうな予感がしますね。

 

13.真夏の果実

再びの波の音からイカす仲間が奏でるLove Songですよ、奥さん(?)。

はっぴいえんどでは「燃える太陽がロックンロールを踊っている」と歌っていますが「マイナス100度の太陽」はバラッドを歌っているのでしょうかね…?、と思わず考えてしまう映画館は素敵な空間でしたね(?)。そんな映画館ではイントロで歓声こそ上がっていましたが聞き入っていたのか1番終わりの拍手はあまり無かったような。

灼熱のマンピーからのハンドマイクスタイルは定着した感がありますね。

 

14.太陽は罪な奴

太陽に関しての解釈の云々を思っていたところでこの曲ですよ。まさに罪な奴(?)。

個人的に盛り上げの切り込み隊長的なポジションが多い曲かと思われます。

この曲から溢れる「夏」が好きでして…。今回やるとは…と思っていたのですが、よく考えてみるとこの曲の発売日は1996年の6月25日、そういう事でしたか…。

 

15.涙の海で抱かれたい〜SEA OF LOVE〜

太陽は罪な奴から流れを切らずにご登場しました。映画館でも大きな歓声が沸いておりました。

ダンサーの皆様は浴衣でのご登場でしたね。それくらいが丁度良かった気がします。

ここから煽りコーナーへ突き進んでいくと思いきや…。

 

16.栄光の男

曲の前にモニターに映像が流れました。最初に工事現場の頭を下げている看板の人が映し出され、下にはテロップで「メンバー全員還暦を超えているため呼吸を整える時間が必要です…」といった内容の物が流れておりました。映画館でも笑い声がちらほらと。2~3分くらいでしたでしょうか。正直5分位休憩タイムにしてよいのよ…と思ってしまいました。

そして再び桑田さんがギターを持ち始まりましたは栄光の男、やはり長嶋茂雄にバットやグラブが必要なようにこの曲を演奏する際には桑田さんにはギターが必要なのでしょう(?)。

余談ですが、6月25日というのは、プロ野球の試合を初めて昭和天皇が観戦し、最後に長嶋がサヨナラホームランを打った天覧試合の日でもあるのですよねえ…。当時NHK(と日本テレビ)で中継されていたので、イントロが流れた瞬間もしかして天覧試合の映像を流す…?と思ったのですが当然そんなことはありませんでしたし、そんなことを考えている阿呆は私だけだろうなとも思っておりました…。

 

17.東京VICTORY

さあここから真の(?)煽りコーナーに突入です。曲が始まる前に降臨されたミラーボールさんのギラギラ加減随分激しくありませんでしたか…。映像でそう思ったので現地はより凄かった気がしますが…。

映画館でも腕を上げている方が多くいらしていました。もちろん前の席のお兄さんも腕をしっかりと上げていらっしゃいましたね。〇歳なのに四十肩の私はそのお兄さんに腕上げを託しておきました(?)。

2年後果たしてこの曲はどのような立ち位置になっているのでしょうか…。

 

18.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

原さんの正面とは別に横にキーボードが置いてあったのでやるとは思っていました。

そしてまた腕上げ曲ですよ。今回のライブは光るリストバンドが無かったようなので、強制的に上げさせられない(?)代わりにここで腕を酷使させる作戦だったのでしょうか(?)。

間奏が新しいアレンジになっていましたね。ギターはイントロかアウトロの物を使っているような音に聞こえたのですが、どうでしょうか…(自信なし)。

この位置だとマチルダBABYと連続で演奏されることの多いミスブラさんですが、今回は単独でしたね。単独での煽りコーナー登場は1994年の「ホタル・カリフォルニア」以来24年ぶりとなりました(ソロでは石垣島ライブで終盤単独登場がありましたが)。

 

19.匂艶THE NIGHT CLUB

これで3曲連続で流れを切らずに演奏となりました。毛ガニさんの持っている大きな手が更に巨大化されており、スタッフの方と2人でクラップしておりました。腰に響かないか心配でした(同じ事を考えている人結構良そうな気がします…)。

終盤の弘さんの追っかけコーラスは好きです。

ミスブラ→匂艶の流れは渚園を彷彿とさせますね。終盤でのご登場もその渚園以来となりました。

 

20.HOTEL PACIFIC

曲が始まる前に斎藤誠さんのギターが披露されていましたが、桑田さんに早くと催促されるという、がらくたツアーでのスキップ・ビート前の片山さんと同じような扱いをしておりましたね。流石サザン準々メンバーと言えるお2人の扱い方ですね(?)。

ダンサーの方の格好は水着と随分ストレートで来ましたね。でもそんな中で男性がいるとこの曲に限ってはとても安心しますね(?)。

この曲もまた大好きでして…。映画館でも建ち上がって踊る方が数人確認出来ましたが、座って手の振りだけをやっている方は結構いましたね。

えっ…私ですか?。常にBlue~こんな夜には踊れない心境の私なので(?)踊ることはないのですが、心は躍っておりました(上手いことを言ったつもり)。

 

21.みんなのうた

HOTEL PACIFICから次の曲に行くまでの「間」が好きだったりするのですが、その間の後に聞こえてきたのは「あの日から~」と…。途中の歌詞は6月25日にデビューしたサザンがなんちゃら~と(忘れた)いう歌詞となっており、最後の「愛しい人よ~」のところは「みんなのうたよ~」となっており、みんなのうたがスタートしておりました。

あの日からさん(仮名)はすっかりみんなのうたの前座担当(?)となってしまいましたねえ…。夕方Hold On Meさんは何を思うのか…。

毛ガニさんが使っていた巨大な手が再びご登場しており、毛ガニさんの後ろの方でスタッフの方によりオブジェとなって(?)おりました。

映像で見たNHKホール、そして映画館と人によってどのタイミングで腕を振り始めているのかがよく分かって面白かったです(?)。ちなみに勝手に注目していた前の席のお兄さんはサビからでした(実にどうでも良い情報)。

この曲は本編のラストとなりましたが最後がみんなのうた、というのも狙っていそうですね。久々に「勝手にシンドバッド」と「マンピーのG★SPOT」以外の曲がここに置かれましたね。

曲が終わるとメンバー5人が前へ。ここぞとばかりにライブビューイング用のカメラに近寄る弘さんと毛ガニさん。うまく5人が映ったところは心のアルバムに収めました…。

そしてここで客席の皆様と共に記念撮影。ライブビューイングでもそのシーンが映っていたのですが、「おおー」という歓声が沸いておりました。

そして後ろへ下がりアンコールへ。その間スクリーンにはステージ全体が見える中央カメラのシーンが映し出されていましたが、スタッフの方がステージの紙吹雪を掃除機で片付けているところがばっちり映っており、「華やかな者の影で今動く男達」という感じがして良かったです(?)。

 

22.DIRTY OLD MAN~さらば夏よ~

アンコール1曲目、イントロが流れて来た瞬間突然込み上げてきてしまい、涙が溢れてきてしまったのですね…。確かにDIRTY OLD MANは自分の中で特別な1曲という位置付けであり、最終的にライブビューイングへ行く決断を下したのは、桑田さんが夜遊びでこの曲を演奏することを示唆していたことが最大の要因だったのですが、まさか泣くとは思っておらず、その時はどうして泣いているのだろう…せっかく演奏されているのにスクリーンが見えなくなってしまう…と頭の中は涙と裏腹に冷静ではいたのですが…。

後で何故泣いたのかを考えたのですが、これは2006年の私の涙ではないのかと…。

2006年というのは私がサザンオールスターズというバンドにしっかりと触れた年であり、その年に新曲として発売されたこの曲にリアルタイムで触れたことが大きいのだと思います。「これが今のサザン…」と毎日のようにひたすらCDをリピートし、ミュージックステーション音楽寅さんで披露した録画を見ていた夏の日。しかしその後は披露されることはなく(夢人島ライブ版はその時も現在も見たことはなく…)、12年経ちスクリーン越しとはいえようやく初めまして…というのが、あの毎日過去と現在を含めた新しいサザンに出会っていたあの夏の日の少年(といえる年齢でもなかった)が不意に蘇ってきたが故の涙だったのかもしれないなと…(去年とある声優さんのライブへ初めて行く機会がありまして、その姿を生で目にした時も泣いてしまったのですけど、その時も初めてその方を知ってから12年の時が流れていたので、その12年という時間に重さをどこかで感じていたからかもしれません…)。

それだけ自分の中でいつの間にかそういう立ち位置の曲にしてしまっていたのですね…。もし生で聴いていたらどうなったのでしょうか…。むしろライブ会場という非現実感のある空間だと泣かなかったのかもしれませんね。映画館というどこか夢と現実の狭間のような空間にいたからこそ、あの日の熱い僕の涙だったのかもしれません…。ただそのせいで泣き濡れた惨めなDIRTY OLD MANになってしまいましたね(?)まあこの曲を初めて聴いたときに「この曲は自分のことを歌っているのでは…」と誰もが1度は思ったことのあることを思っていたので、正しいと言えば正しいですね(?)。

 

23.LOVE AFFAIR~秘密のデート

正直に言いますと前の曲の影響もあり、あまり覚えていません…。

冒頭に汽笛の音があり、桑田さんが「横浜~」と言っていた。そして「ボウリング場で~」のところで桑田さんのボウリング映像が使われたことが記憶にあるくらいで…(次は東京サリーちゃんを演奏の際には「ボウリング・シャツのジャイアント・マンの」ところでボウリング映像を使って欲しいですね)。

2014年の「ひつじだよ!全員集合!」の時の「LONELY WOMAN」で感極まってからの「SAUDADE~真冬の蜃気楼~」の記憶が薄い…というのをまんま再現してしまいましたね…。

 

24.ロックンロール・スーパーマン~Rock’n Roll Superman~

後ろのモニターには「Rock’n Roll Superman Southern All Stars」と…良いじゃあないですか…。

この曲で必ずギターを持って演奏するのがまた良いのですよね…。赤いギターと“I'm a Rock’n Roll Superman”というおまじないの言葉がワンセットになっている気がします。

またまた「みんなが好きです!」からの連続登場記録を伸ばしましたね。その使われ方といい21世紀の希望の轍と言ってもいい存在となりつつありますね。

 

25.勝手にシンドバッド蛍の光

本編のラストがみんなのうただったので、もしかしたら最後に演奏かも…と思っていたところ本当にラストの演奏となりましたね。アンコールラストに演奏、というのは公式サイトのデータでは1981年の「そちらにおうかがいしてもよろしいですか?」以来37年ぶりのことになりますね。

ロックンロール・スーパーマンからの流れだったのでギターを持ちながらの演奏でしたが初期の頃を意識していたのでしょうか、間奏で映っていた昔の映像の脚を少し広げて歌う姿と同じポーズだったのが、感慨深いといいますか凄く印象に残っていますね…。

そしてそのまま終わりと思いきやそのまま「蛍の光」へ。NHKホールということで紅白歌合戦を意識したのか、39年の卒業、40年への旅立ちを意識していたのかは分かりませんが、らしい締めだったと思います。

 

そしてライブは終了、最後メンバーが後ろに下がる前毛ガニさんがシンドバッドで登場したサンバダンサーさんが落としたと思われる羽のようなものを客席に投げ、桑田さんに「物は大切にしなさい」と怒られるシーンにほっこりしておりました(?)。

 

帰りも新幹線だったのですが、寝ているスーツ姿の方を数多く目撃しまさに闘う戦士たちへ愛を込めたくなりました(?)(というどうでも良いオチ)。

 

今回のライブは押さえるところは押さえつつ、「希望の轍」や「マンピーのG★SPOT」「ボディ・スペシャルⅡ」といった定番曲は演奏しませんでしたね。やはりキックオフライブという通りこれからを念頭に置いた選曲だったのかもしれませんね。

今のところROCK IN JAPAN FESTIVALに出演以外には夏にライブがない、ということはありますが、まだ約360日は40周年という技が使えるので(?)、来年の6月24日までこっそりひっそりと楽しみにしていたいと思います。

 

 

あとがきのようなもの

ライブビューイングの感想なので短くなるだろう…と思いきや普段と変わらないくらいの文字数となってしまいました…申し訳ございません…。

 

おいしい秘密以降秘密になっていないおいしい物が歌詞に登場する曲を雑にまとめてみた

おいしい秘密好きなのです…(一説にはこの曲を見たいが為に第2回ひとり紅白を購入したという噂が…)。という事と何となく近年の曲には食べ物関係の単語がご登場することが多いイメージがありまして、それをこじつけた雑文でございます。

ピースとハイライトからがらくたの曲までから集計してみました。

 

・天国オン・ザ・ビーチ

 メロン・スイカ・ピリ辛タコス

・パリの痴話喧嘩

 スンドゥブ・チゲ・パジョン

アロエ

 杏仁豆腐・ジャージャー麺

はっぴいえんど

 コーヒー

・ヨシ子さん

 上鴨そば

大河の一滴

 オムレツ

・メンチカツ・ブルース

 メンチ・コロッケ・さんま・キャベツ・ハムカツ

・愛のささくれ~Nobody loves me

 スムージー

 

あれ、思ったよりも少ないような…。まあイメージですから(?)(する必要の無い言い訳)。

あとアルバムタイトルを入れて良いのなら「葡萄」がありますね。意味が違う&商品名シリーズ(?)ですと「百万本の赤い薔薇」での「水瓶座アクエリアス)」という裏技が使えますね(?)。

メロンとスイカは元の意味が違いますがセーフということにしましょう(?)。

ここで挙げた物で生活をするとしますと、おかず系は意外と充実していますね。しかし主食は米派な方には辛い食事になってしまいますね。ここは「君への手紙」のジャケット等に載っています、丼物を採用するという手もありますね(?)。

1日くらいでしたらこの食事で3食何とかなりそうな気がしますね。

朝:オムレツ、コーヒーorスムージー

昼:上鴨そばorジャージャー麺

夜:ピリ辛タコスorパジョン、メンチ・コロッケ・ハムカツ

 

…うーん、バランスが悪いですね…。結局は朝から晩まで樽酒を吞むのが正解なのかもしれません(?)(振り出しに戻る感)。そこは居酒屋の小部屋(栄光の男)で是非、でしょうか(?)。

個人的には立ち食いそば屋で上鴨そばを食べながら割り箸を持つ手を震わせたいですね(?)(しかし私が好きな背番号3は同時期にパリーグの東京のチームでプレーしていたあの人なのでただ食べながらテレビを見ていそう…)

 

これくらい軽い雑文だと楽で良いですねーと今更ながらに思いました(?)。これくらいのゆるい雑文で時々誤魔化していきたいと思います(?)。

 

 

あとがきのようなもの

次のライブ名、「ラララのおじさん「たち」」にして欲しかったなあと思っていたり(おじさん止まりだとソロライブっぽいなーと。あっ…でもちょっとエッチな人が1人しかいないから正しいですね(?))。

 

サザンオールスターズの過去の夏ライブと近年のライブセットリストから傾向のようなものを雑にまとめてみた

若干タイトル詐欺かもしれません…(のっけからすみません)。

今年サザンは40周年ということで恐らく夏にライブがあることでしょう。ということで過去のライブで演奏された曲から、ひょっとするとこの曲は40周年ライブで演奏されるのでは…?という可能性が高そうなものを考えてみようというまたくだらぬ雑文でございます…。

今回参考にしましたのはこちらのライブです。

・ホタル・カリフォルニア

・ザ・ガールズ 万座ビーチ

・モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~

茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎

・「流石(SAS)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~

・真夏の大感謝祭

・灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!

・ひつじだよ!全員集合!

・おいしい葡萄の旅

 

とりあえず近年の2013~15年の3つのライブと、ホタル以降の大きな夏ライブ6つを合わせた9つから探ってみようかと思います。何故ホタルからにしたのかと言いますと「マンピーのG★SPOT」がこの年発売され、その後ライブでも大定番曲となったということで個人的に傾向を見るならある程度のラインになるのでは…と思ったからでございます。

 

まずは2013~15年の3つのライブで複数回演奏された曲を出してみました。

 

3回

ロックンロール・スーパーマン~Rock’n’roll Superman~

・ピースとハイライト

・栄光の男

2回

勝手にシンドバッド(マンピー/ひつじ)

・匂艶THE NIGHT CLUB(ひつじ/葡萄)

・ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)(ひつじ/葡萄)

・マチルダBABY(マンピー/葡萄)

ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)(マンピー/葡萄)

・Computer Children(ひつじ/葡萄)

・死体置場でロマンスを(ひつじ/葡萄)

みんなのうた(マンピー/葡萄)

真夏の果実(マンピー/葡萄)

希望の轍(マンピー/ひつじ)

マンピーのG★SPOT(マンピー/葡萄)

・LOVE AFFAIR~秘密のデート(マンピー/ひつじ)

・蛍(マンピー/葡萄)

・東京VICTORY(ひつじ/葡萄)

 

ロックンロール・スーパーマン~Rock’n’roll Superman~」「ピースとハイライト」「栄光の男」の3曲が3度のライブで演奏されていますね。ピースとハイライトと栄光の男は2013年の新曲、アルバム「葡萄」にも収録されているというのもあると思いますが、今振り返りますと2013~15年の3年間はある意味でピースとハイライトの3年間、もしくはテーマソングと言えるのかもしれませんね。

今年ライブがある際には演奏されるでしょうか…。ピースとハイライトはその3年間の印象で外れそうな気がしますし、しれっと序盤あたりで演奏されそうな気もしますね。

栄光の男は長嶋茂雄プロ野球デビュー60年記念として(?)如何でしょうか。…とそんな理由を付けようとするのは私だけでしょうが。

ロックンロール・スーパーマンはどこかほぼ確定の空気を感じますね。個人的には1曲目なんてどうかしら…と思っております。意外と最近の夏ライブでは1曲目にアルバム曲を持ってくることが多いように見えます(万座(お願いD.J)/茅ヶ崎希望の轍)/流石(胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ)/大感謝祭(YOU)/マンピー(YaYaと日替わり曲でしたが「海」))という理由とギター+スタンドマイクスタイルの傾向が多い、ライブ定番曲ということから有力候補では…と。仮にそうなるとすれば2曲目は「ミス・ブランニュー・デイ」となりますでしょうか。終盤ですが「みんなが好きです!」ではこの流れがありましたし「おいしい葡萄の旅」では逆の流れが2~3曲目であったので、充分考えられるのではないのでしょうか。まあ戯れ言です。

 

続いて夏のライブの7つからの集計でございます(灼熱のマンピーはこちらにもカウントにいれております…)

7回

勝手にシンドバッド

みんなのうた

真夏の果実

希望の轍

マンピーのG★SPOT

6回

いとしのエリー(ホタル/万座/渚園/茅ヶ崎/大感謝祭/マンピー)

C調言葉に御用心(ホタル/万座/渚園/茅ヶ崎/流石/大感謝祭)

・ボディ・スペシャルⅡ(ホタル/万座/渚園/茅ヶ崎/流石/大感謝祭)

ミス・ブランニュー・デイ(ホタル/万座/渚園/茅ヶ崎/大感謝祭/マンピー)

涙のキッス(ホタル/万座/渚園/茅ヶ崎/大感謝祭/マンピー)

愛の言霊~Spiritual Message(万座/渚園/茅ヶ崎/流石/大感謝祭/マンピー)

5回

いなせなロコモーション(ホタル/万座/渚園/茅ヶ崎/流石)

・YOU(ホタル/渚園/茅ヶ崎/大感謝祭/マンピー)

4回

・Ya Ya(あの時代を忘れない)(ホタル/流石/大感謝祭/マンピー)

・夏をあきらめて(万座/茅ヶ崎/大感謝祭/マンピー)

・マチルダBABY(万座/渚園/茅ヶ崎/マンピー)

・夕方Hold On Me(ホタル/渚園/茅ヶ崎/大感謝祭)

・夕陽に別れを告げて(ホタル/渚園/流石/大感謝祭)

太陽は罪な奴(万座/渚園/流石/マンピー)

・LOVE AFFAIR~秘密のデート(渚園/茅ヶ崎/大感謝祭/マンピー)

HOTEL PACIFIC(茅ヶ崎/流石/大感謝祭/マンピー)

 

…と2パターンの演奏回数を雑にまとめてみましたが、やはり所謂定番と呼ばれます曲が殆どを締めていますね。

夏のライブで必ず演奏されているのが、

勝手にシンドバッド

みんなのうた

真夏の果実

希望の轍

マンピーのG★SPOT

愛の言霊~Spiritual Message

HOTEL PACIFIC

の7曲になっていますね。ここに発売以降の夏のライブ…といいますか全てで演奏されているロックンロール・スーパーマンも入れても良さそうです。

40周年ライブ(仮)の最有力候補となりそうですが、最近の代官山通信の桑田さんの発言を見ますともしかすると留守番曲が出てくる…かもですね。

そういえば前回の夏ライブである「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」では「ホタル・カリフォルニア」以降初めて「C調言葉に御用心」と「ボディ・スペシャルⅡ」が選曲から漏れていた…という前例がありましたね(余談ですがC調言葉さんが1曲目でも良さそうですね。40周年ライブというC調言葉には御用心だよ、というメッセージを勝手に感じられそうですので(?))。

とはいえ比較的置き所が決まっている「真夏の果実」以外は序盤・煽りコーナー・アンコール辺りにうまく分散して配置されそうではありますが果たして…。

個人的には真夏の果実をソロではありますが、「ヨシ子さんへの手紙~悪戯な年の瀬~」や「がらくたツアー」で「白い恋人達」をアンコールに持ってきたのと同じような使い方をしないかな…と何となく思っております(戯れ言…もしくは妄想シリーズです。…まあ古賀紅太ライブではアンコールでやったことがありますが)。

一方で「マチルダBABY」は灼熱のマンピーが「茅ヶ崎ライブ」以来13年ぶりの夏ライブだったのですね。…となると2008年以降石垣島へ移住した疑惑のある(?)「いなせなロコモーション」さんも久々に上京してくる可能性もありますね(?)。

チルダさんが夏にご無沙汰だったのは渚園ビデオでの所謂「封印」発言の影響もありそうですね。渚園以降、ミスブラ・マチルダ・ボディスペ・マンピー・シンドバッド(+α)の全曲すべてを煽りコーナーに投入ということは無くなっています(茅ヶ崎ではシンドバッド抜きがありましたが)。特に2003~05年は、ミスブラマチルダコンビ(サナカ/みんな)とボディスペマンピーシンドバッドトリオ(流石/海の日)を(恐らく意図的にかと思いますが)分けて煽りコーナーに配置しています。ただ2008年と2013年以降はミックスされ、そこから3曲ほど選曲されるという傾向が見られるので恐らく新曲+いずれかの3曲+「みんなのうた」や「HOTEL PACIFIC」あたりを持ってきそうですが、現在の桑田さんの考えが変わらなければここも意外な曲やお久しぶり曲を持ってくる可能性もありますね。

序盤も構成も気になりますね、25、30周年のようにメドレーコーナーが設けられるのか、それとも1曲1曲で行くのでしょうか…。ただいずれにしてもお久しぶりねな曲が選曲されますね。25周年の「夜風のオン・ザ・ビーチ」や「女流詩人の哀歌」、30周年の「働けロック・バンド(Workin' for T.V.)」、「Hello My Love」、「東京シャッフル」、35周年の(これは中盤のアコースティックコーナーでしたが)「NEVER FALL IN LOVE AGAIN」など20何年ぶり…という曲がご登場されることがあったので、こちらのサプライズにも期待ですね。

ちなみに25、30周年のメドレーコーナーの両方で演奏された曲は「お願いD.J」「C調言葉に御用心」「朝方ムーンライト」「思い出のスター・ダスト」の4曲になりますね。もしメドレーコーナーがあった際にはこの曲達が含まれるのかにも注目していきたいですね(?)。

そういえばお願いD.Jは3度夏のライブにご登場されていますが、万座ビーチ以降は「激しい夜遊び」を除けばフルバージョンでは演奏されていないのですね…。果たしてサザンのライブで再びフルで演奏される日は来るのでしょうか。

個人的には万座ビーチまで割と夏ライブでよく演奏されていた「愛は花のように(Ole!)」が22年ぶりに演奏となるか…(ソロの古賀紅太では演奏していますが、それでも17年ぶりになります)というのともう1曲「ニッポンのヒール」が気になっております。「歌う日本シリーズ1992~1993」から「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」までの8回中5回ライブで演奏されていたのですが、その後は19年ご無沙汰になっておりますね(音楽寅さんで歌ったことはありますが)。この辺りを密かに注目したいと思います。

 

さて結局傾向をうまくまとめることが出来ず雑談や妄想で誤魔化した駄文となってしまいました。

…まあこんなにぐたぐたと書いていてあれですが、結局は何が演奏されても「わーい」と受け入れてしまう単純思考の私ですので何でもいいと言えば何でもいいというつまらない回答が出てしまうのですが…。

そんな私のどうでもいい思考はラケルの横道に埋めておくとしまして(?)既に新曲の情報は出ていますが、どのような形で表に出てくるのか、楽しみですね。

 

 

あとがきのようなもの

某サイダーのCMいつからだろう…と思っていたら既に始まっていることに今更気が付いたおじさんは私です…(普段テレビをあまり見ないせいで油断していた+未だ巡り会えず…)。

WOWOWで放送されたサザン・ソロのライブを雑にまとめてみた

また微妙なところからネタを引っ張って来てしまいました…。

近年WOWOWでライブの生中継が行なわれていないということで過去のライブ放送を改めて調べてみようと思いましてまたまた雑にまとめてみました。

一応ライブ名の横に、中継か録画かを載せました(抜けがあったらごめんなさい)。

流石に特番等は載せていませんのでご了承ください…。

 

・Acoustic Revolution

3月26日(最終日・日清パワーステーション)録画放送

・花咲く旅路

6月7日(ツアー最終日・武道館の映像)録画放送

・THE音楽祭 1991

9月1日(ツアー最終日・横浜スタジアム)録画放送

Act Against AIDS ’97 歌謡サスペンス劇場

12月1日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)録画放送

・モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~

8月9日(最終日・渚園)生放送

・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~

5月27日(最終日・東京ドーム)録画

茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎

8月20日(最終日・茅ヶ崎公園野球場)生放送

・ゴン太君のつどい

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

Act Against AIDS ’01 「クワガタムシ対カブトムシ」~桑田佳祐PLAYS“ザ・ビートルズ”~

12月2日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)生放送

桑田佳祐Xmas LIVE in札幌

12月24日(最終日・月寒グリーンドーム)生放送

・けいすけさん、色々と大変ねぇ

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

・「流石(SAS)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~

8月31日(最終日・横浜国際総合競技場)生放送

のちに総集編も放送

Act Against AIDS ’2003「栄光のDISCO&SOUL」

12月4日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)生放送

Act Against AIDS ’2004「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK~愛と青春の英国ロック~」

12月2日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)生放送

・暮れのサナカ

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

・みんなが好きです

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

THE 夢人島 Fes.2006

8月27日(2日目公演・浜名湖ガーデンパーク)生放送

のちに総集編も放送

・呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

・真夏の大感謝祭

8月24日(最終日・日産スタジアム)生放送

Act Against AIDS 2008「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦

12月2日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)生放送

Act Against AIDS 2009 映画音楽寅さん チャラン・ポランスキー 監督・脚本・主演「男はしたいよ」

12月2日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)生放送

原由子スペシャル「はらばん」

7月4日(1日限りの公演・鎌倉芸術館)録画

・宮城ライブ~明日へのマーチ!!~

9月11日(最終日・セキスイハイムスーパーアリーナ)録画放送

パブリックビューイングで宮城・福島・岩手の映画館では生中継されている

・年忘れ!!みんなで元気になろうぜ!!の会

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

・I LOVE YOU -now&forever-

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

・灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!

9月22日(最終日・宮城スタジアム)生放送

のちに総集編も放送

Act Against AIDS 2013「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦

12月4日(最終日・パシフィコ横浜国立大ホール)生放送

・ひつじだよ!全員集合!

12月31日(最終日・横浜アリーナ)生放送

・おいしい葡萄の旅

5月23・24・26日東京ドーム+7月4・5日福岡ヤフオク!ドーム公演のミックス 録画

・ヨシ子さんへの手紙 ~悪戯な年の瀬~

12月31日(最終日・横浜アリーナ)録画

・がらくたツアー

11月11・12日東京ドーム+12月16・17日京セラドーム大阪公演のミックス 録画

 

さて少しピックアップしていきましょう…という名の駄文タイムでございます。

1991年ですが何とライブを3つも放送しているのですねえ。開局からまだ間もない時期ですからサザンを新コンテンツの大きな目玉の1つとしていたのでしょうか。

その記念すべき(?)第1弾は桑田さんのソロ企画「Acoustic Revolution」でした。録画放送とはいえサザン・ソロを含め初の全曲放送(内容は後に発売された製品版と同じ物らしい)となり早速有料放送の力を(?)発揮しました。その一方で第2弾とも言える原さんの「花咲く旅路」ライブの放送では9曲のカットとなっています。ちなみに余談ですがこのライブTOKYOFMでも放送されており、こちらでしか聴けない曲がある一方で両方ともでカットとなっている曲が残念ながらありますね…。そして第3弾はサザンの「THE音楽祭 1991」でした。全曲放送+ドキュメンタリーと約4時間放送されました。…といきなりの3ライブ放送でしたが、その後しばらくサザン・ソロのライブ放送は途絶えてしまいます。

しかしその間は年越しはTBS、AAAはNHK、テレビ放送されなかった夏ライブやツアーは製品化という形が何となく出来ていたことにより全曲、とはいかないまでも殆どのライブは眼にすることは出来ていたのですねえ…。

次にWOWOWで放送されたのは1998年の年明けに7年ぶりとなりました「Act Against AIDS ’97 歌謡サスペンス劇場」(録画放送)でした。この放送は3曲カットとなっていますが、これ以後の放送では「はらばん」での「いつでも夢を」以外(特番でライブの映像を一部放送というものを除けば…といいますかはらばんも一応特番枠ではありますが…)基本的には全曲放送となっていますね(日替わり曲を除く)。

そして翌1998年の「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」は初の生中継での放送となりました。翌年の「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」は録画放送でしたが、それ以後は2014年の「ひつじだよ!全員集合!」まで最終日が生放送されることになります(特番としてOAされた「はらばん」のライブテイクが録画版)。

また2000年の「ゴン太君のつどい」で年越しライブを、2001年の「Act Against AIDS ’01 「クワガタムシ対カブトムシ」~桑田佳祐PLAYS“ザ・ビートルズ”~」でAAAを実質的にTBS・NHKから引き継いだ形となりました(ゴン太君はTBSと同時中継でしたが)。この辺りでサザンのライブ=WOWOWが定着したと言えますでしょうか。

2007年には01.03.04.06.のAAAを一挙に再放送するなど全盛期に(?)ありましたね。

しかし諸々の影響からか2015年の「おいしい葡萄の旅」からは録画放送となっております。2016、17年の桑田さん年越し公演は福山雅治さんのライブの中継となったので、アミューズ的には結果的に世代交代と言いますか結婚記念のプレゼントだったのかもしれませんね(?)。

今後の生放送となりますとどうなりますでしょうか…。今年はサザン40周年ということで恐らくあると思われる夏のライブの放送がどうなるかによって決まるのではないのでしょうか…。もし節目でしかもサザンのイメージの1つである夏という条件が重なるライブを生中継しない、となると今後の生放送の可能性は著しく低くなるのではと思います。ただ2015~17年の間にAAAライブを開催していないので、AAAの放送はどうなるのか…という疑問がありますね。どうなるのかは分かりませんが、もしかするとライブツアー・年越しは録画放送、節目のライブ・AAAは生放送というような棲み分けが今後なされるのかもしれませんね。

いつかWOWOWでライブが放送されなくなる時が来るのでしょうか…。万が一そのようなことがあるとしたなら、最近の関係を見ますとNHKが第一候補となるのでは…と勝手に思っております。

まあこんなに書いていてあれですが、個人的には別会場公演が混ざってしまうと見辛いというのはありますが、放送・映像化されるだけでありがたいと思ってしまうタイプでありますので、生・録画問わず良い塩梅で放送され続けることを祈っております…。

 

 

あとがきのようなもの

今日がアルバム「葡萄」が発売となって3年になる日だったのですね…。それにかすりもしない微妙な文章となってしまいました…。

 

1994年の長嶋茂雄と桑田佳祐

1994年10月8日、野球ファン…いや日本中の注目を集めるプロ野球の試合が行なわれていた…。愛知のナゴヤ球場での中日ドラゴンズ読売ジャイアンツのシーズン最終戦である。両チームとも69勝60敗という全く同じ成績で並んでおりこの試合に勝ったチームがセリーグ優勝という1戦になっていたのである。この1戦を「国民的行事」と呼んだのは、当時ジャイアンツの監督を務めていた長嶋茂雄であった…。

時を同じくして福岡である1人の歌手のライブが始まろうとしていた…。この年サザンオールスターズの活動を休止し、ソロ活動を行なっていた桑田佳祐である。

今回はそんな両者の1994年に焦点を当てていきたい。

 

1993年、12年ぶりに長嶋茂雄読売ジャイアンツの監督に復帰し、期待されたシーズンであったが、ペナントレースは3位に終わってしまった。また64勝66敗1分と勝率も5割を切ってしまった(これは1979年以来のことでありこの時の監督もまた長嶋であった…)。

そこでシーズンオフ1つの大きな補強を行なった。この年導入された一定の資格を満たした選手が他球団と交渉を行なうことの出来るフリーエージェント制度により、所謂FA宣言をしていた中日ドラゴンズ落合博満の獲得である。首位打者・ホームラン王・打点王を各5回、三冠王を3回獲得した大打者であった。一方で「オレ流」と自らを評し、周りからもそう呼ばれていることもあるようにマイペースで気難しい一匹狼と言えるような一面も持っていた。一説によれば球団内部からは獲得に反対の声が多かったが長嶋が押し切り獲得した…とのことである。落合の著書によれば長嶋は「巨人の選手達に戦う姿勢を植え付けてくれ」という注文をしたという。落合は「オレ流」と呼ばれる一方で、親分肌な一面も持ち合わせており後輩の選手達から慕われていた。その影響力を長嶋が今のジャイアンツに最も必要であると1年の戦いを経て痛切に感じていたのだろう。と同時に1000日計画で四番打者として育て上げると長嶋の監督復帰と共に入団した松井秀喜への「最高のお手本」として獲得したという側面があったのかも知れない…。

 

桑田佳祐はサザンの活動の中(現在のようにサザンの活動休止→ソロ活動という流れでは無かった)1993年10月に5年ぶりとなる個人名義でのシングルCDを発売した「真夜中のダンディー」である。今までのサザン・ソロ曲にはほとんど無かったリアルな年齢感(当時の桑田は37歳)を生々しく切り取った(のちに自らの著書で「年齢的に枯れていく自分というのを意識し始めていた」と記している)ような楽曲であった。

それまでのサザンのイメージである「夏」や「楽しいステージ」、87~88年のソロ活動のテーマでもあった「ポップス」という部分からは遠いところにいるような、当時としては「浮いた」存在だったのかもしれない。

そんな曲ではあったが桑田佳祐名義のシングルCDでは初めてオリコンの1位を獲得している。結果的にこのヒットによって翌年の活動方向が定まったのかもしれない。

 

今ではその所謂その「個性」がファンの中で認知されているように思うが、落合博満真夜中のダンディーは当時のチームの中・楽曲の中でどこか「一匹狼」や「劇薬」と言えるような存在だったのかもしれない…。

1993年末に新たに加わったそれぞれが翌1994年の出来事の「核」となったのでは無いのだろうか…。

 

1994年の開幕戦、ジャイアンツは11対0で快勝した。この試合四番で出場した落合は早速ホームランを打った。前の三番に座った松井も2本ホームランを打ち、最高の形でシーズンのスタートを切った。この開幕戦の勢いそのままに4月の終わりには早くも首位に立っていた。その後も首位の座をキープし独走態勢に入りつつあった。

前年は野手陣の怪我や衰えによる世代交代の時期に差し掛かっていたこともあり中軸を固定できなかったが、「三番・松井秀喜」「四番・落合博満」と不動の三・四番コンビが軸になったことで安定した戦いを行なうことが出来たのも大きな要因の1つだった。

また5月には福岡で槙原寬己が史上15人目の完全試合を達成したこともチームの勢いに繋がった。

6月終了時には42勝22敗という成績で貯金20と首位を独走し、早くも優勝は確実という声があったほどである。

 

桑田は6年ぶりとなるソロ名義のアルバム制作に取りかかっていた。一方で親交のある泉谷しげる森雪之丞のライブに飛び入り出演するなど、サザンの枠に囚われない活動も行なっていた。

8月にはアルバムからの先行シングルとなる「月」を発売した。それまでの桑田作品とは違ったある種の静寂感のあるこの情緒的な曲は、桑田本人のお気に入りとなったこともあり、後にライブでは頻繁に演奏される曲となるが、特にこの1994年にはアルバム・そしてライブツアーにおいて真夜中のダンディーと同じく核となる曲となってゆく…。

そして9月アルバム「孤独の太陽」が発売された。アコースティックサウンドを前面に出したシンプルなアレンジの曲が並び、歌詞も内面の悲しみや苦悩、怒りといった感情を表したような世界観が多く、今までの桑田(サザン)のイメージが「明」であれば間違いなく逆の「暗」の世界へ振り切った作品となっている。

このアルバムと共に9月29日からライブツアーが始まることになる…。

 

首位を独走していたジャイアンツであったが、7月に入るとシーズン初の5連敗を喫するなどチームはシーズン当初の勢いを失い始めていた。6月までと比べて打線が湿りがちになっていたことが影響してしまった。この連敗が響き7月はこの年初めての負け越しとなってしまった。しかしこの時点では2位とのゲーム差は十分離れており、1度優勝マジックが点灯していたほどである。だがこの負の流れを断ち切ることが出来ない。なんと8月9月も負け越してしまう。最大「20」あった勝ち越しは9月終了時点で「7」にまで減ってしまったのである。この間に差を縮めてきたのが中日ドラゴンズであった。8月までは勝率5割ラインで2~3位が定位置となっていたのだが、ジャイアンツの失速と9月には(10月を跨いだ9連勝を含む)11勝4敗と大きく勝ち越し、9月28日には直接対決に勝利したことにより125試合目にして66勝59敗と全く同じ成績でついに並んだのである。残り4試合も両チーム共に3勝1敗の成績で、69勝60敗と同じ成績で並んだまま、勝った方が優勝という最終戦にまでもつれ込んでしまった。

そしてついに10月8日ドラゴンズの本拠地であるナゴヤ球場の試合は日本プロ野球初の同率首位のチームによる優勝決定戦となったのである。

 

アルバム発売後桑田はある騒動の当事者となってしまう。アルバムに収録され、後にシングル「祭りのあと」B面曲としてシングルカットされた「すべての歌に懺悔しな!!」という曲の歌詞の内容について矢沢永吉長渕剛の2人を指しているのではないのか、という旨の記事が週刊誌等で騒がれ始めた。桑田は会見を開き否定と謝罪を行なったものの、長渕はインタビューで反論し、桑田vs長渕という構図でファンや音楽評論家を巻き込んだマスコミによる報道が翌年長渕の逮捕で収まるという形で連日行なわれた。

この騒動の影響か既にスタートしていたライブツアーでは演奏されていた「すべての歌に懺悔しな!!」であったが、これ以後封印扱いされてしまうこととなる(現在も発売等されてはいる)。

騒動の余波が残る中桑田は全国30ヵ所35本のツアーに旅立って行く…。

 

10月8日ナゴヤ球場で行なわれた一戦、後に「10.8決戦」と名付けられた試合であったが、序盤こそ両チームとも優勝決定戦という緊張からかエラーなどのミスが相次いだが、ジャイアンツがペースを掴むと、終始そのペースを維持し6-3というスコアでジャイアンツが勝利し、セリーグ優勝を決めた。ジャイアンツとしては1990年以来4年ぶり、長嶋にとっては第1次監督時代の1976年以来実に18年ぶりの優勝の美酒であった。

長嶋はこの試合で先発三本柱である、槙原寬己・斎藤雅樹桑田真澄の3人を投入という思い切った采配を行なった。一方でドラゴンズの監督であった高木守道は先発にエース今中慎二を立てつつもリードを許した後は、エース級であった山本昌郭源治という投手を投げさせること無く、普段のシーズンと同じ投手起用を行なった。この投手起用の差が明暗を分けたと後に言われることもあったが、普段先発の投手を中継ぎに起用するのにも当然リスクもあり、普段通りの起用であれば選手も出番が分かりやすく準備がしやすいという利点もあるためどちらが正しいとは一概には言えないが、結果的には長嶋の采配が的中した形となった。

この試合に負けることがあれば引退、と胸に秘めていたという落合は3回裏に負傷退場となるまで、2回に先制点となるホームラン、同点に追いつかれた3回に勝ち越しとなるタイムリーヒットを放つなどの活躍を見せた。また5回には松井にもホームランが出た。これがシーズン20本目と区切りのアーチとなった。

ちなみにジャイアンツは並ばれたとは言え1度も首位の座を譲っていないのである。故に一部では長嶋茂雄による自作自演、などとも言われることがある。まあ盛り上げて最後の最後最終戦で優勝を決めた、というのは何とも長嶋らしく、また長嶋だからこそ、ともなってしまうのであるが…。

そしてこの日にライブを終えた桑田はテレビでこの試合の様子をチラッとだけ見た後に別室へ移動してしまった。バンドメンバーやスタッフの面々は引き続きテレビで試合を見守り、ジャイアンツが優勝した瞬間、歓声が上がっていた。

別室にいた桑田にスタッフが試合の結果を伝えると一言呟くように「つまんねーな」と返していた。

桑田は自らの著書に「アンチ巨人」と記したこともあったため、単にジャイアンツが優勝したことを指しているようにも思えるが、あまりにも前述した長嶋の自作自演のシナリオ通りに進んでしまったことに対する苦笑いにも似た感情、もしくはかつてONのものまねを披露したことがある・長嶋の引退時に思わず涙した…、というエピソードもあるほど長嶋、ONは少年時代のヒーローだったとも述べており、1980年シーズン終了後、長嶋の辞任という名の「解任」で最初の監督生活を終えているということは桑田の世代の中では特にそれが「事実」として知れ渡っているはずなので、自らを切り捨てるように解任したチームに戻り優勝した事への複雑な感情が表れているのではないのだろうか…。

まあ単にもしかするとちょうど曲の騒動の件が巻き起こり始めた頃でそれどころでは無かっただけなのかもしれないが…。

後に長嶋のことを歌った「栄光の男」という曲を桑田は作ることになるが、それには19年の時が流れることとなる…。

 

この1994年、長嶋茂雄桑田佳祐の2人にはもう1つの大きな出来事が起こっていた。母親が亡くなったのである。

長嶋の母は7月に92歳で亡くなった。7月と言えばこのシーズンで初めてジャイアンツが負け越した月である。遠征先であったが母親が亡くなったことを選手や関係者に告げることなく監督として指揮を執った。長嶋自身は「勝負の世界に入ればプライベートはない」という姿勢であったが、この出来事が長嶋の所謂「動物的カン」を鈍らせ、失速に繋がってしまったのではないのだろうか。

時は1957年に遡る。当時立教大学の4年生で六大学野球のスターとして様々な球団が長嶋の獲得を狙っていた。その中で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)入りが確実と言われていたのだが、最後になって一転ジャイアンツ入団が決定した。この決断の裏には母の存在があったという。母の希望は「関東から離れて欲しくない」ということだった。母にとって長嶋は末っ子であり、自分の手から離したくないという思いがあったようである。長嶋自身も父が大学1年次に亡くなった後も女手一つで大学卒業まで支えてくれた母への強い思いもありその願いを断ることが出来なかったのである。

それほど母親に愛され愛した長嶋にとって無意識のうちに母親の死が監督としての采配に僅かな綻びが生まれていたのかも知れない…。

 

桑田の母は2月に60歳で亡くなっている。

この時、ちょうど桑田のソロアルバム制作の時期だった。後に桑田は悲しいから悲しい曲を作るわけではないが、音楽をやっている以上はそうした巡り合わせから生まれ出た心境も、曲のどこかに現れたと思うと後に述べているように、曲の間からその影響が受けたであろう空気を感じることが出来る。

桑田が母を送る歌、と語った「JOURNEY」という曲がある。その歌詞の中にこんな一節がある。「寂しくて口ずさむ歌がある 名も知らぬ歌だけど 希望に胸が鳴る」

そして思わぬ騒動の発端になった「すべての歌に懺悔しな!!」であるが、今思うにこの曲は寂しくて口ずさむ名も知らぬ歌に対しての「懺悔」だったのではないのだろうか。歌が得意で世渡り上手な自分が上手いことスーパースターとなり世界は自分を中心に回っている、と思っていた時にふとしたきっかけで立ち止まり、不意に口ずさんだ歌で幼き時代と今の自分を振り返り、急に襲ってきた悲しみとそれまでの自分という「虚構」を自分の含めたミュージシャンの印象を含め、詞に落としたのではなかったのだろうか。そんな架空の人物を作り上げたつもりが当時の心境が影響したのか、様々な「リアル」強く浮き出てしまった結果があの騒動だったのかもしれない。

そして「すべての歌に懺悔しな!!」がシングルカットされた際のA面曲である「祭りのあと」にもこのような一節がある。「悲しみの果てに 覚えた歌もある」

この曲は桑田の十八番といっていいような所謂情けない男の歌であるが、とらえ方次第ではこの曲も母を想う歌にもなるのかもしれない。この3曲は何処かで繋がっていたりするのだろうか…。

思えば「すべての歌に懺悔しな!!」この2つの「歌」のため、そして自分自身が全てを受け入れ、前に進むために必要な曲だったのではないのだろうか…。

 

ジャイアンツは西武ライオンズとの日本シリーズも4勝2敗で勝利し日本一に輝いた。監督・長嶋茂雄として初めての日本一でもあった。

桑田は途中母校である青山学院大学でのライブ、AAAのライブにサザンとして参加という活動を経て、最終公演となった横浜アリーナでの年越しライブでツアーは無事に幕を閉じた。

翌1995年桑田はマンピーのG★SPOTで2年ぶりにサザンとして本格的な活動を再開した。一方長嶋は日本一の達成直後であったがFA宣言していたヤクルトスワローズ広澤克実広島東洋カープ川口和久を獲得、更にスワローズを自由契約となっていた外国人選手ジャック・ハウエルも補強している。

この95年以降、桑田のイメージは夏・下ネタが好きなおじさん、長嶋は天然で毎年のように補強を繰り返すことから欲しがり病と揶揄されるようなキャラクターが定着することになるが、もしかすると94年に自らの内面の1部ともいえる姿を見せたことにより、意図してそのような仮面を被っていたのかもしれない…。

そういった意味でこの1994年は国民的と呼ばれることのある2人の「素顔」を垣間見ることの出来た最後の年だった、といえるのではないであろうか…。

 

 

長めのあとがきのようなもの

さてさて自分の好きなものを都合良く解釈して無理矢理繋げようとした雑文シリーズでございました。

2000年の長嶋茂雄サザンオールスターズの続編というか序章的なものになって…いませんね…。がっかりよ(?)。

ここまでサザンを主にジャイアンツ関係の選手と繋げていますが、偶然です…w。一応次はこの年かな…と考えているのは別なチーム(の選手)なので書くかは分かりませんがアンチ巨人の方はご安心を(?)。

当初は長嶋茂雄(2月20日)と桑田佳祐(2月26日)2人の誕生日の間の2月23日までに仕上げたかったのですが、間に合いませんでした…。せめて桑田さんの誕生日までは…と気合いを入れたので(当社比)締め切りは大事だなと思いました(?)。

個人的に自分が読みたいシリーズでもあるので万が一野球とサザンの両方が好きな方がいましたら是非よろしくお願いします(?)。