適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

1979年夏、ふたつのいとしのエリー

サザンカバーまとめの番外編のようなものでございます。

1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューし、一躍注目を集めたサザンオールスターズでしたが、世間からは当初コミックバンドという見られ方をしていた…。しかし翌年の1979年にリリースされた「いとしのエリー」で世間の眼は180度変わった…というのが初期サザン史の有名な話ですね。

そんないとしのエリーに火が付きチャートの上位常連となっていたこの年の夏、早くも自身のライブでこの曲をカバーしていた歌手が、2人いらしていた事をご存知でしょうか…?

その2人とは、小柳ルミ子さんと西城秀樹さんです。小柳さんは8月11日にNHKホールで、西城さんは8月24日の後楽園球場のコンサートという、もちろん偶然なのでしょうが、2人共に8月の非常に近い時期に披露していたのです。そしてこの時の歌唱は小柳さん版は「やさしさということ…」、西城さん版は「BIG GAME '79 HIDEKI」というレコードに収録され後に発売されているのです(「BIG GAME '79 HIDEKI」は後に限定盤として1999年にCD化されていますがこのCD版の入手は困難でオークションでも高値で取引されております)。

このお2人のいとしのエリー、当たり前なのですが上手いのですよねえ…。小柳さん版は後に多くの歌手によってカバーされることになりますこの曲の女性版のお手本といいますか、とてもスタンダードな歌唱という感じでしょうか。西城さん版は最後のエリーの部分など、どうしてもそういう印象が強いからなのかエリーでローラと傷だらけのローラが頭に浮かんでしまうところがありますが、ボーカルの強さといいますか、ヒデキの熱さと悪天候による大雨の音が相まって、まさに「熱唱」という言葉がぴったりなテイクと言った感じですかねえ。

恐らくこの1979年の段階ではお2人とも桑田さんよりも歌いこなせているのではないのでしょうか。桑田さん自身で作詞作曲していますが、サザンのいとしのエリーはテレビやライブで何度も歌い、演奏することで徐々に完成されていった…という気がしますね。

そしてこのお2人と桑田されるは年齢が近い(桑田さん1956年、小柳さん1952年、西城さん1955年生まれ)ところにも注目したいですね。同世代ではありますが、サザンのデビュー前から既に第一線で活躍している歌手の方にカバーされたというのは、話題性や当時のヒット作、という側面があったと思いますが、後の中村雅俊さんへの「恋人も濡れる街角」の提供や、高田みづえさんに「私はピアノ」を、研ナオコさんに「夏をあきらめて」とカバーされた曲がヒットしたということで、サザンのボーカルとしての桑田佳祐としてだけではなく、音楽作家としての桑田佳祐というところが、より評価されるようになっていったと思いますが、その才能を同世代だからこそいち早く感じたゆえのカバー、という一面がもしかするとあったのではないのでしょうか(ちなみに小柳さんはエリー歌唱前のMCで「私の大好きなシンガーソングライター」と桑田さんの名前を挙げています)。

このカバーは、1979年のサザンの世間や業界での評価が変化してゆく過程や空気感が含まれているのと同時に、同世代の歌手達から良い意味でライバル視されるようになった事を今に伝える貴重なテイクなのかもしれませんね。