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1994年桑田佳祐ソロライブツアー「さのさのさ」のセットリストを今更雑に見てみる

リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第6弾でございます。今回は1994年の桑田さんソロライブツアー「さのさのさ」のセットリストを振り返ってみようと思います。

 

例によっていくつかのブロックに分けて書いていこうと思います。



1.洒落男

2.漫画ドリーム

3.希望の轍

4.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

5.鏡

 

1曲目は「洒落男」でスタートでしたね。カバー曲ではありますが、一部替え歌がされているところがありましてオチが「38で妻子持ち~」と。何か妙にリアルなのですよね…w(この部分は製品版にも収録されていますね)。とはいえあくまでovertureとしての披露、という感が強めではありますね。

次が実質1曲目と言えます「漫画ドリーム」。アルバム「孤独の太陽」の1曲目と同じ流れではありますが、こうライブ映像を改めて見てみますと、何と申しましょうか…過去のライブを見返してもなかなか無いスタートですし、流れや雰囲気的にも、そして桑田さん的にも1つクッションが欲しかったのかな、と思ってしまうのです。

その漫画ドリームの流れのまま、アコースティックバージョンでの披露となった「希望の轍」・「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」と続きます。何と申しましょうか…。サウンド全体は勿論ですが、原曲のあのイントロのイメージが特に強いこの2曲をそういったアレンジで、しかもソロライブで披露するというのは、勿論サザンとの差別化を図っていたのだと思いますが、そこに敢えてこの2曲を持って来たというのがそれをより露骨に示したといいますか…。余談ですがこの2曲はサザンで出演した「Act Against AIDS’94」でも披露(しかも同じ轍→ミスブラという流れ)しており、結果的にそういった差別化を意図的に図ったかのようにより感じてしまうのですよね…。

そして「鏡」の演奏終わりと共に年越し。この頃には珍しい曲の途中ではなく、曲が終わってからの年越しでしたね。それまでの年越し単発公演ではなく、初めてツアーのラスト、千秋楽+年越しという流れでしたし、あくまでツアーのラストとして敢えて年越し色を強くしなかったのかもしれませんね。これもある意味ではサザンとの差別化ともいえるのかもしれません。

 

6.エロスで殺して(ROCK ON)

7.しゃアない節

8.太陽が消えた街

9.飛べないモスキート(MOSQUITO)

10.月

11.悲しみはメリーゴーランド

12.ヨイトマケの唄

 

ここからはアルバム「孤独の太陽」のコーナーでしたね。年越しの関係で鏡までを最初のコーナー分にしましたが、本来はこちら側だったでしょうか…。

「エロスで殺して(ROCK ON)」先輩は製品版では途中で編集カットというまさかの扱いとなっていますが、放送版では無事で良かったですね(?)。しかしその後フルバージョンが製品化されるのは28年後の「LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」」の発売まで待つことになります。

一方で生放送版で放送された「太陽が消えた街」はその後ライブ演奏されていないことを考えますと、貴重なテイクとなっていますね。

前半のアルバムコーナーラストは「月」。孤独の太陽は一度鏡で始まり月で締める、と結果的に漢字一文字曲がこのコーナーのキーとなった感じでしょうか。

そしてサザン名義曲である「悲しみはメリーゴーランド」へ。原曲のフォーク調から大きくアレンジされてロック調となっていますね。このツアーでは原さんも女性サポートメンバーもいないステージにいるのは男性だけという、(ラジオ等のライブを除けば)今から見ると珍しい編成となっていますが、それがどこかKUWATA BAND感があるのですよね…。雰囲気なのかメンバー構成なのか歌唱・演奏なのか分かりませんが、その中にどこかブルースを感じるのは、ソロライブだから、というのもあるのかもしませんね。

そしてカバーである「ヨイトマケの唄」。前年の「Act Against AIDS’93」でも披露しているとはいえ、ソロライブでも披露されるとは予想した方も殆どいなかったのではないのでしょうか。桑田さん自身は以前に夜遊びでヨイトマケの唄の選曲について、「曲数が無かったから何故か選んだ」「でもハマったんだよね」と回想していましたが、AAA 93で披露していたこともどこかに残っていたのかもしれませんね。…きっとこの1年の間に1つ意味が少し変わってしまった曲でもあるのでしょうけど…。

 

13.MERRY X'MAS IN SUMMER

14.BAN BAN BAN

15.悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)

16.僕のお父さん

17.JOURNEY

(演奏しない公演もあった模様)

18.祭りのあと

 

孤独の太陽の世界が中心だった前半から一転してポップなコーナーになりましたね。今見ても「MERRY X'MAS IN SUMMER~BAN BAN BAN~悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」という流れはフェス感があるといいますか、逆に今のライブでは組まれにくいといいますか、ストレート過ぎてあまりやるイメージが沸かないですね。

これくらい振り切らなければ全体のバランスが取れなかった、というのもあるのかもしれませんが。

個人的にこれの逆に当たるのがサザンでの1998年「スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』」の「CRY 哀 CRY~Computer Children~01MESSENGER~電子狂の詩~」という3曲になるのでは…と思っております。

故に「僕のお父さん」の暗さがより強調されるといいますか、光と影の陰影がかなり濃く描かれる時間になったと思うのですよね。

そして「JOURNEY」。当時の代官山通信に載っていたセットリストを読みますと、「やらないことも…」とこの曲にはあるのですよね。アルバムツアーでありながら演奏しなかった公演もあるというかなり珍しい起用となっています(ツアー途中に行われた「青山学院大学学園祭ライブ「帰ってきた青山のダンディー」」の公演でもカットされていますね)。もちろん喉のコンディションなどといったところから日によって外していたと考えられますが、その曲のテーマ故にどうしても歌えないという心境に襲われることもあったのかもしれません。

だからこそ新曲として「祭りのあと」があったのは良かったと思うのですよね。良い意味でクッションといいますか、適度なポップさと桑田さんらしい「情けない男」のラブソング、というのが曲による感情の高低の後に待っている、というのが客席にも桑田さん的にも煽りに行く前の一息付くところといいますか…。JOURNEYの「寂しくて口ずさむ歌がある」が祭りのあとを、祭りのあとの「悲しみの果てに おぼえた歌もある」がJOURNEYを指していて、名も知らぬ歌と覚えた歌としてお互いにバランスを取り合っていたのかも知れませんね。

 

19.北京のお嬢さん

20.ハートに無礼美人(Get out of my Chevvy)

21.貧乏ブルース

22.ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)

23.すべての歌に懺悔しな!!

24.真夜中のダンディー

 

ここからは煽りコーナーでございますね。サザンでもソロでもKUWATA BANDでもなく、SUPER CHIMPANZEEから「北京のお嬢さん」というのがまた意外といいますか、意表を突く選曲ともいえるのかもしれません。良い意味でソロの曲数が少なかったからこそ出来た選曲なのかもしれませんね。

「ハートに無礼美人(Get out of my Chevvy)」は悲しい気持ち以外ですと、唯一1stアルバム「keisuke Kuwata」からの選曲ですね。DVDで一瞬だけ青学祭でのこの曲の様子が収録されていますが、あれは本当に一瞬過ぎますね…w。このライブから2002年の「けいすけさん、色々と大変ねぇ。(年越しライブ2002「けいすけさん、年末も色々と大変ねぇ。」)」まで、2001年「古賀紅太No Reason! ライブハウスツアー」を除けば煽りコーナーで皆勤でしたし、ソロライブ初期の煽りを担った重要な曲でありましたね。

そして孤独の太陽曲の間に唐突に登場されましたは、サザン名義の「ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)」。ソロワールドから急にサザンのライブになってしまった感がありますね。それだけ曲の強さがあるということなのでしょうが、やはり構成上わざと「浮かせた」といいますか、こういった曲が欲しかったということなのでしょうね。曲調等々違いはありますが、この役割を後に波乗りジョニーが担うようになった感じはありますね。それかサザンでのライブ定番曲を敢えてここに持って来ることで「貧乏ブルース」の「刺激という名の手堅い世界」「ドル箱映画も不倫のドラマも 演る役者変わらぬ芸能社会」等々のフレーズを活かす、もしくは皮肉的な見せ方をしようとしていたのかもしれませんね。そしてその使い方をまた次の曲目で回収した感もまた同時にありますね。

そしてJIVEメドレーこと(?)、「すべての歌に懺悔しな!!~真夜中のダンディー」コンビがいよいよご登場でございます。何と申しましょうか…。SUPER CHIMPANZEEを経由して1度ボディ・スペシャルで「サザンの桑田佳祐」に戻った後に再びソロ、という煽りコーナーの流れが、1988年のサザン復活(とソロ活動)から1993年の所謂サザン第2期、この年1994年のソロ活動という流れを表わしているように感じてしまうのですよね。そして懺悔とダンディーというのがまた、この年思わぬ形で起きてしまったちょいとした騒動の曲と、37~38歳という不惑になる手前の桑田さんの年齢が出ている曲で締めるという流れになったからこそ、一見バラバラで破綻しそうに見えて、絶妙なバランスで成り立った煽りの選曲になったのだと思うのですよね…。

 

En0.いとしのエリー

(ツアーの途中で追加された…が演奏しない公演もあった模様)

En1.ニッポンのヒール

En2.女呼んでブギ

En3.孤独の太陽

 

最後はアンコールでございます。公式では「ニッポンのヒール」が1曲目になっていますが、代通によれば青学祭での披露以降、公演によって「いとしのエリー」をアンコールの頭で演奏することがあったようですね。しかしこの曲も「たまに…」とJOURNEYと同じような補足が付いており、お目にかかれるのはレアだったのかもしれません。恐らくJOURNEYを歌わなかった公演で代わりというと失礼ですが、歌ったのかしら…と思っていたのですが、こう見ますと両方を演奏しなかった公演も少なからずありそうですね。逆に言えば両方を演奏した公演に当たった方はとてもラッキーだったことになるのですね。

「ニッポンのヒール」に「女呼んでブギ」とサザン名義曲が連続披露されましたね。ここの選曲もまた絶妙といいますか、ニッポンのヒールの孤独の太陽感と原さんと女性サポートメンバーがいないからこそのある種羽目を外したかのような女呼んでブギ、というサザン曲ではありますが、サザンでは出来ない使い方をしている感じがあるのですよね。こう振り返るとソロの世界感を守りつつ、曲が足りないところを助ける絶妙なサザンからの選曲だったのではないのでしょうか。

ラストはアルバム名でもある「孤独の太陽」。生放送・製品版共にカットではありますが、原曲の感じでいいますと、暗いまま、といいますか孤独の太陽という世界を歌いきった感じでしょうか。何となく今、孤独の太陽をリリースしてツアーを行ったとしてもラストには持ってこないように思いますね。もちろんそのラストの役割を果たす曲(主に祭りのあとや明日晴れるかな)があるというのもありますが、今はアルバムを中核に置きつつも全体をそのアルバムの色に染めるという感じがしないといいますか…。敢えて一辺倒にせず、ある程度メリハリを付けるようにセットリストを組んでいるように思うのですよね。



さて雑に振り返ってまいりました。改めて見てみますと、初のソロライブだからこそセットリストの組み方の難しさを感じるといいますか、2枚目のソロアルバムでありながら、1stの「Keisuke Kuwata」とあまりにも色が違うためか、ソロ名義としてはほぼアルバム1枚からの選曲になった、というのがやはり大きかったと思うのですよね。

サザンとソロのジョイントライブといえた「サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭」とも後のサザンの曲も演奏した「Xmas LIVE in 札幌」とも違う、雑文の中でも書きましたが、サザン曲も孤独の太陽(もしくはさのさのさ)色に染まっていたというある種の特殊性といいますか、1994年、というあの年にしか出来なかったライブだったと思うのです。