とても久しぶりなライブの一部分にスポットを当ててだらだらと書いていくあのシリーズでございます。
今回はアンコール1曲目にスポットを当てていきたいと思います。
個人的にアンコールの1曲目というのは、一度流れが切れることで仕切り直せたり、逆に本編の流れを引き継いで再スタートと、ある意味では一番自由に選曲が出来る場所だと思うのですよね…。故に改めて見てみようかしら…と。
基本的にはサザンの公式サイトに載っている、ソロやフェスなどのイベント系を除いた、サザンのライブから書いております。初期のライブは昔の雑誌や個人サイト等で別なセットリストが載っていることがありますが、全てを把握、載せるのは難しい、また代官山通信などをチェックして明らかな間違いではない限りは公式のものを基準としております。
最後にこちらも久々に…。今回は長いです。
※(〇~〇年)は年を跨いだツアー、(〇-〇年)は年越しライブとなっております(みんなが好きですのようにツアーでラストに年越しというライブは後者の表記を使っています)。
・デビューコンサート「胸さわぎ」(1978~79年)
本編の11曲目でも演奏していましたが、アンコールでもご登場されました。ちなみにアンコール2曲目であり、ラストソングとなった勝手にシンドバッドも本編ラストで演奏されていますね。この頃はもちろん持ち曲が少なかったというのもあるのかも知れませんが、勝手にシンドバッドやテレビでの「目立ちたがり屋の芸人」発言などで所謂コミックバンドと見られていたイメージをあえてそのまま持ってきたのではないのでしょうか。もしくはテレビでノイローゼと叫んだように、まさに気分しだいで責めないでというメッセージのようなものを込めていたのかもしれません…。
サザン・ソロとアンコールラストはバラードナンバーがほとんどということもあり(近年は希望の轍・みんなのうた、そして勝手にシンドバッドで締めというのがありましたが)、2曲とはいえアンコールをお祭り騒ぎで終わるライブというのは当時の勢いといいますか、そういったものをストレートに表わした感がありますね。
・春五十番コンサート(1979年)
アンコール曲が1曲だけと言うこともあり、初のそして現在まで通じるバラードラストの始まりですね。
1曲目・終盤前・アンコールラストと3回も歌われております。
いとしのエリーのヒットと共にコミックバンドとも呼ばれていたサザンの評価が変わっていきましたが、「デビューコンサート「胸さわぎ」」とこのライブのアンコールでその評価が変わっていくところを感じられるような気がします(余談ですが、この頃桑田さんがオールナイトニッポンのパーソナリティに起用されたりこのライブがFMで放送されるなど、いとしのエリーのヒットにはラジオの力も大きかったのでは…と思います)。
・Further on up the Road(1980年)
Further on up the Road
ツアー名に使われた同名曲がそのままアンコールの1曲目として選曲されていますね。
このライブで(公式に記載されているセットリストとしては)初めてカバー曲がこのポジションで演奏されました。確か夜遊びで桑田さんが事務所の人が勝手につけたライブツアー名だったと話していた記憶がありますが、きっちり曲は演奏している辺りは流石といいますか、自分たちがそういった曲から受けた影響を返している感じがあって良いな…と思ってしまいますね。
このツアー終了後、テレビ番組の企画としてツイストとのジョイントライブがありその番組内でもこの曲が披露されていますが、アレンジ等々このライブと一緒だったのでしょうか…?
・サザンオールスターズがやってくるニャーニャーニャー(1980年)
レコーディングに集中するためにテレビ出演・ライブ等々の活動を約半年休んでいた後に行われたライブのアンコール1曲目であり、同時にラスト曲でもありましたね。
休養宣言後、そしてシングルを5ヶ月連続でリリースするという企画、「FIVE ROCK SHOW」最初のシングルだった曲をライブ活動再開後のこのツアーのラストに持ってくるというのが、この半年間を表わしているといいますか、ある意味で「タイニイ・バブルス」とこのライブを含めて「FIVE ROCK SHOW」という企画が完結した、という風にも見えてしまうのですよね…。
・コンサートツアー ゆく年・くる年(1980年)
「春五十番コンサート」以来2度目のこの位置でのご登場となりましたが、春五十番はアンコールが1曲のみの実質ラストソングという感じですので、複数曲演奏ということでは実質初のアンコール1曲目ということになりますでしょうか。
初の単独武道館公演というのもありましたし、この仕切り直しといえますタイミングで披露されたというのが、当時のこの曲の特別感がより伝わってくる気がしますね。
・そちらにおうかがいしてもよろしいですか(1981年)
ふたりだけのパーティ
前回のライブになります、「ゆく年・くる年」でもアンコールで披露されており、この時期はアンコール曲、という認識がある程度あったのかもしれませんね。とはいえこのライブ以降はしばらく披露される機会がなく、次に演奏されるのは16年後になってしまうとは、この時はまだ誰も知る由もないのです…(?)
・愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOO ツアー'82(1982年)
ツアー中に発売(ツアーは1月9日~26日、シングル発売日は21日)した曲をアンコール、しかも(公式サイトでは)ラスト曲というのは、当時の「何としてもチャコをヒットシングルに…」という意気込みが伝わってきますね。
このライブの様子を収めたVHS「武道館コンサート」(とこの映像を収録したDVD「ベストヒットUSAS」)にもチャコが収められていますが、公式のセットリストにはこのラストと8曲目の2度演奏したことになっています。映像と収録されているトラック数を見ますと、その8曲目のテイクと考えられますが、真相は如何に…。
・青年サザンのふらちな社会学(ツアーTHE NUDE MAN)(1982~83年)
Plastic Super Star(Live In Better Days)
唯一のライブ披露がアンコールというのも珍しいといいますか、その後演奏されないというのを見ますとよりいっそうレア度が増すといいますか…。
この次に演奏されたのが、「いなせなロコモーション」ということもあって、本編を基本盛り上げて締めるというパターンの中で、アンコールでもうひと盛り上がりしラストにバラードで締め、という煽り二段構成の元祖的選曲だったのかもしれません(とはいえこのライブの本編ラストは「Ya Ya(あの時代を忘れない)」でしたが…その影響もあったのかもしれませんね)。
・SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー '83(1983~84年)
夏をあきらめて
そりゃあ秋からスタートして2月に終わるツアーで夏の雨の海が舞台の歌がご登場では騙された気分になりますよね(?)。
打ち込みのデジタルサウンドを取り入れ始めた時期に前年のまだバンドサウンドで作られ所謂歌謡曲の雰囲気を兼ね備えた曲をここに持ってくるのはなかなか興味深い選曲のように思えてしまいますね。
もしくはこのツアー前の夏は自ら主催したものを含めサザンとして多くのフェスに出演した年でもありましたし、夏(からのツアー)をあきらめて(秋からのツアーになりました)というメッセージが隠されていたのかもしれませんね(?)。
・熱帯絶命ツアー夏“出席とります”(1984年)
マチルダBABY
長く煽りコーナーのライブ定番曲である、マチルダさんが唯一アンコールで披露された珍しいライブですね。ゴールデンコンビである「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND NEW-DAY)」と実は最初のライブ共演ではまだコンビを組んでいないというのはトリビアになりますでしょうか(?)。
このライブも本編ラストが「Dear John」とバラードで締めた影響があるのか、アンコールはこの曲と「夕方Hold On Me」と盛り上がり曲で構成されているのもそういったところでバランスを取っていたのかもしれませんね(噂ではここに夏をあきらめてがプラスされた公演もあったらしいですが…)。
・大衆音楽取締法違反“やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで(1984~85年)
ボディ・スペシャルⅡ
「熱帯絶命ツアー」と同じく煽りコーナーの大定番曲が珍しくアンコール起用された例となりますね。当時は最新アルバムの一歩前に発売された盛り上がり曲をアンコールに持ってくるのが、トレンドだったのかもしれませんね。
そしてこの曲の次を再び夕方Hold On Me先輩が務めており、何と申しましょうか…。桑田さんが渚園DVDのインタビューで話していた「これまでのサザンを封印する」のこれまでのサザンが作られていく過程が見える感じがあるのですよね…。
・縁ギもんで行こう(1984-85年)
ボディ・スペシャルⅡ
ツアー中の単発年越し公演ということもあり、基本的にセットリストは「クロだった」をベースにしていますね。そういうこともあるのかアンコール1曲目も同じくこの曲でしたね。ただ今回の相方は「勝手にシンドバッド」師匠になっております。ボディスペ→(マンピー)→シンドバッドという2000年代前半までの黄金パターンの流れが初めて採用されたライブともなりましたね。
・KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ(1985年)
夕方Hold On Me
公式のサイトには記載されていませんが、夕方先輩の前に、トゥレ・クンダの「テンケレンケ」をコラボで披露していますね。まあこちらが実質アンコール1曲目になるのですが…。それに加えて最初の方の公演(大阪・名古屋)では勝手にシンドバッドが夕方の前に選曲されているのでさらにややこしいですね(?)。まあアンコール大定番の夕方先輩にも、セトリ変更ごときによろめく受難の日があったということにしましょう(?)。
・サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭(1988年)
Bye Bye My Love(U are the one)
またこのライブのアンコール1曲目も複雑でして…。公式ではBye Bye My Loveとなっておりますが、公演によっては本編ラストに演奏された「メロディ(Melody)」がアンコールの頭に演奏されていたようです。
いずれにしましても、1985年の活動休止前のアルバム「KAMAKURA」収録曲であり、シングルでも発売された2曲がアンコールで披露された、しかもその前に本編で演奏されたのが、サザン活動再開のシングルである「みんなのうた」だったというのも、本編とアンコールの境がその活動休止と再開の3年間を表しているような感じがあって並びとして色々と考えてしまうのですよね…。
・いっちゃえ'89サザンde'90(1989-90年)
夕方Hold On Me
早くも2度目のアンコール頭でのご登場となりました。このライブが中盤が洋楽カバーコーナー、終盤に年明けに発売されたアルバム「Southern All Stars」から3曲披露といつものライブより既存曲の演奏が少ないライブでしたし、アンコールは(ラストのいとしのエリーを含めて)ベタといいますか、良い意味で冒険せずに求められるサザンをきっちり出した感がありますね。
・Southern All Stars 夢で逢いまSHOW(1990年)
Bye Bye My Love(U are the one)
「大復活祭」に続いてこのポジションでのご登場でしたね。大復活祭の正式タイトル名には真夏の夜の夢とありますし、偶然だとは思いますが、「夢」とBye Bye My Loveには何かそういったものを連想されるものがあったのかもしれません。後に続くのが夕方先輩でこの時期のアンコール定番曲を2つ続いて持って来
た、というのも1つ、90年代のアンコールの形がここで作られた感じもありますね。
・歌うサザンに福来たる(1990-91年)
Happy Birthday
生放送でも完全燃焼版でもアンコールは全く放送されず、本当に演奏していたのかでお馴染みのアンコールパートでございます(?)。
アンコール初登場のHappy Birthdayさん、この頃は公演日が年越しの1日だけということもあって、年越し=記念日=誕生日=この曲、という連想だったりしたのでしょうか…。
・THE音楽祭 -1991-(1991年)
LOVE POTION No.9
こちらは公演の途中(西武球場公演)から追加となりました。現在でも唯一のライブ披露となっていますし、最初のナゴヤ球場公演に来た人は惜しかったですね(?)(その代わりに本編に「恋はお熱く」が入っていましたが)。
稲村ジェーンのサントラ収録曲ではありますが、カバー曲がアンコール1曲目というのは公式のセットリストでは、Further on up the Road以来になりますね。まだ稲村ジェーンの余韻が残っていた1年後の夏、ということだったりしたのでしょうか…。
・闘魂!ブラディ・ファイト(1991-92年)
女呼んでブギ
この時の生放送版・完全燃焼版の両方でカットされてしまった唯一の曲となってしまい、映像が日の目を見ることが出来ないテイクとなってしまいました…。
音楽祭でもLOVE POTION No.9が入る前の公演ではアンコールの1曲目だったので、連続でこのポジションにという、クロだった〜縁ギもんのボディスペ先輩と似たような起用になっていますね。
・南天群星 北京で逢いましょう(1992年)
・歌う日本シリーズ1992~1993(1992~93年)
愛は花のように(Ole!)/いなせなロコモーション
北京ライブと歌う日本シリーズはほぼセットリストが同じなので、ここはまとめさせて頂きます。
「愛は花のように(Ole!)」は一見すると意外にも思えますが、当時の湾岸戦争や天安門事件などの社会情勢から後にAAAやサザンのライブでも歌うことになる「花~すべての人の心に花を~」を考えるもストレートに特に北京という海外公演で演奏するのは憚れたので、タイトルから連想してこの曲に…というのは流石に都合の良い解釈になってしまいますね。まあ世に万葉の花が咲くなり→万葉の花→この曲、という連想の方が考えとしては自然ですね。
ラストの武道館公演では「いなせなロコモーション」に変更されました。結果的にですが、次のライブでもこの曲がアンコール1曲目になりましたし、15周年イヤーのスタートとラストがここで繋がった感がありますね。
・しじみのお味噌汁コンサート(1993-94年)
さて歌う日本シリーズの方で先に書いてしまいました(?)(構成が下手)。
次の曲が「勝手にシンドバッド」なので、15周年煽り二段構成スペシャルとしてここで出してきた、といったところでしょうか。本編の煽りコーナーがデジタル色が濃いめではあったので、その辺りも分けてきた感もありますね。
・ホタル・カリフォルニア(1995年)
LOVE KOREA
アンコール1曲目に当時の最新シングル曲でしかもB面のこの曲を持ってくるというのは、かなり珍しい選曲ではないのでしょうか。この次の曲がアマチュア時代に作った1曲である「女呼んでブギ」というのも、最初と最新をアンコールに詰めた感じがあって、時代と言いますか、サザンの17年の走馬灯コーナーともいえるのではないでしょうか(?)。
…といいつつもVHS/DVDではカットされているという悲劇。あの「勝手にシンドバッド」のワンフレーズを持ってきた部分は本家と同じように「今何時?」「そうねだいたいね」のプチコール&レスポンスはあったのでしょうか。
・Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」(1996年)
ニッポンのヒール
最新アルバム「Young Love」のツアーのアンコール1曲目に前作のアルバムである「世に万葉の花が咲くなり」から持ってきたというのも興味深いですね…と思いきや、「私は騙された!!ツアー」からアルバムツアーのアンコール1曲目は前作のアルバムから選曲されていましたね。このツアー以降はその方程式がなくなってしまいましたが、ある程度意図していた部分もあったのでしょうか…。
・牛(1996-97年)
比較的珍しめの曲が多かった本編とは打って変わってライブ定番曲であるこの曲を持ってきていましたね。
ここでサザンらしさといいますか、アンコールも外さないところが優しいといいますか…。
何と申しましょうか…。会場やテレビ中継でイメージにある「あの」サザンを求めていた方々にとってみれば、ある種抑圧されたものが、この曲のイントロと共に解き放たれられたところがあったのではないのでしょうか。
・おっぱいなんてプー(1997-98年)
汚れた台所
イントロの頭がCMと被っていますね。マニアックな曲が多いと言われたライブの中では、何と申しましょうか…。発売からそれほど日が経っておらず、この時点でライブでも登場回数は多い方でしたので、マニアック曲の王道、むしろ定番曲と言っても良いような立ち位置にいた気がしますね。
とはいえ、前回の「牛」のアンコールが希望の轍・夕方Hold On Me・Oh!クラウディアだったと考えますと、アンコールでも本編の流れを引き継ぐといいますか、リセットして定番曲へ…というところにはいかない、という宣言も含まれていたのかもしれませんね。
個人的にはマイクスタンドから微妙に遠い位置でギターを弾いている大森さんが気になってしまいますね…w。
・スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』(1998年)
Bye Bye My Love(U are the one)
20周年ライブのアンコール1曲目は夕方Hold On Meと並び90年代のアンコール定番曲といえますこの曲でしたね。まさに20年の総括といいますか、これはアンコール全体にいえるのかもしれませんが、この曲に希望の轍・いとしのエリー・夕方Hold On Meと
これは40年のふざけるなツアーでの栄光の男・LOVE AFFAIR・ロックンロール・スーパーマンという流れにも似たものを感じてしまうのですよね。最後が旅姿六人衆(四十周年)なのもまた…。
・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~(1999年)
ニッポンのヒール/My Foreplay Music
福岡公演の初日までがニッポンのヒール、福岡2日目以降はMy Foreplay Musicと分かれたライブツアーとなりましたね。当時の特設サイトに載っていたムクちゃんのライブ日記的なコーナーで、福岡に2日とも来れた方は(曲が変わったので)ラッキーでしたね、と書いていたのが何故かずっと頭に残っているのですよね。
ニッポンのヒールは放送されず、アレンジ等は謎のままになってしまいましたが、My Foreplay Musicのあの前奏アレンジが個人的に好きなのですよね…。
・シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町(1999年)
まさかの君が代です。如何にもファンクラブ限定のシークレットライブならではと言えるでしょうか。桑田さん1人でのギター弾き語りによる歌唱なのも尚更そういったことを感じさせる要因なのかもしれません。ちなみに中盤からラストまで殆どの曲が一部カットの嵐となっている中で数少ない無傷の曲となりました(曲の短さを考えれば当たり前)。
・晴れ着DEポン(1999-2000年)
イエローマン~星の王子様~
桑田さんは全身黄色のまさにイエローマンという姿での歌唱でした。帽子には茅小という文字が。イントロと1番終わりでのやーややややーというコーラスはこの時だけでしたでしょうか。客席が黄色いハンカチと風船を持っているというのもある種の一体感があって良いですね。
個人的には2番の時に映る無表情で風船を振っているおじさんが何故だかとても好きなのです…w。
LOVE AFFAIR~秘密のデート
この時既にアンコール定番曲になりつつあったLOVE AFFAIR先生がアンコールの頭では初のご登場となりました。後に続くのが夕方先輩にエリー師匠でしたからさぞかしプレッシャーがあったことでしょう(?)。このライブ以降(21世紀以降、ともいえるのかもしれません)長くアンコールの定番曲だった夕方先輩の登場頻度が下がりここ一番、という場面での演奏となっていくのですが、このライブでの共演がアンコール定番曲の引き継ぎになっていたようにも見えてしまうのですよね…。
またこのライブの1曲目でもあった希望の轍といい、茅ヶ崎ライブは何処か21世紀型(もしくは5人サザン)への新しいライブの形へシフトしていく瞬間でもあったのかもしれませんね。
・ゴン太君のつどい(2000-01年)
太陽は罪な奴(虫歯のブルース~インディアン狂想曲[MEDLEY])
最終日の31日のみアンコールの最初に虫歯のブルースが追加となり演奏されました。それ以外の公演は青学卒業コンビにダメと言われていたのでしょうか(?)。
そんな最終日以外は「太陽は罪な奴」が選曲されていました。年越しライブで太陽は罪な奴が選曲されたのは、2017年時点でこのライブと前年の晴れ着DEポンのみとなっていますが、その晴れ着DEポンでは3曲目に歌われ年越し曲であると同時に1999年と2000年を跨いだ曲ということもあったのか、21世紀に入りライブ終了3曲前という、ある意味であえて逆といえますこのポジションに置いたのかも知れません。
・SUMMER LIVE 2003「流石(SASが)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~(2003年)
希望の轍(花~すべての人の心に花を~)
2年のソロ活動を経てのライブでのアンコールはこの曲でしたね。茅ヶ崎ライブでは1曲目、ゴン太君では年越し曲と重要な位置にあり、希望の轍という曲の立ち位置が変わっていく中で、少し落ち着いたといいますか、轍さんに登場頂きつつも一休みしている感じが良いですね。何と申しましょうか…ライブ定番曲とサザンの代表曲という立ち位置のまだちょうど真ん中にいる感じがあるのですよね。
沖縄公演では轍の前に「花~すべての人の心に花を~」。万座ビーチでの久々の沖縄、そして「平和の琉歌」という気合いの入れ方とは違い、良い意味で力が抜けているといいますか程好い距離感で寄り添っているように感じますね。
・真夏の夜の生ライブ~海の日スペシャル~(2004年)
匂艶THE NIGHT CLUB
ダンサーによるバレエのようなダンス(?)のあとに始まりました。余談ですが生放送はバレーボール中継の延長で放送が遅くなってしまいましたね(バレー違い)。生放送版では本編ラストの勝手にシンドバッドで中継が終了してしまったので、完全版でのみ見ることが出来るテイクですね。ブラスが包国さん1人だけだったので、ラッパの音があまり厚い感じではないのは、90年代前半くらいまでのテイクに近いものがあるのでしょうか…。
個人的には弘さんの追っかけコーラスの時に弘さんを一切映さないので、大分マイナスポイントになっていますね(?)。
・暮れのサナカ(2004-05年)
女呼んでブギ
「ブラティ・ファイト」以来のアンコール1曲目となりました。ブラティ・ファイトはプロレスとの合体ライブ、この暮れのサナカも中盤に横浜探偵物語という企画があったりと普通の年越しライブとは違う、いつもより少し企画色が強い時に仕切り直しといいますか、デビュー前に作った曲を持ってきてある種の原点回帰的、最後はちゃんとサザンに戻ります感を出そうとしていたのかもしれませんね。
この時の目玉(?)はサビの曰くまだ完成していないデタラメパートを毛ガニさんが担当していることでしょうか。
・みんなが好きです!(2005-06年)
後に「太陽に吠える!!」として完成となる、東京ドームですと水道橋ブルースと呼ばれた曲で得意の(?)茶番を披露した後に始まりましたはこの曲でした。
前回のドームツアーとなったセオーノでは選曲されなかったので、ドーム初見参となりました。
ギター+スタンドマイクスタイルでのシンドバッドは茅ヶ崎ライブ以来になりますでしょうか。
キラーストリートのアルバムツアーでもありましたが、この2005年6月25日に勝手にシンドバッドからTSUNAMIまでのシングルが12cmCD化し再販されましたが、この次に演奏された曲がTSUNAMIということもあり、シンドバッドからTSUNAMIまでのレコード・8cmCD時代を振り返る意味もあったのかも知れません。
・真夏の大感謝祭(2008年)
夕方Hold On Me
頭に「あの日から何度目の~」で始まるライブ用ワンコーラス曲が付けられていましたね。その後はみんなのうたのovertureという扱いになったと考えますと、今から見ますと珍しいパターンとなりましたね。
2001年のソロライブ「Xmas LIVE in 札幌」では披露されていましたが、サザンでは2000年の茅ヶ崎ライブ以来と久々の披露となりましたね。この久々の演奏が真夏の大感謝祭というライブの立ち位置を結果的に表わしている形になった感がありますね。
ライブ直後この曲が某動画サイトに上がっていた時に「他の誰かじゃ駄目なの」を捩って「他のバンドじゃ駄目なの」とコメントがされていたのが、無期限活動休止というのと相まって今でもとても鮮明に覚えているのですよね…。
・SUPER SUMMER LIVE 2013「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」(2013年)
ロックンロール・スーパーマン ~Rock’n Roll Superman~(青葉城恋唄)
とてもバンドしているな…というのが最初見た時に思ったことでしたね。無期限活動休止を経ての5年ぶりの活動再開となったこのライブで、アンコールに入り、仕切り直しのタイミングで桑田さんがギターを持ち直してこの曲を演奏したというのが、改めてバンドとして復活した、という印象を与えたような気がするのですよね…。
宮城公演では「青葉城恋唄」が演奏されましたね。2011年のソロライブ「宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~」でも披露されていましたが、サザンとしても戻ってきて演奏した、というのが病気後初の本格的なライブとなった桑田さんと東北の復興の第一歩を重ねた中で、もう1つサザンという歩みが再び始まったのを示したような演奏になったように思います。
・ひつじだよ!全員集合!(2014-15年)
天国オン・ザ・ビーチ
シングル「東京VICTORY」のB面であったこの曲がこのポジションでご登場されましたね。曲調的にライブにおけるポジションは割と限られる感じはありましたが、それ故のアンコール1曲目起用になったのでしょうか。
結果的にアルバム「葡萄」のツアーであった「おいしい葡萄の旅」ではアルバム収録曲の中で唯一演奏されずでしたのでここで演奏されたのはちゃっかり(?)特典DVDにも収録されましたし良かったですね(?)(誰目線)。
・おいしい葡萄の旅(2015年)
C調言葉に御用心/チャコの海岸物語/匂艶THE NIGHT CLUB
このライブでは3曲がかわるがわる(幸せのラストダンス風に)でしたね。最終的に「匂艶THE NIGHT CLUB」に落ち着きましたが。
この3曲はそれぞれ色が違うアンコールのスタートになるのが、当たり前ではありますが面白いと思いますね。C調言葉に御用心は怒濤の煽りからまだ熱が醒めない会場に1つ風が吹いたような爽やかさが、チャコの海岸物語にはアンコール1曲目だからこそ出来る選曲といいますか遊び心が、匂艶は本編の煽りからの熱をそのまま持ちつつ第2の煽りに突入していく…というのが曲の並びだけでも伝わってくる感じがありますね。
・キックオフライブ2018「ちょっとエッチなラララのおじさん」(2018年)
DIRTY OLD MAN~さらば夏よ~
2006年「THE夢人島Fes.2006 WOW!! 紅白! エンタのフレンドパーク Hey Hey ステーション …に泊まろう!」以来のライブ演奏となりましたね。とはいえフェスでの披露でしたので、サザンの単独ライブとしては実質初演奏ということになりますね。
何と申しましょうか…。桑田さんが50歳を迎えて作ったものの、その後色々と思うところがあったのか演奏することの無かった曲を60歳を越えたタイミングで再び披露、というのが、「大事なものは若さじゃなくて 素顔のままのしなやかな日々 振り向くほどに人生は悪くない 明日を…信じるならば」という自身の歌詞に繋がっている感じがあってとても好きなのですよね…。本当の意味でサザンもこの曲自身もDIRTY OLD MANになった瞬間だったのかもしれません。
・“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!︎(2019年)
発売当初に演奏もその後は…というのが、前回のラララのおじさんのDIRTY OLD MANとリンクしているように感じますね。この曲もある種の「重さ」を持っていたと思うのですよね。あの無期限活動休止の発表後に出たシングルというだけでも大変なのに、「真夏の大感謝祭」というあのライブであの演出を担う曲でしたから…。それが前回のカラオケではなくバンドスタイルでの披露、そして何より「さあみんなでLove Song アンコール」というフレーズが11年の時を経て、自分自身に返ってきたようなあの感じが「重さ」という名の呪縛からようやく解き放たれた瞬間だったのかもしれませんね。この辺りもDIRTY OLD MANと共通している、といいますか、キラーストリートから無期限活動休止というある意味で振り返ると一番難しい時期に生まれた曲にこういった形でスポットが当たったというのがとても良かったように思います。
・サザンオールスターズ特別ライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、ありがとうございます!!~」(2020年)
アンコールでのご登場は、2000年「ゴン太君のつどい」以来となりました。(暦の上では)夏と冬の横浜アリーナでアンコール1曲目に演奏されるというおそらく今後達成するのは難しいのでは…という珍しい記録を樹立しましたね(?)。
この曲には「あこがれた女性(ひと)はなぜか太陽のニオイがした」というフレーズがありますが、この時期はちょうどCMで「金目鯛の煮つけ」が流れる中、その金目鯛の煮付けを作る桑田さんが映っていましたし、「あこがれた男性(桑田さん)はなぜか金目鯛の煮付けのニオイがした」というフレーズに置き換えていた方もきっといらっしゃったことでしょう(?)(あんただけよ)。
・ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」(2020-21年)
アンコール1曲目にして年明けの1曲目でもありましたね。あまりにも色々あり過ぎた2020年という年でしたし、2021年、それ以降というこれからに少しでも希望があれば…というメッセージがあったのかもしれませんね。
近年はギター持ち歌唱がトレンドになった感がありますね。稲村オーケストラではなく本当の意味でバンドとしてのサザンオールスターズの曲になった、ともいえるのかもしれません。
ラストはもう1度キーボードが来て締め、というCD版に近い終わり方なのも、シンプルさ故にまた新鮮だったのではないのでしょうか。
という訳で雑に振り返ってまいりました。
一応演奏回数を出してみましょう。
3回
夕方Hold On Me
Bye Bye My Love(U are the one)
2回
女呼んでブギ
匂艶THE NIGHT CLUB
ボディ・スペシャルⅡ
ニッポンのヒール
日替わり曲も含めてのカウントになっております。
やはり3回の曲はアンコールでよく披露される曲がそのまま反映された感じでしょうか。故にBye Bye My Loveが歌舞伎町ライブ以降1曲目どころかアンコール全体でも選曲されなくなったのが、不思議ではありますね。そしてこの3曲全てがアンコールに揃った渚園ライブはこういったところでも20年の総括だった、ことが分かりますね。
2回演奏も振り返ってみましょう。女呼んでブギといとしのエリーはライブの1曲目でも3回で、4回のBig Star Blues(ビッグスターの悲劇)に次ぐ回数を記録していますし、アンコールの頭も含め、1曲目に置きやすい曲なのかもしれません。
チャコはおいしい葡萄の旅では1日だけの披露でしたが、それによりランクインするというラッキーソングになりましたね(?)。逆にニッポンのヒール先生はセオーノで曲変更されて以降、ライブ演奏されずとアンラッキーな感じになってしまっていますね。
さてこれで以上でございます。
ここからは余談ですが、この雑文投稿を始めたのが、2016年の7月17日でちょうど6年経ったのですね。なので本当は昨日公開したかったのですが、この通り間に合わずで1日遅れとなってしまいました。まあ時代遅れの雑文投稿ということにしておいて下さい(?)。