適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

「44」 ~門田博光と桑田佳祐~

「44」。この数字を見て何を思うだろうか。4(死)が2つ並ぶので不吉、一方で4が重なって4合わせ(幸せ)。またエンジェルナンバーなどとやらいうによると44には「安らぎと穏やかな生活が訪れる」という意味があるそうで、良い・悪いの両方の意味を持つ極端な数字とも言えるのであろうか。もっとも意味なんていくらでも捉えられるものなので、そんなに深いものはないのかもしれないが…。

 

「野球選手としての老衰。」

事実上の引退宣言であった。この年「44」歳となった福岡ダイエーホークス門田博光は記者に向かって話した。この後正式に引退を表明する当時の球界最年長選手は、アキレス腱断裂という大怪我を乗り越え歴代3位となる通算567本のホームランを打った大打者である。

44歳で引退した門田には「44」に因んだ記録がある。1979年、門田は春季キャンプのトレーニング中に右足のアキレス腱を断裂し、このシーズンの殆どを棒に振ることになった。翌1980年門田は背番号を「27」から「44」に変更した。これは門田の母親が亡くなった年齢が44歳であったことから、供養の意味を込めたのと同時に怪我から復活するところ見守って欲しいという想いがあったという(思えば母親が亡くなった年齢と同じ44歳に「老衰」と表して引退するというのが、また不思議な巡り合わせであるが…)。この年自己最多となる40本のホームランを打ち、門田は「復活」、いや真のホームランバッターへと「進化」した。更に1981年には背番号と同じ44本のホームランを記録するなど、負傷した右足に不安を抱えながらもBクラスに低迷するチームの主砲として活躍を見せた。

1988年、40歳となったシーズンであったが門田は40歳とは思えないペースでホームランを量産していた。そんな門田の活躍はメディアに大きく取り上げられるようになり、「中年の星」・「不惑の大砲」などと呼ばれ、より注目されるようになった。このシーズン自己最多タイとなる44本のホームランを打ち、ホームランと打点の二冠王に輝いた。チームは5位となるもMVPを受賞するなどの大活躍であった。

しかしこの年を最後に南海はホークスをダイエーに売却することになった。同時に大阪から福岡へ本拠地を移転することになったのである。門田は家庭を優先し、単身赴任を避けたいことから福岡行きを拒否した。そして関西に本拠地を置き、同じく球団の身売りを発表し、親会社が阪急からオリックスに代わったブレーブスへトレードで移籍することになったのである。

結果的に「44」本のホームランを置き土産に「南海」ホークス最後のスターはチームを去ることになったのである。

 

1990年の夏、サザンオールスターズ桑田佳祐が映画監督を務めた「稲村ジェーン」が公開された。映画のプロモーションを兼ね、多くのテレビ番組にゲスト出演していたが、その1つに「プロ野球ニュース」があった。

桑田は好きだという落合博満(当時中日ドラゴンズ所属)の話を主にしていたが、この時番組のMVP、「MIP(Most Impressive Play)」を選ぶというコーナーがあり、その中では桑田は元広島東洋カープ山本浩二と並ぶ通算536本目のホームランを放った門田をMIPに選んでいるのである。曰く「門田さんが好き」らしく、電車で球場に通っているなどのエピソードを知っていた。

 

それから10年が経った(そういえば映画「稲村ジェーン」で挿入歌として作られた「忘れられたBIG WAVE」は「あれから10年も~」という歌い出しで始まる)、2000年1月26日、桑田の誕生日を1ヶ月後に控えた中、サザンオールスターズは1枚のシングルCDをリリースした。

TSUNAMI」である。

このTSUNAMIが大ヒットしたのである。1997年以降サザンはシングルの売り上げでは苦戦を強いられていた(それでも常にオリコンの10位以内にはランクインされていたのだが)。そんな状況の中で300万枚近い売り上げを記録するなど、TSUNAMI、そしてサザンは社会現象になったのである。このTSUNAMIはサザンのシングルとしては44枚目であり、またそのリリース後、誕生日を迎えた桑田は44歳になった。さらに年末の第42回日本レコード大賞TSUNAMIは大賞を受賞する(42、といえばプロ野球ニュースで門田をMIPに選んだ時門田の年齢も42歳だった、というのは流石にこじつけが過ぎるか)。

レコード大賞を受賞した桑田は「(美空)ひばりさんの背中が見えました」とコメントしている。

門田は最終的に通算で567本のホームランを打っている。これは歴代3位の記録であり、2位は657本の野村克也である。野村は門田が南海ホークスに入団した時の監督であり、同時に選手兼任の四番打者でもあった。野村は門田にとって愛憎相半ばする存在ではあるのだが、(これはまた別の大きな物語であるのでここでは深く触れない)ホームランの歴代記録から見れば、最終的に門田もまた「野村の背中が見える」位置にいる、といえるのである。

門田も桑田もどこかでその見えている背中を追い抜こうとしていた(いる)のかもしれない(門田は超えるつもりだったのだろう)。今現在、門田と桑田の背中が見える、または追い抜こうとするような存在はどれだけいるのだろうか…(そもそも人の背中を見る時代ではないのかもしれないが…)。

 

1992年、門田は引退する。最後はダイエーとなり福岡へ移転したホークスへ「復帰」しての引退であった。

2000年、桑田は故郷・茅ヶ崎で凱旋ライブを行った。茅ヶ崎でのライブは19年ぶりとなった。

「44」歳の2人はホークスと茅ヶ崎、という故郷に戻ったのである(厳密に言えば門田は前年の1991年に復帰しているのだが)。

門田はホークスの本拠地であった平和台球場引退試合を行っている。翌年の福岡ドーム移転により、この試合は平和台球場プロ野球公式戦ラストゲームでもあった。不思議なことに門田はチームを去る時が来ると何かと共に去って行くのである。この平和台球場もそうであるし、最初の移籍は南海電鉄のホークス身売りによる本拠地移転の為の移籍だった。そしてオリックスからダイエーへ移籍の際も阪急時代からのチーム名であったブレーブスが翌年からブルーウェーブに変わるというタイミングであり(同時に本拠地の移転も行っている)、門田は「南海」と「ブレーブス」と共に去ったという形になっているのは偶然だろうか。これは昭和から平成に時代が移る中で、昭和末期最後のプロ野球スターは平成のプロ野球を生きつつある種のおくりびととしての役割を背負わされていたのかもしれない。

茅ヶ崎ライブを終えた後、しばらくしてサザンのギター担当であった大森隆志が休養を発表した。メンバーの休養は今までもあったが決定的な違いは、翌年大森はサザンを脱退した、ということである。以後サザンはギターにサポートメンバーを入れ、5人組として活動を続けていくことになる。(大森が休養中という形で2000年の末には年越しライブを行っているとはいえ)茅ヶ崎ライブは6人サザンとして実質最後のライブでもあったのである。桑田自身は去らなかったが、大森は去った。「44」本のホームランを打った門田、そして「44」歳で引退した門田も、大ヒットを記録した「44」枚目のシングルで最も注目される1年を過ごした「44」歳の桑田もその影では失うものがあった、といえるのは負の意味としての「44」も同時に背負っていたのかもしれない。

 

昭和の最後である1988年、20世紀の最後である2000年、門田と桑田は「44」という数字がもたらした輝きを見せた。

門田は1948年、桑田は1956年生まれで8歳差である。「44」…。「4+4=8」、というのもまた偶然なのか、運命なのか、単なるこじつけなのか…。ただこの「44」という数字に縁のある二人なのは確かなのだろう。

 

「44」という共通点があるとはいえ、そもそも何故対比させたのが門田博光桑田佳祐だったのか、と…?。だって「2月26日にはささやかな二人の絆」(サザンオールスターズ「素顔で踊らせて」)と桑田は歌っているのだから。

 

2000年「茅ヶ崎ライブ」のセットリストを今更雑に見てみる

サザンオールスターズの個人的リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第8弾でございます。今回は2000年の「茅ヶ崎ライブ」のセットリストを振り返って見ようと思います。

製品化発表のタイミングよりも遅く、Netflix配信・製品版発売よりも早い、という半端なタイミングで敢えて2000年を振り返るという私らしい(?)ズレかたで行きたいと思います。


例によっていくつかのブロックに分けて書いていこうと思います。


1.希望の轍

2.いなせなロコモーション

3.みんなのうた


1曲目は事前にイニシャル「K」で始まる曲、という予告があり、その「K=希望の轍」、というスタートでしたね。もちろん当時を知らないので何ともですが、やはり「K=勝手にシンドバッド」という予想が多かったのでしょうか…?私だったらきっと「恋するマンスリー・デイ」辺りを出して周囲を煙に巻いていたことでしょう(?)(蛇足文&厄介)。

前に別な雑文にも書きましたが、ライブ定番曲の希望の轍から茅ヶ崎ライブ1曲目、そしてこの次のライブである年越しライブ「ゴン太君のつどい」で年越し曲であり、世紀を跨ぐ曲という役割を果たしたこの時期以降扱いといいますか、1つまた違うステージに向かった感じがあるのですね…。

いなせなロコモーション」~「みんなのうた」は1995年の夏ライブ「ホタル・カリフォルニア」で「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の後、サザンとしての実質1〜2曲の流れを踏襲した感じになりますでしょうか(流れとしては大復活祭の煽りコーナー内でこの並びがありましたが)。ちなみに「この青い空、みどり〜BLUE IN GREEN〜」のレコード盤に収録されています。いなせなロコモーションをよく聴きますと(イヤホンだからでしょうか…)、最初の方で客席の女の人らしき歌声がよく聞こえます…w


4.茅ヶ崎に背を向けて

5.YOU

6.海

7.涙のキッス

8.夏をあきらめて

9.C調言葉に御用心

10.チャコの海岸物語

11.思い過ごしも恋のうち

12.気分しだいで責めないで

13.勝手にシンドバッド


MC明けは「茅ヶ崎に背を向けて」からスタートしました。背を向けて、というよりも「平塚」や「小田原」を織り込んだ替え歌というただいまなご当地ソングという感じになりましたね。前年の1999年に「シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」で19年ぶりに披露されてから晴れ着DEポン、この茅ヶ崎ライブと3回連続で披露されるということになりました。この続き方はもちろん構成の関係もありますが、茅ヶ崎ライブと世紀末感、原点回帰がうまく重なった感じがありますね。

5曲目の「YOU」から8曲目の「夏をあきらめて」までの流れですが、偶然にもこのライブ以降の茅ヶ崎公演でも結果的には踏襲されたといいますか、このライブでは「海」が演奏されている「YOU」の次で「涙のキッス」の前の曲以外は流れが同じなのですよね(2013年「SUPER SUMMER LIVE 2013「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」」はこのポジションに「愛する女性とのすれ違い」、2023年の茅ヶ崎ライブでは「My Foreplay Music」、最も2013年は最初の日産後援では愛する女性とのすれ違いと涙のキッスの演奏順が逆だったので、完全に偶然なのでしょうが…)。

ちなみに「夏をあきらめて」から「勝手にシンドバッド」までは現在の公式サイトには記載がありませんが、メドレーという扱いになっているのですよね。

ここで「勝手にシンドバッド」が演奏されました。流れからもうこれしかない、といったところですが、中盤に披露されるというのはかなり珍しい、といいますかこれが唯一ではあるのですよね。1曲目のK予想からも終盤の煽りからも敢えて外した感じがあるのですよね。これはもちろん所謂いつものサザンの煽りパターンを崩したい、というのはあったと思いますし(後で触れますが、セットリストは基本渚園がベースという感じがありますし…)、100%演奏するであろうこの曲をここで演奏したことで、始めてサザンのライブに触れた人にも、ライブ慣れしている人にもこの先何が待っているか分からない、というある種のわくわく感を持たせる絶妙なポジションにいたのではないのでしょうか。

それまでの披露のパターンとして多かった、ハンドマイクスタイルでの桑田さん煽りシンドバッドではなく、ギター+スタンドマイクスタイルのサザンというバンドとしての披露というのが、茅ヶ崎という地に戻ってきたシンドバッドとしては正しい姿だったのかも知れません。


14.鎌倉物語

15.NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH

16.爆笑アイランド

17.イエローマン~星の王子様~

18.虫歯のブルース~インディアン狂想曲[MEDLEY]

19.通りゃんせ

20.愛の言霊~Spiritual Message


MCを挟んで原さん曲からこのブロックはスタートしましたね。茅ヶ崎ライブで原坊曲となるとやはり「鎌倉物語」になりますよね。2回目以降茅ヶ崎ライブではセットリストの候補からはずらすとは思っていたので、その後の選曲もこの2000年の選曲も納得してしまいますね。

ここまでの所謂「イメージのサザン」といえますポップな曲が続いていましたが、その空気を壊す(変える)かのように降臨されました「NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH」大先輩でございます。その後「爆笑アイランド」「イエローマン~星の王子様~」と続く流れは渚園での「CRY 哀 CRY~Computer Children~01MESSENGER〜電子狂の詩〜」の流れを踏襲しているのは想像に難しくないのですが、どこか渚園の流れよりもマイルドになっている感はありますね。もちろんサザンの一面といいますか、1つの「顔」を見せる選曲だと思うのですが、ただアルバム「さくら」からの選曲(アルバム発売後のシングルではありますが路線としてはイエローマンもさくらサウンドではあると思いますので…)というのが、よく歌舞伎町で初期の曲を披露した原点回帰がTSUNAMIに繋がったという話がある中で、もちろんそれも1つの要素ではあるかと思いますが、それだけではなくさくらがあってこそ、TSUNAMIが生まれ、このライブも開催されたというのもまた外せない要素であり歴史である、というのを示したところがあったように思うのですよね(TSUNAMIサウンドはさくらサウンドだと思いますし…)。

さくらコーナーの後、茅ヶ崎ライブとのその狭間にある意味で最もある曲達である、2000年シングルB面コンビの「虫歯のブルース〜インディアン狂想曲[MEDLEY]」「通りゃんせ」が連続で登場しましたね。

そして「愛の言霊〜Spiritual Messenge」、通りゃんせからの流れもあったかと思いますが、由比ヶ浜や鎌倉という周辺を歌うある種のご当地ソングであるのと同時にサザン流「和」、茅ヶ崎だけでなく湿気の多い日本の夏をサウンドに載せたようなこれもまたサザンの別な一面を見せるというのもまたこのコーナーだからこそ出来た感じでしょうか。

鎌倉物語を除けば、1996~2000年の曲が続く流れでもありましたし、マンピー以降のサザン3期の活動総括にもなっていた感がありますね。


21.メロディ(Melody)

22.冷たい夏

23.SEA SIDE WOMAN BLUES

24.ラチエン通りのシスター

25.真夏の果実

26.TSUNAMI


ここからはアコースティック編成での演奏が「ラチエン通りシスター」まで続きますね。一見するとこの辺りはサザンのバラードコーナーではありますが、「メロディ(Melody)」は音楽祭以来9年ぶり、「冷たい夏」と「SEA SIDE WOMAN BLUES」がライブ初演奏と実は珍しい曲が続いたコーナーではあったのですよね。

ここで触れなくてはいけないのはやはり冷たい夏になりますでしょうか。発売から9年後(こう見ますとメロディの間の時期とほぼ同じなのですね、この並びは多少そういう意識があったりしたのでしょうか(なさそうですが))に初演奏となりました。当時の茅ヶ崎ライブ特設サイトではこのライブで聴きたい曲のランキングがあったのですが、この曲は20位にランクイン(ランキングになっていた20曲中13曲がこのライブで披露されています)しており、演奏を待望されていた1曲でもあったのですよね。

このライブでの披露以降、何度かセットリストの候補に挙がってはいるようですが未だ演奏はありません。候補に挙がっていると言うことはいつかは…ということはあるのかもしれませんが、所謂隠れた名曲と呼ばれていたこの曲が2024年1月現在ライブでたった一度演奏されたのが、最も注目を集めていた2000年の茅ヶ崎ライブ…というのはある種の美しさを感じてしまうのですよね…。

「SEA SIDE WOMAN BLUES」はこの曲結構好きなんです…という一言で始まりますが、桑田さん、この曲を演奏する度に好きな曲、と前置きしてから演奏をスタートするので、もはや曲に付く枕のような一言になっていますね。

アコースティックコーナーが終わり、続いて歌われるのが「真夏の果実」そして「TSUNAMI」…。何と申しましょうか…。真夏の果実は「強い」曲ではないですか…。その強いパワーを持った曲を唯一凌駕した瞬間といいますか、ある意味でTSUNAMIの前座的な感じを受けてしまうのは、あの2000年のTSUNAMIというのはやはりとんでもないエネルギーがあったと思うのですよね。そのエネルギーといいますか待望されていた曲が始まったあの瞬間に生まれたパワーは凄まじかったのかしら…と。

2008年「真夏の大感謝祭」でも連続で披露されていましたが、あの時は「いとしのエリー」を含めた3曲の個々の強さ+総合力が合わさった強さといった感じでしたし、それぞれでやはり特別なライブだったのね…と。


27.HOTEL PACIFIC

28.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

29.マチルダBABY

30.フリフリ'65

31.ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)

32.マンピーのG★SPOT


煽りコーナーは茅ヶ崎ライブの為に作られた「HOTEL PACIFIC」から始まりました。TSUNAMIからの2000年リリース曲の流れとなっていますね。そして「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」で本格的にスイッチが入る、といった感じでしょうか。2曲目or煽りというイメージのミスブラさんですが、2013年・2023年と茅ヶ崎でのライブでは全て煽りコーナーでのご登場となっていますね。

ミスブラさんとマチルダさんの順番が逆、「フリフリ’65」と「勝手にシンドバッド」が違うだけで、渚園の煽りと同じ曲になるのですよね。その年のシングルA面×2からの煽りコーナー、という流れまで同じですね。前述しましたが、渚園がベースとなっているのは間違いないと思うのですよね。それが所謂イメージのサザン的であり、同時に90年代のサザンのライブの姿であった、ということになるのかしらと…。ただそこに変化を加えて+さくらと2000年曲を含めることで、渚園とはまた違った総括であり、20世紀最後の夏を飾るイベント(ライブ)に相応しい内容になったのかしら…と。

シンドバッド先輩が中盤で早々に出番を終えてしまったので、本編ラストは「マンピーのG★SPOT」師匠を務めました。このライブ以降本編ラストを任されることが多くなったマンピー師匠でございますが、その最初が茅ヶ崎ライブというのもまた意味を持つ気がするのですよね…。以前にも書いたかと思いますが、このライブからマンピーの立ち位置が変わったといいますか、希望の轍マンピーのG★SPOTという曲の扱い方が変わり始めた瞬間でもあり、その後の21世紀のサザンのライブに繋がる瞬間でもあったのかしら…と。


En1.LOVE AFFAIR~秘密のデート

En2.夕方Hold On Me

En3.いとしのエリー

En4.心を込めて花束を


アンコールでございます。「LOVE AFFAIR〜秘密のデート」・「夕方Hold On Me」と所謂アンコール定番曲が続きました。LOVE AFFAIRはアンコールだけではなく定番曲として現在まで定着していますが、ここで新旧アンコール定番曲の世代交代が行われた感じでしょうか。実際にこのライブ以降サザンのライブでは2度(大感謝祭・2020年年越しライブ「ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」」)の披露と90年代の登場率を見ますとそんな感じがしてしまうのですよね…。

そして「いとしのエリー」…もはや言葉はいりませんね。

ラストは「心を込めて花束を」。そのタイトルは茅ヶ崎ライブに関わった方々全てにそのまま送る言葉なのでしょうね…。CD版で聴きますと弘さんのコーラスが大きめに聞こえているのが、良いといいますか声の調子があまり良くなかったように聞こえる桑田さんをカバーしているようなコーラスがとても印象に残っているのですよね。それと原曲とは違いバンドサウンドで披露されているというのがまた違った印象を受けるといいますか、そういったある種別なアレンジといえますバージョンをCDに残して貰えたというのはありがたいことね…と(「Bye Bye My Love(U are the one)」のB面に収録されている「Dear John」のライブバンドサウンド版と同じような感じでしょうか)。

「若さにまさせて家を出た時」は茅ヶ崎に背を向けて感がありますし、その旅立ちは「夢をのせて走る車道(希望の轍)」に、そして主人公の「僕」はTSUNAMIの主人公と同じ一人称という何となく全てが繋がってのラスト曲であるこの曲になった感がありますし、茅ヶ崎ライブのラストに相応しい曲だった、ということだったのでしょうか…。

 


さて雑に振り返ってまいりました。改めて見ていきますと、渚園以上に求められている、もしくはイメージのサザンをやりつつもどこまで過去のライブとの差別化や自分たちが見せたい今のサザンをやるか、ということへの苦悩といいますか、一方でどこまで喜んでもらえるか、をきっと悩んだのだろう…と感じてしまったといいますか…。

結果的にこのライブを最後に大森さんは脱退してしまいますし、6人サザンの総括、極端に言ってしまえば6人サザンとしての解散ライブという部分もどこか見え隠れする、一見すると王道に見えて、深く見ようとすればするほど実はそうではない側面が見えてくる、ライブ開催の背景や当時の空気感も含めて不思議なセットリストだったのでは…と思ってしまったのでした。

 

サザンオールスターズ「茅ヶ崎ライブ2023」の感想のようなものを(ライブビューイング編)

10月1日に行われました「茅ヶ崎ライブ2023」のライブビューイングにうっかりこっそりとお邪魔してしまいました。その感想のようなものです。

 

2023年、サザンオールスターズ45周年は茅ヶ崎で(市民球場を使った野外公演をここでは指します)ライブを行うことが、6月24日のやさしい夜遊び内で桑田さんの口から発表されましたね。その時私の脳裏の中で「これはチケット当たらないでしょうね…」とうっかり思ってしまったのですよね、無意識に。これは私にとって所謂フラグでございまして、そう一番最初に思ってしまうとチケットに当たらないジンクス(どんなジンクスやねん)を持っているのですよね。

そして本当に当たらない訳ですw。まあそう思っていたので、落選の文字を確認してもさほど落ち込むことはなく(同行予定の方には非常に申し訳無い…という意味での落ち込みはありましたが)(あんたみたいなぼっちにも同行者いるのか、というツッコミは心の中だけでお願いします(?))。

なので早い段階でライブビューイングがあると聴いて(予想はしていましたが)、もうそちらモードに切り替えておりました。

 

いざ、当日県内で1ヶ所しかないLV会場へ。録音していたラジオを聴きながら車で向かいました。映画館の無料駐車場の空きがだいぶ少なくなっていた事にちょっとだけ焦りつつも無事駐車、会場への潜入に成功しました。

上映会場に入るとスクリーンには舞台「AD-LIVE2023」のLV告知映像が。実は私はこの舞台を主催する声優さんが大好きでして…ちょうどその方のラジオを聴いて車を運転していたので、もうニコニコでした。でもこれで割とリラックス出来た気がするの。

 

開演予定の17時ちょっと前に中継が繋がり会場の様子が映し出されました。上空からサザンビーチが映された時は人の多さに映画館内がざわついておりました。

「歌えニッポンの空」のMVが流れた時に球場にいらっしゃった方々の「ありがとう」も聴こえました。

開演前ナレーションが終わり、いよいよスタート。

加山雄三さんの曲(何だったっけ…早くも忘れる)をバックにまずはサポートメンバーの皆様が登場。そして曲が「君といつまでも」に代わるとサザンの皆様がついに。肩に手を置き電車のようなスタイルでの登場、桑田さんは何故かウクレレを持っていましたね。

そういえば2度の無観客配信ライブを挟んでの今回のライブでしたが、前回の有観客ライブである、2019年「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!︎」のエンディングでは尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」が流れていましたよね。茅ヶ崎の先輩でこの茅ヶ崎ライブに繋がるというのが偶然とはいえ、とても興味深く素敵な巡り合わせだと思ったのです…。

そして定位置に付き、いよいよライブのスタートでございます。

 

…さて、またも懲りずにその一言を持って本編の感想に入りたいと思います。

馬鹿でごめんなさい、また長いです…。



1.C調言葉に御用心

桑田さんが9月23日のやさしい夜遊びで1曲目のヒントとして、「茅ヶ崎と言えば」「茅ヶ崎一中の野球帽のC」と話していましたが、サザンビーチのモニュメントでもある「C」から、ということもあるのか、このC調言葉に御用心でスタートとなりました。

発売から44年目にして初めてのライブ1曲目となりました(一応1984年のオールナイトニッポンでのスタジオライブで1曲目、ということはありましたが)。ライブとしてはツアーの途中でセットリスト変更となり途中離脱となってしまいましたが、2015年の「おいしい葡萄の旅」以来、8年ぶりの演奏となりました。また近年カットされてしまっていた「砂の浜辺で~」の部分が久しぶりに歌われていましたね。1995年の「ホタル・カリフォルニア」ではフル、1998年の「スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』」以降はカットなので、ホタルか間に演奏された1996年「Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」」のどちらか以来のフルバージョンでしたね。

聴きながら「初の1曲目、ということはフルで演奏するかしら…」と思っていたので、歌った瞬間「おお…」と。

もちろん、サザン(茅ヶ崎)にゆかりのある「C」ということが選曲の大きな要素だと思うのですが、もう1つ、結果的には演奏されませんでしたが、サザンとして最新のリリース曲「Relay~杜の詩」には「馬鹿でごめんよ(ごめんなさい)」というフレーズがありますし、そのRelayから馬鹿のバトン(?)を受け取ったのが、「いつもいつもアンタに迷惑かける俺がばかです」という出だしにフレーズの中に「馬鹿」が入るこの曲だったのかしら…とこの時思っておりました。

 

2.女呼んでブギ

先日放送されましたNHKサザンオールスターズ NHK MUSIC SPECIAL『サザンオールスターズ特別番組~45年経っても“馬鹿でごめんよ”~』」のインタビューの中でこの曲のお話をされていましたが、まさか茅ヶ崎ライブで披露されるとは、不覚にもノーマークでございましたね。ただ所謂茅ヶ崎ライブと呼ばれる2000年と2013年の茅ヶ崎公園野球場での公演前、初めてであり唯一デビュー後にサザンの公式ライブとして茅ヶ崎で行われた(場所は茅ヶ崎市民会館)1981年のツアー「そちらにおうかがいしてもよろしいですか」では公式サイトのセットリストには記載がありませんが、「憧れのハワイ航路」と共に1曲目でこの曲が演奏されているのですよね…。その記憶があったのかどうか定かではありませんが、もしその時のことが何処かにあったらとても面白いな…と思ってしまうのですよね。

サビの永遠の未完成部分(?)では、「皆さんお元気でいらっしゃいますか」(1番)「サザンオールスターズがいらっしゃいました」(2番)的な(細かい部分は忘れてしまったシリーズ)今までで一番ちゃんとした(?)歌詞がはめ込まれていましたね。また「Yeah Baby 気になる人よ」の「気になる人」の部分が「帰っていたよ」「愛しているよ」に替えていましたね。LVですとそこの部分が字幕で出て居てしまったので、桑田さんが歌う前に変わっていることが分かってしまいましたね。現地のモニターではどうなっていたのでしょうか…。

ラストは桑田さん・関口さん・誠さんが客席にお尻を向けフリフリ(よく見ますとTIGERさんもやっていましたね)。

3曲目に…と思いきやここで何とMCへ。スタートから2曲でMCというのは、1991年の年越しライブ「闘魂!ブラディ・ファイト」以来になりますでしょうか…(この時は2曲→年越しという流れでしたが)。

 

MC

ザ・ドリフターズです。というお馴染みの別名語り(?)が。荒井注ですともいっていましたね。ライブビューイングで見ている方々にも触れていましたが、「ようこそここへ」と客席に投げたところ「クッククック」と帰ってきたばかりに(?)MCの要所要所で桑田さんが多用することになるとは…w(このネタを私は知らなかったので終演後に調べるまでずっと「?」が浮かんでおりました…)。

 

3.YOU

3度の茅ヶ崎ライブ全てで演奏され皆勤となりましたね。過去のライブでは5曲目(2000年)→4曲目(2013年)と来まして今回はこの3曲目での披露でしたし、次に茅ヶ崎ライブが行われるとしたら2曲目になるのでしょうか(?)。

テンション的にも曲調的にも序盤で演奏しやすい・歌いやすい曲、というのもあるのかと思いますが、茅ヶ崎でのこの演奏率の高さ(高いも何も100%ですが)はサビに「I remember you」というフレーズがありますし、桑田さん自身が茅ヶ崎に帰って来ました、ということを曲のフレーズの中、という形で改めて歌いながら表しているのかもしれませんね。

またその「you」のところで桑田さんは客席を、客席はステージを指しているというのも(映画館でも何人か指さしをしている方がいらっしゃいました)、桑田さん、サザンの凱旋を指しているようにも、そしてサザンとしては2020年の2度の無観客配信ライブを挟んで4年ぶりの有観客ステージでしたし、ファンの方々が「remember」という要素も実はあったりしたのかしら…とふと思ったりもしたのです。

もう1つ、「ゆりの花のようにMotion揺れて」というところを聴きながら映像を見ていますと、(もちろんその前からなのですが)桑田さんの服が風に揺れていたのが、歌詞の部分とマッチしていてとても印象に残っています。

 

4.My Foreplay Music

ちょうど球場の辺りが本格的に暗くなり、夕方から夜になるタイミングだったこともあるのか、そういった周りのダークさを帯びてきた雰囲気と曲調・ライティングがとてもあっているように感じました。

「YOU」は最初の無観客ライブである「サザンオールスターズ特別ライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、ありがとうございます!!~」」1曲目で、この曲は「ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」」2曲目と無観客配信ライブでも演奏されていましたが、何と申しましょうか…。その2回のライブでの1・2曲目を合体させた流れといいますか、そういった出来事もまたサザンの歴史の1つとしてその曲たちの代表という形で披露した、という側面ももしかするとあったのかもしれませんね(まあこの2曲もライブ定番曲といえば定番曲ですので、そういった要素は薄いのかもしれませんが…)。

どのタイミングだったのかは忘れてしまいましたが、確かこの曲の時に原さんの背中が映った時があったのですが、キーボードを弾いている姿がまた力強くて素敵で、格好いいキーボーディスト原由子を垣間見た気がして良かったのですよねえ…。もし製品化する際にはこのシーンは残しでお願いします(?)。

 

5.涙のキッス

発売以降、周年のライブですと25周年の「SUMMER LIVE 2003「流石(SASが)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~」以外、何かしらのタイミングで披露されており、1998年「スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』」・2008年「真夏の大感謝祭」は連続でアコースティックバージョンで披露されていましたが、35周年の「SUPER SUMMER LIVE 2013「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」」以降、この茅ヶ崎ライブまでバンドスタイルで披露されるようになりましたね。またこの曲も茅ヶ崎ライブでは皆勤となり「YOU」と同じく、7曲目(2000年)→6曲目(2013年)→5曲目(2023年)と演奏順が1つずつ繰り上がってきていますね。

何と申しましょうか…。そういう曲調というのももちろんあるのかと思うのですが、演奏しているメンバーそれぞれに良い力の抜け方を感じるといいますか、今回のこの曲は特に雰囲気の柔らかさを感じてとても癒やされたのですよね…。

「夜風がそっと恋の終わりを告げる」…。茅ヶ崎に流れていたあの夜風はそっと(そっと、というのが好きです)夏の終わりを告げたのでしょうか。

 

6.夏をあきらめて

ここまで、曲の持つ雰囲気が陰(気怠さ)と陽(ポップさ)に(個人の印象でざっと分けますと)なっている曲が交互に配置されている感じがありますね。

知名度もあり、ライブの定番ともいえる曲ではありますが、演奏自体は2013年の「灼熱のマンピー」以来と意外にも10年ぶりなのですよね。

この曲も8曲目(2000年)→7曲目(2013年)→6曲目(2023年)と演奏順が1つずつ繰り上がってきていますね。実はYOUと涙のキッスはそれに気付いていたのですが、この曲については不覚にもこの方程式(?)に気付かず「X」(言い慣れませんねえ…wと既に殆どの方が言っていることを今更ながらに)でフォロワーさんからご指摘いただきました(改めてありがとうございます)。

こう見ますと、茅ヶ崎ライブでは「YOU→??→涙のキッス→夏をあきらめて」というのはワンパッケージになっているのですね。どの曲が来てもコンビ対応出来るYOUさんは(こう書くとタレントさんみたいね)万能ですよねえ。故にライブで重宝されるのも分かる気がします…とおっとここは夏をあきらめてさんの部分でしたね。

この曲から感じる湿度の高さ(まあそもそも世界観の中は悪天候なのですけども)がとても好きでして、その湿度が何と申しましょうか…。よくこういう曲は〇〇でしか出来ない、という表現の仕方があるではないですか…。あまり他の音楽を知らないので、比べられないという前提で書かせていただきますが、こういった雨や暑さによる湿度の高い日本の夏をサウンドに歌詞に自然と載せられる(情景が浮かぶ)、というのが、所謂サザンにしか出来ない(…かは分からないのでサザンの強み、ということにしましょうか)音楽なのかしら…と今回この曲を聴きながらふと考えておりました。

「江の島が遠くにボンヤリ寝てる」がまさに、で凄く良かったと思いつつ、この歌詞での「江の島」はもしかして…となると「岩陰」は、とそういう意味もあるのかしら…というダブルミーニングなのしらと今更ながらに気が付く(また都合良く解釈する)おじさんでございました(?)。

 

7.Moon Light Lover

夏をあきらめた先には月明かりが。秋が目覚めた、ということでしょうか(それはソロの曲でしょ)。2013年の「灼熱のマンピー」以降は定番曲の仲間入りを果たしているといえる曲ではありますが、9月末から10月、という夏と秋の狭間といえる時期だからこそライブでの演奏に繋がったのでしょうか(もちろん桑田さん、そして弘さんが好きな曲、ということもあるかと思いますが)。

そんな弘さんが映るシーンで、ちょうどカメラの位置もあったのかと思いますが、天井にあありましたライトの1つがまさに満月、月明かりのように見えているものがありまして、まるでこの曲が好きな弘さんの為に配置されたような綺麗な映り込みでしたね(もしそこまで計算されていたら恐れ入ります、ですが)。

10月1日というもう秋といえる時期に聴く「Moon Light Lover」、というのもまた乙なものね…と。今宵は月が旅路を照らそうぞ(だからそれもソロの曲じゃろ)。

 

8.栄光の男

「…う〜ん。そうですねえ。8といいますといわゆるひとつの僕の記録といいますか。ひとつプロ入りに至るのに大きい数字といえますねえ。当時の六大学野球の記録である8号ホームランを打ったわけですから…」

おっと失礼、本当の栄光の男(長嶋茂雄)が私に降臨してしまいました(?)。ちなみに8曲目でこの大学時代のホームランを思い出し、日付が重なっていたら面白いと思ったのですが、11月3日の出来事でございました(これがいわゆるひとつの余の談)。

2番の歌い方にところどころ、2002年のソロツアー「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」等で披露していた原曲よりも高めに歌っていた「真夜中のダンディー」のような歌い方を入れていましたね。そしてもう1つ、「俺を睨んでいた」の後にダン、ダンとブレーク?(あれは何と言っていいのでしょうか…?)を2つ入れていましたね。あれは睨んでいた満月の何かメッセージだったりしたのでしょうか…。

「栄光の男」も発売から10年になるのですよね…。10年前このステージでは茅ヶ崎市民栄誉賞の授与式も行われていました。その同じ場所(球場というのもまた…ね)でこの曲を再び披露しているのを聴いていてなんだかじーんと来てしまったのですよね…。同時に「生まれ変わってみても栄光の男にゃなれない」というフレーズの響きがまた1つ重く響く感じもあり、感情の揺れ方がまた不思議な時間でございました。

この曲も満月(秋)選曲だったりするのでしょうか…。このライブから約2週間後の10月14日に割り箸を持つ手が震える日がやって来ますね…。

 

9.OH!!SUMMER QUEEN~夏の女王様~

2018年の夜遊びで好きな曲という発言があり、今年のNHKライブ「NHK MUSIC SPECIAL サザンオールスターズ シン・日本の夏ライブSP!!」で披露があったことから今回のライブでももしかして…がありましたが茅ヶ崎ライブでもしっかり披露されましたね。

2008年「真夏の大感謝祭」以来15年ぶりの演奏となりましたね。大感謝祭では後半の所謂煽りコーナーでの披露でハンドマイクスタイルでしたが、今回は序盤にスタンドマイク+ギター持ちと真逆のスタイルで披露された、というのがまた面白いですね。桑田さんがガンガンにスライドギターを弾いているのも久しぶりだった気がしますね。

そういえば「I AM YOUR SINGER」のMVではラストシーンでサザンビーチのCモニュメントが映る中で「I AM YOUR SINGER」のB面でもあったこの曲が流れていましたし、ある意味でその2008年以来15年ぶりの茅ヶ崎凱旋だったといえるのかもしれません。この曲も今回の披露で、無期限活動休止という冠が付いてしまった30周年ソング、という呪縛から解放されたような気がします。

 

10.そんなヒロシに騙されて

原さん枠はこの曲でしたね。今年のソロライブ「原由子スペシャルライブ2023「婦人の肖像(Portrait of a Lady)」」でサザン名義の「私はピアノ」と「鎌倉物語」を披露していたので、茅ヶ崎ライブではこの2曲は無いような気がしており、どの曲を持ってくるかしら…と思っていましたが、「横須賀」のこの曲がありましたね。

サザンのライブでの披露は2曲続けて2008年の大感謝祭以来15年ぶりでしたね。

2番の終わりで原さん(と毛ガニさん)がステージ中央まで出て来ましたが、その2番の終わり前にふと、「もしかして原さんセンターに出て来る…?」と予感がしたのですよね…。原さんのハラハラ、いやいやソワソワを感じ取ってしまったのでしょうか(?)(言いたいだけシリーズ)。センターステージに弘さん以外が集まるのも「そんなヒロシに」感があったといいますか、原さんのフィーチャーになりつつも弘さんも同時にフィーチャーしているのがまさに今サザンをしている感じがあったのですよね…。

そして桑田さんと毛ガニさんの曲中での戯れ(?)も最近では珍しい気が…これもまた良かったですね。

 

11.いとしのエリー

原さんがキーボードの位置に戻って割とすぐに始まりました。そういえば大感謝祭の時にアコースティックコーナーを挟んでの場内1周の後、駆け足で戻ってすぐの「いとしのエリー」の冒頭コーラスが息が切れていて大変だった…という話をしていたのをまさにこの曲の冒頭コーラスを聴いた時に思い出してしまったのですよね…。

ラストの方の「so sweet」を低めに歌っていたところが1度ありましたね。あの歌い方好きです(きっと多用せずあの1度だけだったから尚更良かったのでしょうけど)。

過去の茅ヶ崎ライブでは2回ともアンコールでのご登場でしたが、今回初めて本編での披露となりましたね。

序盤・中盤だからこそのラストの「エリー」を溜めないのも、それだけでまた違って見えてくるといいますか、味があって良いですよねえ…。

 

MC

メンバー紹介がありましたね。…えー、ここで私の懺悔でございますが、トイレ調整に失敗してしまいここでトイレに行ってしまいました…。戻ってきますと何故か(失礼)関口さんによるMCの回しとなっておりました(何故そうなったのかは分からず)。

関口さんがサザンの真のリーダー、弘さんが真のバンドマスター、毛ガニさんが代表取締役で原さんが総合プロデューサーという真相だけを知ることになりましたとさ(?)(めでたし…なのか?、君)。

 

12.歌えニッポンの空

新曲から最初に演奏されたのは、茅ヶ崎ライブ2023テーマソング(強調)のこの曲からでした。

ダンサーさんがここで初登場でしたね。中盤からの登場というのは珍しい気がします。

バックモニターに野球帽を被りボールを投げる瞬間の幼少期の桑田さんの写真が写っていましたが、こんな小さい時からサイドスロー気味で投げていたのね…と別なところに思考を巡らせてしまっておりました(いつもの悪いクセ)。

「ここは故郷~」の故郷を茅ヶ崎に替えて歌っていましたが、歌うタイミングで「茅ヶ崎」の部分は字幕が出ていましたね。「女呼んでブギ」の時はまとめて出ていたというのに…やはりライブのテーマソングとだけあって扱いが良いですね(そのネタ(ネタ?)引っ張りますねえ、あんた)。

茅ヶ崎ライブで歌う為の新曲、ということを改めて感じましたね。替え歌という形で「茅ヶ崎」が登場してはいますが、基本的に何処かに限定せず広くニッポンとしたことで、誰にでもどの場所も当てはまることができ、また良い意味でどこでも歌うことが出来る曲となっているのが、茅ヶ崎の先(ライブツアー)を見据えているとも捉えられる、ある意味で45周年のキックオフナンバーとも解釈出来る広さと地域を限定した狭さが共存する何とも不思議なでもそれが如何にもサザンらしいという要素を持った曲である気がするのですよね。

 

13.君だけに夢をもう一度

まさかの選曲、というところでしょうか。前回のライブ「ほぼほぼ年越しライブ」以来、といいつつも無観客配信ライブ、その前の披露は1999年年越しライブ「晴れ着DEポン」のメドレーでの披露(しかもサビだけで終わり)だったので、フルバージョン+有観客という条件になりますと1992-93年のツアー「歌う日本シリーズ1992~1993」以来30年ぶりの演奏となるのですよね…。そういえばそんな歌う日本シリーズのビデオ版ではアルバム「世に万葉の花が咲くなり」のツアーでアルバムに収録されている曲にも関わらず、カットされてしまっているという悲劇(?)に見舞われていますし、果たして発売から31年目にして初の映像製品化となるのでしょうか…。

弘さんのハイハットからイントロの間、2019年「ふざけるなツアー」でそのハイハットからのスタートだった「SAUDADE~真冬の蜃気楼~」あたりが来るのかしら…と考えていましたが、蜃気楼は蜃気楼でも「誰かが落とした蜃気楼」なこの曲でしたね(?)(余談ですけどこの時期は歌詞に蜃気楼が入ることが多かった「フリフリ’65希望の轍・ゆけ!!力道山etc…」のでトレンドワードだったのでしょうか…)。

この曲好きなので嬉しかったですねえ…。1年に1度くらい強烈にライブで聴きたくなる瞬間があるのですよね。サザンを好きになってCDを買い揃えていく中で「世に万葉の花が咲くなり」を購入し、初めて聴いた時に何故か強烈に印象に残った曲だったのですよね…。あまり一聴き惚れしないタイプなのですが、波長があったのでしょうか…。具体的に何が好き、と聴かれると実は困ってしまう曲でもあるのですが、聴いたり・歌う時に楽しく嬉しくなるので、音を楽しむ、音楽というものを実は一番シンプルに体現している曲なのかしら…と今回スクリーンを見ながら考えておりました。どうやら自分が思っていた以上にこの曲が好きで特別な曲だったのね…と。

「一番素敵な思い出抱いて夏のライブは終わる」

 

14.東京VICTORY

アコースティックギターをジャン、という弾いてから始まりましたね。アコギを持っていたのはこの曲だけだったでしょうか(今回この辺りが割と記憶から抜け落ちていて悔しい&不覚)。

中盤の起用は初ですね(ひつじも中盤といえば中盤ですが、煽り寄りではあるので判定が難しいですね)。1曲目(「ふざけるなツアー」)と3曲目(「ほぼほぼ年越しライブ」)というスタート位置でのご登場パターンもありましたが、しれっとこういった位置にいる、というのは1つこういったライブだからこそ、というのももちろんあるのかと思いますが、発売以降全てのライブで演奏されているからこそ狙った感じではなく、全体を通して見た時に本当に「しれっと」いるようになった佇まい感じてしまったのですよね…。

最初見ていた時はラストの「TOKYO,The world is one」の「TOKYO」を「CHIGASAKI」に替えて歌ったりするのかしら…と思っていたのですが、そうしなかったのもきっと正解で、これが今回の東京VICTORYさんの佇まいなのね…とまたよく分からないことを終演後に思っていたりしたのです。

 

15.栞のテーマ

このまま盛り上がる曲を続けるのかと思いきや、次に切ったカードはバラードナンバーであるこの曲でしたね。

人気曲でありライブの定番(とはいえ意外と周年ライブはお休みしがちだったりするのですが…)なこの曲も意外にも2000年以降の茅ヶ崎ライブには初登場で、「女呼んでブギ」先生と同じく「そちらにおうかがいしてもよろしいですか」以来42年ぶりの茅ヶ崎凱旋となりました。

披露自体は2015年「おいしい葡萄の旅」以来8年ぶりではありましたが、野外ライブでの披露はソロ名義での出演だった「SWEET LOVE SHOWER 2009」を除くと1998年の渚園以来25年ぶりと色々とご無沙汰な曲だったりしたのですね。

ラストのサビの繰り返し部分を歌うのもかなり久しぶりな気がします。「C調言葉に御用心」といい、全曲を丁寧にフルバージョンで披露、というのも今回のライブの大きな特徴だったのではないのでしょうか。

 

16.太陽は罪な奴

このままバラード曲を続けるのかと思いきや、次に切ったカードは(以下略)。

何と申しましょうか…。この「君だけに夢をもう一度」から続く曲の色の違いといいますか、テンションが前後するこの緩急を過剰に付けている感じ、でもこのセットリストの先が全く読めない構成がとても面白かったのですよね。ある種サザンの「何でもあり」なイメージをセットリストの構成に持ち込んだらこうなった…とでもいえますでしょうか。

後のMCでも触れていましたが、この10月1日は桑田さんも敬愛するアントニオ猪木さんの命日であり一周忌でしたね。この曲のPVではその猪木さんが出演し、共演するという出来事がありましたし、もしかしたらそんなこともどこかでよぎった選曲だったのかしら…と。だからなのか分かりませんが、ちょいと季節外れな太陽は罪な奴は少しだけせつない風が吹いていたような、そんな気がしました。

 

17.真夏の果実

ここで真夏の果実、ということで2つ頭に浮かんだことがありまして、1つは「君だけに夢をもう一度」からの緩急選曲はここで一区切りで次からは煽りに入るのかしら…ということと、今年の新曲の1つである「Relay~杜の詩」は今回演奏しないのではないのかしら…と。この2つの予感は結果的に当たりましたね(まあ曲数と真夏の果実のライブの使い方を知っている方にしたら予想出来るものなのでしょうが…)。

愛の言霊」・「HOTEL PACIFIC」と夏の野外ライブでほぼ必ず演奏していた曲がなかった中で演奏されるところにこの曲の絶対に外せない「強さ」があると改めて感じておりました。

そういえばこの曲の時に誠さんが弾いていたウクレレ、冒頭の登場シーンで桑田さんが持っていたものと同じもののように見ましたが、どうだったのでしょうか…?。

 

18.LOVE AFFAIR~秘密のデート

煽りコーナーのスタートはこの曲から、ということでよろしいのでしょうか。

ほぼほぼに続いてこの位置でのご登場となりましたね。イントロで歓声が上がる(上げやすい、ともいえるのでしょうか)、桑田さんも(多分)歌いやすい曲だと思いますし、一気に、というよりも徐々に終盤へのアクセルを踏んでいくのに程良い曲、という立ち位置なのでしょうか。

真夏の果実→この曲の流れは渚園・灼熱のマンピーに続き3度目となりますが、全て野外公演ですし、繋ぎやすい&野外でやりやすい流れ、ということなのでしょうか…。ちなみに灼熱のマンピーでは「太陽は罪な奴→Bye Bye My Love(U are the one)→真夏の果実→LOVE AFFAIR~秘密のデート」の流れだったのが、今回は「太陽は罪な奴真夏の果実→LOVE AFFAIR~秘密のデート」、と10年経ってBye Bye My LoveさんがBye Byeしてしまいましたね…(?)。しかし今回も最早定番になったアウトロでの「Be My Baby」がありましたし、何より「Bye Bye My Love」と「Be My Baby」のぱっと見の文字面が似ていますので実質「Bye Bye My Love」があったということには…ならないですね、ええ(失礼致しました)。

 

19.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

「LOVE AFFAIR〜秘密のデート」のアウトロに被さるようにイントロ前のライブ前奏があった、と記憶しております。

今回は煽りコーナーでのご登場でしたね。茅ヶ崎ライブの3回は皆勤となりましたが全て煽りでの披露となりましたね。これはあの曲と並ぶ記録となりました(ぼかさなくても分かる曲じゃろ)。

会場に居ても、いつも見逃してしまう・ちょうど見えない位置にいることが多いということがあるので原さんがこの曲(もしくは「マチルダBABY」)を弾く時に向きを変える瞬間をいつか見てみたいものですね…と。そして今回もしっかり見逃した、というよりあの前奏が始まった時にそれをふと思ってスクリーンをいつも以上に凝視していたのですがそこは映らず、でしたね。

 

20.盆ギリ恋歌

ここに持ってくるのかと。来るとしたら意外に中盤あたりか煽りの頭のどちらかと始まる前に予想していましたが、その両方に来なかったので、もしかして2005年の「みんなが好きです!」の「BOHBO No.5」以来の新曲本編締めがあるのかしら…と思っていたタイミングでした。

デジタルナンバーが続いた後に来るという構成がまた面白いなと思いました。とはいえちょいと唐突感があるといえばそんな感じがしましたが、曲の雰囲気的に良い意味で「浮かせる」のもらしいといえばらしいのかしら…と。

「もう一度死ぬまで 踊り明かすのさ」というフレーズを聴く度に「どこかで何かが一度死んでしまったと思った瞬間があったりするのかしら…」とあまり良くないことを考えてしまうのですよね…(こういうことはあまり深く考えるのは良くない、と思いつつも)。

そして流石に映画館で盆ギリの振り付けをやっている方はいませんでしたね…w。でもスーパーボウルグラミー賞より盛り上がっていました…よね(急に心配するな(誰目線シリーズ))。

 

21.みんなのうた

灼熱のマンピー以降いつも冒頭に付く「あの日から~」の曲が大改造(違う曲?)にされていましたね。最後に「水にご注意を」と。ご丁寧にバックモニターにも出ていましたね。あそこはC調言葉に御用心にかけて、「水に御用心」にしてほしかったわね、とまたアホな事を考えていたのはええ、私です(?)。

そして放水でございます。今年はまだ10月のこの日あたりまで暑さがありましたので良かったですが、気温次第では無かった可能性もありますね(灼熱のマンピー仙台公演ではスタッフさんに放水していた)。気温しだいで責めないで(?)(言いたいだけシリーズ)。

舞台監督の南谷さんが桑田さんの後ろでホースを支えていましたが、その南谷さんの頭にはカメラらしきものが。スクリーンにはそこからの映像はありませんでしたし、桑田目線カメラ、という感じで製品版に撮影していたのでしょうか(もしかすると現地のモニターには映っていたのかもですが)。

ステージの後ろの方に毛ガニさんが「匂艶 THE NIGHT CLUB」等の時に持っているようなあの黄色い手がいつの間にかいっぱい出て来ていましたね。

「熱い波が〜」のところは「君のカラダ また濡れる」と。そしてラスト放水。カラダがカタカナなのが良いですよね(?)。

 

22.マンピーのG★SPOT

桑田さん「軽い曲を」「静かな曲を」…その発言と明らかにそぐわない方々(ダンサーさん達)が出て来ていらっしゃいますが。ロックンロールと叫ぶ時に弾かれるギターの音に「真夜中のダンディー」を感じておりました。ロックンロールから一瞬「ボディ」が頭をよぎるも明らかに雰囲気が最後の曲を醸し出していたので、マンピーさんかしら…と思っていた時に桑田さんが後ろを振り向いて準備を始めたのと同時にあのライブ版ベースイントロのない(これも最近ですと珍しいような)原曲通りギターから入りましたね。

3回の茅ヶ崎ライブ全てで本編ラストを任された曲となりました。

今回のヅラは「相模33 ち・・45」というナンバープレートの付いた車風でしたね。そして「G」ではなく「爺」と…。ダンサーさんのあの衣装は「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018」とふざけるなの男性ダンサーと色合いが同じだったので女性版、という感じなのでしょうか。

最後のマンピーのピーはまたもコにしてしましたね。前の方に座って盛り上がっていた方がその瞬間、ずっこけるような動きをしていたのが面白かったですね(?)。

最後にはNHKと同じくカメラを。カメラ画面でバッテリー残り45 %、時間が「00:00:33」となっているのが細かいですし、ヅラの数字と連動していたのも良かったですね。堂々と撮っていたのに、撮ってませんと誤魔化す桑田さん。正直に言いなさいと言われたのに「何がいけないんだ」と開き直る桑田さん。いつの間にかセンター中央に集まり、泣く原さん、それを支える(?)毛ガニさん、あきれ顔の弘さんと(ムクちゃんはよく見えず…)コント風(?)な締めがまたサザンだなと…。

 

En1.ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~

アンコール1曲目はこの曲でございました。ようやくアルバム「キラーストリート」から…でしたね(ちなみにオリジナルアルバムという視点から見ますと「KAMAKURA」以来のアルバムからは披露されています)。個人的に「キラーストリート」はやはり特別なアルバムでして、そこから演奏される曲は特別な感情があるのですよね…。

公式からのセットリストで知りましたが、この10/1公演だけで披露された曲だったのですね。2日間ライブビューイングがあった中でたまたまとはいえこの日の公演に行けたというのが、ただただ嬉しかったですし、この日のみと知っていたらもっと噛み締めて聴けていたのかも知れませんが、まあそうなると泣いてしまいその後が大変になる可能性があったので(?)そういった意味ではセーフだったのかもしれません。

このライブで桑田さんは本編もアンコールもビートルズ関係のTシャツを着ていました。ビートルズは桑田さんにとってロックンロール、そしてバンドとの出会いになると思うのですが、そのビートルズを身に纏い、生まれ故郷の茅ヶ崎サザンオールスターズというバンドとして「負けそうになったら おまじないはいつも "I'm a Rock'n Roll Superman."」と歌う、それも最後の1日だけというのは特別な意味を持っていると思いますし、ロックンロール・スーパーマンになる前の桑田佳祐を垣間見れたような気がするのです…。

 

En2.Ya Ya(あの時代を忘れない)

もっと行きますか、からの曲はまさかここで…な曲でした。盛り上がる曲が来るのかしら…という予想とアンコールラストの定番のこの曲がここで演奏されるというのが、ちょいと不意打ち感がありましたね。とはいえ私の見た10/1は「ロックンロール・スーパーマン」が良い意味でその不意打ち感に対するクッションになっている面もありましたし、それ以外の公演はこの曲がアンコールの1曲目ですから、アンコールは1曲で終わり…?と思う方もいたのかもしれませんね。

この締めの曲っぽくみせて実は続く、という過去2回の茅ヶ崎ライブにおける「いとしのエリー」のポジション感がありますね。

そういえばこの曲が締めとなるライブは2008年の「真夏の大感謝祭」が今のところ最後なのですよね。それまでも締めの曲は何度も経験していますが、それ以来ラストがないのがあのライブがあまりにも強いということなのでしょうか…。

アンコールでギター持ちというYa Yaはかなり珍しいですよね。レアなものを見た気持ちになりました(?)。

 

En3.希望の轍

やらないわけがないけどまだ登場していない曲その1(?)がここでようやく来ましたね。

前曲の「Ya Ya(あの時代を忘れない)」が(「海」と日替わりではありましたが)2013年の、この「希望の轍」が2000年の茅ヶ崎ライブのオープニングナンバーでしたよね。その2曲を並べて(「海」さんはお休みでしたが)アンコールで披露するというのが、茅ヶ崎ライブの1つの総括、という感がありました。当時にYa Yaと続いていることで「ここがラストなのかしら…?」と中盤の流れのように分からないが面白い、という状況に再び陥っておりました。

1番が終わった辺りのタイミングでしょうか、我慢の限界だったのか突然「うおー」と叫び立ち上がって見始める方が映画館の会場にいらっしゃったのですよね。それにつられてか10~20人ほどでしょうか(映画館がそれほど広いところではなかったのでそれでも多く感じるくらいでした)立ち上がって見ていたのですよね。ちょうど私の視界の左から前までが

アタック25の画面のようになってしまいました(?)(例えが微妙に古い)。最後列にいたので立ち上がれば良かったのですが、ちょいとまたトイレを我慢していたので迂闊に動いてしまうとまずい…という判断から座ったままでおりました。

しかし「うおー」があまりにも突然だったのでびっくりし過ぎてちょいと轍さんの記憶が飛んでしまいました。自分のLOVE SICK…おっとチキンさを恨みましたね(?)。

 

En4.勝手にシンドバッド

やらないわけがないけどまだ登場していない曲その2が(以下略)。

希望の轍」~「勝手にシンドバッド」という流れは2018年の紅白歌合戦と同じでしたがそのあたりの意識もあったのでしょうか…。あと「オーイエー」のタイミングを間違ったのも紅白と同じで(間違い方はちょいと違いますが)この偶然は面白かったですね。

近年のこのポジションに収まったといいますか、冒頭ナレーションの「砂まじりの茅ヶ崎から45年」という一言の回収、ではありませんが、茅ヶ崎ライブは「砂混じりの茅ヶ崎」で終わり、45周年の1年、そして未来への旅は「砂混じりの茅ヶ崎」でまた始まる…という感じがあって、節目のタイミングでの茅ヶ崎ライブすらも通過点に見えてしまったのですよね…。そう思わせるこの勝手にシンドバッドという曲のパワーは凄いものがある…と改めて思わされつつライブは終わっていくのでした…。

 

ライブが終わりステージ裏に下がっていくまでがあっという間だった記憶があります。桑田さんが「最後に花火がありますと」、あと恐らくライブビューイング用カメラにニコニコで手を振っていた毛ガニさんが映り、私もニコニコ(?)。

メンバーがステージ裏に下がると、「Relay~杜の詩」をBGMにエンディング映像(?)が。あれは会場でも流れていたのでしょうか…?。

映像が終わると花火へ。花火が終わるまで映画館も誰も席を立たなかったのが印象的でした。ニコちゃんマークの花火が上がると「おー」という声が上がっていました。

花火が終わると中継も終了。混雑するので最後に出ようと席に座りながら、頭の中で「夏の夜に咲く花火が僕達を繋ぐ最後の絆だと誰かが言った」というフレーズが静かにリピートしていました…。



さてライブを少し振り返っていきましょう。セットリストは所謂王道と呼ばれるような、定番曲・人気曲が多くを占めていましたね。…何となくですが今回の茅ヶ崎ライブは最後ではないか、というのがライブの発表を聴いたときにふと思ってしまったのですよね…。もちろん50年、55年と続いていけばまた次はあるのかもしれません。でも何処かで元気なうちにもう一度故郷でライブを、という思いがあったような気がしたのですよね。こう今回の曲を見るともう1つ、桑田さんが好きな曲、というのが多いというのも特徴かと思うのですよね。なので最後かもしれない茅ヶ崎でのライブで、自分の好きな(かつ比較的王道な)曲を…というのを「Moon Light Lover」辺りでとても感じてしまったのですよね。もちろんコレは私の都合の良い解釈なので、全くの見当違いかも知れませんが…。

それともう1つ、新曲の中で「Relay〜杜の詩」は披露されませんでしたね。エンディング映像の中でリハーサルのシーンがあったのですが、その中で候補曲としてこの曲の名前が挙がっているシーンがあったので、全くやる気がなかった訳ではないようですね。曲のテーマ・曲調的に今回のライブでは入る隙間がない、ということなのか、あくまで曲のテーマについてを世に投げることと茅ヶ崎ライブは別物と最終的に判断したのかは分かりませんが、今回やらなかったことで次のライブへバトンを渡す、まさにリレーする役割になったのかしら…という「次」の為に取っておいたのかしら…というようにも帰り道考えておりました。

 

最後に1つ、所謂余の談でございますが、ライブ準備期間から開催期間中、あまり見たくないような現地についての情報がSMSでちょいちょいと流れてきました。ああいう辛く・悲しくなり迷惑をかける行為はやはり胸が痛くなりますし苦しいものですね…。

ああいう場にいる・提供していただいてもらっている以上、そういった迷惑をかけることは当たり前だと思うのですが、まずは自分自分、ああいったことは絶対にしない、と改めて思った次第でございます。

 

最後にサザンオールスターズの皆様を初め、サポートメンバー、スタッフの皆様、ライブに関わった全ての方と茅ヶ崎の皆様ありがとうございました。

またいつか何処かで「運」と「縁」がうっかり巡り、ライブ会場へお邪魔できる日を楽しみにまたふらふらと生きていこうと思います。

 

サザンオールスターズの曲で「愛の言葉」が歌詞に入る曲を雑にまとめてみた

お久しぶりの歌詞に使われているフレーズの楽曲を探そうの雑文でございます。

近年、桑田さんの歌詞の中で使われることの多いイメージのある「愛の言葉」というフレーズですが、実際はどのくらい使われているのかしら…とまたもふと気になってしまい調べてみました。

早速サザンの公式サイトで「愛の言葉」と歌詞検索してみました。以下が検索で出て来ました曲となります(ちなみに検索はリニューアル前です(だからといって特に変化があるわけではない))。(()は発売年です。)

 

・想い出のリボン(1991年)(原さんソロ)

・夢見るアニバーサリー(2004年)(作詞原さん・名義は原由子&ALL STARS)

・LONELY WOMAN(2004年)

・別離(2005年)

・百万本の赤い薔薇(2016年)

・悪戯されて(2016年)

・若い広場(2017年)

・オアシスと果樹園(2017年)

・なぎさホテル(2022年)

 

合計9曲と思ったよりは少なかったイメージ、といったところでございましょうか。

初めて歌詞の中で「愛の言葉」が使われたのは、1991年の原さんソロアルバム「MOTHER」Disc2のラストでありアルバム全体としても最後の曲である「想い出のリボン」でしたね。登場としては意外と早い段階だった、といったところでしょうか。何と申しましょうか…。このMOTHERというアルバムの時期の原さんに合うフレーズといいますか、母であり女性であり、一人の音楽人である、ということを改めて示したアルバムの締め曲に使われるというのが(曲のテーマは青春の恋の終わり(その振り返り)という感じではありますが)、また素敵で桑田さんからのそして何より原さんからの曲という名の「愛の言葉達」感があったように思うのですよね…。

次に登場するのは「想い出のリボン」から13年後、こちらは「原由子&ALL STARS」名義で原さん作詞曲である「夢見るアニバーサリー」で登場しましたね。桑田さん作詞以外で「愛の言葉」が使われたのは現段階でこの時が唯一となりますね。

「夢見るアニバーサリー」で使われたことで、桑田さんが思い出したのか良いフレーズと思ったのかはたまた偶々だったのか(まあ偶々でしょうが…)分かりませんが、同じ年に「LONELY WOMAN」で、そして翌2005年に発売のアルバム「キラーストリート」収録曲「別離」と近い時期に「愛の言葉」が歌詞に登場する曲が2曲作られています。後に触れますが2016~17年の所謂アルバム「がらくた」制作時期に実に4曲「愛の言葉」が使われた時期があるように、ふと多様する時期があるのが面白いですね。ちょうど「慕情」を歌詞に多用していた時期の終わりくらいに当たりますし(キラーストリートまでで「慕情」が歌詞に使われる曲は10曲ありましたが、2006年以降は2曲(「風の詩を聴かせて」と「ベガ」)のみ)、入れ替わりの時期だったのかもしれませんね。

とはいえ「別離」からはまた少し時期が開き、11年後の2016年「百万本の赤い薔薇」で久しぶりに「愛の言葉」が歌詞に登場します。桑田さんのソロ名義曲としては初めて使われましたが、その後も「悪戯されて」、翌2017年には「若い広場」・「オアシスと果樹園」と2年の間で実に4曲で使われることになります。アルバム「がらくた」には悪戯されて以外の3曲が収録されていますし、実は「がらくた」というのは桑田さんの照れ隠しで本当はアルバム名を「愛の言葉」にしようとしたのでは…と思ってしまうくらいの使用率でございます。そういえば「若い広場」と「オアシスと果樹園」はアルバムに先駆けて先行配信された曲でもありますし、これも偶然なのでしょうが、よりフレーズがフィーチャーされている感が出ていますね。

この中で「百万本の赤い薔薇」と「若い広場」は曲の、「オアシスと果樹園」ではサビの頭と歌い出しのフレーズとして使われていますね。それ以前は「〇〇~ 愛の言葉」、「〇〇 愛の言葉 〇〇」とフレーズの間や締めの部分で使われる傾向がありましたが、そういった使い方の変化もこの時期に見られましたね。そういえば少し前の夜遊びで桑田さんが「歌い出しがあ行の曲は印象が強くなる」といった旨を話していましたが、そういったこととも関係があったりするのでしょうか…。

余談ですが個人的には「百万本の赤い薔薇」での「愛の言葉」の使い方が好きでして…。「愛の言葉をひとつ 君にあげるとしたら恥ずかしそうな笑顔に いついつも恋してる」のところですが、「「愛」の言葉をあげるのに「恋」してる」のですよ(?)。みんな大好きSEA SIDE WOMAN BLUES師匠風にいえば真心をあげるのに下心も持っているのです(?)。冗談はさておき(なら書くんじゃありませんよ)、サビでは「愛は百万本の赤い薔薇」と歌い、後半には「寂しくて ひとりぼっちでも 恋の歌 口ずさみ歩けば」というフレーズが出てくるように愛の言葉、というよりもこの曲の「愛」と「恋」の使い分けがとても興味深く面白いとふと思ってしまったのですよね…。長くなってしまう&趣旨とちょいとだけずれてしまいますので、この辺りについてはまたいつか書きたいと思います(あ、そう言って大概書いていない大馬鹿野郎だ)。

そして「若い広場」と「オアシスと果樹園」から5年後の2022年、現段階では「愛の言葉」が歌詞に登場する最も新しい曲が「なぎさホテル」となりますね。この曲もサビの頭に「愛の言葉」が出てきますね。何と申しましょうか…。サザンとしての活動とほぼ並列になっている、ということもあるのかと思いますが、「愛の言葉」は「百万本の赤い薔薇」からソロ曲のフレーズになった感がありますね。個人的には「若い広場」では「愛の言葉をリル 熱い吐息をもう一度」、「なぎさホテル」では「愛の言葉 熱い涙」と、「愛の言葉」と「熱い〇〇」という共通点があり、「熱い」という単語とも繋がってくるのが面白いな、と思ってしまうのです。おそらく前述したあ行の語感の関係もあったりするのかもしれませんが「愛の言葉」と共に「熱い」吐息であり涙であり、何かがセットになっているというのが、その「愛の言葉」と一言で表わされているその言葉の中身の想像の広がりであり、そういった余地を残す効果があるとも思うのですよね…。

 

さて、また雑に「愛の言葉」を特に熱さを感じさせることなく(?)まとめてしまいました。こう見ますとまたふらっと「愛の言葉」は歌詞に登場しそうですね。それがこの流れでのソロ曲になるのか。それとも18年ぶりのサザンでのご登場になるのか…想像は付きませんが、また逢う日まで、でございます(?)。

(今日公開の新曲でしれっと使われていたらどうしましょう…(?)(別にどうもしないでしょ)。)

 

サザンオールスターズ(と桑田佳祐ソロ)で使われる「口唇に微笑みを」は別れと再会のフレーズなのかもしれない…という雑な解釈をしてみる

お得意(?)のタイトルが無駄に長い&都合の良い解釈シリーズでございます。

2008年発売のシングル「I AM YOUR SINGER」にはこのようなフレーズがありますね。

「遠く離れ離れの時も「大好きだよ」と嗚呼 口唇に微笑みを. Oh… いつの日も乗せて!!」

当時の無期限活動休止発表という状況もあっての歌詞かと思いますが、そういった悲しみの中で1つ「口唇に微笑みを」というフレーズがありますね。

実はこのフレーズが使われている曲がもう1つあります。桑田さんソロとなりますが2013年発売の「涙をぶっとばせ!!」です。

「口唇に微笑を 涙をぶっとばせ!!」とサビに入る前のところで使われていますね。

ふと、このフレーズの使い方と発売時期でリンクするところを感じてしまいまして…。

何と申しましょうか…。「I AM YOUR SINGER」の時はどうしても2008年の無期限活動休止発表があまりにも大きいものになっていたと思うのですよね。そこにどんな曲を新曲として持って来るのか…というのはどうしても注目されてしまうわけで…。前向きさ、明日(再会)への希望を持たせつつも、どうしても1つ別れの歌、というのが印象として強いのですよね…。適度にソロ活動を挟みつつもサザンの活動が定期的に続いている今だからこそ、冷静にそう振り返られるのかも知れませんが、仮にこのままサザンとして活動することなく終わりを迎えてしまった時に「あれ(I AM YOUR SINGER)が結果的にサザンとして最後の曲になってしまったね(真夏の大感謝祭にも同じ事が言えて、このライブがサザンとして最後のライブと言われても良いような内容だったのでは…と)」と言われてもある種納得してもらえる曲に…というのも少しあったのかな、と思ってしまうのです。

少し本題とそれてしまいましたが、そんな曲の中に「口唇に微笑みを」というフレーズがありますね。先程別れの歌という印象があると書きましたが、「夏がまた来るまでは 互い涙見せずに」と涙が出てくるのがこの一文だけで、涙、涙の別れの歌には極力しないようにしようとしている感があります。ただ「口唇に微笑みを」は笑っているのは口元だけでその上(目)はきっと…と想像してしまうのが余計に切なくさせるといいますか、より複雑さを持たせるフレーズになった気がしてしまうのですよね…。

涙をぶっとばせ!!」の方にも触れていきましょう。「微笑み」と「微笑(ほほえみ)」という僅かな違いはありますが、「口唇に微笑を 涙をぶっとばせ!!」とこの曲でも「口唇に微笑を」というフレーズが登場しますね。

この曲は2012年のライブツアーの途中に作られ、ツアーの後半ではセットリスト入りし、翌2013年に発売されました。

何と申しましょうか…。ライブツアー中に制作していたこともあるのか、ポップで前向きな感じが強めといいますか、良い意味でライブ感が反映されている曲というところでしょうか(もちろんCMタイアップの曲という前提もあったのかと思いますが)。

そんな「口唇に微笑を」曲でございますが、その後に続くフレーズが曲のタイトルにもなった「涙をぶっとばせ!!」なのですよね。「I AM YOUR SINGER」のところで、「「口唇に微笑みを」は笑っているのは口元だけでその上(目)はきっと…と想像してしまう」と書きましたが、この曲は明確に泣いている(もしくは泣いていた)ということがここで分かります。

ここで何となく「I AM YOUR SINGER」と「涙をぶっとばせ!!」の2曲が繋がったといいますか、2008年と2013年が繋がった感じがあるのですよね。何と申しましょうか…。涙をぶっとばせ(2012年「I LOVE YOU -now & forever-」ツアー)の制作時期、おそらく桑田さんの中に翌年はサザン、という考えがあったのかしら…と思うのです。だから狙った、というのは勿論無い、偶然だとは思うのですが、「口唇に微笑を 涙をぶっとばせ!!」は泣いているのをまず口元から笑って泣き止もうという、「I AM YOUR SINGER」とは逆な感じを受けます。涙から笑顔になっていく瞬間といいますか、笑顔になるために共に行きましょう、という思いがこもっているといいますか…。2曲のフレーズを合わせますと、「遠く離れ離れの時も「大好きだよ」と嗚呼 口唇に微笑みを 涙をぶっとばせ」と別れの後の再会のフレーズとして繋がった感覚があったのです。

またもう1ヶ所、「I AM YOUR SINGER」では「ひとりぼっちじゃ夢叶わない さあみんなでLove Song アンコール いつも人生(ザ・ステージ)にゃドラマが待ち受けてる」、「涙をぶっとばせ!!」では「愛の歌を奏でる未来のStageで Go Go踊ろうよ」というフレーズがありますね。ここもリンクしている感じがありますね。Love Song(愛の歌)を奏でる未来をアンコールしたその先にドラマ(サザン)が待っている…と考えますと、(勿論これは完全に都合の良い解釈ではなりますが)素敵ではないかしらと…。これがサザンの活動、ソロの活動の結果的には1つの区切りのタイミングに重なっていることも不思議な偶然だと思うのですよね…。サザンという存在がそういったものを無意識のうちに引き寄せていたりするのでしょうか…。

 

という訳で以上が「口唇に微笑みを」というフレーズから無理矢理繋げた雑文(もはや怪文書?)なのでございました。なんだこれは…となるかと思いますが、どうか涙は関係無くぶっとばすくらいでお許し下さい(?)。

 

最後に偶然ですが、この2曲ともに携帯会社のCMに使われているという巡り合わせもあったりしますね。案外「口唇に微笑みを」というのは、通話の意味も兼ねていて実はそんな深い意味が無かったり…なんて思ったりもしてしまうのです。そうなると元々意味の無いこの雑文の意味が完全になくなるという恐ろしいことに…。

そんな時でも「口唇に微笑みを」ですよね、桑田さん(?)(またこういうくだらないオチにする)。

 

公式による原由子ライブツアー「花咲く旅路」のアンコール曲表記が違う件についての雑なまとめのようなものを

またタイトル長いですね(毎度なのだからいい加減に要約しなさいな)。今年原さんのライブが行われた影響なのか、年の始めのタイミング(私が気が付いたのは1月末くらいだったでしょうか…)でこれまでサザンの公式サイトになかった、1991年の「花咲く旅路」ツアー、2010年の「原由子スペシャル「はらばん」鎌倉ライブ」のセットリストがようやく掲載されることになりました。

しかしこの花咲く旅路ライブのセットリストについて1ヶ所「おや…?」というところがございましたので、今回はそちらに付いて書いていこうと思います(細かいんだか性格が悪いんだかな私の嫌な感じが隠せていませんね)。


タイトルにもある通り違いがあるのはアンコール部分に付いてですね。まずは見て頂きましょう。


En1.My Baby Shines On Me

En2.じんじん

En3.いちょう並木のセレナーデ


ちなみに2003年に出ましたパーフェクトデータブックでもこの並びになっています。

一方現在の公式サイトになる前、旧sas-fannet版では以下のような並びとなっていました。


En1.My Baby Shines On Me

En2.いちょう並木のセレナーデ

En3.じんじん


アンコールの2〜3曲目の「いちょう並木のセレナーデ」と「じんじん」の並びが逆となっていますね。

これは大阪・愛知ではいちょう並木のセレナーデ

→じんじんで最後の武道館公演だけ、じんじん→いちょう並木のセレナーデと入れ替えて演奏された、ということだったようで、ある意味では両公演のセットリストを載せている時を超えた補足が行われたのかもしれませんね(?)。


…とここまでならそれで済むのですが、問題はここからなのです。公演直後に発行された「代官山通信 Vol.34」にはこのように載っているのです。


アンコール

1.My Baby Shines On Me

2.いちょう並木のセレナーデ

3.じんじん

※武道館のみアンコール

1がなくて、3→2の順


2と3が逆だった、というのはこれが正しいのであれば(まあ時期的に一番信頼出来る情報源になりますが)、間違いない情報となります。一方「My Baby Shines On Me」がカットされている、という新たな情報がもたらされてしまいました。

このライブはWOWOWで放送されていますが、一部曲がカットで放送されており、このMy Baby Shines On Meもその放送されていない曲の1つとなっています。ということは演奏していない、というのは分かりにくくなってはいますが、正しいように思われます。

しかし実はこのライブ、ラジオでも一部楽曲カットでの放送がされていたという事なのです。

ここからは私が音源を聴いたことがない&非公式の情報となってしまいますが、このラジオ音源についてかつて書いていた個人サイトではこの曲がオンエアされた、と書かれているのですよね…。そしてこの時流れた音源はテレビ版と同じく武道館公演のものだったとのことで…。もう1つ謎が生まれてしまいました。

ここで考えられるパターンは2つあります。

1つは代通が間違えているパターンです。例えば「武道館でなかった」ではなく「武道館でのみ演奏」と間違えた可能性があります。武道館が最終公演ですし、最後という事で追加したものの代通で記載する際に間違えてしまった、という可能性が考えられます。当時は今以上の手作り感溢れる会報でしたから、そういったミスが無かった、というのはゼロではなかったとは思いますし…。

もう1つはラジオで放送されたMy Baby Shines On Meが大阪か愛知どちらかの音源である、という可能性です。近年の製品版では製品化される公演では演奏されなかった曲をボーナストラックや別ディスクに収録、というのがパターン化されています。ラジオ版ではこの曲以外のアンコール演奏曲は放送されていないようですので、本編ラストのじんじんで締め、+おまけのような形でどちらかのMy Baby〜を流して番組は終わり…という形にしたのではないのでしょうか。

あくまで音源を聴いていないためどのようにオンエアされたかは分からない為2つ目の説は説得力に欠けますが、流石に1つ目の代通のミス説とも考えにくいところではありますね…。

個人的には2つ目の説の方が真実に近いような感じはあるのですが…。とりあえずこの花咲く旅路ツアーに2公演以上お邪魔された方が降臨されることを期待したいと思います(?)(最後の最後に他力本願かい、おじさん)。


しかし代通が正しいとすれば、今公式サイトに載っているアンコールでは演奏された公演は存在しない、という世に万葉…ではなく、世にも奇妙なセットリストとなってしまう訳でして…。そんな花咲く旅路のアンコール記載について、サザンのあの曲からフレーズを引用してこの雑文を締めたいと思います。

 

「君はいったい誰なの?」(01MESSENGER〜電子狂の詩〜より)

 

 

…このオチがやりたかっただけじゃないのかい、おじさんよ

 

1996年年越しライブ「牛」のセットリストを今更雑に見てみる

サザンオールスターズの個人的リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第7弾でございます。今回は1996年の年越しライブ「牛」のセットリストを振り返ってみようと思います。

 

例によっていくつかのブロックに分けて書いていこうと思います。



1.女呼んでブギ

2.Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)

3.マンピーのG★SPOT(年越し曲)

 

女呼んでブギでのスタートとなりました「いっちゃえ'89サザンde'90」〜「ホタル・カリフォルニア」まで演奏される時にはアンコール披露でアンコールの定番曲となっていた曲が1曲目というのは、当時としては意外な選曲、といった感じだったのでしょうか。特にこの前年に行われたホタルは製品化され、多くのファンの方に触れることが多いライブだと思われますし、尚更アンコールの印象があったと思われるのですが如何でしょうか…(あんた、誰に聞いているのよ)。

2曲目は「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」、ライブの定番ではありましたが、1990年の年越しライブ「歌うサザンに福来たる」以来6年ぶりの披露と歌うサザンまでの演奏頻度を考えるとお久しぶりな登場となりました。しかしそんな曲に容赦なく入るCM…まさに悲劇(?)(言いたいだけシリーズ)。

そして年越し曲となりましたはこの曲の歴史では珍しいヅラなしでの「マンピーのG★SPOT」。オネエ様の方々が登場されたと思いきや、桑田さん「ハッピーニューハーフ~」お正月からお疲れ様でございます(?)女呼んでと思いきやまさかのオネエ様でビッグスターの悲劇、という物語だったのですね(?)。

何て冗談は置いておきまして、この時の演出が、後のマンピーでのダンサーさん大量ご登場の演出の元祖的感じに結果的になったというのが興味深いですね。

 

4.いとしのフィート

5.メリケン情緒は涙のカラー

6.Tarako

7.奥歯を食いしばれ

8.タバコ・ロードにセクシーばあちゃん

9.Happy Birthday

10.海

 

MC明けはお正月と歌詞に入る「いとしのフィート」定番っぽい流れですが、年越し明けの演奏、と限ると1991年年越しライブの「闘魂!ブラディ・ファイト」とこの時だけなのですよね。また4~7の4曲は1984~85年のツアー「大衆音楽取締法違反“やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで」以来12年ぶりの披露となりましたね。後にもまた触れますが、この時のライブタイトルがシンプルに97年の干支である「牛」でしたし、その干支が1周する「12年」というのが頭にあったのかもしれませんね。またこのライブ以降も含めてライブ1曲目で披露されたことのある曲が4曲(フィート・メリケンTarako・海)あるというのも偶然になりますが、ライブ1曲目メドレー風になっているのも面白いですね。

海でこのブロックを締めるというのも良いですね。牛と同じく漢字一文字繋がりでしょうか。ちなみに海の年越しライブでの披露は現段階でこのライブのみとなっています。

 

11.Young Love(青春の終わりに)

12.胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ

13.Moon Light Lover

14.Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)

15.汚れた台所(キッチン)

 

このブロックは分かりやすく1996年に発売されたアルバム「Young Love」のコーナーとなっていますね。1996年はアルバムやシングル「愛の言霊~Spiritual Message」の大ヒットに夏のスタジアムツアー成功と端から見ますとサザン充実の年といえますし、その振り返りと感謝、と全面に出したコーナーだったといえるのではないのでしょうか。

一方で「Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)」「汚れた台所(キッチン)」の流れは次のサザン、所謂「さくら期」の活動を暗示したかのようでそういった曲達でコーナーを締めているのが何とも意味深ですね。まあ未来を知っているからそう見えてしまうのでしょうけど…。

そういえばこのライブでは原さんコーナーがありませんでしたね。やるとすればこのコーナーで「恋の歌を唄いましょう」辺りが最有力になっていたのでしょうが、夏との被りを避けた結果だったのか、「平和の牛歌」一応歌唱パートがあるからそれで良い、という判断だったのか分かりませんが無かったのは残念でしたね。

 

16.エロティカ・セブン EROTICA SEVEN

17.瞳の中にレインボウ

18.古戦場で濡れん坊は昭和のHero

19.欲しくて欲しくてたまらない

20.悲しみはメリーゴーランド

21.怪物君の空

22.愛の言霊~Spiritual Message

23.平和の牛歌

 

アコースティックバージョンで「エロティカ・セブン」が披露されましたね。ホタルでも演奏していたとはいえ、ギターを持つ原さんが見れたサザンのライブは現時点でこれがラストになるのでしょうか…。ちなみに15~17の流れは風まかせ繋がり(汚れた台所→エロティカ)からのセブン=7=七色=レインボウという(エロティカ→瞳の中~)歌詞繋がりな連想ゲーム的メドレーだったのでしょうか…(これこそ偶然でしょうに)。

18~21はアルバム「KAMAKURA」からの選曲でしたね。ちょうど年明け1997年の1周前の丑年1985年発売のアルバムでしたし、「牛」繋がりでの選曲だったのでしょうか…。序盤の12年ぶり演奏曲コーナーといい、ある意味でサザン史上最も干支を意識したライブ(意識されられる、ともいえるかもしれません(それは私だけ?))だったのかもしれません。何より本編ラストがこのライブの為に作られたオリジナルソング「平和の牛歌」ですから…。

話は前後してしまいますが、煽りコーナーの中で愛の言霊が始まるまで桑田さんがギター持ちというのも珍しいですね。愛の言霊もドカンと盛り上がる曲ではありませんし、煽るというよりは魅せるライブ、という感じがあったのでしょうか。ラスト曲の平和の牛歌というのにもいえるのかもしれませんが、夏のツアー「Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」」と同じくYoung Loveをライブの主体に置いている中で同じような内容のライブにしない(同じく愛の言霊を本編ラストにしない)という差別化を図っていたのかも知れませんね。

 

En1.希望の轍

En2.夕方Hold On Me

En3.Oh!クラウディア

 

一転してアンコールは王道、といいますか定番曲のオンパレードですね。まずは「希望の轍」、言葉はいりませんね。そして「夕方Hold On Me」、言葉はいりません(?)…とは流石に2曲続けては許されませんので(?)、トリビアをいいますとこのライブの23年後、2020年の配信による年越しライブ「ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」でのアンコール2曲の流れが全く同じなのですよね。そして年明けの2021年は「丑年」という…。良く出来た話でございますでしょう(?)。

ラストは「Oh!クラウディア」、ブラディ・ファイトに続いて年越しライブの締め曲となり、また初めて複数回年越しライブで締めを担当する曲となりましたね。この辺りで年越しライブのラスト=Oh!クラウディアという認識が出始めたのでしょうか。ちなみに後の「晴れ着DEポン」・「ひつじだよ!全員集合!」でもライブのラストで演奏され4回そのポジションを担当することになります。

この曲が終わると番組の企画でウッチャンナンチャン内村光良さんがサプライズ登場、この時内村さんは桑田さんによりステージから客席に落とされてしまいますが、後にこの事を内村さんとの飲みの席でしきりに反省していたということでした(所謂余談)。

そういえば内村さんがコント番組で扮していたことのあるキャラクターには「ミル姉さん」という牛のキャラが…。全て繋がったところで締めたいと思います(?)。

 

 

さて雑に振り返ってみました。改めて見ていますと夏のライブとの差別化とどこまで意識していたかは分かりませんが、牛(丑)の繋がりを感じさせる年越しライブだったと思いますね。このライブ以降1985年に大衆音楽取締法違反ということで実刑判決を受けていた(?)「メリケン情緒は涙のカラー」や「奥歯を食いしばれ」あたりの曲は時々演奏される準定番曲枠に入った感がありますし、そういったメンバー全員ハタチを2度も越えたからこその出せる「渋さ」によってスポットを浴びたのではないのでしょうか。

また翌年のよりマニアックなセットリストとなった「おっぱいなんてプー」へのフラグといいますか、そこへいきなり向かう前の、王道なセットリストだったと言えます万座ビーチの間にある繋ぎ、といいますかある意味でクッションとなったライブ、という見方も出来るのではないのでしょうか。別な言い方をすれば「Young Love」と「さくら」のアルバム、時期を繋ぐサザン史において歌舞伎町ライブとはまた別な転換期にいた存在だったのかも知れませんね…。