適当文集

140文字だと書き切れない事を雑に書くところ

大正時代にフォークボールを投げた2人の日本人

のっけからどうでもいい話なのですけど私、変化球ですとフォークボールが好きなのですよね…。そうしますと必然的にフォークを武器にしている所謂フォークボーラーには注目してしまうわけで…。

そんなの中(?)フォークの神様杉下茂よりも20年以上前にフォークを投げた投手がいた…?しかも2人も…?と気になる情報を見つけてしまったのでとりあえず引っ張り出してみました…が雑にしか書けないもので、タイトルほどの情報が得られるかは何とも言えませんがそこはどうかお許しを…。

 

時は1922年(大正11年)、ハーバード・ハンターがメジャーリーグ選抜チームを率いて来日しました。ハンターは1920年マイナーリーグ主体の選抜チームの一員として来日し、メンバーの中で特に日本人へ熱心な指導を行なっており、翌年1921年にも慶應義塾大学の指導のため日本にやって来ており、初期の日米野球史の中で重要人物の1人ですね…とそれについて今回は置いておくとしまして、このチームには、バレット・ジョー・ブッシュとハーブ・ペノックという2人の投手が参加していました。ブッシュはフォークボールを開発した人物といわれ、ペノックもフォークを武器にしていた投手でした。余談ですが、ブッシュがフォークを開発したのはボストン・レッドソックスに在籍していた1918年頃と言われていますが、この年にはペノックも在籍しており(1915~1922年)、過去6年間で10勝以上したシーズンは1度だけでしたが、この1918年には16勝を挙げ10年連続で2桁勝利を達成することになり、ブッシュがフォークを開発した年とペノックが本格的に活躍し始めた時期が一致しており、同じ武器を持っていることから、共同開発説・先にペノックが投げ始めた説もあるとかないとか…。

さて話を戻しましょう。杉下茂フォークボールの存在を教えたのは、後に中日ドラゴンズの日本一監督となる天知俊一というのはあまりにも有名なエピソードですが、ではこの天知がフォークの存在をどこで知ったのかと言えば、1922年の選抜チームが来日した際にペノックから投げ方を見せてもらったとのこと。実は天知がフォークを教えたのはこの時が最初ではなかったのです。後に天知本人が「明治大学野球部史」に「フォークボールを初めて投げたのは杉下ではなく中川金三」という内容のことを記しているのです。天知と中川は学生時代少々複雑な経緯があり、旧制攻玉社中学から明大予科へ進学したのですが、当時大学予科への進学は、5年で卒業後もしくは4年終了時に入学試験に合格する必要があったのですが、2人は3年生からの進学だったため、中学へ戻る形で通学することになりました(ちなみに約半年大学へ通っていたとのこと…時代を感じますねえ…)。そこで下野中学(現作新学院高校)へ転校し、1年後改めて明大へ進学しましたが、この下野中学に在学中に選抜チームが来日しペノックから指導を受けたとのことですが、大和球士「真説・日本野球史 大正篇」には明大をコーチしたのは11月で(この時の試合は12-0で明大の敗戦)あるため、この時はもう下野中学野球部員であるにも関わらず、明大野球部に混ざってちゃっかりコーチを受けていたとのこと(時代を感じますねえ…(天丼))。

そしてここで教えを受けたフォークを同期だった中川に教え(本業は外野手だったとのこと)、翌1923年の春には習得し、そのフォークを武器に練習試合ではありましたが、連戦連勝だったそうで…。このまま行けば夏の甲子園(当時は「全国中等学校優勝野球大会」でしたね)の優勝も夢ではない、と機運が高まりつつありましたが、予選が始まる直前に明大から戻ってくるようにとの連絡(命令)が入り(満州への遠征があったためらしい…)、進学と言いますか、復学となりました。

もしこの時もう少し中学に残っていれば、どうなっていたのでしょうか…。少し歴史は変わっていたのかも知れません。…いやしかし、もしかしたら中川の本業が投手では無かったからこそ、天知は教えを試すことができ、そして中川がフォークを投げることが出来たという成功例を得たことにより、後の杉下茂にも伝授することが出来た、のかも知れませんね…。

 

時を同じくしてもう1人の投手がフォークボールを投げていました。早稲田大学の投手であった竹内愛一です。後にはプロ野球(職業野球と言った方がしっくりきますかね…)の監督を務めました(また余談ですが、朝日軍の新人林安夫がシーズン最多投球回の記録である541.1回の記録を残した1942年に監督だったのはこの竹内でした)。

学生野球の父と呼ばれた飛田穂洲の著書の1冊に「熱球三十年」という本がありまして、そこには「平凡な大投手、竹内愛一」という章があり、竹内について詳しく記されているのですが、その中でなんと竹内がフォークボールを投げていたという記述があるのです。

1923年、早大野球部は軽井沢で夏季練習を行なっていましたが、ここで竹内は飛田にフォークを投げて見せたのです。前年の1922年、明大と同じく、早大も選抜チームと試合を行なっており、どちらの投手から教えを受けたのか、もしくは盗んだのかは分かりませんが(本の中では「まねた」とありますのでどっちとも取れますね。ちなみに飛田はフォークについて、ブッシュの開発といわれ…と書いていますね)、この時に竹内はフォークの存在を知ったのは間違いないでしょう。早大は2試合選抜チームとの試合を行ない、1試合目はブッシュ、2試合目はペノックが勝ち投手となっていますが、その2試合目の敗戦投手は竹内だったのです。そうしますと打席にも(特別ルール等が無ければ)入るはずなので、打席の中で(投げていれば)フォークを見ているはずなので、これは…と思い、試合後にコーチを受けた…という可能性が高いのかも知れませんね。

その後フォークを習得した竹内でしたが、「肩や腕のためによくない」ということで殆ど試合で使う事はなかったとのことです。よくフォークは肩や肘に負担の掛かる球種と言われていますが、100年近く前からそれを分かっていたのですねえ…。竹内は後に奇人・変人とも呼ばれたりしますが(「熱球三十年」を読むとその時からまあ…)、投手らしい繊細さもしっかりと持ち合わせていたのかも知れません。この後早慶戦が復活しており(しかもその復活戦で先発したのが竹内)、もしこの大学時代に多投していれば、当時の六大学野球に対する熱狂も相まって一気にフォークボール全国へ広がっていたかもしれませんね。

 

と、ほぼ同時期に中川金三・竹内愛一という2人の選手がフォークボールを投げていたと言うことですが、私がたまたま知ったのがこの2人の例のみでブッシュかペノックに指導を受け、フォークを投げることが出来た投手はまだいるのでは無いのでしょうか。ここら辺をちゃんとした方(?)が調べてくれたりしませんかねえ…。フォークボールの歴史本が出たら迷うこと無く購入しますので…。ついでに個人的この野球人の本を書いて欲しいベスト3(?)に入る竹内愛一についても書いていただけると…(他力本願のくせに要望の多い愚か者)。

あとどうでも良いですが本の内容をそのまま捉えますと天知はノペックから教えを、竹内はブッシュからまねた、ということで天知(中川・杉下)はペノック型、竹内はブッシュ型のフォークを使っていたことになり、杉下によってフォークボールという球種が広がっていたと考えれば日本ではペノック型フォークが採用されたという形になったのでしょうか(?)(そもそも違いは無いと思いますけど…まあ妄想です、はい)。

…ここまで書いていてちょっと検索してみたら某知恵袋の快投で中川がフォークを投げたことについて回答している人がいましたね…。もっと先にちゃんと調べるべきでした…。

こう見ますと約30年後に杉下茂によってフォークボールの名が一気に知れ渡ったのは、ちょうど戦後に職業野球が娯楽の1つとなったことと、「打撃の神様川上哲治が打てない「魔球」として完成したことが大きいのでしょうか。杉下自身もフォークを多投する選手では無かったとのことですが、1950年代になり、ようやくフォークが時代に追いついたのかも知れませんね(?)。

そういえば杉下の某wikiですと初の本格的なフォークボーラーとされており…となっており日本で初めて投げた、となっていないのがリアルだなと思いました(どうでもいい1文で締めます)。

 

 

あとがきのようなもの

野球ゲームですと、2ストライク後は99%フォークを投げさせるというワンパターン投球をしているので、もしどこかで見つけても優しく空振りして下さい(?)。

 

「サザンオールスターズ 1978-1985」を読んだ雑な感想のようなものを

今年久し振りに所謂「サザン本」と呼べます1冊の本が発売されましたね。スージー鈴木氏による著書「サザンオールスターズ 1978-1985」。サザン関係の本ではサザンのメンバーが出したものを除けば2007年中山康樹氏の「クワタを聴け!」、2008年別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ サザンオールスターズ桑田佳祐」(後に文庫化)以来になりますでしょうか…(えっ…、2008年の「5年後までのサヨナラ!?サザンオールスターズ」…?あれは結果的にタイトルが正解となったことがすべての感がありますから…)。

そんな約10年ぶりのサザン本が登場、それを書いた方がスージー鈴木氏ということで、私は個人的に野球方面で名前を知っていた方で(後にサザンも好きだということを知る)、ある年の某東京野球ブックフェアで遠目からお姿を拝見していて(一瞬サザントークをしたくなってしまったけど流石に空気を読みました(?))、勝手に親近感を抱いていたこともあり(?)こっそり楽しみにしておりました。

さて、無駄な前置きからの本題に入りましょう。ネタバレもなるべくはしないようにしたつもりですが多少は入っているかも知れませんのでそこはどうかお許しを…。

 

まずいきなりの「勝手にシンドバッド」の分析でしょうか。今までのシンドバッドといいますと、テレビで演奏された当時の衝撃が語られることは多かったと思いますが、曲の1つ1つを解体しボーカル・歌詞・メロディなどを分析し解説するというのは恐らく初では無いのでしょうか。それなりにページ数も割いていますので本家の曲に負けないくらいのインパクトがありましたね(?)。ちなみに「メロディ(Melody)」でも同じように細かい分析がされております。このラストに書かれている解釈といいますか、あれは好きですね…。具体的にはP.226です(桑田さんの誕生日で覚えていました(?))。

あと「開きっ放しのマシュルーム」(84年)の「Blueberry Boy」からの「blueberry lady(strawberry woman)」(メロディ(Melody))は読む前に気が付きたかった…(10年何してたんだ老人と化した私)。

章のラストにはアルバムの批評が載っておりましたね。アルバム収録曲は1曲1曲に星1~5つでの評価、数行のコメントがされていますので、「クワタを聴け!」の評価と比べるのも面白いかも知れません(実際「クワタを聴け!」と評価が違う曲だとそれに触れているところがありますね)。ただああいうタイプの曲やそういうパターンの曲だと評価が辛めなのは共通していると言いますか…(ネタバレ防止)。

「モーニング・ムーンは粗雑に」を見た感想(?)や「ふぞろいの林檎たち」の中でサザンの曲がストーリーの中でどのように使われていたのか、という実録がされているのもなかなかお目にかかれないテーマではないかと思います。それ関連で言いますと、ビデオ「サ吉のみやげ話」のレビュー(的なもの)も載っているのは、発売から30年以上経ちDVD化もされておらず、レビュー的なものを書いていた個人サイトも消えつつある中では貴重なものではないのでしょうか。

7人目のサザン、という項目もありますが、86年以降ではもっと多くの人物がご登場しそうですね(まあそれだとサザンオールスターズ&オールスターズになってしまうか…)。

文章の構成上メンバーのソロに関してはあまり触れていませんでしたね。嘉門雄三と「ステレオ太陽族」の比較として「はらゆうこが語るひととき」が出ては来ましたが。個人的にはサザン・桑田以外のメンバーのソロ活動に焦点を当てた本を読んで見たいですねえ…色々あると思いますが、いつか誰かが書いていただけると未練は1つ減りそうです(?)。

最後にサザン(桑田)と、他アーティスト(はっぴいえんどやキャロル)などの比較分析も書かれていますが、私はサザン以外をほぼ知らないため「ほーなるほど…」位の感想になってしまうのが勿体なかったですね。そういう知識を持っていればちゃんとした反応が出来たのですが…(まあ私の勉強不足という名の視野の狭さに問題があるだけなのですがね…)。

終章は何と申しますか…氏のホームページのブログ(日記?)でサザン(桑田)に関して触れていたものをいくつか読んでいたので「ほうほうと…」。

 

…と結局は側を触るだけの感想を長ったらしく書いてしまいました。

まあ結局は、現代にデビューから85年までのサザンを分析し、しかも本にしていただきありがとうございました、ということが言いたいだけだったのです…。

個人的に好きなものに対して「過去があって今がある。今があって過去がある」と勝手に考えて接してしまっているので、この本から86年(サザンで言いますと88年ですが)以降の「大きくなったサザン」を分析した本が出るといいですねえ…

そして余談ですが去年11月に発売された「ベースボールマガジン1月号」では「工藤公康=桑田佳祐論」というのが載っていますのでそちらもチェックしてもいいと思いますね(雑誌なので新刊では多分もう手に入りませんかね…?ちなみにサザンのサの字も出ては来ませんが小林克也氏のインタビューも載っていたりしますのでサザン臭があります…でも本当に見て欲しいのはその号の取材後記だったり…?)。

 

 

あとがきのようなもの

この本を発売日に購入し読んでいたのですが、妹に「今日何か忘れてない?」と言われてしまいました…。そりゃあ、だってサザンはHappy Birthdayの中で「何も言葉はいらない」と歌っていますし…(言い訳)。

 

サザンオールスターズ第2活動期(1988~93年)に「もう1つの夏」が生まれたような気がしたのでそんな感じのことを雑に書いてみた

もう夏ですね。暑いですね。嫌ですね。…とのっけから偉大なる(?)夏様への不満をストレートに漏らしてしまいましたが、そんな夏に負けないような(?)、暑苦しい無駄に長いタイトルの雑文でございます(ライトなノベル的になってしまったけど、これ以上短いタイトルが思い付かなかった)。

夏のアーティスト、と言われると必ずサザンオールスターズが上位に来るわけですが、1988~1993年の頃に夏というイメージでも別な所謂「もう1つの夏」のイメージが決定づけられたのでは…とふと思ってしまったのです…。

とその前に1つ、サザン=夏というイメージは、どのあたりから出てきたのでしょうか…?

桑田さん自身は「ブルー・ノート・スケール」の中で「(ジャケットの関係もあって)「NUDE MAN」(1982年)でサザンが夏のバンドだというのを決定づけたのでは(その後に良くも悪くも、が付いていますが)」と発言していますね。

更にこの前後を見ますと、前年81年に発売されたアルバム「ステレオ太陽族」もタイトルに「太陽」が含まれていることもあるのか過去3作と比べ、夏のイメージがある曲が多く、全体的にも夏の雰囲気が漂っているように聴こえますね。このアルバムから84年の「人気者で行こう」まで4作連続でアルバムが毎年7月に発売となっており、この影響も少なからずあるのでしょうか。

また翌83年には7月から全国5ヵ所で野外フェス・ジョイントライブを、84年には初のスタジアムライブツアーを7~8月まで行なっていました。メディアでの露出も多いバンドであるため、テレビなどで「野外を汗だくのタンクトップ姿で歌うサザン」というのを見る機会があり「サザン=夏」が自然と定着したのかも知れません。

 

さて、勝手に思っている「もう1つの夏」ですが、85年までの「サザン=夏」というのは、「勝手にシンドバッド」を汗だくで歌っているような、どこか暑苦しい…というよりは日本特有の夏のような蒸し暑さを思ってしまう一方で学生感の残るお気楽さ、的なものがあり、また楽曲的にも真夏の時期と言うよりも、夏の終わりのイメージが強い曲が多くように見えます。

それがこの時期になりますと、活動再開最初のシングル「みんなのうた」(88年)や「真夏の果実」「希望の轍」(90年)「涙のキッス」(92年)に代表されるように今までの「蒸し暑い夏」を感じさせる曲だけではなく、どちらかというと「爽やかな夏」を連想するような曲が多く発表されるようになりました。これには87年の桑田佳祐ソロ作品から小林武史氏が参加するようになった影響がありますかね。桑田ソロでのポップス感や繊細さをサザンに持ち込んだことで、桑田さんを始めサザンのメンバーがそれを吸収したことにより、サザンの新しい夏が生まれたと言うことでしょうか…。もしかすると小林さんは日本特有の湿気を含んだ夏バンドサザンに海外の湿気の少ないカラッとした夏を持ち込んだ黒船のような人物なのかも知れません。もしくは今までサザンでは扇風機を使っていたけど、ソロで小林さんによりエアコンのクーラーを覚えてしまい、そのエアコンをサザンに持ち込んだとも言えるのかも知れません(?)。

この時期の曲で編曲の中に小林さんの名前がクレジットされていない「さよならベイビー」や「冷たい夏」などは前に上げた曲よりもどこか何となく少し「湿り気」を感じてしまうのは私だけでしょうか…。

 

1990年に桑田さんが映画監督を務めた「稲村ジェーン」の影響もあると思います。映画の内容については様々な意見があったようですが、舞台の季節が「夏」の映画で、多くの観客動員数を記録したと言うこともあり、「サザン=夏」というイメージはこの年に決定的になったのではないのでしょうか。

特にこの映画の中で使われた「真夏の果実」「希望の轍」という2曲は好きなサザンの曲というアンケートがありますと必ずベスト5には入るような曲でファンの方には勿論、サザンの曲はあまり知らない、という方でもこの曲は知っている、という人は多いのではないのでしょうか(…とサザンをちゃんと聴くまでこの2曲を知らなかったあまりにもにわかな人がこんな文を書いているのですけど…)。

勿論楽曲の持つパワーもあるとは思いますが、この「稲村ジェーン」という映画の影響も大きいのではと思います。この映画によって「爽やかな夏のサザン」という海外の夏のようなもう1つの夏のイメージも定着したのではないのでしょうか。

そういえばこの映画の上映時間が約2時間40分になる予定だったとのことらしいですが(結果的には2時間に納めたようで)、この当初の長さがなんと申しましょうか…日本の夏を象徴しているようにも見えます。その長さと夏の蒸し暑さをどこかイコールで結びたくなる感覚が個人的にありまして…。個人的には2時間何かを見続けるというのはなかなか長く(内容にもよりますが)どこかで飽きが来てしまう時があり、でもそれを見続けている時間というのが、夏の蒸し暑さを感じながら過ごしているのと近いものを感じてしまうのです。

ちゃんとこの作品を見ていないため(何故かメイキングだけは見ていますが…)推察と妄想を重ねてしまいますが、その初期サザンからの「蒸し暑い夏」(映画)とこの第2期の「爽やかな夏」(楽曲)が融合し「サザンの夏」というイメージが徐々に認知され、現在に繋がったように思えます。

 

最後にもう1つは桑田さんの「声」の影響もあるのではないのでしょうか。

桑田さんの歌声といえば独特で(ものまね番組でも歌い方を真似していても歌声はまねしきれていないように見えます(まあ好き故に厳しく見てしまう面もありますが…))所謂「だみ声」とも「しゃがれ声」とも言われていたりしますが、87年あたりから、独特の感じは残しつつも、クリアな歌声になっていったように聴こえます(当社比)。特にバラード曲は「甘く」(で表現はあっているだろうか…)歌うようになったと思います。もしかしたら今まで感じた「蒸し暑さ」と「爽やかさ」はこの変化がある意味で1番影響しているのかもしれません…。

 

サザンは様々なジャンルや要素を含んだ幅広い楽曲があると言われていますが、この時期以降の「あなただけ~Summer Heartbreak」「愛の言霊~Spiritual Message~」「太陽は罪な奴」「HOTEL PACIFIC」「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」…という夏曲もまた温度や湿度まで考えて制作されているのでは…と考えてしまいますし、そう聴こえてしまいますね(これもやっぱり私だけ?)。

 

とつらつら書いてみましたが、如何でしたでしょうか…。あ、あくまでふと思ってしまった事から広げてしまったので、所謂妄想雑文ですぞ(しかしそれにしても酷い文ですな)。なのでまあきっと私だけが勝手に思ってしまった事でしょう…。

何となく毎年この季節になりますと、「サザン=夏、というのはいつ頃定着したのだろうか…」ということを考えてしまいまして、今年はそれをこじらせてしまいましたね(?)。

でもこういうどうでも良いことを考えるのが好きなものでどうかお許し下さい…。

 

 

あとがきのようなもの

毎年夏になると、扇風機のみ稼働し部屋を締め切って、「悪魔の恋~東京サリーちゃん~亀が泳ぐ街」という謎メドレーを1人熱唱するのですが、年々辛くなっております(?)(じゃあ止めなさい)。

 

ユニゾン!木曜日で流れた鈴村健一名義曲を雑にカウントしてみた

今週でユニゾン!がスタートして3年目に突入となりましたね。おめでとうございます。いや、ありがとうございます。…でしょうか。

私は木曜日の隠れ(?)リスナーでありまして、そんなもっくんの端くれとしまして(?)気になったことが1つあり、「鈴村さんの曲で1番ラジオの中で流れた曲は何かしら…(エンディングで流れるINTENTIONは除いて)」と…。

普段何度も聴いている曲でもラジオで聴きますとまた違って聴けたり、別な良さを発見出来るので好きなのですよ…。また作詞時のお話を聞けるのもまた良いものですね。

…という適当な理由を付けましてカウントしてみました。

ニゾン!ブログに記載されているオンエア曲リストからカウントしました。鈴村さん本人名義の曲のみのカウントなのでゲストの方やキャラクターソングはカウントしておりません。ごめんなさい。

一応何回か確認しましたが、カウントミスがありましたらお許し下さいませ…。

今回は3回以上流れたものをカウントしました。

 

10回 brand new・HIDE-AND-SEEK

6回 SHIPS

5回 春の日よ・つながり・月のうた・NAKED MAN

4回 いぬ331・月とストーブ・CHRONICLE・messenger・Analog Fighter・シロイカラス・All right・あいうえおんがく・home sweet home

3回 シンプルな未来・新しい音色・Butterfly・フタリジカン・ハナサカ(1回はピンピンバンドVer.)・ポジティヴマンタロウ・ロスト・ALL GREEN・さあ見栄張りましょう・EXTRA ROUND・太陽のうた・sleepy monsters

 

「brand new」・「HIDE-AND-SEEK」とユニゾン!スタート後に発売されたシングル2枚の表題曲が10回オンエアと圧倒的ですね。CD発売前後にbrand newは8週、HIDE-AND-SEEKは9週連続で流れているのが大きいですね。

ニゾン!スタート以前の楽曲では「SHIPS」が6回流れていますね。実質トップと言っても良いのかも知れません。

「春の日よ」や「いぬ331」、「月とストーブ」など特定の季節になると流れやすい曲も目立ちますね。

ちなみにまだ1度も流れたことが無い曲は、「ROBOT」「光よりはやく飛ぶロケット」「おもちゃ箱」でしょうか…。

 

という訳で雑なまとめをしてみました。2年間でほぼ満遍なく流れていますね。意外だったのが、前回の6月29日放送回で初めてミトコンドリアが流れたことですかね。ライブでも盛り上がる曲だったので何回か流れていたような気がしていたのですが…。やはり私はまだまだもっくんを名乗るのには遠そうです(?)。

最後に一応リストをまとめたものを置いておきます。まだ最初の方に書きましたように鈴村さん本人名義のものしか載せていないので、完全版は是非ユニゾン!ブログで確認を(?)。

 

2015年

7/2 太陽のうた・月のうた

7/9 All right・つながり

7/16 あいうえおんがく

7/23 さあ見栄張りましょう

7/30 ポジティヴマンタロウ・ハナサカ

8/6 CHAPPY

8/13 70億分の1・コンパス

8/20 センスオブワンダー

8/27 そりゃそうです

9/3 messenger

9/10 いぬ331

9/17 ロスト

9/24 春の日よ・and Becoming

10/1 CHRONICLE・月とストー

10/8 EXTRA ROUND・シンプルな未来

10/15 Analog Fighter・ALL GREEN

10/22 The whole world・フタリジカン

10/29 なし

11/5 SHIPS

11/12 あすなろ

11/19 All right・CHRONICLE

11/26 バベル・シロイカラス

12/3 12月の空

12/10 あいうえおんがく・Destination

12/17 SHIPS・月のうた

12/24 太陽のうた・つながり

12/31 Butterfly・月とストー

 

2016年

1/7 さあ見栄張りましょう・新しい音色

1/14 ロスト

1/21 あいうえおんがく・春の日よ

1/28 シロイカラス・messenger

2/4 ALL GREEN

2/11 Analog Fighter

2/18 アインシュタインのように・新しい音色

2/25 コンパス・月とストー

3/3 春の日よ

3/10 CHRONICLE

3/17 ハナサカ・SHIPS

3/24 EXTRA ROUND・つながり

3/31 スケッチ・いぬ331

4/7 ペルそな・and Becoming

4/14 in my space・ポジティヴマンタロウ・シロイカラス

4/21 つながり

4/28 brand new・新しい音色

5/5 brand new・バベル

5/12 brand new

5/19 brand new・フランケンシュタイナー

5/26 brand new

6/2 brand new・シンプルな未来

6/9 brand new

6/16 brand new

6/23 SHIPS・Landscaper

6/30 ALL GREEN・スケッチ

7/7 in my space・Butterfly

7/14 HIDE-AND-SEEK・ポジティヴマンタロウ

7/21 HIDE-AND-SEEK・EXTRA ROUND

7/28 HIDE-AND-SEEK・Analog Fighter

8/4 HIDE-AND-SEEK・All right

8/11 HIDE-AND-SEEK

8/18 HIDE-AND-SEEK・ポーカーフェイス

8/25 HIDE-AND-SEEK・messenger

9/1 HIDE-AND-SEEK・ポーカーフェイス

9/8 HIDE-AND-SEEK・あいうえおんがく

9/15 月のうた・All right

9/22 ある惑星の話・いぬ331

9/29 Destination・模型飛行機

10/6 レールウェイ

10/13 messenger・つながり

10/20 エル・キホーテ

10/27 ロスト

11/3 brand new・フタリジカン

11/10 蒼

11/17 ペルそな・月のうた

11/24 CHAPPY・月とストー

12/1 さあ見栄張りましょう・12月の空

12/8 SHIPSHIDE-AND-SEEK

12/15 ハナサカ(ピンピンバンドVer.)・あすなろ

12/22 NAKED MAN

12/29 模型飛行機

 

2017年

1/5 NAKED MAN・brand new

1/12 sleepy monsters

1/19 夕暮れタイムトラベル

1/26 NAKED MAN・Life is like it・home sweet home

2/2 NAKED MAN

2/9 sleepy monsters

2/16 Life is like it・シンプルな未来

2/23 夕暮れタイムトラベル・フタリジカン

3/2 home sweet home

3/9 Analog Fighter・春の日よ

3/16 シロイカラスSHIPS

3/23 NAKED MAN

3/30いぬ331

4/6 春の日よ

4/13 月のうた

4/20 Butterfly

4/27 sleepy monsters

5/4 home sweet home

5/11 センスオブワンダー

5/18 エル・キホーテ

5/25 INTENTION

6/1 太陽のうた

6/8 home sweet home

6/15 CHRONICLE

6/22 トハイヱ

6/29 ミトコンドリア

 

 

あとがきのようなもの

1度書いている途中でデータがバナツしてしまったので心が折れそうになりました(?)(紙にメモをしておいて助かった私はAnalog Fighterと言うことで良いですかね(?)(言いたいだけシリーズ))。

 

2012年、桑田佳祐を初めて見た日の思い出のようなものを

私のこの駄文ブログのライブ感想等を読んだことがある方は(そんなにいらっしゃらないでしょうが…)ご存じかも知れません、持ちネタの1つ(?)に「I LOVE YOU -now & forever-」のツアーが人生で初めて行ったライブとありましたが、桑田佳祐という人物を生で初めて見ることになったのは実はそのライブでは無いのです…。

 

あれは忘れもしない…いつだっけ…?(お約束)おっと失礼致しました。

2012年7月にNHK「SONGSスペシャ桑田佳祐の歌ってガッテン!」という番組があったじゃないですか…。あの番組でライブパートがありましたが、実は私あの場に何故かいましてそれが初桑田佳祐でございました…。

その前にI LOVE YOUツアーのチケットは当選していたのですが、「いきなり3時間近いライブに行って良いものか…」「映像で何度も見ているとは言え実際の現地のテンションについて行けるのかしら…」などなどの不安が大きく若干憂鬱気味になっていまして、「ちょうどテレビ用の公開ライブなら多少は落ち着けるかしら…」という単純な理由で申し込んだところ忘れもしない(いやメールが残っていたので確認しました…。)6月19日にご当選のお知らせが…。受信料を払っていて良かったと思いました(?)(ちなみに同時期の音楽寅さんも申し込んでいたけど外れた)。

 

そしてその日がやって来ました。それがちょうど5年前の2012年の6月25日の事でした。

開催場所に向かいますと、人の列がありまして一安心し、係の方にメールを見せ無事に建物の中へ侵入することに成功しました。

一度別スタジオのようなところへ荷物を置き、誘導され収録のスタジオへ。全員がスタジオに入ったところで、サザンのスタッフかNHKのスタッフかは忘れましたが、前説が始まりました。確かあのちびま○子ちゃん風の格好をしていたような。内容は放送前にSNSや掲示板などでネタバレはしないで下さいねー。とか倍率は凄かったですよー。的な事を言っていたような(5年も経ったので多分大丈夫でしょう…)。しかし私、ここで重要な事に気が付いてしまいました。

「ステージが見えない…」

私がいたのはやや後ろの席。テレビ放送を見たことがある方は分かるかも知れませんが、一番前の人は桑田さんがもう数センチの位置にいるくらいに近いステージではありましたが、ほぼ地面が平面で、加えて私が男性の平均身長より低い(むしろ女性寄りですね…)ということもあり、普通に立っていると、前説のスタッフの方の頭しか見えなかったのです。きっと恐らく雰囲気をなんちゃらとか言っていた天罰でしょう。「まあテレビでも見れるし仕方ないわね…」と割り切りましてその時を待ちました。

そしてついにあの人が…桑田佳祐が目の前に(ちゃんと見えてないけど)。ただ当たり前ですが、「桑田さんの登場でーす」とあってから(スタジオなので)普通に出てきましたね(この約3ヶ月後下から登場するとは思わなかった)。背伸びしたり左右に頭を動かしたりしながら、ようやくチラリと…。

「これが桑田佳祐か…」「本当に実在しているんだ…」と勿論興奮も多少はありましたが、意外と冷静に見てしまったような。今思うと実に勿体ない事をした…と後悔がありますね。…といいましても見えない・見えた、という格闘をしていたせいもあるのかもしれませんが。

 

1.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

そんな自分の身長を嘆きつつ格闘している間に曲がスタートしてしまいました。ここで「あ、髪が随分と短く…」と気付きました。

「Oh,yeah…」のところはテレビ用なので(?)頑張りましたが、思いっきり出来ませんでしたね…(今も出来てないけど)。あと皆さん腕を上げてパチパチするので余計に桑田さんが見えなくなるという悲劇(?)が。

「いついつまでも~」のところはCDと同じく普通に歌っていたので、珍しい物を見れたと思うのと同時に「うわーテレビー」とも思いました(?)。

この曲が初めて目の前で本人が歌っているのを見ながら聴く曲になりました。1つささやかな思い出を持つ曲となりました。

 

2.明日晴れるかな

ここで少しハプニングといいますか、そういうものがありましたね。

曲が始まり何事も無いように歌い始めていたのですが、すぐに桑田さんが「ごめんなさい!」と演奏を止めてしまいました。曰く「ギター弾かなくてもいいところ弾いちゃった…」とのこと。そして最初から演奏し直したのですが、また同じようなところで(明日もあてなき道を~辺りだったでしょうか…)再び「ごめんなさい…」と再び演奏を止めてしまいました。またギターで余計なことを…と言っていたような気が(ここは忘れてしまいました)、その後「いつもより皆さんとの距離が近くて緊張して…」と。その話の流れから「後ろに大きなモニターがあって歌詞とギターのコードが出ていまして…」とモニターに触れた瞬間、皆さん一斉に後ろを振り返り確認してしまったので、「見なくていいんだよ!w(振り返らなくていいんだよ、だったかも知れません。そういうニュアンスでした)」という渾身のツッコミが桑田さんから入れられてしまいました。

撮り直し、というのもいかにもテレビだな…とまた思うのと同時に、珍しい物を見ることが出来たなあと…。

そしてTake3で無事に終わった…と思っていたのですが…?

 

3.東京

続いては東京でした。そういえば曲の間には短いMCといいますか、距離が近いこともありどちらかというと会話に近い感じでしたね(何を話していたかは忘れてしまいました。髪を短くし過ぎた事をどこかで話していたのは覚えていますが)。

しかしこれがもしライブでしたらテンションがジェットコースターな感じで大変な気がしますね(?)。しかし流石は皆様。悲しい気持ちではしっかり盛り上がり、明日晴れるかなでは涙ぐみ、東京ではじっとステージを食い入るように見つめており、鍛錬された方ばかりだ…とステージに目を奪われながらも回りを伺ってしまう矛盾するような行動をしていたのでした。

そのせいで(?)客席を映していたカメラが移動したときに目を合わせてしまう痛恨のミス(?)をしてしまいました。雰囲気を壊してしまったらどうしよう…と不安になりましたが、そのシーンは使われていなかったので安心しました(当たり前だ)。

そういえば東京で東京を聴いたのはこの時だけですね。

 

4.愛しい人へ捧ぐ歌

ここから新曲コーナー(?)に突入しました。

この収録の2日前かその前の週にやさしい夜遊びで初解禁されていたので、そんな最新の曲がすぐに目の前で歌っているのを聴くことが出来たのはなんだか不思議な感覚でした。面倒くさいけど単純な男なので、そんな理由でもう好きな曲になってしまいましたね…。

そんな感覚と好きという思いをすぐに持つことが出来たので、I LOVE YOUツアーでは特に楽しみな曲の1つとなっていましたね…。

 

5.幸せのラストダンス

もしかするとここと「愛しい人へ捧ぐ歌」逆だったかもしれません…。

ここの曲の前後のMCだったかは忘れましたが、I LOVE YOUツアーと同じように「最近結婚した人は…」と聞いていましたが、なんとこの前日(前々日だったかも…)に式を挙げたカップルが。しかもこの後に新婚旅行とのこと。いやはやなんて贅沢な二次会なのでしょう(?)。やっぱり女の子が生まれたら名前は「栞」なのだろうかと考えていた私は何なのか。

ヨシ子さんへの手紙でのライブ感想のような物でこの曲が好きになって改めて聴けた、的な事を書きましたが、思えばこの時その苗が植えられたのかな…と今になって思います。

 

6.100万年の幸せ!!

ちび○る子ちゃん風のダンサーさんがご登場し、「あ、これがラストになるのかしら…」と何となく思っていました。

誤解を恐れずに書いてしまいますと、この曲の事はあまり印象に残っていないのです…。「幸せのラストダンス」もそうなのですが、やはり新曲でしかも発売前だったこともあり殆ど聴けていないというのもあったのかと思うのですが(「愛しい人へ捧ぐ歌」のようにすぐに好きになるというのは珍しいもので…)。

発売したらしっかりちゃんと聴かなくては…と当時反省したところでしたね。

 

7.それ行けベイビー!!

バンドメンバーの方々が下がり、ステージには桑田さん1人残り、スタッフの方がギターを持ってきたので、「まさか噂の放送されないおまけ部分とやら…?」と思っていたところ聴いたことのあるイントロが…。

なんと「それ行けベイビー!!」でした。「おお…」と思うのと同時に「NHKだし紅白感があるわね…」と若干冷静でつまらないものが出てきた私は本当に何なのか。

これがヨシ子さんへの手紙の感想のような物で書いていた「これが2度目のそれ行けベイビー!!」の何とも面白みの無い真相なのでした。

 

8.勝手にシンドバッド

「それ行けベイビー!!」の演奏が終わった後、何となくもう1曲くらい演奏しそうな雰囲気があり、「多分また希望の轍かね…」と思っていたところで「ラララ…」と…。

「えっ…まさか…嘘でしょ…」と全く予想していないこの曲がしかも弾き語りでやってきてしまい一瞬パニックのような状態になってしまいました。しかし他の皆様は「ラララ…」の「ラ」からしっかりすぐ反応しており、飛び跳ねる人がいるわ(この後のMCでもうすぐ出産という人を桑田さんが発見し(自白(?)しただけですが)「ピョンピョン跳ねてるんじゃないよ」と心配しながらしっかりとツッコミを入れておりました。)、ラララの合唱がちゃんと始まるわ、流石過ぎました(2度目)。

また会場のボルテージが一気に上がり、雰囲気が180度変わってしまったのをはっきりと感じることができ、「勝手にシンドバッド」という曲のパワーといいますか、何とも言えないものを目撃してしまったのは本当にすごい経験だった…と未だに思います…。

この後(前だったかな)のMCで今日が6月25日で、サザンでデビューして34年ということにも触れており、そろそろまた皆さんの前に…ということを話していたような。

もしかしてデビュー日に勝手にシンドバッド生演奏というのはとても珍しいのでは…。

 

9.祭りのあと

バンドメンバーの方々が再び登場し(この前に「今日は原さんもいるんですよ」と桑田さんが言ってしまったことから原坊が出てきたのですがまったく見えませんでした…)、「最後にもう1曲…」と「祭りのあと」がバンドスタイルで始まりました。こっちはもしかしたら放送されるのかなと思ったらこれもおまけだったのですね。

もう完全に終わりモードに入っていたので、良かったですねえ…。しかも「勝手にシンドバッド」というお祭り曲ともいえる曲のあとに来ましたから尚更良かったですねえ…(もう同じ事しか言えない…といいますか思えていなかった)。

やっぱりソロの締めにはこの曲よね…。と思いきや…。

 

10.明日晴れるかな

その「祭りのあと」でラスト…かと思いきや。スタッフの方が桑田さんに耳打ちし、「すみません、もう一度だけ明日晴れるかなを…」ということになり、何と4度目の「明日晴れるかな」でした。多分(いや勿論)放送されたのは、このTake4バージョンですかね。

I LOVE YOUツアーでラスト曲になったのは、この収録がきっかけになったのかなーと宮城の最後に聴いたときに都合の良い解釈をしていたのでした。

…そりゃ1日4回も(実質2回ですが…)聴けたら「好きな曲」から「大好きな曲」になるに決まっているではありませんか…。

 

 

これが私の本当の初ライブであり、初桑田佳祐でございました。何だかんだで全体的には意外と冷静でいたのと同時にずっとふわふわしていたような不思議な感覚でいましたね。約1時間くらいでしたが、とてもゆっくり時が流れていましたね(普通は逆の気がするけど…)。

ただ楽しかった、というよりは「本当に目の前に桑田がいる…」という気持ちがちょこちょこ表に出てきていましたねえ。

 

あっ、ここからは今まで以上にいらない超が頭に付くような個人的どうでもいい文なので読まなくても何も問題はありません。

 

 

…実はこの2年目、2010年のソロツアーの東京ドームに当選していたのです。ただまだ気持ちが固まっていないまま(当時の友人が行きたいと言っていたこともあり)だったので、「本当に行っても良いのだろうか…」という思いが2012年の頃より大きく毎日自問自答していました。そんな中で桑田さんの病気が発覚、ツアーも中止となってしまい「自分がそんなことを考えていたせいかも…」と今にして思えば何言ってんだこのアホは、という思考に陥っておりました。

そしてあっという間に2年の時が経ち、この2012年の3月にとある訃報を聞きました。とある元プロ野球選手だった人物の訃報でした。私はこの選手がきっかけでプロ野球の歴史に興味を持っており歴代で1番好きな野球人と言える方でした。その方は引退後殆ど表に出ることが無く、実際に動いている姿を見たことはありませんでしたが(動画サイト等では僅かに現役時代の映像があるのですが…)、もしかすると万に一つ野球殿堂入りするときには表に出てくるのではないのかと…その時を待っていたのですが叶うことはありませんでしたね。

この時改めて思ったのです。「そういう好きになった人に逢えるチャンスがある時には逢っておかなければ…」と(ちなみにこの年にはプロフィールに書いている好きなものの1つである声優さんのイベントに初めて行くことになるのはまた別のお話…)。

そういう事もあり2012年という年は自分が少し変わった年でもありましたね。やっと大人になれたような(よりなった気になった)と行っても良いのかも知れません。

とはいえライブやイベントの何日か前になると謎の頭痛と腹痛に襲われ、当日現地に行くと帰りたくなる症候群を発症してしまう何ともな男なのですが…。解放される日はやってくるのだろうか…。

 

 

あとがきのようなもの

この年、某アニメのラジオで「勝亭にシンドバッド」という波乗亭米祐師匠には到底及ばない偽名を使っていたことをここに懺悔いたします(?)。

 

1978-1979年の江川卓とサザンオールスターズ

「今何時? そうね だいたいね…」

1978年の秋、音楽番組にチャンネルを回すとまるでマシンガンのように早口で言葉を飛ばすかのように聴こえる歌が連日ブラウン管の中から流れていた。この年にデビューしたサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」である。発売当初はまだ無名の新人バンドだったこともあり話題にはならず、またメディアでの露出も少なかったが、「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」に出演後、徐々に話題となりヒット曲となると同時にテレビ等での露出も増えて行く一方で、ボーカル桑田佳祐の独特の歌い方や歌詞に賛否両論が起こり始めた時期でもあった。

時を同じくして、野球界に衝撃のニュースが流れた。前年のドラフト会議でクラウンライターライオンズからの1位指名を拒否し、この年のドラフトに備えアメリカへ野球留学していた江川卓読売ジャイアンツの間で契約を結んだと発表したのだ。当時ドラフトで指名した選手との独占交渉期間は翌年のドラフトの2日前までとなっており、ドラフトの前日は準備期間として設けていたものだったのだが、いわばこの「空白の1日」を突いたのである。当然そんな理屈が通るはずが無く、契約は無効、という裁定が下されたが、これに対し巨人は翌日のドラフト会議をボイコット、江川は4球団が指名し阪神タイガースが交渉権を獲得したが、巨人側は12球団が出席していないドラフト会議は無効、江川との契約が認められない場合はリーグ脱退を公言するなどの姿勢を見せており、巨人軍の「横暴」と江川の「我が儘」に対し、マスコミの報道を始め、野球ファン、世間からも大きな批判を呼んでいた。

一見無関係に見える両者であるが、ここではそんな2組の1978~79年に焦点を当ててみたい。

 

まずは先に両者の78~79年について簡潔にまとめてみたい。

サザンオールスターズは1978年6月25日に「勝手にシンドバッド」でデビュー、8月の「ザ・ベストテン」に出演後、知名度が上がり始めると同時にレコードも売れ始め、10月9日付けのオリコンでは最高位となる3位となり、テレビ等のメディアでの露出が増えていく一方で、その曲名や曲調、そしてベストテン出演時の「目立ちたがり屋の芸人」発言もありコミックバンド、芸人としてのイメージが強く定着することとなった。その後勝手にシンドバッド路線の新曲「気分しだいで責めないで」を発売した頃には、毎日のようにテレビの仕事が入り、その間に新曲のレコーディングを行なうなど休み間もなく活動を行なっていた。そんな生活に疲れ果て、今自分たちのやりたい音楽を…と79年3月に発売したのが「いとしのエリー」である。前2曲の路線から180度変化したバラードソングということもあるのか、発売当初は売り上げが伸びなかったものの、徐々に伸ばし始め、6月4日付けのオリコンでは最高位となる2位となる。売り上げが伸びていくと共に「コミックバンド」という世間の評価から「正統派ロックバンド」という評価に変わりつつあった。その後アルバムと2枚のシングルの発売、2度のライブツアーを行ない、紅白歌合戦にも出場したが、メンバーは79年の暮れに音楽活動に集中するため、半年間テレビ等への出演を休む、言わば「休養宣言」を行なったのであった。

 

江川卓は、前年のドラフト指名の拒否後、翌年のドラフトに備え(社会人野球入りすると最低2年待つ必要があるため)アメリカの大学へ留学したが、練習生という扱いのため試合に出ることが出来なかった(そのためか試合感が鈍り、体格も少し太ってしまったためプロ1年目はその影響が残っていた)。10月12日には江川を指名した「クラウンライターライオンズ」を運営していた福岡野球株式会社から西武グループの国土計画が買収と同時に本拠地を埼玉に移転することを発表し、ドラフトで得た江川との交渉権は1年有効だったため、その権利を引き継いだ西武も交渉を行なったが、拒否の姿勢は変わらなかった。ドラフトの前々日、父親からの突然の連絡により緊急帰国した江川は、巨人入団へのシナリオ、所謂「空白の1日」の説明を受け、巨人との契約を決意、翌日契約を行なった。しかし当然そのような契約は無効とされたのだが、契約は正当と訴えた巨人がドラフト会議をボイコットした。そのドラフト会議では4球団が指名し、阪神タイガースが交渉権を獲得したが、12球団が揃わないドラフトは無効と巨人は主張。その主張もまた却下されると、巨人はプロ野球機構からの脱退を示唆した。江川問題は泥沼化する中、問題解決のため当時のコミッショナー金子鋭は「江川は阪神と1度契約し、トレードという形で巨人入団」という解決案を「強い要望」として提示。翌年1月31日に巨人のエース格の投手であった小林繁とのトレードにより巨人入団を果たした。江川は開幕日から2ヶ月間出場を自粛したため、6月、プロ初登板は因縁のタイガース戦となったものの敗戦、結局はこの年9勝10敗に終わり、エースを失ったチームも5位に沈んでしまった。

 

この両者の激動の日々の中で生まれたと言ってもいい2つの言葉を上げてみたい。

1つは騒動の中で江川が発した「興奮しないで」という言葉である。当時江川の生意気さを象徴する発言となったのであるが、実際には阪神との契約後の記者会見の際、会見が始まる直前(直後とも)というタイミングで1人の記者がかなり激しい口調で詰め寄るように質問したことに対して「興奮しないで、冷静にやりましょう」と発したのであったが、テレビではその記者の部分はカットされ、江川の発言のみがクローズアップされてしまったのである。当時江川へのバッシングや非難・マスコミの罵倒は凄まじいものがあり、高校時代からマスコミ慣れしていたとはいえ、江川だけでは無く家族も精神的にすっかり参ってしまい(母親はノイローゼ状態となってしまったという)、そのため耐えきれずつい生意気な行動や口をきいてしまったこともあったのか、巨人入り直前というタイミングで発したこの言葉が再び江川バッシングの大きな材料の1つとして「利用」されてしまったのでは無いのだろうか。

しかしこの発言について少し別なところから見てみたい。「空白の1日」という野球協約の盲点を突いた入団のシナリオを描いた人物が勿論いたわけではあるが、江川は不安と困惑がありつつ説明を受け、何度も周りの人物に質問・確認を取った上で最終的にこの「裏技」に同意した訳であるが、この時もし何かがあってもすべて自分の責任とすることを自覚し、「大人」として誰かに責任を押しつけることも無く、自らの憧れを貫くことを決断したのではないだろうか。どこか客観的で冷静に行動していたように見える江川であったが、あの発言は「大人」を演じていた江川卓23歳の不意を突いた僅かな「隙」だったのかも知れない。もしくはプロ入り後のピッチングや財テク、(本人曰く)成金趣味に見られる、知的に動いていてもどこか抜けている、ポカをしてしまうという江川卓が本来の(というのは少し違うか)顔を出してしまったのだろうか…。

 

もう1つは勝手にシンドバッドがまだ世間を賑わしている中11月に発売されたサザン2枚目のシングル「気分しだいで責めないで」である。勝手にシンドバッドのヒットを受け同じ路線の曲を求められ、本人達にはまだ2枚目の事が頭に無かったが、レコード会社に缶詰状態にされ無理矢理ほぼ作らされた曲だったのである(一説にはタイトルの気分しだいで…というのは事務所やレコード会社に向けられたものとも言われている)。後に桑田佳祐は1987年に発売された自身の著書の中でこの曲を指し「最低の曲だと思う」とも記している(ちなみに近年雑誌のインタビューでは当時は演奏するのが苦痛だったが今は楽しい、と述べている)。実際この時期には劇的に環境が変わってしまったことによりノイローゼ状態だったとも言われているほどメンバー全員精神状態が落ち込んでいたという。

ちなみにテレビ等での扱いはほぼ変わることは無かったが、12月25日付けのオリコンでは10位に入るなど、流石に勝手にシンドバッドには及ばなかったが、ヒットはしたこともあり、勝手にシンドバッドだけの「一発屋」という風潮だけは払拭することになったのだが。

この「気分しだいで責めないで」の中には当時の心境が色濃く含まれているのでは無いのだろうか。桑田のあの特徴的な歌声も勿論あると思うが、当時の曲の中では特に荒々しいというよりも吐き捨てるよう・叫ぶように歌っているのが印象的である(シングル版では実際間奏で叫びとも取れるデタラメなパートが存在するのだが)。歌詞の冒頭「気分しだいで責めないで 涙がでちゃう」…ここだけでもう全てを表しているとも言えるのでは無いのだろうか。桑田独特のボーカル、「日本語を乱す」とも言われた意味よりも語感重視の作詞への批判なども起こっていた時期でもあった。また「心がわりがしたら 水に流す」などはまだまだ仕事への困惑(不信感とも言えるかも知れないが)を隠しきれないでいるようにも見える。…というようにここまで当時の心境をストレートに表した曲をそのままパッケージしたレコードというのはこれが唯一では無いのだろうか。

 

そして1979年、江川は高校時代に「怪物」というニックネームを付けられたほどの投手であったが、ドラフト破りの大騒動の末、小林繁の「犠牲」により巨人入りを果たしたことで「怪物」から「悪役」というダーティーなイメージが完全に定着してしまった。

一方でサザンは「コミックバンド」「芸人」というイメージから「正統派」「実力派」というバンドとしての評価が付くことが増えていった。

しかしこの2組はこの異なるイメージを自分の顔に変えてしまったのである。

上記したように江川の1年目は評判通りの実力を示すことが出来なかったが、翌年には早くもセ・リーグ最多勝利投手となり、81年には2年連続の最多勝利を初めとして最優秀防御率奪三振・最高勝率・最多完封という過去5人後に1人の計7人しか達成していない投手五冠王となりMVPにも選ばれるなど、チームの日本一に大きく貢献するピッチングを見せ、再び「怪物」となった。また人を食ったような発言や江川自身の意外とひょうきんな性格も表に出てきたこともあり、若者を中心に「悪役」イメージから人気者となっていった。一方でNOされても新聞の一面となり、それがまた良く売れるという「悪役」の面も良いように残していった(こっちの面はマスコミがうまく利用していたとも言えるが…)。

サザンもいとしのエリーだけでは無く、後の「真夏の果実」「涙のキッス」「TSUNAMI」などのバラードソングに代表されるように本格派というよりも「大人」な一面もイメージの1つに昇華されていった。一方で「芸人」路線を捨てた訳ではなく82年に紅白歌合戦で演奏した三波春夫風「チャコの海岸物語」やハゲヅラを被り歌う「マンピーのG★SPOT」などなどその路線は今でもしっかり受け継いでいるが、当時との違いは楽しんでその路線を自らの意思で突き進んでいるところでは無いだろうか。むしろ楽しませたいというサービス精神があるため客観的な視線もあり、どこか「演じる」ことが出来るようになったのかも知れない。

そして両者とも共通するイメージと言えるものの1つに江川の代名詞でもある「怪物」があるのではないだろうか。江川は勿論高校時代に残した鮮烈な快投が、サザンはデビューから40年近く経った今でも第一線で活躍しヒット曲を残し続けていることでそう呼ばれることがあるが、同じ怪物でも江川は人類の脅威となり「悪役」となるも、やがて他の怪獣から(本人にそういう意図が無くとも)人類を守る味方となっていく「ゴジラ」、サザンはある島から無理矢理連れてこられてニューヨーク(都会)を暴れ回った「キングコング」、と別な怪物に分類されるのでは無いだろうか。

この1978-79年というのは、両者には不本意だったのかも知れないが80年代のプロ野球・音楽会を面白くした「怪物」へ変身する前の「子ども」から本当の「大人」へと成長していく重要な時期だったのかも知れない…。

 

結果的に江川が空白の1日のシナリオを聞くことになった11月20日、緊急帰国した江川は後見人でもあった政治家船田中宅へ向かっていた(最もそのシナリオを聞いたのは当時船田氏の秘書を務めていた蓮見進宅であったが…ちなみにこの蓮見氏が江川の巨人入りへ動いた中心人物とも言われている)。船田氏の自宅は南青山にあった。サザンもまたメンバーの殆どは青山学院大学出身であり、レコーディングを行なうビクタースタジオもまた青山に建っている。もしかするとこの日、日常が劇的に変わりつつあるグループと、まさに運命が変わろうとしている1人の野球選手はどこかですれ違っていた…と思うのは流石にこじつけが過ぎるだろうか。

 

江川卓は1987年シーズン終了後、引退を表明し9年間の現役生活に別れを告げた。この年エースの座は「桑田」真澄に移りつつあった…。

サザンオールスターズは1985年まで活動後、一度休止し88年に再活動した。その後も休止と活動再開を繰り返しながらも、未だ第一線を走り続けている…。

 

 

長めのあとがきのようなもの

はい、野球とサザンシリーズの(?)第2弾でございました。長嶋×サザンという駄文で懲りずにまたこんなものを書いてしまいました。

また長いですね…ごめんなさい。一応「空白の1日」のところなどは、某wiki等を見れば早いと思ったのでかなり省略してしまいました(どうしても野球成分が濃くなってしまうもので…)。

タイトルには1978-79としていますが、ほぼ78年後半から79年の春までなのでまたちょっと詐欺っぽくなってしまいましたね。1978年度にすべきでしたか(?)。

連続で巨人関係の選手との組み合わせですが一応偶然です…。でも書いているうちにいくつか思い付くことがあるのですがそれも巨人寄りになってしまいますねえ…。いっそのことY新聞かスポーツHに記事載せて貰えないかしら(?)(でも私は高橋ユニオンズファンなのよね…)。

6月最初の雑文あとがきに、今月はサザンデビューの月(6月25日)なので雑文強化月間とまた適当な事を書いていましたが、何故かちゃんとやってしまいましたね(?)。ここに書いたらやらないというジンクスが(?)そろそろ危ういですね…(?)。

 

Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)が歌われたライブを雑にまとめてみた

サザンオールスターズの歴史の中では、最も売れなかったシングルとなっていますが、ライブではよく演奏されているイメージのある「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」。

今回はこの曲を歌われたライブを雑にまとめてみました。個人的には1曲目に演奏されるイメージの強い曲ですがはたして…。

例によって、テレビやラジオ等の番組で演奏したものはカウントしておりません。

 

・そちらにおうかがいしてもよろしいですか?

22曲中(アンコール2曲を含む)18曲目(前後曲:ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)/いなせなロコモーション

所謂煽りコーナー(私が勝手にそう名付けているだけ)でアルバム「ステレオ太陽族」からの選曲では最後に演奏されていますね。ツアーや単発ライブ前に発売されるシングルやアルバムのポップ・ロック寄りな曲は煽りコーナーの頭かラストに来る傾向があり、この曲もその例に漏れず終盤にご登場となりました。

ちなみにこのライブが一部ラジオで放送されていまして、この曲もしっかり放送されていますが、この曲の元ネタのタイトルがあれなのに選曲してくれた方の英断に感謝ですね(?)。

 

・愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOOツアー’82

26曲中(アンコール1曲を含む)3曲目(前後曲:I Saw Her Standing There/素顔で踊らせて)

ビデオ「武道館コンサート」にはこの曲も収録されており、1曲目の金魚のテーマからこの曲に繋がっていますが、あれ編集されていますよね…多分。

テンポが原曲とほぼ同じですね。ラストの「なんやかんや言うたかて~」後に「I want you~」とライブオリジナル(元ネタがありましたらごめんなさい…)のパートがあり、ブレイク、再び同じように歌いブレイクというアレンジがありますね。このライブ限定だったのか初期の頃に使っていたライブアレンジなのか気になりますね…。

ちなみにデビューから85年までのサザン第1期と言える時期のライブでこの曲が序盤に使われたのはこのライブが唯一になりますね。

 

・青年サザンのふらちな社会学

23曲中(アンコール5曲を含む)16曲目(前後曲:NUDE MAN/匂艶THE NIGHT CLUB)

このライブで再び煽りコーナーの1曲となりました。

しかしこのライブの煽りコーナー、ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)からNUDE MAN、そしてこの曲の流れですと、おじさんの悲劇と勘違いしてしまいそうですね(?)。

ただ公演によっては「走れ!!トーキョー・タウン」をNUDE MANとこの曲の間に演奏していることがあるそうなので、この勘違いも甚だしいですね(?)。

「おうかがい」ツアーの「いなせなロコモーション」や後のライブでの「ボディ・スペシャルⅡ」、「マチルダBABY」など煽りコーナーに置かれますと、次に演奏される曲もライブ大定番曲となっていますね。

 

SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー’83

23曲中(アンコール2曲を含む)19曲目(前後曲:ALLSTARS’ JUNGO/ボディ・スペシャルⅡ)

ここまで煽りコーナーではラスト3曲前のところに置かれていますね。それにプラスして新アルバム収録曲(ALLSTARS’ JUNGOはシングルB面ですがアルバムと同時発売なのでセーフと言うことで(?))と盛り上がるシングル曲の間にいるというのも、こういう2曲をうまく繋げることの出来る曲なのかも知れません。

ちなみにこのツアー前に行なわれ、出演したフェスのすべての公演でも選曲されています(「たいした夏」に記載されている5公演)。

 

・熱帯絶命ツアー夏”出席とります”

20曲中(アンコール2曲を含む)15曲目(前後曲:祭はラッパッパ/ボディ・スペシャルⅡ)

ボディ・スペシャルⅡと共にアルバム「人気者で行こう」曲の間に選曲されていますね。この流れは前年の「私は騙された」ツアーと同じですね。この頃はブルースからのロックという選曲がサザンの皆様の中でしっくりきていたのかも知れません(?)。

2つ前の雑文、シンドバッドとエリーを演奏していないライブの云々でも書いていますが、83,84年発売曲が大半を占めていた曲の中で、1番古い曲(81年)となっております。

 

・大衆音楽取締法違反”やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで

25曲中(アンコール3曲を含む)19曲目(前後曲:開きっぱなしのマシュルーム/マチルダBABY)

「熱帯絶命」ツアーと同じく、「人気者で行こう」曲の間に選曲されていますが、このライブではボディスペさんからマチルダBABYにバディを変えて臨んでいますね。この流れで見ますとBig Star Bluesの「ちょっと待って下さいねェちゃん」がマチルダの「囚われの彼女」のことを指しているように聞こえてしまいそうですね(?)。

しかしこのデジタル音が使われている曲が並んでいますが、この曲もそういうアレンジをされて演奏していたのでしょうか…?。

 

・縁ギもんで行こう

22曲中(アンコール3曲を含む)17曲目(前後曲:ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)/マチルダBABY)

「大衆音楽取締法違反」ツアーの間に行なわれた年越しライブでツアーのセットリストを少し変更したというような選曲だったため、この曲もしっかりと演奏されています。

「おうかがい」ツアー以来、ラッパとおじさんとのコンビが復活しましたが、おじさんはこのライブ以降演奏されていませんね…。まさかBig Star Bluesはベンちゃんだった…?(六本木のベンちゃんネタ)。

ちなみにこのライブ、後にテレビで放送されているのですが、数曲カットがあり、なんとそのうちの1曲が「勝手にシンドバッド」なのです…。なるほどこれがビッグスターの悲劇ですか(?)。

 

真夏の夜の夢 1988大復活祭

34曲中(アンコール2曲を含む)1曲目(前後曲:-/ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY))

シングル「フリフリ’65」のB面に収録されているのは、このライブの音源ですね。

最初のドラムスタートの音が、KUWATA BANDの「ROCK CONCERT」1曲目の「SMOKE ON THE WATER」の始まりと似ているため、シャッフル機能で聴くとしばらくどちらかが分からないのは多分私だけでしょう…。

初めて1曲目に選曲されましたが、最初の公演では「YaYa(あの時代を忘れない)」を1曲目に演奏していたので、代打でスタートした(?)1曲目というポジションがのちの定番ポジションになっていったのは面白いなと思います。

 

・いっちゃえ’89サザンde’90

23曲中(アンコール2曲を含む)2曲目(前後曲:夏をあきらめて/女呼んでブギ)

2曲目という珍しい位置に置かれていますね。「大復活祭」では1曲目、「愛で金魚が救えるか」では3曲目とこのライブでスタートから3曲目というポジションを制覇しました(?)。

夏をあきらめてと女呼んでブギの間という何とも不思議な繋がりに見えますところに配置されることで違和感なく見える効果がある気がします。

イントロのキーボードの音はいつもより重く聴こえる気がします(青春番外地っぽさがありますかね)。

このライブは地上波で放送されていましたが、ライブ定番曲というビッグスターにも関わらず(?)生放送版ではカットという悲劇(?)となってしまいましたが、後日放送された再放送版では無事放送されました。

 

・夢で逢いまSHOW

27曲中(アンコール3曲を含む)20曲目(前後曲:YOU/マチルダBABY)

サザン第2期(88~93年)のライブでは唯一煽りコーナーで演奏されていますね。「大衆音楽取締法違反ツアー」以来6年ぶりのマチルダさんとのコンビ復活となりました。

アルバムの新曲「YOU」から(いっちゃえ…の年越しで初披露されてはいましたが)のライブ定番煽り曲へ続く先頭打者というある種の1曲目というポジションと言える(?)というところに選曲されていますね。

 

・歌うサザンに福来たる

24曲中(アンコール3曲を含む)1曲目(前後曲:-/勝手にシンドバッド

「大復活祭」以来の先頭バッターとして登場しましたが、年越しライブでは初めての1曲目となりました。

ラストは次のシンドバッドへ繋げるアレンジが加えられていますね。

生放送版ではしっかり放送されましたが、再放送版では残念ながらカットとなってしまいました。

「そちらにおうかがい~」からこのライブまで「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」以外すべてのライブで選曲されていましたが、次の「牛」まで約6年演奏されず、となってしまいました。

 

・牛

26曲中(アンコール3曲を含む)2曲目(前後曲:女呼んでブギ/マンピーのG★SPOT

約6年ぶり、ライブでは7公演ぶりとなりました。イントロでハーモニカか加わっていますが、桑田さんが吹いていますね。そのせいか一瞬ソロツアーの「さのさのさ」ライブを思い出していまいますね(?)。

ちなみに地上波の生放送だったこともありこの曲の途中でCMに入ってしまいます。だいたい間奏に入った約1分30秒位のところでCMに入ってしまうので、アニメのOPかED感がありますね(?)。

しかしこのライブは、再放送がなく生放送版のみの放送だったためこの半端バージョンのテイクのみなのが残念ですね…。

 

・’99 SAS 事件簿in歌舞伎町

28曲中(アンコール5曲を含む)20曲目(前後曲:栞のテーマ/フリフリ’65

「夢で逢いまSHOW」以来9年ぶりに煽りコーナーでの演奏となりました。

メンバー6人のみでの貴重なテイクですね。同じ6人で演奏している武道館コンサートのビデオと比べてみても面白いのかも知れません。…が、しかしビデオ版ですと、間奏の途中から始まり、1分30秒位で終わってしまうという編集になっております…。あれ…ということは、「牛」の生放送版テイクと合体させればちょうど良いくらいになるということでしょうか…。是非両方のテイクをお持ちの方はお試し下さい(?)。

 

・晴れ着DEポン

21曲中(アンコール3曲を含む)15曲目(前後曲:TSUNAMI/フリフリ’65

全体的に「歌舞伎町ライブ」と選曲が被っていることもあり、同じく煽りコーナーで演奏されております(といいますか、煽りコーナーの4曲は歌舞伎町と曲も順番も同じですね)。

CDと同じく間奏に入る前に桑田さんが「はい、間奏」と言っていますね。

他のライブと比べてもテンポが早いテイクのような気がします。

 

・みんなが好きです!

29曲中(アンコール4曲を含む)1曲目(前後曲:-/My Foreplay Music)

サザン2度目となりましたドームツアーの1曲目に選曲されたのは、なんと「歌うサザン」以来15年ぶりとなりました。

ドラムスタートからのギター、そしてイントロというのは「大復活祭」っぽい始まりですね(といいますか、ほぼ同じ…?)。

ライブ2曲目に選曲される事の多い曲の1つである「My Foreplay Music」との1,2曲コンビ(野球の1,2番コンビみたいですね(?))というのが実は初だった、というのは意外でした。

 

・ひつじだよ!全員集合!

33曲中(アンコール4曲を含む)1曲目(前後曲:-/フリフリ’65

9年ぶりの演奏であると同時に、9年ぶりの年越しライブとなったので、離れてはいますが。2回連続で年越しライブの1曲目となりました。

全体的に原曲に近い感じで演奏されている気がしますね。スタートもライブオリジナルのイントロが無く、原曲通りスタートしています。また「晴れ着」と同じく間奏に入る前「はい、間奏」と言っていますね。

このライブで2曲目3人衆の(?)「My Foreplay Music」「ミス・ブランニュー・デイ」「フリフリ’65」の3曲と初めて1,2曲目コンビを組んだ曲となりました。

 

・FINAL COUNTDOWN SESSION『来ればわかる!!』~NISSIN POWER STATION

最後に1つおまけとしまして…。1998年に行なわれた、日清パワーステーションのファイナル・イベントであるこのライブでも実は演奏しております。各メンバーがその日限りのユニットを組み、披露しましたが、唯一サザンとして演奏したのはこの曲でした(もう1曲勝手にシンドバッドも演奏していますがこちらは出演者全員が参加しています)。

昔このセットリストを見た時、意外な選曲と思っていたのですが、ライブでの演奏率だったり、何度もライブ映像を見ていると納得するといいますか、そう思ってしまうパワーのある曲だと改めて感じました(そういえばテレビ番組になりますが、ミュージックステーションに初めて出演した時もみんなのうたと一緒にこの曲を歌っていますね…似たようなものでしょうか(?))。

 

 

という訳で雑にまとめてみました。ライブでは16回と、誕生以前を除けばほぼほぼ2回に1回は演奏されている計算になりますね。特に85年までのサザン第1期では発売以降「KAMAKURA」ツアー以外すべてのライブで選曲されています(回数を出しますと7回になりますが、これはいとしのエリーと同じ回数になります)。…といいますか、「歌うサザン」まではほぼパーフェクトなのですねえ…。KAMAKURAツアーの何処かの公演で気まぐれに(?)演奏していたりしていませんかね。

少し間があった後復活した(?)「牛」以降は5回と切り札的使い方…というよりはプレミア化してきたのでしょうか(?)。

何と言いますか…。サザンオールスターズというバンドが大きくなった(大きく扱われるようになった)ことで、ビッグスターという単語が自分たちのことを指していると思われることをあまり良く思っていない、もしくはまだまだそう思われたくないという思いがあったりするのかも…というのは流石に私の深読みが過剰なだけでしょうね…。

 

 

あとがきのようなもの

何と言いますか…こういう雑文を書いていますと己の知識・語彙の無さに呆れてしまうことありますよね(?)(今更の懺悔)。