適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

私と腕時計の2022年

2020年はある事を決めていた。「誕生日に腕時計を買う」と…。節目の年齢になる年でもあったのと、ライブやイベントへお邪魔する際に決まって身に付けるものが欲しかったのだ。

しかしそれはしばしお預けとなった。その誕生日前にどうやら世界が変わってしまったようだった。

別に買っても良かったのだが、しばらく身に付けることは無い事を悟ったこと、そのまま使わずにそっと閉まってしまうのは、申し訳ないという気持ちがあったのである。

やがてライブやイベントが少しずつ再開されるようになったが、行く勇気が持てなかった。元々行くのに勇気を必要としてしまう情けない奴ではあるのだが。

2019〜2020年は「逢いたい人へ逢いに行く」期間として、いつもよりは精力的に動いていたのだが(そしてこの計画は未完で終わる)、すっかり元に戻ってしまったようだった。

そんな状況だったので腕時計も買えずじまいだった。もちろん頭の片隅に時計の件はずっとあったのだが。

時が流れ今年2022年、ようやく時計を購入することになる。きっかけは私の大好きな声優さんがライブを行ったことだった。結局行く事は断念したのだが、世界が変わってから初めて最後の最後までお邪魔することを模索したのである(前年12月にも揺れる期間があったのだが、スケジュールを確認しチケット購入ページまで見に行ったのはこの時が久しぶりであった)。

そもそも何故腕時計を買おうとしたのか、であるが、性格的なものももちろんあるのだろうが、私はライブやイベントで楽しいという感情を表に出したり、手を振ったりという動きがとても苦手なのである。故に疎外感、とは言わないまでも申し訳なさをずっと持っていた。そのような中ある曲のフレーズが自分の中にスッと入っていたのである。

「絵日傘さした陽炎達とドレスの君の舞踏会 見守る僕も青いエンビ服」(西岡恭蔵/パラソルさして)

もちろんライブの話ではない。ただ「見守る」というフレーズがちょっと上からなのかもしれないが、自分自身の身の丈にあった表現であると思ったのである。

そこからライブやイベントに行く際は流石に燕尾服は着ていけないので、青い服やバッグなど何かしら青いものを身に付けるようになった。やがてそれを毎回出掛ける際に必ず身に付けるものである腕時計が一番良いのではないのかと考えるようになったのである。

話を2022年に戻す。そのライブを行った声優さんはライブでの自分のカラーとして「青」を使用しているのである。直感的にこのタイミングしかないと思ったのである。同時に行こう、と考えるようになったということはそう遠くない未来に、誰かの何かしらのライブかイベントに行くのだろうと…。

ようやく2年経って盤面が青い腕時計を購入したのである。そのライブが開催された時期が誕生日から遠くなかったこともあり結果的に誕生日に買う、ということに関しては叶ってしまったことになるのだが…。

腕時計を付ける日は購入から半年が過ぎた11月3日に訪れた。大好きな歌手の方のライブに行くことになったのだ。この日まで閉まっていた箱から出し、自動巻きの時計ではあったが、最初に手動で歯車を回し時間を合わせていた。腕時計の時間が動いた時、自分の中で止めていた何かの時間も同時に動いたような気がした。書いていてベタな表現だと思ったし、その時もそう思ったが、本当に心からそう感じてしまったので仕方がない。

そして彼(もしくは彼女かもしれない、そんなことはどちらでもいいのだが)とライブを見守った。泣いた・笑った・また泣いた…ステージだけでなくそんな私の姿も青い腕時計は見守ってくれたのかもしれない。

そして12月10日、縁があってもう一度その方のステージを見る機会が訪れた(私はチケットが当たらないというのはその公演に縁がない、と考えており2次・3次…とどんなに申し込んでも当たらないものと思っている、自分なりの防御策なのかも知れないが)。

自分が行くことはもちろんではあるが、今年もう1度彼の出番があったのは良かった、と思った。

残念ながら今年はその2回しか外に連れて行くことは出来なかった。でも来年以降きっと出番は増える気がするし、多分とても長い付き合いになる気がする。

腕時計さん、来年もどうかよろしく。



…如何にも今年最後みたいな雑文を書いてしまいましたね…w。暇とは怖いですね。本当は怖い愛とロマンス(?)(こんな締めでいいのかい、おじさん)。