適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

1990年代のサザンオールスターズライブ本編ラスト曲を雑に振り返ってみる

少し前にこのような内容のツイートをしておりまして…「渚園以降のアンコール前ライブ本編のラスト曲、イエローマン(セオーノ)・勝手にシンドバッド(歌舞伎町・晴れ着)・マンピー(茅ヶ崎)・みんなのうた(ゴン太)とほぼかぶりなく選曲されているのは意図的な感じがありますわね…この4曲が揃って煽りコーナーに並ぶのが25周年の流石ツアーになるのは面白い」…と。

そこで80年代まで割とありました本編バラード締めが無くなり、盛り上がる曲で本編を締めるように完全に固定された1990年代の10年に期間を広げて、また適当で都合の良い解釈を付けて1つ書いてみようかという駄文でございます。

 

ではまずは本編ラスト曲をまとめて出してみましょう。対象としたのは、1990年の「Southern All Stars 夢で逢いまSHOW」から1999年年越しライブの「晴れ着DEポン」までのライブです(いつものようにTV・ラジオという番組用ライブやソロ・イベントは集計から除いております)。

 

Southern All Stars 夢で逢いまSHOW(みんなのうた

・歌うサザンに福来たる(いなせなロコモーション

・THE音楽祭 -1991-(ネオ・ブラボー!!

・闘魂!ブラディ・ファイト(勝手にシンドバッド

南天群星 北京で逢いましょう(勝手にシンドバッド

・歌う日本シリーズ1992~1993(勝手にシンドバッド

しじみのお味噌汁コンサート(エロティカ・セブン EROTICA SEVEN)

・ホタル・カリフォルニア(勝手にシンドバッド

Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」(愛の言霊~Spiritual Message~)

・牛(平和の牛歌)

・おっぱいなんてプー(01MESSENGER~電子狂の詩~)

・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~(イエローマン~星の王子様~)

・シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町(勝手にシンドバッド

・晴れ着DEポン(勝手にシンドバッド

 

やはり、といいますか14回中6回は勝手にシンドバッドが本編ラストに来ておりますね。ただ北京と歌う日本シリーズはセットリストがほぼ同じ、また歌舞伎町・晴れ着の連続シンドバッドは晴れ着が歌舞伎町のセットリストを下敷きにして選曲しているという側面もあるかと思いますので、この2セットは実質1つとしても良さそうな感じがありますね。まあそのようにカウントしてもトップになるのですが。

しかし最多とはいえ決してシンドバッド一辺倒ではないというのが分かりますね。夢で逢いまSHOWから万座ビーチまで連続でセットリスト入りしてはいますが、年越し曲として序盤やアンコール、ラスト1つ前とうまくポジションを変えて起用していますね。定番としては歌いつつもマンネリにならないようにしている感じでしょうか。渚園の製品版のインタビューで終盤の流れを見るといつのサザンのライブか分からない、というような発言を桑田さんがしていましたが、セットリストに組み込みつつもワンパターンにならないような近年の起用に近い使い方をしていた、となりますでしょうか。

そのシンドバッドが本編ラスト以外に演奏されたり、お休みの時にはその時期の新曲が締め曲として起用されるというのが割とはっきりしている、というのが90年代の大きな特徴ではないのでしょうか。

この時の新曲として披露されたイエローマンエロティカ・セブンが締めとしてはその1度だけでしたが、ライブ終盤の煽り曲として定着していきましたが、これは会場やパターンの変化も大きいように思います。

イエローマンは4回行われたドームツアーで3回(セオーノ・みんな好きです・ふざけるな)演奏されるなど、ドーム曲として使われるようになった感がありますね。ダンサー大量登場やライトや映像の演出など広い室内映えしやすい、ミス・ブランニュー・デイやマチルダBABYのデジタルサウンドみんなのうたマンピーのG★SPOTあたりのサザン盛り上げサウンド(急に雑な説明)どちらにも繋げやすい、もしくはその2つの派閥の間を取り持つ役として優秀な扱いなのでしょうね。そりゃ自分で僕はイカすでしょと言ってしまうわけです(?)。

エロティカ・セブンは2008年の大感謝祭でホタル・カリフォルニア以来久々に煽り枠に起用されて以降、この枠に定着するという珍しい道を辿っていますね。これはマンピーのG★SPOTが本編ラスト曲に定着したのと関係がありそうですね。マンピー→シンドバッドの流れはあっても、シンドバッド→マンピーの流れがない(間にボディ・スペシャルⅡが入っての流れはゴン太君のつどいで1度ありましたが)ということで、代わり、というわけではありませんがマンピーに繋ぐまでの流れの中に入りやすい、なおかつ知名度があって盛り上がる、ということでコンビとして再びスポットが当たったということでしょうか。なるほど地獄の果てで墜ちたアダムとイヴとはエロティカ先輩とマンピーさんのことでしたか(?)この部分がライブでカットされてしまうのは関係性がバレないようにするための必然だったのですね(?)。

2000年以降も愛と欲望の日々BOHBO No.5が新曲ラスト曲として歌われることもありましたが、90年代1度も本編ラスト起用のなかったマンピーさんの大躍進によって構図が変わってしまった感じでしょうか。改めて見ますと90年代はある種今以上に挑戦と保守の狭間にいたことを感じてしまいますね。同時に少しズレますが90年代後半のホタル・万座・渚園のような所謂王道・牛・おっぱいのマイナーという両極端さは良い意味でそのバランスをある程度取っているように見える今のセットリストではもう見れないのかしら…とも思ったりもするのですね。

 

勿論本編のラスト曲だけで全て判断できるわけではありませんが、この本編ラスト曲というのはその時代を表している側面もあるように見えるのですよね(近年のマンピーの登場回数を見ると尚更)。

まあまたダラダラと書いてしまいましたが、結局のところは90年代ノリがどうもわかんないBroなのですよ…という締めでお茶を濁させて頂いてよろしいでしょうかね(?)