適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

サザンオールスターズのライブでの「アンコール1曲目」について雑にまとめてみた

とても久しぶりなライブの一部分にスポットを当ててだらだらと書いていくあのシリーズでございます。

今回はアンコール1曲目にスポットを当てていきたいと思います。

個人的にアンコールの1曲目というのは、一度流れが切れることで仕切り直せたり、逆に本編の流れを引き継いで再スタートと、ある意味では一番自由に選曲が出来る場所だと思うのですよね…。故に改めて見てみようかしら…と。

基本的にはサザンの公式サイトに載っている、ソロやフェスなどのイベント系を除いた、サザンのライブから書いております。初期のライブは昔の雑誌や個人サイト等で別なセットリストが載っていることがありますが、全てを把握、載せるのは難しい、また代官山通信などをチェックして明らかな間違いではない限りは公式のものを基準としております。


最後にこちらも久々に…。今回は長いです。


※(〇~〇年)は年を跨いだツアー、(〇-〇年)は年越しライブとなっております(みんなが好きですのようにツアーでラストに年越しというライブは後者の表記を使っています)。


・デビューコンサート「胸さわぎ」(1978~79年)

気分しだいで責めないで

本編の11曲目でも演奏していましたが、アンコールでもご登場されました。ちなみにアンコール2曲目であり、ラストソングとなった勝手にシンドバッドも本編ラストで演奏されていますね。この頃はもちろん持ち曲が少なかったというのもあるのかも知れませんが、勝手にシンドバッドやテレビでの「目立ちたがり屋の芸人」発言などで所謂コミックバンドと見られていたイメージをあえてそのまま持ってきたのではないのでしょうか。もしくはテレビでノイローゼと叫んだように、まさに気分しだいで責めないでというメッセージのようなものを込めていたのかもしれません…。

サザン・ソロとアンコールラストはバラードナンバーがほとんどということもあり(近年は希望の轍みんなのうた、そして勝手にシンドバッドで締めというのがありましたが)、2曲とはいえアンコールをお祭り騒ぎで終わるライブというのは当時の勢いといいますか、そういったものをストレートに表わした感がありますね。


・春五十番コンサート(1979年)

いとしのエリー

アンコール曲が1曲だけと言うこともあり、初のそして現在まで通じるバラードラストの始まりですね。

1曲目・終盤前・アンコールラストと3回も歌われております。

いとしのエリーのヒットと共にコミックバンドとも呼ばれていたサザンの評価が変わっていきましたが、「デビューコンサート「胸さわぎ」」とこのライブのアンコールでその評価が変わっていくところを感じられるような気がします(余談ですが、この頃桑田さんがオールナイトニッポンのパーソナリティに起用されたりこのライブがFMで放送されるなど、いとしのエリーのヒットにはラジオの力も大きかったのでは…と思います)。


・Further on up the Road(1980年)

Further on up the Road

ツアー名に使われた同名曲がそのままアンコールの1曲目として選曲されていますね。

このライブで(公式に記載されているセットリストとしては)初めてカバー曲がこのポジションで演奏されました。確か夜遊びで桑田さんが事務所の人が勝手につけたライブツアー名だったと話していた記憶がありますが、きっちり曲は演奏している辺りは流石といいますか、自分たちがそういった曲から受けた影響を返している感じがあって良いな…と思ってしまいますね。

このツアー終了後、テレビ番組の企画としてツイストとのジョイントライブがありその番組内でもこの曲が披露されていますが、アレンジ等々このライブと一緒だったのでしょうか…?


サザンオールスターズがやってくるニャーニャーニャー(1980年)

涙のアベニュー

レコーディングに集中するためにテレビ出演・ライブ等々の活動を約半年休んでいた後に行われたライブのアンコール1曲目であり、同時にラスト曲でもありましたね。

休養宣言後、そしてシングルを5ヶ月連続でリリースするという企画、「FIVE ROCK SHOW」最初のシングルだった曲をライブ活動再開後のこのツアーのラストに持ってくるというのが、この半年間を表わしているといいますか、ある意味で「タイニイ・バブルス」とこのライブを含めて「FIVE ROCK SHOW」という企画が完結した、という風にも見えてしまうのですよね…。


・コンサートツアー ゆく年・くる年(1980年)

いとしのエリー

「春五十番コンサート」以来2度目のこの位置でのご登場となりましたが、春五十番はアンコールが1曲のみの実質ラストソングという感じですので、複数曲演奏ということでは実質初のアンコール1曲目ということになりますでしょうか。

初の単独武道館公演というのもありましたし、この仕切り直しといえますタイミングで披露されたというのが、当時のこの曲の特別感がより伝わってくる気がしますね。


・そちらにおうかがいしてもよろしいですか(1981年)

ふたりだけのパーティ

前回のライブになります、「ゆく年・くる年」でもアンコールで披露されており、この時期はアンコール曲、という認識がある程度あったのかもしれませんね。とはいえこのライブ以降はしばらく披露される機会がなく、次に演奏されるのは16年後になってしまうとは、この時はまだ誰も知る由もないのです…(?)


・愛で金魚が救えるか サザンオールスターズ PAAPOO ツアー'82(1982年)

チャコの海岸物語

ツアー中に発売(ツアーは1月9日~26日、シングル発売日は21日)した曲をアンコール、しかも(公式サイトでは)ラスト曲というのは、当時の「何としてもチャコをヒットシングルに…」という意気込みが伝わってきますね。

このライブの様子を収めたVHS「武道館コンサート」(とこの映像を収録したDVD「ベストヒットUSAS」)にもチャコが収められていますが、公式のセットリストにはこのラストと8曲目の2度演奏したことになっています。映像と収録されているトラック数を見ますと、その8曲目のテイクと考えられますが、真相は如何に…。


・青年サザンのふらちな社会学(ツアーTHE NUDE MAN)(1982~83年)

Plastic Super Star(Live In Better Days)

唯一のライブ披露がアンコールというのも珍しいといいますか、その後演奏されないというのを見ますとよりいっそうレア度が増すといいますか…。

この次に演奏されたのが、「いなせなロコモーション」ということもあって、本編を基本盛り上げて締めるというパターンの中で、アンコールでもうひと盛り上がりしラストにバラードで締め、という煽り二段構成の元祖的選曲だったのかもしれません(とはいえこのライブの本編ラストは「Ya Ya(あの時代を忘れない)」でしたが…その影響もあったのかもしれませんね)。


SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー '83(1983~84年)

夏をあきらめて

そりゃあ秋からスタートして2月に終わるツアーで夏の雨の海が舞台の歌がご登場では騙された気分になりますよね(?)。

打ち込みのデジタルサウンドを取り入れ始めた時期に前年のまだバンドサウンドで作られ所謂歌謡曲の雰囲気を兼ね備えた曲をここに持ってくるのはなかなか興味深い選曲のように思えてしまいますね。

もしくはこのツアー前の夏は自ら主催したものを含めサザンとして多くのフェスに出演した年でもありましたし、夏(からのツアー)をあきらめて(秋からのツアーになりました)というメッセージが隠されていたのかもしれませんね(?)。


・熱帯絶命ツアー夏“出席とります”(1984年)

チルダBABY

長く煽りコーナーのライブ定番曲である、マチルダさんが唯一アンコールで披露された珍しいライブですね。ゴールデンコンビである「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND NEW-DAY)」と実は最初のライブ共演ではまだコンビを組んでいないというのはトリビアになりますでしょうか(?)。

このライブも本編ラストが「Dear John」とバラードで締めた影響があるのか、アンコールはこの曲と「夕方Hold On Me」と盛り上がり曲で構成されているのもそういったところでバランスを取っていたのかもしれませんね(噂ではここに夏をあきらめてがプラスされた公演もあったらしいですが…)。


・大衆音楽取締法違反“やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで(1984~85年)

ボディ・スペシャルⅡ

「熱帯絶命ツアー」と同じく煽りコーナーの大定番曲が珍しくアンコール起用された例となりますね。当時は最新アルバムの一歩前に発売された盛り上がり曲をアンコールに持ってくるのが、トレンドだったのかもしれませんね。

そしてこの曲の次を再び夕方Hold On Me先輩が務めており、何と申しましょうか…。桑田さんが渚園DVDのインタビューで話していた「これまでのサザンを封印する」のこれまでのサザンが作られていく過程が見える感じがあるのですよね…。


・縁ギもんで行こう(1984-85年)

ボディ・スペシャルⅡ

ツアー中の単発年越し公演ということもあり、基本的にセットリストは「クロだった」をベースにしていますね。そういうこともあるのかアンコール1曲目も同じくこの曲でしたね。ただ今回の相方は「勝手にシンドバッド」師匠になっております。ボディスペ→(マンピー)→シンドバッドという2000年代前半までの黄金パターンの流れが初めて採用されたライブともなりましたね。


KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ(1985年)

夕方Hold On Me

公式のサイトには記載されていませんが、夕方先輩の前に、トゥレ・クンダの「テンケレンケ」をコラボで披露していますね。まあこちらが実質アンコール1曲目になるのですが…。それに加えて最初の方の公演(大阪・名古屋)では勝手にシンドバッドが夕方の前に選曲されているのでさらにややこしいですね(?)。まあアンコール大定番の夕方先輩にも、セトリ変更ごときによろめく受難の日があったということにしましょう(?)。


サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭(1988年)

Bye Bye My Love(U are the one)

またこのライブのアンコール1曲目も複雑でして…。公式ではBye Bye My Loveとなっておりますが、公演によっては本編ラストに演奏された「メロディ(Melody)」がアンコールの頭に演奏されていたようです。

いずれにしましても、1985年の活動休止前のアルバム「KAMAKURA」収録曲であり、シングルでも発売された2曲がアンコールで披露された、しかもその前に本編で演奏されたのが、サザン活動再開のシングルである「みんなのうた」だったというのも、本編とアンコールの境がその活動休止と再開の3年間を表しているような感じがあって並びとして色々と考えてしまうのですよね…。


・いっちゃえ'89サザンde'90(1989-90年)

夕方Hold On Me

早くも2度目のアンコール頭でのご登場となりました。このライブが中盤が洋楽カバーコーナー、終盤に年明けに発売されたアルバム「Southern All Stars」から3曲披露といつものライブより既存曲の演奏が少ないライブでしたし、アンコールは(ラストのいとしのエリーを含めて)ベタといいますか、良い意味で冒険せずに求められるサザンをきっちり出した感がありますね。


Southern All Stars 夢で逢いまSHOW(1990年)

Bye Bye My Love(U are the one)

「大復活祭」に続いてこのポジションでのご登場でしたね。大復活祭の正式タイトル名には真夏の夜の夢とありますし、偶然だとは思いますが、「夢」とBye Bye My Loveには何かそういったものを連想されるものがあったのかもしれません。後に続くのが夕方先輩でこの時期のアンコール定番曲を2つ続いて持って来

た、というのも1つ、90年代のアンコールの形がここで作られた感じもありますね。


・歌うサザンに福来たる(1990-91年)

Happy Birthday

生放送でも完全燃焼版でもアンコールは全く放送されず、本当に演奏していたのかでお馴染みのアンコールパートでございます(?)。

アンコール初登場のHappy Birthdayさん、この頃は公演日が年越しの1日だけということもあって、年越し=記念日=誕生日=この曲、という連想だったりしたのでしょうか…。


・THE音楽祭 -1991-(1991年)

LOVE POTION No.9

こちらは公演の途中(西武球場公演)から追加となりました。現在でも唯一のライブ披露となっていますし、最初のナゴヤ球場公演に来た人は惜しかったですね(?)(その代わりに本編に「恋はお熱く」が入っていましたが)。

稲村ジェーンのサントラ収録曲ではありますが、カバー曲がアンコール1曲目というのは公式のセットリストでは、Further on up the Road以来になりますね。まだ稲村ジェーンの余韻が残っていた1年後の夏、ということだったりしたのでしょうか…。


・闘魂!ブラディ・ファイト(1991-92年)

女呼んでブギ

この時の生放送版・完全燃焼版の両方でカットされてしまった唯一の曲となってしまい、映像が日の目を見ることが出来ないテイクとなってしまいました…。

音楽祭でもLOVE POTION No.9が入る前の公演ではアンコールの1曲目だったので、連続でこのポジションにという、クロだった〜縁ギもんのボディスペ先輩と似たような起用になっていますね。


南天群星 北京で逢いましょう(1992年)

・歌う日本シリーズ1992~1993(1992~93年)

愛は花のように(Ole!)/いなせなロコモーション

北京ライブと歌う日本シリーズはほぼセットリストが同じなので、ここはまとめさせて頂きます。

「愛は花のように(Ole!)」は一見すると意外にも思えますが、当時の湾岸戦争天安門事件などの社会情勢から後にAAAやサザンのライブでも歌うことになる「花~すべての人の心に花を~」を考えるもストレートに特に北京という海外公演で演奏するのは憚れたので、タイトルから連想してこの曲に…というのは流石に都合の良い解釈になってしまいますね。まあ世に万葉の花が咲くなり→万葉の花→この曲、という連想の方が考えとしては自然ですね。

ラストの武道館公演では「いなせなロコモーション」に変更されました。結果的にですが、次のライブでもこの曲がアンコール1曲目になりましたし、15周年イヤーのスタートとラストがここで繋がった感がありますね。


しじみのお味噌汁コンサート(1993-94年)

いなせなロコモーション

さて歌う日本シリーズの方で先に書いてしまいました(?)(構成が下手)。

次の曲が「勝手にシンドバッド」なので、15周年煽り二段構成スペシャルとしてここで出してきた、といったところでしょうか。本編の煽りコーナーがデジタル色が濃いめではあったので、その辺りも分けてきた感もありますね。


・ホタル・カリフォルニア(1995年)

LOVE KOREA

アンコール1曲目に当時の最新シングル曲でしかもB面のこの曲を持ってくるというのは、かなり珍しい選曲ではないのでしょうか。この次の曲がアマチュア時代に作った1曲である「女呼んでブギ」というのも、最初と最新をアンコールに詰めた感じがあって、時代と言いますか、サザンの17年の走馬灯コーナーともいえるのではないでしょうか(?)。

…といいつつもVHS/DVDではカットされているという悲劇。あの「勝手にシンドバッド」のワンフレーズを持ってきた部分は本家と同じように「今何時?」「そうねだいたいね」のプチコール&レスポンスはあったのでしょうか。


Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」(1996年)

ニッポンのヒール

最新アルバム「Young Love」のツアーのアンコール1曲目に前作のアルバムである「世に万葉の花が咲くなり」から持ってきたというのも興味深いですね…と思いきや、「私は騙された!!ツアー」からアルバムツアーのアンコール1曲目は前作のアルバムから選曲されていましたね。このツアー以降はその方程式がなくなってしまいましたが、ある程度意図していた部分もあったのでしょうか…。


・牛(1996-97年)

希望の轍

比較的珍しめの曲が多かった本編とは打って変わってライブ定番曲であるこの曲を持ってきていましたね。

ここでサザンらしさといいますか、アンコールも外さないところが優しいといいますか…。

何と申しましょうか…。会場やテレビ中継でイメージにある「あの」サザンを求めていた方々にとってみれば、ある種抑圧されたものが、この曲のイントロと共に解き放たれられたところがあったのではないのでしょうか。


・おっぱいなんてプー(1997-98年)

汚れた台所

イントロの頭がCMと被っていますね。マニアックな曲が多いと言われたライブの中では、何と申しましょうか…。発売からそれほど日が経っておらず、この時点でライブでも登場回数は多い方でしたので、マニアック曲の王道、むしろ定番曲と言っても良いような立ち位置にいた気がしますね。

とはいえ、前回の「牛」のアンコールが希望の轍・夕方Hold On Me・Oh!クラウディアだったと考えますと、アンコールでも本編の流れを引き継ぐといいますか、リセットして定番曲へ…というところにはいかない、という宣言も含まれていたのかもしれませんね。

個人的にはマイクスタンドから微妙に遠い位置でギターを弾いている大森さんが気になってしまいますね…w。


・スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』(1998年)

Bye Bye My Love(U are the one)

20周年ライブのアンコール1曲目は夕方Hold On Meと並び90年代のアンコール定番曲といえますこの曲でしたね。まさに20年の総括といいますか、これはアンコール全体にいえるのかもしれませんが、この曲に希望の轍いとしのエリー・夕方Hold On Meと

これは40年のふざけるなツアーでの栄光の男・LOVE AFFAIR・ロックンロール・スーパーマンという流れにも似たものを感じてしまうのですよね。最後が旅姿六人衆(四十周年)なのもまた…。


・Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~(1999年)

ニッポンのヒール/My Foreplay Music

福岡公演の初日までがニッポンのヒール、福岡2日目以降はMy Foreplay Musicと分かれたライブツアーとなりましたね。当時の特設サイトに載っていたムクちゃんのライブ日記的なコーナーで、福岡に2日とも来れた方は(曲が変わったので)ラッキーでしたね、と書いていたのが何故かずっと頭に残っているのですよね。

ニッポンのヒールは放送されず、アレンジ等は謎のままになってしまいましたが、My Foreplay Musicのあの前奏アレンジが個人的に好きなのですよね…。


・シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町(1999年)

君が代

まさかの君が代です。如何にもファンクラブ限定のシークレットライブならではと言えるでしょうか。桑田さん1人でのギター弾き語りによる歌唱なのも尚更そういったことを感じさせる要因なのかもしれません。ちなみに中盤からラストまで殆どの曲が一部カットの嵐となっている中で数少ない無傷の曲となりました(曲の短さを考えれば当たり前)。


・晴れ着DEポン(1999-2000年)

イエローマン~星の王子様~

桑田さんは全身黄色のまさにイエローマンという姿での歌唱でした。帽子には茅小という文字が。イントロと1番終わりでのやーややややーというコーラスはこの時だけでしたでしょうか。客席が黄色いハンカチと風船を持っているというのもある種の一体感があって良いですね。

個人的には2番の時に映る無表情で風船を振っているおじさんが何故だかとても好きなのです…w。


茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~(2000年)

LOVE AFFAIR~秘密のデート

この時既にアンコール定番曲になりつつあったLOVE AFFAIR先生がアンコールの頭では初のご登場となりました。後に続くのが夕方先輩にエリー師匠でしたからさぞかしプレッシャーがあったことでしょう(?)。このライブ以降(21世紀以降、ともいえるのかもしれません)長くアンコールの定番曲だった夕方先輩の登場頻度が下がりここ一番、という場面での演奏となっていくのですが、このライブでの共演がアンコール定番曲の引き継ぎになっていたようにも見えてしまうのですよね…。

またこのライブの1曲目でもあった希望の轍といい、茅ヶ崎ライブは何処か21世紀型(もしくは5人サザン)への新しいライブの形へシフトしていく瞬間でもあったのかもしれませんね。


・ゴン太君のつどい(2000-01年)

太陽は罪な奴(虫歯のブルース~インディアン狂想曲[MEDLEY])

最終日の31日のみアンコールの最初に虫歯のブルースが追加となり演奏されました。それ以外の公演は青学卒業コンビにダメと言われていたのでしょうか(?)。

そんな最終日以外は「太陽は罪な奴」が選曲されていました。年越しライブで太陽は罪な奴が選曲されたのは、2017年時点でこのライブと前年の晴れ着DEポンのみとなっていますが、その晴れ着DEポンでは3曲目に歌われ年越し曲であると同時に1999年と2000年を跨いだ曲ということもあったのか、21世紀に入りライブ終了3曲前という、ある意味であえて逆といえますこのポジションに置いたのかも知れません。


・SUMMER LIVE 2003「流石(SASが)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~(2003年)

希望の轍(花~すべての人の心に花を~)

2年のソロ活動を経てのライブでのアンコールはこの曲でしたね。茅ヶ崎ライブでは1曲目、ゴン太君では年越し曲と重要な位置にあり、希望の轍という曲の立ち位置が変わっていく中で、少し落ち着いたといいますか、轍さんに登場頂きつつも一休みしている感じが良いですね。何と申しましょうか…ライブ定番曲とサザンの代表曲という立ち位置のまだちょうど真ん中にいる感じがあるのですよね。

沖縄公演では轍の前に「花~すべての人の心に花を~」。万座ビーチでの久々の沖縄、そして「平和の琉歌」という気合いの入れ方とは違い、良い意味で力が抜けているといいますか程好い距離感で寄り添っているように感じますね。


・真夏の夜の生ライブ~海の日スペシャル~(2004年)

匂艶THE NIGHT CLUB

ダンサーによるバレエのようなダンス(?)のあとに始まりました。余談ですが生放送はバレーボール中継の延長で放送が遅くなってしまいましたね(バレー違い)。生放送版では本編ラストの勝手にシンドバッドで中継が終了してしまったので、完全版でのみ見ることが出来るテイクですね。ブラスが包国さん1人だけだったので、ラッパの音があまり厚い感じではないのは、90年代前半くらいまでのテイクに近いものがあるのでしょうか…。

個人的には弘さんの追っかけコーラスの時に弘さんを一切映さないので、大分マイナスポイントになっていますね(?)。


・暮れのサナカ(2004-05年)

女呼んでブギ

「ブラティ・ファイト」以来のアンコール1曲目となりました。ブラティ・ファイトはプロレスとの合体ライブ、この暮れのサナカも中盤に横浜探偵物語という企画があったりと普通の年越しライブとは違う、いつもより少し企画色が強い時に仕切り直しといいますか、デビュー前に作った曲を持ってきてある種の原点回帰的、最後はちゃんとサザンに戻ります感を出そうとしていたのかもしれませんね。

この時の目玉(?)はサビの曰くまだ完成していないデタラメパートを毛ガニさんが担当していることでしょうか。


・みんなが好きです!(2005-06年)

勝手にシンドバッド

後に「太陽に吠える!!」として完成となる、東京ドームですと水道橋ブルースと呼ばれた曲で得意の(?)茶番を披露した後に始まりましたはこの曲でした。

前回のドームツアーとなったセオーノでは選曲されなかったので、ドーム初見参となりました。

ギター+スタンドマイクスタイルでのシンドバッドは茅ヶ崎ライブ以来になりますでしょうか。

キラーストリートのアルバムツアーでもありましたが、この2005年6月25日に勝手にシンドバッドからTSUNAMIまでのシングルが12cmCD化し再販されましたが、この次に演奏された曲がTSUNAMIということもあり、シンドバッドからTSUNAMIまでのレコード・8cmCD時代を振り返る意味もあったのかも知れません。


・真夏の大感謝祭(2008年)

夕方Hold On Me

頭に「あの日から何度目の~」で始まるライブ用ワンコーラス曲が付けられていましたね。その後はみんなのうたのovertureという扱いになったと考えますと、今から見ますと珍しいパターンとなりましたね。

2001年のソロライブ「Xmas LIVE in 札幌」では披露されていましたが、サザンでは2000年の茅ヶ崎ライブ以来と久々の披露となりましたね。この久々の演奏が真夏の大感謝祭というライブの立ち位置を結果的に表わしている形になった感がありますね。

ライブ直後この曲が某動画サイトに上がっていた時に「他の誰かじゃ駄目なの」を捩って「他のバンドじゃ駄目なの」とコメントがされていたのが、無期限活動休止というのと相まって今でもとても鮮明に覚えているのですよね…。


・SUPER SUMMER LIVE 2013「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」(2013年)

ロックンロール・スーパーマン ~Rock’n Roll Superman~(青葉城恋唄)

とてもバンドしているな…というのが最初見た時に思ったことでしたね。無期限活動休止を経ての5年ぶりの活動再開となったこのライブで、アンコールに入り、仕切り直しのタイミングで桑田さんがギターを持ち直してこの曲を演奏したというのが、改めてバンドとして復活した、という印象を与えたような気がするのですよね…。

宮城公演では「青葉城恋唄」が演奏されましたね。2011年のソロライブ「宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~」でも披露されていましたが、サザンとしても戻ってきて演奏した、というのが病気後初の本格的なライブとなった桑田さんと東北の復興の第一歩を重ねた中で、もう1つサザンという歩みが再び始まったのを示したような演奏になったように思います。


・ひつじだよ!全員集合!(2014-15年)

天国オン・ザ・ビーチ

シングル「東京VICTORY」のB面であったこの曲がこのポジションでご登場されましたね。曲調的にライブにおけるポジションは割と限られる感じはありましたが、それ故のアンコール1曲目起用になったのでしょうか。

結果的にアルバム「葡萄」のツアーであった「おいしい葡萄の旅」ではアルバム収録曲の中で唯一演奏されずでしたのでここで演奏されたのはちゃっかり(?)特典DVDにも収録されましたし良かったですね(?)(誰目線)。


・おいしい葡萄の旅(2015年)

C調言葉に御用心/チャコの海岸物語/匂艶THE NIGHT CLUB

このライブでは3曲がかわるがわる(幸せのラストダンス風に)でしたね。最終的に「匂艶THE NIGHT CLUB」に落ち着きましたが。

この3曲はそれぞれ色が違うアンコールのスタートになるのが、当たり前ではありますが面白いと思いますね。C調言葉に御用心は怒濤の煽りからまだ熱が醒めない会場に1つ風が吹いたような爽やかさが、チャコの海岸物語にはアンコール1曲目だからこそ出来る選曲といいますか遊び心が、匂艶は本編の煽りからの熱をそのまま持ちつつ第2の煽りに突入していく…というのが曲の並びだけでも伝わってくる感じがありますね。


・キックオフライブ2018「ちょっとエッチなラララのおじさん」(2018年)

DIRTY OLD MAN~さらば夏よ~

2006年「THE夢人島Fes.2006 WOW!! 紅白! エンタのフレンドパーク Hey Hey ステーション …に泊まろう!」以来のライブ演奏となりましたね。とはいえフェスでの披露でしたので、サザンの単独ライブとしては実質初演奏ということになりますね。

何と申しましょうか…。桑田さんが50歳を迎えて作ったものの、その後色々と思うところがあったのか演奏することの無かった曲を60歳を越えたタイミングで再び披露、というのが、「大事なものは若さじゃなくて 素顔のままのしなやかな日々 振り向くほどに人生は悪くない 明日を…信じるならば」という自身の歌詞に繋がっている感じがあってとても好きなのですよね…。本当の意味でサザンもこの曲自身もDIRTY OLD MANになった瞬間だったのかもしれません。


・“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!︎(2019年)

I AM YOUR SINGER

発売当初に演奏もその後は…というのが、前回のラララのおじさんのDIRTY OLD MANとリンクしているように感じますね。この曲もある種の「重さ」を持っていたと思うのですよね。あの無期限活動休止の発表後に出たシングルというだけでも大変なのに、「真夏の大感謝祭」というあのライブであの演出を担う曲でしたから…。それが前回のカラオケではなくバンドスタイルでの披露、そして何より「さあみんなでLove Song アンコール」というフレーズが11年の時を経て、自分自身に返ってきたようなあの感じが「重さ」という名の呪縛からようやく解き放たれた瞬間だったのかもしれませんね。この辺りもDIRTY OLD MANと共通している、といいますか、キラーストリートから無期限活動休止というある意味で振り返ると一番難しい時期に生まれた曲にこういった形でスポットが当たったというのがとても良かったように思います。


サザンオールスターズ特別ライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、ありがとうございます!!~」(2020年)

太陽は罪な奴

アンコールでのご登場は、2000年「ゴン太君のつどい」以来となりました。(暦の上では)夏と冬の横浜アリーナでアンコール1曲目に演奏されるというおそらく今後達成するのは難しいのでは…という珍しい記録を樹立しましたね(?)。

この曲には「あこがれた女性(ひと)はなぜか太陽のニオイがした」というフレーズがありますが、この時期はちょうどCMで「金目鯛の煮つけ」が流れる中、その金目鯛の煮付けを作る桑田さんが映っていましたし、「あこがれた男性(桑田さん)はなぜか金目鯛の煮付けのニオイがした」というフレーズに置き換えていた方もきっといらっしゃったことでしょう(?)(あんただけよ)。


・ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」(2020-21年)

希望の轍

アンコール1曲目にして年明けの1曲目でもありましたね。あまりにも色々あり過ぎた2020年という年でしたし、2021年、それ以降というこれからに少しでも希望があれば…というメッセージがあったのかもしれませんね。

近年はギター持ち歌唱がトレンドになった感がありますね。稲村オーケストラではなく本当の意味でバンドとしてのサザンオールスターズの曲になった、ともいえるのかもしれません。

ラストはもう1度キーボードが来て締め、というCD版に近い終わり方なのも、シンプルさ故にまた新鮮だったのではないのでしょうか。

 

という訳で雑に振り返ってまいりました。

一応演奏回数を出してみましょう。


3回

夕方Hold On Me

Bye Bye My Love(U are the one)

希望の轍


2回

女呼んでブギ

いとしのエリー

いなせなロコモーション

チャコの海岸物語

匂艶THE NIGHT CLUB

ボディ・スペシャルⅡ

ニッポンのヒール

太陽は罪な奴


日替わり曲も含めてのカウントになっております。

やはり3回の曲はアンコールでよく披露される曲がそのまま反映された感じでしょうか。故にBye Bye My Loveが歌舞伎町ライブ以降1曲目どころかアンコール全体でも選曲されなくなったのが、不思議ではありますね。そしてこの3曲全てがアンコールに揃った渚園ライブはこういったところでも20年の総括だった、ことが分かりますね。

2回演奏も振り返ってみましょう。女呼んでブギといとしのエリーはライブの1曲目でも3回で、4回のBig Star Blues(ビッグスターの悲劇)に次ぐ回数を記録していますし、アンコールの頭も含め、1曲目に置きやすい曲なのかもしれません。

チャコはおいしい葡萄の旅では1日だけの披露でしたが、それによりランクインするというラッキーソングになりましたね(?)。逆にニッポンのヒール先生はセオーノで曲変更されて以降、ライブ演奏されずとアンラッキーな感じになってしまっていますね。

 

さてこれで以上でございます。

 

ここからは余談ですが、この雑文投稿を始めたのが、2016年の7月17日でちょうど6年経ったのですね。なので本当は昨日公開したかったのですが、この通り間に合わずで1日遅れとなってしまいました。まあ時代遅れの雑文投稿ということにしておいて下さい(?)。

 

「FREE-UKES」には収録されなかった関口和之名義でのウクレレ企画作品への提供楽曲を雑にまとめてみた

本日、7月6日ムクちゃんのウクレレアルバム「FREE-UKES」の収録曲が発表されましたね。事前に「ウクレレ企画作品への提供楽曲も収録予定」とありどの曲が収録されるのかしら…と思っていたところ。12曲目に「THE UKULELE BEATLES ウクレレビートルズ ~4弦はアイドル~」でカバーした「CAN’T BUY ME LOVE」が(名義は関口和之 & IWAO)、13曲目に「Rolling Coconuts プレゼンツ ベストヒットUKE」でカバーした「THERE MUST BE AN ANGEL (PLAYING WITH MY HEART) 」が収録となりました。

今回は惜しくも選曲から漏れてしまった曲を(私の知っている限りですが)上げていきたいと思います。一応他の方名義の曲にウクレレで参加した曲は省き、関口和之、もしくは&〇〇や〇〇オールスターなどでクレジットされている曲だけをまとめております。



・Here There And Everywhere / 関口和之 & IWAO

2003年「THE UKULELE BEATLES ウクレレビートルズ ~4弦はアイドル~」収録

「FREE-UKES」にはこのアルバムから「CAN’T BUY ME LOVE」が収録されていますが、実は同じく関口和之 & IWAO名義でもう1曲この曲をカバーしているのですよね。しかも17曲収録されている曲の中で唯一の2曲収録となっており、ムクちゃんの2003年時のウクレレ界の立ち位置が感じられますね(?)。

FREE-UKESには収録されませんでしたが、2011年にムクちゃんが企画・選曲したウクレレオムニバスアルバム「Ukulele 4 Tomorrow」には自身が演奏した曲として唯一収録されていたりもします。

 

・Mother / 関口和之, Leyona & 青柳拓次

・Happy Xmas (War is Over) / Rerenon Ukure Allstars

2003年「UKURERE LENNON」収録

Leyonaさんとは砂山オールスターズ名義での「HOTEL PACIFIC」でボーカルを取っている玲葉奈さんの事ですね。青柳拓次さんも砂山オールスターズの編曲等々でクレジットされている方ですし、砂山オールスターズの延長戦にあった、といったところでしょうか。

「Happy Xmas (War is Over) 」では終盤の方でムクちゃんらしい方の声が聞こえるので注目です(?)(ウクレレ関係無いじゃない、とは言わないの(?))

 

ハウンド・ドッグ / 関口和之

2005年「UKULELE ELVIS」収録

Rolling Coconuts プレゼンツ ベストヒットUKE」の「THERE MUST BE AN ANGEL (PLAYING WITH MY HEART) 」と同じくムクちゃん単独クレジットとなっている以外と珍しい(?)曲ですね。犬の声が入っていたりというアレンジになっており、ムクちゃんならではの遊び心が入っているのも、どこかのバンドのボーカルの方に通じる「照れ」が見えて好きだったりします。

 

・海へ行こう! / ウクピクオールスターズ

2007年「Ukulele Picnic」収録

11曲目にも関口和之 feat. KONISHIKI名義で収録されていますが、こちらはウクピクオールスターズという名義に相応しく様々な方々のボーカルが入っている曲となっています。ムクちゃんのパートももちろんありますので、貴重な(?)ムクちゃんボーカルを味わうことが出来るチャンスですね。もう1曲を含めまして。

 

おまけ(ムクちゃんボーカル編)

・北風小僧の寒太郎 / 関口和之

2007年「Ukulele Picnic」収録

・雨やどり

1990年「ここはグリーン・ウッド」収録

ここからはウクレレ、というよりも個人的に収録されていて欲しかったムクちゃんボーカル曲を載せていきたいと思います。

「北風小僧の寒太郎」は一見ウクレレカバーに思えますが、何と全編ムクちゃんのボーカルで収録されているというもっと皆様に知って欲しいカバーシリーズでございます(?)(誰目線シリーズ)。また90年代前半のムクちゃんとの関係の深い漫画である「ここはグリーン・ウッド」のイメージアルバムに1曲ムクちゃんのボーカル曲が収録されているのですよね。この砂金でもウクレレでもないこの時期のムクちゃんサウンド・ボーカルを堪能できるという意味ではとても貴重な1曲ともいえますね。



という訳で如何にも情報解禁により急いで書いたなお前、という雑文にもならない雑文をお送りしてしまいました。

ただまだ知らないムクちゃんワールドがあることをこんな文章ではありますが、知っていただければ嬉しいと思うのです…。

 

サザンオールスターズ20周年の渚園と40周年のふざけるなツアーアンコールについてふと思った事を

サザンオールスターズの20周年ライブとなりました、1998年の「スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』」と2019年の40周年ツアー「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!︎」のアンコール曲を眺めていまして、ふと思うことがあったので書いてみよう、という安易な雑文でございます。…えっ、アンコール演奏曲数が5曲で最後が旅姿六人衆(四十周年)で締めたという共通点だけで選んだのでしょうと…?。正解でございます(?)。まあその他にも色々とありますのでその辺りはどうか一度胸にしまっていただければ(?)。

まずこの2つのライブのアンコールを改めて並べてみましょう。


渚園

En1.Bye Bye My Love(U are the one)

En2.希望の轍

En3.いとしのエリー

En4.夕方Hold On Me

En5.旅姿六人衆


ふざけるなツアー

En1.I AM YOUR SINGER

En2.LOVE AFFAIR~秘密のデート

En3.栄光の男

En4.勝手にシンドバッド

ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~)

En5.旅姿四十周年(旅姿六人衆)

※ふざけるなツアーのアンコールは4パターンあり全部載せるとややこしくなるので、その中から1パターンを載せております


まず渚園から書いていこうと思います。

アンコールの1曲目は「Bye Bye My Love(U are the one)」でございました。ライブ初披露となりました1985年の「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」からこのライブを含め6回演奏されているのですが、4回アンコールで披露されるなど、90年代のアンコール定番曲といえる立ち位置であったのも、20年の総括というライブでのアンコール1曲目というポジションを任された1つだったのかもしれません。

希望の轍」と「いとしのエリー」はもう言わずもがな、ですね。希望の轍はこの渚園前後で披露されたのがいずれもアンコール(「牛」・「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」)とこの時期はこのポジションに置かれることが多く、起用の幅が広がったことで単なるライブ定番曲から現在の「=サザン」というポジションへ歩みを進め始めた瞬間、ともなったのかもしれませんね。そしていとしのエリー、締めの雰囲気を出しつつも実はまだ続きが…という二段構成の第一段BIG BOSSとして貫禄を見せつけていましたね(最後のあれはまあご愛嬌、ということで…w)。このアンコールは1996年「Southern All Stars Stadium Tour 1996「ザ・ガールズ 万座ビーチ」の沖縄披露が残っていたりしたのでしょうか…。

そして、Bye Bye My Loveと共にサザン90年代アンコールの一角を担った「夕方Hold On Me」先輩のお出ましでございます。ここまでの選曲を見ますにアンコールは全体的に20年、といいますか、90年代の総括というのが強いように感じますね。Bye Bye My Loveでも触れましたが、夕方Hold On Meもこのライブ以降、ソロを除けば2000年「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」・2008年「真夏の大感謝祭」・2020年年越しライブ「ほぼほぼ年越しライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」」の3回といずれもアンコール披露ではありますが、定番からここ一番の曲に立場が変わりましたね。ある意味で桑田さんが話していた「今までのサザンを封印する」という影響を一番受けた曲だったのかもしれません。


「旅姿六人衆」は最後にまとめて触れたいと思います。


さて次はふざけるなツアーに参りましょう。

I AM YOUR SINGER」が大感謝祭以来11年ぶりにアンコールの1曲目として披露されました。「さあみんなでLove Songアンコール」と歌いながらアンコールで登場されるといるズルい方でございますね(?)。ただ2008年には「お別れの歌」というようなイメージの強かったのが、このフレーズとアンコール披露によって、あの時代を柔らかく振り返ることの出来るラブソングになったのかもしれません。

「LOVE AFFAIR~秘密のデート」は近年ライブ本編での披露が多くなった曲ではありますが、初披露となった1997年年越しライブ「おっぱいなんてプー」からアンコールでの演奏が頻繁にされていましたし、Bye Bye My Loveと夕方Hold On Meのポジションを引き継いだ曲といえるのかもしれません。サザン40年の後半の時代の総括として見ますとこの曲がアンコールで披露されたのは必然だったのかもしれませんね。

「栄光の男」、そして一度戻っては来ましたが、ツアー中盤で外れてしまった「ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~」の2曲もまた後半の時代、といいますか、近年のライブ大定番曲として、その君臨されている曲になっていますね。この辺は以前に書きました雑文「ロックンロール・スーパーマンと栄光の男についてふと思ったことを」とあまり考え方が変わっていませんので、詳しくはこちらをご覧頂ければ…ですが、40年のキャリア後半の5人サザンとしてのバンドとしての曲、であると思うのですよね。

だからこそロックンロール・スーパーマンから「勝手にシンドバッド」に変わった時にこの流れが崩れてしまったのが、少し残念でもあったのですよね。ただ栄光の男〜勝手にシンドバッドという流れになった事で、キャリア全体の40年の総括になったというのと、「生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない」と歌った後にデビュー曲で(思い描いていたものとおそらく違うものとはいえ)1つの栄光の男たちへ歩みを始めた頃から現在、を瞬間的に表した流れでもあったように気がするのですよね…。


そしてこの2つのライブのラストは「旅姿六人衆(旅姿四十周年)」。

それまでが総括感の強かった4曲だったこともあり、最後にファン・スタッフに改めて感謝を伝えるというのもより周年感が強くなるといいますか、そういう使い方故なのか、元の曲のパワーが強いのか、図らずも旅姿の「重さ」を感じてしまうのですよね…。だからこそ4曲に「今」と「歴史」、now&foreverを持たせてバランスを取ろうとしたのではないのでしょうか。

またこの20周年と40周年のライブはサザンの活動再開や休止前の周年ライブとは違い、前後にサザンとしての動きが続いた流れの中でのライブ(40周年後は諸々あっての無観客ライブという流れなので、ちょいと違いますが)というのが、より区切りだけどあくまで旅の続き、という感覚を持たせ、アンコールだけではなく全体のセットリストにも反映されているのかな…とも思ったりするのです。

また渚園がそれまでのサザンの総括で、翌年のニューサザンに向かう為のライブで、ふざけるなツアーがこれはあくまで私の感覚ですが、夏の野外ではなく春のドームツアーというのもあって、今までと少しやり方を変えた、というのとこのツアーの後、MV集の発売や2019年の年末にサザンの全曲がサブスク解禁という出来事もあり、(今の)サザンとして出せるものを出し切った流れが、45周年以降のニューサザンへ舵を切ったように感じてしまったのですよね。40年で見てしまうとこのタイミングでの総括は=終活にも見えてはしまいますが、サザンの現役感がそう見せない、まだ新しいサザンを見せる、というのが不安よりも期待を大きくしてくれている気がするのです…。

 


さてまたも雑にいかにも暑さにやられているような文章をつらつらと書いてしまいました(?)。

最近は書きたい欲が強い時期に入っているので、今度はエアコンが効いていると思われる程度の雑文にしていきたいと思っております(?)。

 

1999年ライブツアー「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」セットリストを今更雑に見てみる

リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第5弾でございます。今回は1999年のライブツアー「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)~素敵な春の逢瀬~」を振り返って見ようと思います。

 

例によっていくつかのブロックに分けて書いていこうと思います。



1.JAPANEGGAE

2.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

3.エロティカ・セブン EROTICA SEVEN

1曲目は1984-85年「大衆音楽取締法違反“やっぱりアイツはクロだった!”実刑判決2月まで」以来14年ぶりのご登場となりました「JAPANEGGAE」でございましたね。あの演出と原曲以上に「和」の雰囲気を纏ったイントロがよりアルバム「さくら」のツアーであることがより強調されると共に今までのサザンと違う、というのを示す1曲目になったのではないのでしょうか。

といいつつも「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」~「エロティカ・セブン EROTICA SEVEN」という2~3曲目で早くもいつもの、というとちょっと悪い意味になってしまうかもしれませんが、=サザン的な選曲ではありますね。とはいえ3曲目という序盤にエロティカというのはこの時が唯一で珍しい例ではあるのですが。

何と申しましょうか…。この2曲はドームツアーというのも影響した選曲であるという気がしますね。さくらを中心に今までのサザンから脱却したニューサザンを…というライブではありますが、やはり5万人を収容するライブということもあり、不特定多数といいますか初めて生のサザンに触れるような人もいらっしゃるような幅もあるかと思いますし、その当たりのバランスとしてイメージに描きやすいサザンを1つの掴み(クッション)として持ってきたような感じも受けますね。特にエロティカは当時一番売れたシングルで一番売れたベストアルバム(海のYeah‼︎)にも収録されているといった知名度の高さを示す要素も選曲に至ったように思います。

 

4.SAUDADE~真冬の蜃気楼~

5.YARLEN SHUFFLE~子羊達へのレクイエム~

6.爆笑アイランド

7.NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH

8.01MESSENGER~電子狂の詩~

9.CRY 哀 CRY

10.唐人物語(ラシャメンのうた)

ここからはアルバム「さくら」のコーナーになりますね。アルバムから最初に選曲されたのは「SAUDADE~真冬の蜃気楼~」。アルバム曲とはいえ春のツアーに冬の曲というのは意外かもしれませんが、秋に発売され、春にツアーをスタートした、という中で飛ばしてしまった冬をここで回収と考えますとちょっと納得するといいますか、その冬に行われたAAA1998「オールリクエストショー」で同じ4曲目でさくらの曲から最初に披露された…という流れを踏襲したとも見える選曲ですね。

アルバムの好きな曲ファン投票1位「YARLEN SHUFFLE~子羊達へのレクイエム~」、さくらの中ではポップよりな「爆笑アイランド」を経て、アルバム1曲目である「NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH」師匠のお出ましでごさいます。ある意味ここからさくらワールドのスタートとも受け取れるのかもしれませんね。アルバムの1曲目はツアーにおいて傾向的には、中盤〜終盤の煽り1曲目あたりに配置されることが多いのですが、この序盤のコーナーにしかもそれに続くのが「01MESSENGER~電子狂の詩~」「CRY 哀 CRY」とロック色の強いアルバムの中でも濃いめな、前年の「スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』」でのCRY 哀 CRY〜Computer Children〜01MESSENGERの流れを再現するような選曲になっているなど、意図的にここから今回はいつもと違うライブというのを「見せ付けている」(突き放しに来ているともいえるのかもしれません)感じが漂っているのですよね。何と申しましょうか…秋に狂い咲いたさくらが春に再び暴れるように咲いたような感覚といいますか…。

とはいえ、01MESSENGERのミッション・インポッシブル合体アレンジなど、サザン的お遊びといいますか茶目っ気を残しているのが、らしいところではあると思いますね。今見ますと演出とはいえラストに銃口を向けられるのが大森さん、というのが意味深に見えてしまいますね…。

コーナーの締めは原さんボーカルの「唐人物語(ラシャメンのうた)」まさに春といいますか、清涼剤のような爽やかさと春の温かさが合わさったような締めとなった感じがありますね。

 

11.マイ フェラ レディ

12.胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ

13.Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)

14.汚れた台所(キッチン)

15.愛無き愛児~Before The Storm~

 

メンバー紹介を経て、「マイ フェラ レディ」ですよ。最近ようやく気が付いたのですけど、overtureで流れているメロディは勝手にシンドバッドだったのですね。

次の「胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ」から前作のアルバムである「Young Love」のコーナーに入る訳ですが、この胸いっぱいの愛と情熱をあなたへというポップな曲からそういった流れに繋げるのかと思いきや、「Soul Bomber(21世紀の精神爆破魔)」「汚れた台所(キッチン)」「愛無き愛児~Before The Storm~」とYoung Loveの暗部といいますか、さくらにも繋がっているようなテーマ・曲調のナンバーを持ってくる、というのがまさにセオーノという素敵な春の大瀬をひっくり返したライブを表しているようにも思えてしまうのです。だからこそ胸いっぱい〜のポップさが際立つといいますか、敢えて悪い言い方をすると、偽りの光といいますか、暗さを強調するための意図的に浮かせたような選曲にも見えてしまうのですよね。もちろんこのいつものサザンと違う雰囲気の中で1つの安心感といいますか、給水ポイントのようなある種のやさしさを持った1曲になったとも思います。

 

16.私の世紀末カルテ

17.愛の言霊~Spiritual Message

18.PARADISE

19.ブリブリ ボーダーライン

20.GIMME SOME LOVIN'~生命果てるまで~

21.開きっ放しのマシュルーム

22.マンピーのG★SPOT

23.みんなのうた

24.イエローマン~星の王子様~

 

後半パートは「私の世紀末カルテ」からスタートしましたね。各地ごとの替え歌と金原さんのバイオリンもあってある意味で一番原曲と離れたアレンジになったといえるのではないのでしょうか。個人的にはドーム公演というのもあったのか毎回野球ネタがあったようで嬉しい(?)。

そして「愛の言霊~Spiritual Message」「PARADISE」とおそらく制作時アレンジに試行錯誤で時間のかかったであろう(?)2曲続けてご登場でございます。…何と申しましょうか、この2曲の繋ぎは意味深な感じがありまして…。愛の言霊の「戦をしたり 罪犯したならば ぼくもまたそれを繰り返すのか」からの核をテーマにしたPARADISE、というのが偶然なのか意図的なのか…というまた絶妙なところを付いているのですよね。言霊と「二度と帰らぬ魂の叫び」というところもまたそういう繋がりを思わせてしまうのですよね。同時にある意味でYoung Loveというアルバムとさくらというアルバムの流れがここで重なったともいえるのかもしれません。

「ブリブリ ボーダーライン」から煽りコーナーという認識でよろしいのでしょうか。だとすると「さくら」のツアーの煽りが「世に万葉の花が咲くなり」に収録されている曲で始まる、というのも素敵ではありませんか(?)。ブリブリさんがさくら曲に挟まれているというのもまた。

はい、そこのあなた「開きっ放しのマシュルーム」先輩への歓声の大きさに戸惑わないの(?)。1997年年越しライブ「おっぱいなんてプー」でも披露と世紀末に思わぬ脚光を浴びたといえますでしょうか。一説では、1985年に大衆音楽取締法違反による実刑判決を受け、おっぱいなんてプーでようやく12年ぶりに娑婆に出た後セオーノで春の逢瀬を楽しんでいたとも言われております(?)。

一転して「マンピーのG★SPOT」「みんなのうた」と、ここは一見すると今までのサザン、とも取れるかもしれませんね。2〜3曲目のところでも書きましたが、いつも以上に客層に幅があったかと思いますし、そういったところを念頭に置いた選曲だったかもしれません。

しかし本編ラストに控えている「イエローマン~星の王子様~」を見ますと前座、といってしまうと失礼ですが、あくまで主役はイエローマン、というような立ち位置にいる気がするのですよね。ある種さくらとイエローマン、そしてこのセオーノというライブに呑まれてしまった感じがあるのですよね。特にマンピーさんは今の自由さを手に入れ爆走しているような雰囲気とは違う、ライブ定番だけどまだどこかキワモノでまだどこか抑制されている良い意味で立ち位置が定まりきっていないところがある今見ますと貴重なものだったりするのかもしれませんね。まあ「夏は魂だってYellow」ですから、単にイエローマンに変身するために必要な要素だったのかもしれません(?)。

そして本編ラストはそのイエローマン、あのサーカスのようなステージはサザン的ではありますが、同時にさくらワールドの締めといいますか、まさにさくらの狂い咲きといった感じもありますね。秋のさくらを春にリリースされたイエローマンがまたもう一度咲かせたといいますか、ツアー名を含め何か色々なものをひっくり返したり咲かせたり、あのサザンとしての時期と世紀末というタイミングにマッチした曲であり演出だったのかしら…と。

そういえば、イエローマンを始め、ブリブリ、GIMME SOME〜、みんなのうたと腕を動かす曲総動員でもありましたね。突き放すだけでなく、こういった形で客席側ともコミュニケーションを測っていこうとしていたのも寄り添う、とはまた違うニューサザンの新しい形を模索していた選曲だったのかもしれませんね。イエローマン発売当時、桑田さんが「この曲で東京ドームの5万人が腕を振る姿を想像しながら作った」というような内容の話をしていたのも、そこに繋がるものがあったのかしら…と今更ながらに思ってしまったりするのです。

 

En1.My Foreplay Music(5月9日の福岡ドーム2日目公演以降)

(3月24日~5月8日公演までアンコール1曲目は「ニッポンのヒール」)

En2.LOVE AFFAIR~秘密のデート

En3.希望の轍

En4.素敵な夢を叶えましょう

さてアンコールでございますね。ツアー前半のアンコール1曲目は「ニッポンのヒール」後半は「My Foreplay Music」と変わっていましたね。ニッポンのヒール先輩はその後ライブでは演奏させずということになってしまい、図らずともこのツアーで初披露された後輩(?)爆笑アイランドにそのポジションを譲った形になってしまいましたね。

「LOVE AFFAIR~秘密のデート」「希望の轍」の流れは後に、とはいえ定番となったLOVE AFFAIRと大定番希望の轍という、ここもいつものサザンという感じがありますが、アコースティック編成のライブ以外では意外と珍しいアコースティックアレンジのLOVE AFFAIRと新たに歌詞を付け加えた希望の轍という、普通にはやらない、というのが定番曲にアレンジを加えるからこそ、より新しいサザンを見せたいというのが伝わってくる感じがあるように思います。

ラストはアルバムの締めと同じく「素敵な夢を叶えましょう」。原曲の「秋」ではなく「暗い夜空にまたひとつ「春」が流れた」、ある意味ここでさくらというアルバムタイトルを回収したように思います。

 

さて雑に振り返ってみました。改めて見てみますとニューサザンを掲げつつも今までのサザンとニューサザンの狭間で非常に揺れていたライブ、ともいえるのかもしれませんね。

もしドームツアーでなくアリーナツアーだったら、もしくはアルバム発売直後の秋からスタートのツアーだったら、というところでも恐らくかなり変わっていたと思うのですよね。アルバムに収録もライブでは演奏されなかった「BLUE HEAVEN」「SEA SIDE WOMAN BLUES」「湘南SEPTEMBER」と夏というよりも秋よりの曲ですし、さくら(春)と秋の混沌がより示されたライブになったのかもしれませんし、一方でそうなるとイエローマンは誕生せず終盤も全体の構成自体もまた変わったかもしれないという、何と申しましょうか…夏のイメージで語られるサザンが「春」と「秋」という夏ではない季節に翻弄されていたそういった意味でも特異なライブだったといえるのかもしれませんね。



さて話は変わりますが、今日はサザンデビュー44周年の日ですね。こんな日にセオーノで良いのかとも思いつつ、「44」という数字とそういう空気の読めなさが私らしいと言うことにしてくだされば(?)。

改めましてサザンオールスターズデビュー44周年おめでとうございます。各ソロ活動を楽しみにしつつ、サザンのある日常を大切に楽しく過ごしたいと思います。

 

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022の桑田佳祐セットリストを雑に予想してみる

先週のやさしい夜遊びで桑田さんが「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022」に出演されることが発表されましたね。という訳で(?)またも懲りずにTwitterでやれ案件のセットリスト予想を勝手にやっていきたいと思います。

桑田さんソロですと、2002年は14曲、2017年は11曲ということでしたので、間を取りまして12曲で考えていきたいと思います。

ではまずは私の相変わらず冴えないセットリスト予想を載せていきたいと思います。

 

1.明日晴れるかな

2.SMILE~晴れ渡る空のように~

3.本当は怖い愛とロマンス

4.若い広場

5.OSAKA LADY BLUES~大阪レディ・ブルース~

6.東京

7.平和の街

8.MERRY X'MAS IN SUMMER

9.真夜中のダンディー

10.ROCK AND ROLL HERO

En1.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

En2.波乗りジョニー

 

さて、いらないでお馴染みの選曲理由を挙げていきたいと思います。

1曲は「明日晴れるかな」とバラードを持ってきました。過去のロッキン1曲目を見ますと、サザンを含めまして2002年希望の轍、2005年チャコの海岸物語、2017年悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)、2018年希望の轍、とチャコは流石にすかしにいっている選曲ですが、知名度もありイントロから盛り上がれる曲を持ってきていますね。…となるとそろそろ同じパターンにはしないのではないのかと…。ただフェスというステージであまりにもコアなものを先頭打者には考えにくいので、知名度はありますが、敢えて静かに始まるこの曲を…ということでございます。一応2008年の「石垣島ライブ」で1曲目というのがあったので全くないということはないと保険を付けていきます(?)。余談ですが「ヨシ子さん」と悩みました(?)(チャコ的な使い方として)。

2曲目は「SMILE~晴れ渡る空のように~」をこの曲も知名度重視ということもありますが、明日が晴れた後にここから未来を始めようという希望の(?)メドレー的要素も含みつつな選曲でございます。

MCを挟んで(と想像して)の3曲目は「本当は怖い愛とロマンス」。個人的にこの曲は世間のイメージする桑田佳祐、というものが詰まっているような曲と印象を持っていまして、そういったイメージの桑田佳祐を具現化するといいますか、1つここでそういった良い意味での分かりやすさを何かしら出してくるのかしら…と。

「若い広場」は長らくROCK IN JAPAN FESTIVALの会場となっていた茨城に思いを馳せて…的なあれです(?)(関係者としたらその思いはまた違うあれかもしれませんが…w(謎目線))。

からの「OSAKA LADY BLUES~大阪レディ・ブルース~」「東京」は開催地が千葉なのに他の地域を歌う曲をやるのかいメドレーです(?)。OSAKA LADY BLUES~大阪レディ・ブルース~は替え歌で「やっぱり関ジャニはベスト」的な(大阪なので分かりやすいお名前をお借りしました)他出演者を入れるのもよし(よし?)、「LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」」での替え歌のように「CHIBA LADY BLUES~千葉レディ・ブルース~」にするのもアリですね(?)。埼玉のアンサーソングとしても面白いかと思いますが、流石に内輪ネタ過ぎますね…。まああくまで妄想ですので…渋谷陽一さんごめんなさい(?)。

再びのMCを挟み新曲の「平和の街」を。この時までに新たな曲が現れるかも知れませんが、その場合でも新曲枠はこの辺りかしら…と。

ここからは煽りですね。KUWATA BAND枠として「MERRY X'MAS IN SUMMER」を。平和の街から「振り返れば雲の上で 神様が微笑むこの街」の街メドレーをやりたかっただけです(?)。また「この夏はもうこれきりね」という歌詞が真夏のフェスに合いそうな感じもありまして。一応「Act Against AIDS’98 オールリクエストショー」でも煽り披露があったので可能性として期待したいところです(?)。

真夜中のダンディー」「ROCK AND ROLL HERO」は分かりやすく桑田ロックナンバーを、というところですね。ポップな桑田佳祐とはまた違う渋さと格好良さの一面を終盤のここで放ち本編の締めとしたいと思います。何となく何処かに今の情勢を入れた替え歌パートを入れてきそうではありますが、ここは原曲ママで、というイメージでございます。

アンコールは「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」から。2002年に続いて演奏しないのかしら…と思わせてからの大将ご登場でございます、の流れです。2021年の「静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~」でアンコール披露があったので今回も、といったところでしょうか。

ラストは「波乗りジョニー」。確実に演奏する曲ではあると思いますが、サザンでの2018年の「勝手にシンドバッド」のイメージで同じくこのポジションに。放水が可能であるならここでこの曲しかないでしょう、という演出込みでの選曲ではありますが、何よりこのフェスの最終日で恐らくはトリを務めることになりますから、その締めとしての役割を担う曲としては適任なのかしら…と思ったりもしたのです。

 

といったところで、また下らぬ妄想雑文垂れ流しでございました。…とこんな雑文を呑気に書いている間にチケットの当落発表がありましたね。当選された皆様おめでとうございます。まだチケット抽選があるということで今回落選された皆様にもどうか運と縁が巡って来ますことを心から願っております…。

 

 

現代東京奇譚のライブにおけるポジションが好きなのよ、という雑文

現代東京奇譚、好きなのです…(のっけからレッツゴーボウリングみたいな一文ね)。

これまでライブでは、2008年「Act Against AIDS 2008「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」」と2012年「I LOVE YOU -now & forever-」の2度演奏されていますね。それが多いのか少ないのか…は今回置いておくとしまして、この2度の登場がまた絶妙な配置だったのでは…と個人的に思っておりまして、今回はその辺りを何とか言語化してみようと思った次第でございます。

 

まずはライブ初登場となりました「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」から振り返ってみましょう。

第1回ひとり紅白では45曲目、「いい日旅立ち」と「少女A」の間で歌われました。

何と申しましょうか…。この最初のひとり紅白は2回、3回とは少しだけテイストが違う、といいますか対決形式が、その後と比べると若干濃いめな感じがありまして…。

コーナーではなく個で見ますとその中で「現代東京奇譚はvsいい日旅立ち」という構図になっていますね。となりますと=桑田佳祐の対戦相手は山口百恵ということなのですよね。何と申しましょうか…。一人で紅白を再現する、というコンセプトの中で唯一自身の登場、というのがまだ当時ソロでの本家紅白出場をしておらず(後の2010・2017年に出演)、いい日旅立ちも本家紅白では披露されていない、というまさに「夢」の組み合わせとなっていますね。

またサザンのデビューから山口百恵引退までの時期が被ったのは約2年ほどで、雑誌「明星」の表紙で共演などといったことはありましたが、そのアイドルと学生バンド、というところで止まっていた時間が約30年の時が経ち、(勿論桑田さん一人での披露なのですが)リスペクトしつつも共に一人歌手として勝負しているような雰囲気を何処か感じてしまうのですよね…。

現代東京奇譚終了後に、当時のエイズの状況が映像で流れるというのが、「夢」から「現実」に引き戻されるといいますか、原さんと弘さんによる「3年目の浮気」で一度舞台裏へ下がった桑田さんがステージに戻ってきてのこの2曲披露でしたから、独立したコーナーとして強調されたところだったと思えてしまうのです。

後に持ち曲枠として、第2回の「おいしい秘密」が、ヅラ山田洋とクール・ファイブ(内山田洋とクール・ファイブ) feat.桑田佳祐という形で「東京砂漠」とのメドレー形式での披露、第3回の「100万年の幸せ‼︎」が「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」(あの繋ぎですと「ひこうき雲」も入ってくるかと思いますが)からの流れで、終盤の所謂煽りの中で1つ追悼コーナーでの披露、という趣きがあり、この2回がどこか1つの流れに組み込まれているように見える中で、第1回というある種の特殊性もあるのか現代東京奇譚は「個」としてどうしても思えてしまうところがあるのかもしれません。

そもそも、いい日旅立ちで歌われる道連れにする曲が実は現代東京奇譚だった、と思うとまた面白いといいますか、既に1つの物語という流れになっていたのかもしれませんね。

 

もう一つの演奏したライブである「I LOVE YOU -now & forever-」を振り返ってみましょう。

14曲目、「声に出して歌いたい日本文学」と「白い恋人達」の間で歌われました。

ひとり紅白がイベントのライブとすれば、ソロライブでの演奏は実質これが唯一ということになりますね。

何と申しましょうか…。このライブでの現代東京奇譚は何処か声に出して歌いたい日本文学という様々な日本文学の世界を覗いた組曲であり、約20分に渡る1つの物語のエンディングである種の続きとして並んでいるように思えてしまうのですよね…。もしくは近代史の作品から作られた世界から現代に引き戻す鍵といいますか、ある種のフィクション物語から現実に戻して来る、リアル(現在)の二面性といいますか、フィクションとリアルの狭間にいるのが、桑田佳祐であり現代東京奇譚である、といいますか…。

そんな現代東京奇譚という曲が、「闇の子供たち」という文学作品であり映画化の際に桑田さんへ主題歌の依頼があり作品を見た上で書き下ろした曲である、というのがまたどこかこの曲が日本文学の系譜に繋がっているようにも思ってしまいますね。故に声に出して歌いたい日本文学というI LOVE YOUツアーの中核であり、大きなチャレンジでもあった曲の次に持ってくる曲として選曲されたのではないのでしょうか。

 

桑田さん自身がどう思っているのかは分かりませんが、現代東京奇譚という曲はライブにおいて前後の曲に何を置くか、というのが難しめな曲だと思うのですよね。だからこそ、ここ一番(ひとり紅白で唯一の持ち歌披露)・曲のパワーが強い曲の後ろ(I LOVE YOUツアー)という限られた場面での登場、という役割になっているのかしら…と。

またこの2回の披露が、共に赤を基調とした服装に着替えてだった(ひとり紅白はいい日旅立ちから、ではありますが)のは偶然だったのかもしれませんけど、「愛し合う悦びを 誰かと分かち合い この命燃やすのは 赤い血の如き涙」のフレーズにある赤い血の如き涙をまさに桑田さん自身が表わしていたのかもしれませんし、もっと単純に紅白だから(ひとり紅白で中のシャツは赤と白だった)、次が白い恋人達で、まさに紅白を、という流れから冬(曲)に赤でサンタクロース、という連想だっただけなのかも知れませんが、どこかで現代東京奇譚のイメージカラーが「赤」になっていたのでは…と考えると面白いなあと思ってしまうのです。



とまたこう思ってはいるけど、書いてみるとやはりちゃんと言語化しきれていない雑文シリーズ(?)となってしまいました。

どうか、そういう事を考えてしまう程度には好きな曲なのね、と嗤って下さればと思います(?)(久々にこういう締めの文にしてしまった)。

 

1978年のヤクルトスワローズとサザンオールスターズ

「ハア 踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ…」

1978年10月4日、明治神宮球場は東京音頭の大合唱に包まれた。1950年に国鉄スワローズとしてスタートした、ヤクルトスワローズが球団創設29年目にして初のリーグ優勝を達成したのである。監督就任3年目となる廣岡達朗を中心に、松岡弘安田猛の左右のエース、「小さな大打者若松勉に「月に向かって打つ」大杉勝男、「赤鬼」チャーリー・マニエルを中心とした強力打線が球団の悲願を達成したのである。

8月26日から行われた首位争いを演じていた読売ジャイアンツとの3連戦を2勝1分とし、対巨人戦の勝ち越しを決めた。その後チームの勢いは止まらず9月に入り首位の座に付くとそのままゴールテープを切った。

その8月末、8月31日にある1組のバンドがTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」に出演した。「目立ちたがり屋の芸人です」という一言と共に歌詞の聴き取れない今まで聞いた事もないような歌を披露し、大きな話題を呼んだ。

スワローズの本拠地である神宮球場にほど近い青山学院大学出身であり、神宮の目と鼻の先にある場所にスタジオを持つビクターから「勝手にシンドバッド」でレコードデビューしたバンド、サザンオールスターズである。スワローズが破竹の勢いを見せるのと時を同じくして、一躍スターダムにのし上がったサザンは連日のようにTVに出演することになるのである。

 

スワローズが大きく変わったのには、監督に廣岡が就任したことが最も大きい出来事であった。1974年にコーチとして入閣した廣岡は、2年後の1976年に休養した荒川博の後を受け監督に就任した。「管理野球」とも言われたグラウンド内だけでなく、食事やプライベートと、グラウンド外の行動も監視し、選手を厳しく制限するなどの改革を行った

当然選手から大きな反発があったが、翌年の1977年には球団最高位となる2位に付けるなど、確実にチームは変わりつつあった。

この廣岡の流れはサザンのボーカルである桑田佳祐にも通じるところがあるのではないか。1974年に青山学院大学に入学し、音楽サークルに入り本格的にバンド活動をスタートさせた。様々なバンド名を付けていたが、1976年にはサザンオールスターズの名が生まれ、その後はこのバンド名で定着することになる。1977年にはヤマハ主催の音楽コンテスト「EastWest」に出場し、本選では入賞・桑田がベストボーカル賞を獲得し、レコードデビューの大きなきっかけとなるなど、どこかと似たような歩みをしているように思えるのである。

そして1978年の8月末、所謂夏の終わりという時期に両者は世間の注目を浴びるようになるのである。

余談であるが、130試合中129試合目にリーグ優勝を決めたスワローズであったが、同時に1つの記録が続いていた。この129試合目までシーズン完封負けがゼロという記録である。しかしシーズン最終戦に完封負けを喫し、記録達成とはならなかった。この完封を記録したのが、広島東洋カープ入団2年目の左腕投手大野豊である。この大野は1955年生まれと桑田らサザンのメンバーと同じ世代の若手であり、この後1998年まで長く活躍をすることになる投手だったのは偶然とはいえ、何か繋がりを感じてしまうのである。

 

リーグ優勝を果たし、迎えた日本シリーズは、パ・リーグ4連覇を果たし、日本シリーズも3連覇中と、当時最強のチームといえた阪急ブレーブスが相手であった。スワローズは本拠地である神宮球場大学野球との日程が重なる関係で使用できず、後楽園球場を使うということもあり、下馬評はスワローズの圧倒的不利という見方であった。しかしその予想を裏切り、シリーズは一進一退の攻防を見せ最終7戦目まで続いた。

10月22日、この7戦目で球史に残る大きな「事件」が起こる。6回裏、スワローズの4番打者大杉勝男の放ったポール際の大きな当たりがホームランと判定された。これを不服として阪急の監督上田利治が抗議を行い、この抗議が1時間19分に及ぶことになるのである。

後楽園球場のポール際の打球。これでもう一つのシーンを思い出す人がいるのではないのだろうか。1959年の所謂天覧試合で読売ジャイアンツ長嶋茂雄阪神タイガース(1959年当時は大阪タイガース)の村山実から放ったサヨナラホームランである。実はプロ入り前村山と上田は関西大学で同級生バッテリーを組んでいた間柄だったのである。そんな2人が後楽園球場のポール際の当たりによって大きく運命を変えることになったのである。

頭の良さ・卓越した野球理論を持ち知将と呼ばれる一方で、退場も厭わない猛抗議を行う熱血・激情家な面を持つ上田がこの時を振り返り「(抗議を終える)引き際を掴めなかった」と語り、一本気で全力投球の姿にどこか悲壮感が漂いザトペック投法と呼ばれ、マウンドで感情をストレートに出した村山が「天皇陛下の前で抗議など出来ない」と悔しさを抑え長嶋がホームに駆け抜ける横を通りベンチへ下がっていったシーンが、両者の一面の1つとはいえどこかイメージの逆な気がするのである。それがまた両者の運命を変える1つになったのかもしれない。

この球史に残るポール際の打球が放たれた2つの試合の日付がまた興味深く、天覧試合が1959年「6月25日」。そしてこの日本シリーズが「1978年」10月22日とサザンのデビュー日である「1978年6月25日」と年と日付が合うのである。勿論所謂こじつけの偶然ではあるが、コミックバンドという見方から、翌年のいとしのエリーのヒットにより正当派のバンド、という捉え方に変化した、というのも、もしかするとポール際の当たりのようにファール(コミックバンド)かホームラン(正当派ロックバンド)か(もしくは逆なのかもしれない)、というほんの少しの違いがその後の運命を変えてしまったことと似ているのかも知れない。

 

話を日本シリーズ第7戦に戻す。3-0とスワローズがリードしたままの8回、大杉に打席が回ってきた。この打席でブレーブスのエース山田久志から左中間スタンドにダメ押しとなる「文句なし」のホームランを打ち込み試合を決定付けた。この大杉の2本目のアーチが、サザンにとっては翌年のシングル「いとしのエリー」のヒットによってコミックバンドから「文句なし」の正当派バンドサザンオールスターズという見方に世間が変わっていった出来事にどこか重なって見えてしまうのである。

大杉の2本のアーチとその行方がサザンオールスターズというバンドの未来にも繋がった、といえば笑い話かもしれない。しかしポール際のホームランと勝手にシンドバッド、それがスワローズに日本一の栄冠をもたらし、サザンオールスターズが一気に世に出る大きなきっかけをもたらした。これだけは確かなのである…。

 

ヤクルトスワローズが日本一を達成した、約1ヶ月後の11月21日、桑田らと同世代である江川卓を巡る大騒動に球界、いや日本中が巻き込まれるのである…。そしてその大騒動の始まりもまた青山であった…。