適当文集

140文字でも書けそうな事を引き延ばして雑に書くところ

桑田佳祐LIVE TOUR 2022「お互い元気に頑張りましょう!!」の感想のようなものを(東京編)(ネタバレあり)

12月10日に東京ドームで行われました桑田さんのライブにうっかりこっそりとお邪魔してしまいました。その感想のようなものです。

タイトルにあります通り、今回もセットリストや演出等々について思いっきり書いておりますので、ネタバレを避けている方はご自身のネタバレ解禁まで見ないようにどうかお気を付け下さいませ…。

 

前回の宮城編も合わせてみていただけるとより違いが私の間違いが分かると思いますのでお時間がある方はこちらも是非…。

 

今回のツアー当初は宮城だけの予定でございました。しかしもう一度見たいと欲が出てしまったのですよね…。しかし横浜も東京の一般も縁が無く、旅は終わりかしら…と思っていた5日の午前中、ふとTwitterを開きますと、何と東京の一般チケットが復活しているという情報が。ツイートされていた皆様ありがとうございました。いつもは考えてしまうのですが、つい反射的に取ってしまいました。さあここからが大変です(?)。新幹線とホテルの確保等々(結局日帰りを選択)久しくしていないことをするのに色々と忘却しており多少手間取っておりました。

 

何だかんだで当日自分としては珍しく、行くのにも半信半疑ないつもの緊張とはまた違う変な精神状態で出発していましたね。

途中3年ぶりに関東にしかないチェーン店でチャーハンを食べるという一大イベントをこなしつつ(?)東京ドームへ。早速向かいましたは野球殿堂博物館。大分落ち着きました(?)。殿堂入りしている大好きなOB選手のレリーフ前に行くという儀式(?)を終えいざ東京ドーム内へ。

30分前に席に着くとあとはひたすら読書タイムでございました。そうしているうちに開演前アナウンスが今回はカメラが多めに入っているということ、やはり東京ドーム公演がベースになるのですね。

そして開演。今までで一番緊張していなかった気がします。

さてここからは100%ネタバレでございます。引き返すなら今です(?)。



1.こんな僕で良かったら

冒頭の雨、雷がかなり激しくなっていましたね。「東京」だからでしょうか(?)(場所と曲をかけたという意味で)どうやら他の公演もそうだったようですが、雷苦手おじさんとしては大変です(?)。

桑田さんが立つ近くのテーブルに飲み物を準備するなど、バーの店員さんの動きが細かくなっていましたね。

イントロが始まってからの桑田さんドアからご登場でしたね(前回の宮城ではどのタイミングだったか覚えていなかった)。…桑田さんの姿を見た瞬間また泣いてしまいました。私にとって、もうそういう方なのですね、ええ…。何と申しましょうか…。「こんな僕で良かったら」というタイトルとも結び付いているところもあると思うのですよね。

やはり中盤の一部がカットされていましたね。最初から最後までそう行くのでしょう。

歌終わりに桑田さん「酔っちゃった」、グラスを指して「牛乳ちょうだい」と、よりバーにふらっとやって来た人感を出していたように思います。

 

2.若い広場

今回は冷静に見れたと思います。2階の上の方から見ていたのですが、少し揺れている客席全体がよく見え、それが若い広場という曲のテンポ感や雰囲気と非常にあっているように感じました。「肩寄せ合い〜」がご時世的にまだ出来ない事もあり、その代わりに…というのとある種の一体感というものが雰囲気に載っていたのでしょうか。

「あの日観てた"サウンド・オブ・ミュージック" 瞼閉じれば蘇る」のところで眼を閉じたのですが、また色々とライブの事を思い出して泣きそうになってしまったので、慌てて眼を開けました(台無し)。

 

3.炎の聖歌隊 [Choir]

2階席ということもあったのか、若い広場まで殆どの方々が座っていましたが、曲が始まる前のovertureで皆さん立ち上がっていましたね。そういう立ち上がる為の準備としても、心の準備としても必要なのかしら…と。

金テープは大サビのところでパーン(前回間違えて覚えていたのでちゃんと確認したおじさん)でしたね。

2021年「LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」」でも3曲目でしたが、この時は1・2曲目がギター持ちで、今回はスタートからハンドマイクでその流れのままというのが、何と申しましょうか、去年のまだ客席との距離間の迷いもあったでしょうし、1つ装備として、そして自らギターを弾くことによってよりメッセージを伝えようとするものがあったのかな、と思うのですよね。今回はそういう装備を外した上で演出を前回よりも前面に出したような感じを受けました。

 

MC

原由子の夫です。は周りの女性の方々が声を出して(本当はよくないのでしょうけど)笑っていましたね。すぐ終わります、28分くらいで終わりますと具体的な数字を出しておりましたね。

 

4.MERRY X'MAS IN SUMMER

鈴の音からのこの曲の流れはそのままでしたね。サポートメンバーの方々もキョロキョロしているあの感じが好きです(?)。

上から見れたので、サンタさんとトナカイさんの動きがよく見えました。終盤ソリを乗り捨てて(?)ステージ裏に消えた時はどうしょうかと思いました(?)(当たり前ですがすぐに戻って来ました)。

12月に聞くこの曲は当たり前ですが、クリスマス寄りに聞こえ、また宮城の時とは違う感じを受けましたね。よりこの曲が大好きになった瞬間でもありましたね。

そういえば主に使われていたライトの色が赤と緑だったのは、サンタとクリスマスツリーだったのかしら…と今更ながらに。

 

5.可愛いミーナ

大好きな曲が続く流れだったこともあり、敢えてモニターを見ずにステージの方を注視していましたね。よく米粒サイズと例えられますが、私には柿の種サイズくらいにはステージの皆様を感じておりました(?)。そういえば双眼鏡を持っていた方が周りに何人かいましたね。ドーム周辺で900円で売っている方がいましたが、あれは訂正価格だったのでしょうか。

ラストの「サヨナラしたのは〜」はやはりカットでしたね。まあきっとカットしたのも「気まぐれのせいさ」なのでしょう(?)。

この曲のライトは紫でしたが、前に演奏されたMERRY X'MAS IN SUMMERがKUWATA BAND名義の曲でこの曲では「タバコの煙が目に沁みただけさ」というフレーズがありますから、その2つを合わせた(?)「スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)」の「ムラサキの煙にゃ口説かれた」がイコールとしてこの曲での色の採用になったのかもですね(?)

 

6.真夜中のダンディー

間奏のギターを弾く前に後ろを向いていた中さんがクルっと客席を向いてからギターを弾き始めるあの流れ格好良かったですね。

アウトロからの桑田さんのギターソロのところは宮城よりも明らかに何かしらの曲を弾いている感がありましたがあれはそうなのでしょうか…?。誰かツアー終了後に夜遊びに投稿して下さい(?)(他力本願)。

曲終わりに近くにいた方が「クローズアップ佳祐とおんなじや」(関西の方のイントネーションでした)と一言。次からちょいと変わっていくのでお待ちを、と心の中で返しておりました(?)。

 

7.明日晴れるかな

MCで28分くらいで終わります、と言っていましたが、ちょうどその時間に当たる曲がこの曲ですから、信じてしまう方は本当に終わりかと思いそうと考えておりました(?)(多分そんな人はいない)。

ラストの「明日晴れるかな~」のところで両手を広げて念を送るように音に合わせて手を動かしている方の姿が見えまして、ただあの部分を歌いたい、というだけでなく声に出せない思いを伝えようとしているのかしら…と。

最後、歌い終わった桑田さんが拳をグッと握りしめて掲げていたのがとても印象的でしたね。

 

8.いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)

ここまでライトやモニターの映像の色がほぼ被りなく使われていて(勿論そういう演出なのでしょうけど)、遠くからの視覚的にもほう…となっていたのですけど、明日晴れるかなのオレンジ(朝日(夕陽?))からこの曲の青を基調としたステージの色への変化が個人的にとても良かったのですよね…。曲調から感じます、明日晴れるかなの温かさといつか何処かでのクールさとの対比とも見えて素敵だな…と。

間奏の曽我さんが弾かれていたキーボード(シンセ?)がまた良かった、といいますかよりクールさが醸し出される要素になっていたのかしら…と。

 

9.ダーリン

さて大好きな愛のささくれ先生…と思いきや、なんとダーリン先輩が。どうやらツアーの途中から変更されたようですね。これは恐らく愛のささくれ大好きと言っておきながら、宮城も東京も日帰りとホテルもカラオケルームも押えていなかった私に責任がありますね(?)。猛省致します(?)。

2曲バラードが続いたこともあるのか周りは割と座っていらっしゃる方が多かったのですが、ダーリンのイントロが始まった瞬間、立ち上がる方がそこそこいらっしゃったのですよね。そういう曲ではありますが、愛のささくれですとそうはならないではないですか。流石に3曲座ったままで次の「NUMBER WONDA GIRL~恋するワンダ~」がこのブロックでは激しい曲になりますし、その前のクッションでありある種の「間」としてはあの反応を見るとダーリンの方が良かったのかな…と。

またアンコールでは日替わり枠でしたが、冬の曲ですし12月仕様のセットリストと考えるとよりハマっている感じもありましたね。

桑田さんがカメラに近付いて歌っている所がありましたがモニターには映りませんでしたね。放送・映像化までのお預け、ということでしょうか(?)。

この位置での披露は初でしたね。2011年の「ライブ in 神戸&横浜 2011~年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会~」14曲目の披露でしたし、ライブタイトルに「元気」が付く時のダーリンさんはちょいと出番が早くなる傾向が生まれそうですね(?)。

 

10.NUMBER WONDA GIRL~恋するワンダ~

曲が始まる前のovertureを誠さんが弾いてきたのですが、赤いスポットライトと誠さんの白い衣装が相まって、この時の赤く染まった誠さんがいつもの雰囲気とは違っていてまた格好良かったですね。

2番だったでしょうか。「女 Magic」の「Magic」がとても「赤い炎の女」の歌い方に近い歌い方をしているところがありまして(私が感じただけかもシリーズ)、赤いステージも相まって一瞬混乱しかけた私でございました(?)。

 

11.東京音頭〜 SMILE~晴れ渡る空のように~

ここの枠、東京はどうなるのかしら…と思っていたところ「東京音頭」でございましたね。そういえば曲が始まる前桑田さんから「お手拍子を」(この言い方がまた素敵ですよね)とありましたが、こちらも毎回言っているのでしょうか…?。

野球好きでもありますので、曲に合わせて傘を振る動きを少しだけやりつつも(東京ヤクルトスワローズの応援ですね)、もう1つ50~60年前の話でございますが、「東京音頭」が使われていた球団である東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に思わず思いを寄せておりました。しかも私の一番大好きな野球選手がこの時期のオリオンズに在籍しており、このライブの前に野球殿堂博物館レリーフを見に行っており(時間があれば必ず見に来ております)、この瞬間だけ、ここは東京ドームではなく東京スタジアムだ…となっておりました。さて野球話はここまでにしておきましょう(?)。

東京音頭からのSMILEでしたが、多分ですが東京音頭中にモニターに使われていた東京の写真の空がどれも青空だったのですよね。その流れが何となく印象に残っているのですよね(最後の方に出たスカイツリーの写真のイメージが強いだけかと思いますが)。

ライブでは東京で初めての演奏になりましたね。もしかすると2年前に国立競技場で披露される可能性もありましたし、どっちが良かったというのではなく東京五輪に向けて作られた曲を東京の地で聞けたというのはまさに「長きこの地球の 歴史の一幕に立ち会う事を 奇跡と呼ぶのだろう」なのかな…と。そういえば東京オリオンズ東京音頭を応援に使うようになったのが1964年と奇しくも最初の東京五輪が行われた年だった…というのも偶然としては出来過ぎていますね。

 

MC

メンバー紹介がありましたね。カースケさんのところではドラムを叩きながら「ラララ~」と勝手にシンドバッドを。桑田さんも思わず「砂ま…」と歌いかけていましたね。

曽我さんの早引きは若々しいプレイを、に変わっていましたね。

 

12.鏡

前回の感想にも書きましたが、ほぼ誰もお手拍子(すぐ使う)をしていないのが改めて鏡で手拍子は控えて欲しいというのが浸透しているのね…と思った次第でございます(?)。

「Soulコブラツイスト〜魂の悶絶」でも吹いてはいますが、やはりギターを持ってアルバム「孤独の太陽」収録曲のハーモニカを吹く桑田さんは良いな…と。何故かあの瞬間だけあの1994年の匂いがするのですよね(その時まだ知らなかったくせに何を)。

後ろのモニターには1羽の鳥が空を飛んでいるアニメーションぽい映像が流れていたのですが、最後三日月に向かって飛んでいくので、「啼きながら鳥は何処へ帰るだろう」というフレーズもありますし、「月」に繋ぐ演出なのでは…と前回の感想に書き忘れていたのでここで記しておきます(もちろんそんなことはなかった)。

 

13.BAN BAN BAN

次の曲を含めてどのタイミングで曲名テロップが出たかが記憶になかったので、改めて確認したのですが、歌い出した瞬間でしたね。そういえば「Play rock!~」のくだりがなかったのは(もう前からやっていなかったかと思いますが)バンド(ロック)ではなくアコースティックスタイルだったからにしておきましょう(?)。

あと前回は「あれ?」くらいに思っていたのですが、最後のサビの繰り返しが2回になっていましたね。どこか一部をカットしたのとはまた違うので後々振り返った時に何となく気が付いたのですが、まだまだ修行が足りないと思った次第でございました(?)。

 

14.Blue~こんな夜には踊れない

こちらは歌い出し前と曲名テロップが出るのが早かったですね、アコースティックアレンジという形故に歌い出しまで曲が分からないというのがあると思うのですが、敢えて2パターン、曲名同時出しと先出しがあったというのは、どちらが良い・良かったは別にしまして、客席側の反応の違いを持ってきたいというのもあるでしょうし、こちら側としてもその先にあるかないかで自分自身がどう反応し、対応するのかが変わってくるというのも身をもって体験出来たのがまた面白い経験だったとも思ったのですよね。

あとですが、ドームという形と2階席という離れた場所故なのか、歌が少しやまびこ(輪唱っぽく)みたいな聞こえ方をしていたのですよね。それがアコースティックという歌が寄り聞こえやすい環境の中で、Blueの歌い出しからしばらくの間のそのやまびこ的エコーがとても心地よかったのですよね…。これは現地の恐らく限られた場所でないと分からなかったものでしたから、現地に来てこの席で本当に良かった…としみじみしつつ聞いておりました。

終盤ダンサーさん同士の絡みの映像の中にトランペットを吹くすがちんさんの映像が組み合わさっていましたが、バツ4(バツ2)の方とあの絡みの映像と考えるとちょっと面白いな、と思ってしまった事を懺悔しております(?)。

 

MC

宮城のように伊集院静先生の…というくだりはなく、ベストアルバムから新曲を2曲続けてと短く話されておりました。

 

15.なぎさホテル

ステージ正面の左右2つと一塁側、そして三塁側にも見えるようにモニターが付いていたのですけど、正面のモニターがMVの感じの少しレトロな8ミリフィルム感があるのに対して、一・三塁側(私は一塁側にいましたので三塁側について正確には分かりませんが)は場所かモニターの関係なのかクリアに見えていたのですね。ちょうどその2つのモニターがはっきりと見える場所だったので、敢えてステージではなくモニターを中心に見ていたのですが、感じ方が違ってくるのがまた興味深かったですね。

何と申しましょうか…。「過去への旅から僕は戻れない」というフレーズがありますが、正面のモニターがまさにその過去の物語を映しているように見える一方で、両端のモニターはその過去を見て(思って)今現在で歌っている姿のように見えたのですよね…。環境の違いで見方・聞こえ方が変わるというのがよくあると思うのですが、それを2つ同時に感じられたというのが、不思議で面白い経験だったと思います。それを新曲で感じられたというのも今後なかなか無いのかしら…と。

 

16.平和の街

私、新曲が発売されると基本的にしばらくそれしか聞かない+サザン関係だと覚えるまで何度も歌うというルーティンがあるのですが(どうでもいいお話)、ある時不意にラストの「いつの日か 大好きな人に巡り逢える Someday 平和の街で 共に生きよう」が「いつの日か 大好きな人に巡り逢える まで 令和の街で 共に生きよう」と聞こえてしまった瞬間がありまして…。今回は敢えてその聞こえてしまった方のつもりで聞いてみたのですが、より現在(いま)の歌という感じになったのですよね。またステージに居る大好きな人に逢えるまで令和の時代を生きようと…ね。

今回「明日へのマーチ」がお留守番となってしまいましたが、この曲の「明日を憂い」が「明日をフレー」に聞こえた瞬間がライブ中にありまして、「明日へのフレー!!フレー!!」を代わりに歌っているのかしら、と思ってしまったのですよね。

あともう1つライブにおける令和版「祭りのあと」になりそうな曲という感じを受けたのですよね。いつかライブの締めで歌われるような、そんな曲になりそうな気がしました。

 

17.現代東京奇譚

広いドーム球場だったこともあり、あの赤いライトのインパクトがより増したように感じましたね。そして見ている途中に気が付いたのですが、タイトルに東京と含まれているこの曲ですが、今回が東京の会場で初めて演奏された瞬間でしたね。この曲もまた大好きな1曲でございましたので、その凱旋公演(?)に立ち会えたのは運が良かったわね…と。

モニターを見ずにただじっとステージだけを見つめていたのですが、最後の最後、アウトロも終わるくらいのタイミングで隣の席の方が天井を指差して同行者の方に何かを伝えようとしていたのが見えたのですよね。私も釣られて思わず天井を見上げたところ、天井を赤いライトの光が数本這うように動いていたのですね…。あの東京ドームの天井の作りと相まってまさに「この命燃やすのは赤い血の如き涙」の涙を表しているようで、背中がゾクゾクするような衝撃がありました。ライトの当たり方だったりでの偶然の産物だったのかもしれませんが、現代東京奇譚を歌う東京の真ん中で東京ドームの天井が赤い涙を流していたあの光景は多分忘れる事はないのだろうな…と。

 

18.ほととぎす[杜鵑草]

1番と2番の間が短くなっていたような…。1番終わりに拍手が起こったと思ったら、その拍手をかき消すように2番に入っていったのが、とても印象に残っていますね。

また間奏終わりにあったライトの点灯がなくなっているなど、ステージを見せる・聞かせる演出になっていましたね。

ベストアルバム「いつも何処かで」が、今桑田さん自身が聞きたい歌という考えで選曲されていて、その中にこの曲も収録されている訳ですが、それとこの演出を見るに桑田さんにとってこの曲は今特に聞いて欲しい1つである、と解釈し最後は余計な事を考えずただ聞こう…と。

 

19.Soulコブラツイスト〜魂の悶絶

ふと思ったのですが、曲に入る前のovertureの頭の音がちょっと「ゆけ!!力道山」のライブでの音っぽさがありまして、プロレス繋がりなのかしら…と。同時に「炎の聖歌隊 [Choir]」の時と同じくここで盛り上がりますよ、という分かりやすい道しるべがライブタイトルの「お互い」にもかかっているのかもしれませんね。

ラスト炎が出る場面で、炎が出る筒に近いところにカメラマンさんがいたのですが、微動だにせず淡々とカメラを回していた姿がプロだなあ、とちょっと違うところに意識が行ってしまっておりました(?)。

 

20.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

イントロが流れた瞬間、「おお」という声は出せないけど思わず出てしまった、というような響めきがあり、同時にほぼ総立ちになっている流れを見て、ライブにおけるこの曲の立ち位置といいますか、ライブで外せない1曲になっている理由の1つなのだろうなと今回とても感じた瞬間でもありました。

この曲だったでしょうか。桑田さんがハイキックをしていていやはや…視覚も頭も完全にノックアウトでございました。

 

21.ヨシ子さん

モニターにあの怖い子供のかぶり物をした方が映った瞬間に、前の席にいた女性が驚いた表情で隣の席の同行者の方にリアクションをしていたあの横顔が頭に残ってしまっております(?)。私は2回目なので多少耐性がありましたが、初見だとびっくりですよね。何だかんだ私もまだ怖かったもの(?)。宮城の時は気付いてなかったのですが、あの子供様たち増殖していたのですね。うん、やっぱり怖い(?)。

でもやっぱり曲としてのヨシ子さんが好きだから許してしまうのよね。

ラストの替え歌パートは浅草やアメ横と場所は出てきましたが、その後は円安・ウクライナと今年も色々ありました、などとご当地食べ物ではなくご時世ネタが使われていましたね。そして最後は「みんなでシェー」と。桑田さん「シェー」好きですよねえ。私は「おそ松さん」のシェーをするキャラクターであるイヤミの中の人が大好きなので、桑田さんのシェーを見ると少し嬉しくなってしまうのです…。

 

22.真赤な太陽〜波乗りジョニー

桑田さんの口調が変わったと思いきや、モニターには「※ある人が降りてきています」。桑田さんの胸元には「ひばりちゃん」と。やはり伝わりにくいと思ったのか、かなり分かりやすくなっていましたね。伝わるのが早い方がいいのはもちろんだと思うのですが、個人的には考える余地がある方が好きなのでちょっと優し過ぎるのかしら…と。

客席とのやり取りの中で回答が遅いと大阪や名古屋ではすぐ返ってきたと突っ込んでいましたね。また松山千春は何と呼ばれているか知っている?であまりにもストレートな回答をされて桑田さんが思わず吹き出していましたね。一方で同じ方だったと思うのですが、桑田さんの一言一言に反応しすぎて、桑田さんから注意されてしまうところもありましたね。次何言うか忘れちゃった、と笑いに変えていたのは流石でしたが。

波乗りジョニーに入ってから胸元のひばりちゃんをダンサーの方に剥がされていましたね。多分いくみさんだったと思うのですが、Soulコブラツイストの時に出てくるマスクマン以上にプロレス的絡みをしていて逆では…と思うくらいには冷静でした(?)。一方で前回の感想にも書きましたが、マリリン・モンロー風ダンサーさんを東京ドームで見てしまいますと、野球殿堂博物館ジョー・ディマジオゆかりの野球グッズを取りにいってステージに上がりたくなる野球の血が騒いでもおりました(?)最後のすがちんさんトランペットからのズコーの流れ、私は割と好きだったりします。

本編はここで終了。すぐ戻ってくるといいつつ、いつもよりも遅かったような気がします(?)(あくまで気がするだけ)。アンコール待ちのちょっと前方の席の方でスマホでライブのセットリストのネタバレサイトを見ている方を発見するなど、何か今回は色々と遭遇しておりました。

 

En1.ROCK AND ROLL HERO

ステージに戻ってきた桑田さん。ここは日替わりでして…と「あいみょんマリーゴールドを…」をひとボケ。片山さんが耳元に手を当てて「はい?」というポーズをしていたのが見えてニヤっとしておりました(?)。続けて「ゆずの栄光の架け橋を…」と。がらくたツアーでも同じネタをしていましたね。

ボケをかましつつ始まりましたはこの曲でした。始まる前か演奏が始まってすぐだったのかは確認出来ませんでしたが、いつの間にか誠さんと中さんの位置が変わっていましたね。終盤には戻っていましたが、途中3人が並ぶ時に、桑田さんから見て右側に誠さんがいるあの並びはかなり珍しいなと思って見ておりました。他の公演もそうだったのでしょうか…?。

ここの選曲、宮城でのアンコール1曲目「過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)」と変わっていましたね。過ぎ去りし日々には歌詞「TOP OF THE POPS」と2002年に発売されたベストアルバムのタイトルが入っていますが、その曲の代わりに同じ年にリリースされたオリジナルアルバム「ROCK AND ROLL HERO」のタイトル曲が入るというのが、2002年の裏表を20年後に再び再現している感があってとても興味深く面白いと思ってしまうのです。またヨシ子さんの替え歌で出てきました「円安」もこの曲の「円で勝つ夢は~」のフレーズにも実はかかっていたりしたのでしょうか…。

 

En2.銀河の星屑

イントロが流れた瞬間、悲しい気持ち以上の響めきが起こっていましたね。バイオリンの方(主に金原さんですが)がいないこともあり、演奏するのが意外、という反応だったのでしょうか。

バイオリンの部分は中さんがギターで再現されていましたね。ロック色が強くなったといいますか、ROCK AND ROLL HEROからの流れからとても綺麗にハマっていたと思います。2020年の「お家でRADIO2~竿だけ一本勝負!!~」では原さんがキーボードで再現していましたし、今後新たな形態が出てくる可能性がありますし油断はできませんね。まだまだ銀河の星屑になってはいけないようです(?)。

しかしアンコールの2曲ですが、宮城での「過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)」「ダーリン」の流れの方が(次を含めて)年末感がありますし(過ぎ去りし日々=内田裕也=New Year Rock Festival、という連想で)、逆感があるのもまたらしいといえばらしいですね(?)。

 

En3.白い恋人達

12月に聞くこの曲はやはり特別感がありますね。今回は前の2曲が盛り上げる曲だったこともあり尚更「個」としての存在感が強く出ていたように感じましたね。

間奏のコーラスをサポートメンバーの皆様全員がしているあのシーンがとても好きなのですよね…。

ラストの「涙~」の部分はやはり短くなっていましたね。その分その後のシャウトが強くて強くて…。このラスト1つ前だからこそ出来る・聞けるシャウトなのかも知れませんね。

 

En4.100万年の幸せ!!

腕利きのミュージシャン達です。でも最後大丈夫かな?としっかり桑田さんが振ってからのスタートでした。2階席から見ますと皆さんの足元にポンポンが置いてあるのが分かりました。あと比較的モニター無しでも見えたのが誠さんだったのですが、誠さんのギターを弾く動きが弾いていないな、という動きをしていて、皆さんちゃんと分かりやすくやっていたのだなあと今更ながらに思っておりました(?)。

最後桑田さんを初め、サポートメンバーの皆さん、ダンサーさんが総登場するというのが、このチームでやっています、というのをこのラスト曲で改めて示しているというのが良いなと。そういう要素も含めてだからこの曲で締めなのだな、と一人納得しておりました。そして最後にまた涙…。

 

そしてライブは終了。今回も会場に流れる曲は「時代遅れのRock'n'Roll Band」。曲中、水道橋駅から帰る人ー。私は後楽園の地下鉄で帰ります、というやり取りがありました。口パクモノマネは2番の佐野元春さんパートをギターを弾く動きと共にやっていましたね。

最後に悲しい別れもありました。最後に猪木さんの気持ちいいやつやっていいですか、と「1.2.3.ダー」で締め、時代遅れの曲終わりと共に綺麗にステージから下がっていきました。



規制退場を待ちつつ頭の中では「幸せだった」と…。

今回思い切って、後のことを考えずライブに来ることを決断して本当に良かったと思いました。

何と申しましょうか…宮城終わりの色々な想いが綺麗に洗浄された感じとはまた違う幸福感があったのですよね。前回色々な想いに決着を付けた後のエキストラゲームのような感覚がありました。まあ何と表現しようとも結局は「良かった」の四文字に集約されてしまうのですが…。

 

最後に桑田さんを初め、サポートメンバー・ダンサーの皆さん、そしてスタッフの皆様、本当にありがとうございました。またひとつ大切なものを頂いてしまいました。

まだ横浜はどうなる、どうするというところではございますが、また「いつも何処かに」いらっしゃる皆様に逢える日を楽しみに日々を過ごしていくつもりでございます。

 

では、いつか何処かで…。

 

 

桑田佳祐LIVE TOUR 2022「お互い元気に頑張りましょう!!」の感想のようなものを(宮城編)(ネタバレあり)

11月3日に宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで行われました桑田さんのライブにうっかりこっそりとお邪魔してしまいました。その感想のようなものです。

タイトルにあります通り、セットリストや演出等々について思いっきり書いておりますので、ネタバレを避けている方はご自身のネタバレ解禁まで見ないようにどうかお気を付け下さいませ…。

毎回のことではありますが長いです。

 

今回久しぶりにライブにお邪魔することになりました、最後が2020年2月16日だったので、大丈夫かしら…と不安の方が大きかったですね(主にトイレやトイレとか(頻尿おじさん))。サザン・桑田さんのライブに1人でお邪魔するのも2017年「LIVE TOUR 2017 「がらくた」」の新潟公演以来でしたから、お久しぶりの重なりがまた多かったですね。

会場には車で向かいました。考える時間が増えるのは嬉しいですが、反面考えすぎるが故の…ね。

数時間後無事に会場へ到着。駐車場に入る際に前の車がフォルクスワーゲンでCMしていた会社の車を買うなんて流石です、となりました(?)。

駐車場から会場へ。まずはトイレです。1番遠いところに行きましたよ。空いていて良かった(?)。その道中、おそらく地元の方なのでしょうけど黄色いジャンバーを着たおじいちゃんが自転車で走って行くところに遭遇してしまうという…wいつも何処かでとはそういう意味だったのですね(?)。

後は会場に入るだけ、なのですがしばらく躊躇してしまいました。ここまで来てまだ覚悟が決まっていなかったようなのですよねえ…。情けない話だよ(I Love Youはひとりごと風に)。自分の気持ちを改めて整理し、いざ入場列に。電子チケットは初めてでした。初めてのキャンですね(?)(声優さんのラジオネタを出すんじゃありません(ここで書くなら投稿しなさい))。

さてここからは会場内の話になります。ネタバレをしたくない方、今ならまだ引き返せます(?)。

 

会場内へ。いつもは上手側の席になることが多かったのですけど、今回は下手側の席でしたね。視点が変わるとまた見方・感じ方が変わるのかしらと思いつつ着席。

今回の会場内BGMは日本の曲でしたね。着席した後ちょうど「大空と大地の中で」が流れたのですが、近くにいる方が「(中島)みゆきとか(松山)千春とかそういうのが流れるね」と物凄くナチュラルに名前で呼んでいて「友達みたいにいいますね」と心の中で突っ込んでおりました。

開演5分前のタイミングでしょうか。急に泣きそうになってしまったのですよね…。始まる前にこれはどうしよう…となっていたのですが、ちょうど良いタイミングでハイテンションお姉さんご登場で助かりました(?)危うく情緒不安定なメンヘラおじさんと思われるところでした(?)。

 

いよいよ開演。私はどうなってしまうのか…。



1.こんな僕で良かったら

開演と共に中央のモニターには雨の映像が。そして「若い広Bar」の文字。雨音がバーで流れるような音楽に変わり、上手にバーテンダー、下手にお客さんが。夷撫悶汰的な演出かしら…と思いつつ、布に包まれ置かれていた扉が姿を表わしていましたね。これはもしかして…と思っていたところ、イントロが流れ扉から桑田さんが。もしかしてと思いつつも、あの扉が飾りだった可能性も考えて扉を見つつもステージの両端もチェックしていたのは私。

ライブでは2021年「静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~」以来ですが、有観客という点ですと2011年「ライブ in 神戸&横浜 2011~年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会~」以来11年ぶりとなりましたね。このライブと今回と「元気」というワードが共通していて、ライブのアンコール1曲目からライブ1曲目というのもどこか繋がりを感じてしまうのですよね…。

個人的にサザンが本格的に好きになったのが、2006年で翌年のCMソングとして過去の作品ではなく、初めて桑田佳祐の新曲として触れたのがこの曲だったので、久しぶりのライブでそんな曲とお逢いすることが出来たのはとても感慨深いものがありましたね。

「お気の済むまで泣いてけよ」のところは「今日は最後まで付き合って(今宵は、だったかもしれません(早くも失念))」と替え歌がされていましたね。

2番の「どうか許されるなら~夢拓く彩か虹を見る 愛のリズム」のところはカットされていましたね(2番頭のところは歌っていたような気も…)。

何故曖昧なのかといいますと、私の記憶力の悪さはもちろんなのですが(それが9割以上を占めている)、桑田さんがステージに現れた瞬間耐えられず涙が出てきてしまったのですね…。どうやら開演5分前の発作(?)は正しかったようです(?)。こういう時、「泣いていたらステージが見えない」「涙を拭くために眼鏡を外してしまったら尚更」と先に考えてしまう辺り、冷静なのか何なのか…。

実は5年前にも開幕涙というのが別な方ですがありまして、やはり当たり前なのですが、私にとって特別な人なのですね…と。

そんな方から「こんな僕で良かったら」…。あなたでなくては駄目なのですよ…。

 

2.若い広場

バーの店名の通り演奏されましたね。ああいう形だったので、ストレートにそのまま1曲目、では無く2〜3曲目に演奏かしら…とは思っていましたが。

バーという設定がどこかMVの歌声喫茶と重なる部分があり、そういったところが1曲目の演出に繋がるところがあったのでしょうか…。

正直に申し上げますと、この辺りまではまだ泣いていましたので、冷静でいたつもりではあったのですが記憶が断片的なのですよね…。そして1つ覚えているのが、金縛りにあったかのように腕を振ることも手拍子をすることすらも出来ない、ただステージをじっと見つめることしか出来なかったのですよね…。これも今までにない体験でした。

 

3.炎の聖歌隊 [Choir]

イントロ前のovertureは去年の「LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」」と同じだったでしょうか。その時と同じ3曲目に演奏されましたね。イントロと共に金テープがパーン(大サビのところでは、というご指摘を頂きました。忘却おじさん案件(?)失礼致しました)。

「Woo 目を閉じて 愛しい人が呼んでる」のところでは本当に目を閉じておりました。

この曲について今までのイメージとしましては、如何にもライブの為にという曲ですから、ライブ会場でファンに、というのも勿論ですが、コロナ渦の中ライブに向かう桑田さん自身を奮い立たす為の1曲、というのが去年のリリースからのライブ、というタイミングもありましてそういった感覚が強かったのですが、こうライブ会場で実際に触れてみますと、奮い立たせる曲というよりも桑田さんとファンの皆さんの思いを繋ぐ曲、という印象を強く受けたのですよね…。

正直に申し上げますと、今までこの曲は何処か絵空事のように聞こえていたのですよね…。私がそういったことを過剰に考えてしまうのもあると思うのですが、去年のビッグマウスツアーで聞いた方と聞いていない方では受け取り方が変わる曲という感じがあったのですね。辛い、とは違いますが、何か1つ引っかかる物を持っていたといいますか…。

今回聞くことが出来まして、リベンジというと違いますが、何か肩の荷が下りたようなそんな気がしました。

 

MC

最初のMCコーナーです。「原由子の夫です」と。またまたご冗談を(?)。なかなかなストレートを投じてきましたね。サザン含めてライブ初めての人と聞いたり、最早恒例といえます、1日目は適当にやりましたw今日が本番です的冗談も飛ばしていましたね。

波乗りの歌はやりませんという発言に対して拍手があった時に「それはどっちの拍手?」と聞き返していた桑田さん。1日目はどうだったのでしょうか。

 

4.MERRY X'MAS IN SUMMER

MC終わりに何か聞こえる。と桑田さん。鈴の音から始まったのはこの曲でした。

私この曲大好きなのですよね…。毎回ソロライブになりますと、個人的に聞けたら嬉しい曲に常に入っているのですが、今回ついに…でしたね。ちょうど涙も落ち着き、ようやくライブにしっかり向き合える状態になっていたので、尚更嬉しかったのかも知れません。

女性サンタさんとトナカイさんが2匹(お2人?)ご登場されていましたね。そりを引いて桑田さんの前を通り過ぎていくあのシュールさ好きですよ(?)。往復していましたが、下手から上手に移動し、裏に戻る際、トナカイさんがぺこりと頭を下げていたシーンがどこか愛おしいかったですね(?)

ジングルベルを最後に歌っておりましたね。歌詞もしっかり出てきたのは流石でございます(?)。

 

5.可愛いミーナ

続いてまた大好きな曲が。個人的にライブで聞いたのは2012年の「I LOVE YOU -now & forever-」以来10年ぶりでしたね。そういえばこの時も宮城のこの会場でした。

1番好きな曲、と聞かれて答えるのはこの曲になりますでしょうか。また2006年の話になってしまい恐縮ですが、サザン・ソロのCDを集めていた時期、CDショップで「東京」のシングルを見つけ購入しました。その時初めてこの曲を聞いた時に一聞き惚れしてしまったのですよね…。その時の衝撃といいますか、「この曲はずっと好きであり続けるのだろうな…」という感覚が今もそのまま残り続けているのですよね…。

この曲で桑田さんが初めてギターを持っていましたね。

ラストの「サヨナラしたのは~」からはカットされていましたね。「本気の恋だった Ah,ah…」で終わりというのが、その後に続く「サヨナラしたのは 気まぐれのせいさ」とある種未練があるフレーズがないことで、綺麗な恋だったのかしら…とまた違った印象を受けましたね。もしくはアンコール披露が多い曲ですから、序盤で「サヨナラ」したくなかっただけなのかもしれませんね。

この2曲にお逢い出来て本当に今回勇気を持ってお邪魔して良かったな…と。

 

6.真夜中のダンディー

こんな序盤に…。と思うのと同時に既視感があると思いきやI LOVE YOUツアーでも同じ6曲目に演奏されていましたね。同じベストアルバム絡みのツアーでライブの6曲目、というのは勿論偶然なのでしょうが、もし意図的に選んでいたら面白いですし、どんな考えでそこに至ったのか…と想像したくなってしまいますね。

MERRY X'MAS IN SUMMER→〇〇→真夜中のダンディーの流れは、1998年「Act Against AIDS’98 オールリクエストショー」を思い出してしまっておりました(ちなみにこの時、間にいらっしゃったのは「希望の轍」大先輩)。

間奏のギターパートで誠さんと中さんをモニターに交互に映していたのが、とても良かったですね。アウトロでは桑田さんがギターソロを弾いて締めていたのも含めて、この曲でしっかりギタープレイの見せ場があったのは素敵でしたね。桑田さんのギターソロは何か元ネタがあったりしたのでしょうか…。

個人的に今回真夜中のダンディーを演奏した時に確かめて見たいことがございまして、それは「汚れた瞳の(同じ顔の・過去にすがる)Brother…」のBrotherのコーラスで誰が左右のモニターに映るのかしら…ということで、このライブでは1番が誠さん・TIGERさん、2番が誠さん・ODYさん・最後が誠さん・片山さん、という結果でございました。毎回映る誠さんは流石ですね(?)。

左右のモニターに映る歌詞のフォントがこの曲の時は少し尖った感じがあって曲に合っていましたね。文字が黒か青囲みだったのですが、どういう分け方だったのでしょうか。ちょっとロックよりだったり尖った曲は黒囲み率が高かったような感じがありましたが。

 

7.明日晴れるかな

真夜中のダンディーに続いて登場が「早い」という感じを受けましたね。近年はライブラスト曲という位置が定着していましたので、この辺りで思い切った配置転換を、といった感じだったのでしょうか。こういう使い方ですと、後半のセットリストが読みにくくなるので、そういった効果も狙った選曲だったのでしょうか。

そういえばベストアルバム「いつも何処かで」のDisc2の1~2曲目の流れが、「時代遅れのRock’n’Roll Band~明日晴れるかな」ですから、真夜中のダンディーを仮想時代遅れのRock’n’Roll Bandとして、その流れの再現を狙ったりしていたのかもしれませんね。

真夜中のダンディーでは「隣の空は灰色なのに幸せならば顔をそむけてる」というフレーズがありますが、この曲では「今は汚れた街の片隅にいてあの頃の空を想うたびに」というフレーズがありまして、この部分を聞いた時に、この2曲の主人公は実は同じ空を見ているのかしら…とふと思ってしまったのですね。

 

8.いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)

ライブではI LOVE YOUツアー以来10年ぶりの披露とちょいとお久しぶりのご登場でしたね。

これでシングルA面曲3連発ですね。こう見ますと真夜中のダンディー(1993年)・明日晴れるかな(2007年)そしてこの曲(1988年)と80年代・90年代・2000年代の曲が並んでいるのですね。何と申しましょうか…。35年のキャリア総括の1つであるのと同時に、ライブで(アルバムとはまた違う)ベストの世界を再現するような感じを受けたのですよね。まあこれはもしかするとベストアルバムの「いつも何処かで」というタイトルに私自身が引っ張られてしまっただけなのかも知れませんが…。

最後の「涙も渇いて 痛みに変わるよ」の涙のところはこれまでのライブのように「なーみーだーも」や「な、み、だ、も」とは歌わず、自然な感じで歌っていましたね。そこがある種気負いがないような感じにも映って良かったな…と。

過去のライブ(2007年「呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW」とI LOVE YOUツアー)では年越し曲としての起用だったので、そういったポジションからの開放感が無意識に作用していたのでしょうか…。

 

9.愛のささくれ~Nobody loves me

あら、今回はI LOVE YOUツアーのように全曲(ツアー後半を除く)ベストアルバムから、という選曲にはならないと思ってはいたけれど、まさかあなたがやってくるとは思わなかったわよ。この曲もまた大好きだったから嬉しかったわね…。「がらくた」収録で1番最初に好きになってからずっと虜なのよね。こう見ると私って結構一途よね。一途なオネエ口調おじさんはまた厄介ね(?)。

2番の「ちょいとそこ行く姐ちゃんがエロい」の姐ちゃんをODYがエロいと歌っていたわね。桑田さんのアドリブだったのか、モニターでは一瞬だけ笑顔の(これ大事よ)ODYさんが映っていたけどもうちょっと長く映しなさい(?)。ここは今後に期待ね。まあエロいのは事実だから仕方ないわね。

最後の「ささくれ…」のところを宮城公演だから笹かまなんて歌ったらどうしようかしら、なんて一瞬よぎったけど杞憂に終わって良かったわね。

 

10.NUMBER WONDA GIRL~恋するワンダ~

2011年「宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~」以来11年ぶりの演奏となりましたね。噂ではそのまま宮城に残って暗躍していたとかしていないとか。おっとそこの方、桑田さんがラジオで話していた小野ちゃんさんの「仙台の女」の話はここで思い出さなくても良いのですよ(?)。

やはり2007年曲はライブで聞くと少しだけ特別感がありますね…。

「粘膜に飛べ!!」のところではアラレちゃんのキーンのポーズのように手を広げられていたのが、今回の個人的桑田さんベストポーズとなりました(?)。

しかしここまでの選曲の高低の激しさといいますか、緩急の付け方が良い意味でソロっぽくないといいますか、サザン的な感じがありましたね。まるでジェットコースターのような…もしかすると次は遊園地のジェットコースターで綾瀬はるかさんとユニクロCMで共演がしたいという桑田さんなりのメッセージがあったのかもしれませんね(?)(それは流石に無い)。

 

11.大漁唄い込み〜 SMILE~晴れ渡る空のように~

少しだけ短いMCが入りましたね。手拍子を、と始まったのが「大漁唄い込み」でした。少しMCが入ったことで席に座る方が多かったのですが、またすぐに立ち上がって、と客席側は少し慌ただしかったですね。私はといいますと敢えて座ったままでいました。座ってステージを見ながら、「おそらく2011年の宮城ライブのMERRY X'MAS IN SUMMERのように何かの曲に繋ぐはずで、どの曲を持ってくるのか…。でもMERRY X'MAS IN SUMMERはもう演奏しているし…。」とどの曲が来るのかを考え、当てはめながら、その曲が流れた瞬間に席を立とう、と思っていたところで、流れてきたのは「SMILE~晴れ渡る空のように~」でしたね。これはちょっと不意打ち感がありました。その一方でちょうど頭の中でごはんEPの曲を当てはめ始めていたところだったので、そこのリンク感(まあニアミスですが)が何とも不思議な気分になったものでした。

中盤のこの位置に持ってくるというのも、また意外な感じがありましたね。個人的にこの位置はサザンですと原さんボーカル曲が来ることが多いので、ソロだとどの曲を持ってくるのかしら…と気にするポイントの1つだったりするのですよね。

「私とあなたが逢うところ ここから未来を始めよう」思えばこの一節を聞くためにお邪魔した部分もきっとあったのでしょうね…。

 

MC

ここでメンバー紹介がありました。すっかり定着しましたソロ回しでのメンバー紹介でしたが、始まる前にライブ初参加になる曽我さんと寺地さんは最初に1度紹介していましたね。曽我さんのマフラーをいじる桑田さん。「関ジャム出た時も付けてたよね?」。

早弾きを見せてと言われてスローで弾く中さんと曽我さん。その後しっかり早弾きを披露。これがスローハンドに抱かれてということですか(?)。このコント(?)(失礼)はツアー完走出来ますでしょうか。

そういえばメンバー紹介中、客席のほとんどの方が座っていたのですが、前方の方で立っている方がいまして、メンバーの演奏に合わせてその方が手を挙げていたりしたので、ステージが見えにくくなる瞬間がありましたね。左右のモニターがあって良かった(?)。

メンバー紹介後、暑いねと汗を拭く仕草をする桑田さん。手には原さんのアルバム「婦人の肖像(Portrait of a Lady)」。宣伝ですね(?)。カースケさんの準備もあってこういうことで時間を延ばさないといけないんです、という発言は本当なのか照れ隠しなのか。

 

12.鏡

ここからはアコースティックで3曲ほどやります、と。その先陣を切ったのは「鏡」先輩でしたね。今までのライブでは最初のMC明けの1曲目というポジションが定位置となっていたこともあり、そういった意味でも新鮮な感じがありましたね。

2016年年越しライブ「ヨシ子さんへの手紙 ~悪戯な年の瀬~」の初日では手拍子の音で歌にズレた生じた事件(?)を皆さん覚えていらしていたのか、ほとんど手拍子をする方がいませんでしたね。そういえば右側の視界に入る程度には離れた席にいた方が、割と手拍子をしたいタイプの方だったようで、あまり手拍子のしない曲でも、冒頭手拍子をする→周りがしていない→止めるけど手を動かしてリズムを取っている、の流れを何度が見たのがこの曲と共に記憶に残っております(?)。

ハーモニカは桑田さんが吹いていましたね。やはり孤独の太陽曲は桑田さんがハーモニカを吹くのが良いわね…と改めて思った次第でございます。

 

13.BAN BAN BAN

「NUMBER WONDA GIRL~恋するワンダ~」と同じくライブでは宮城ライブ以来11年ぶりとなりました。お二人とも宮城で何をしていたのですか。これが所謂匂わせ、という奴ですか(?)。この曲のアコースティックバージョンとはまた驚きましたね。まさにAcoustic Revolutionです(?)。

アンコール待ちでの話になりますが、近くにいた恐らくご夫婦の会話が聞こえてきまして、

夫「BAN BAN BAN久しぶりに(ライブで)聞いたなあ」

妻「いつ以来?」

夫「大昔」

「大昔」という表現に思わずふふっとなってしまいました。具体的にいつ、というよりも何だか良いな素敵だな、とふと思ってしまったのでした。

 

14.Blue~こんな夜には踊れない

最初のギターでどの曲が来るのか…というところでしたが、歌い出してこの曲ですか…と。

「君は緑の風に乗る」から青(Blue)とは、なるほど一部世代の方は緑を青といいますし、実質青メドレーということだったのですね(?)。

イベントという形では2016年「ULTRAヨシ子デラックス!ナイト」で披露されてはいますが、ライブでは呼び捨てライブ以来15年ぶりの演奏となりましたね。

ライブ披露の度にアレンジが変わる七変化な曲、まさにエロティカ・セブンといった感じですね(?)。

いつの間にかステージにいました2人の女性ダンサーさんの動く前のポーズが個人的にちょっと怖かったですね…。まさにこんな夜には踊れない、という心境にさせられました。

2番のサビの歌詞が日本語詞になっていましたね。妖しい夜にはなんちゃらみたいな(はい、もう忘れてるおじさん)。女性ダンサー2人の絡みもあって「赤い炎の女」感があるわね…と思ったことを鮮烈に覚えています(ソロだと「青い炎の女」になるのですね、と蛇足的考えが頭によぎったのは内緒よ)。

 

MC

ここで少しだけMCが。新曲を2曲続けて歌いますと…。

 

15.なぎさホテル

この曲が初フルオンエアされた10月29日の夜遊びで初めて聞いたのですが、ボーカルとサウンドの感じに「柔らかさ」といいますか、そういった感覚がありまして普段は何度も聞いて感覚を掴んでいくのですが、珍しくそういったところを飛び越えた所謂一聞き惚れした曲でして…。そこからはCMも見ず、敢えてその1回の印象を持ったままライブで再会したらどんな感じになるのだろうという気持ちを持って見ておりました。ライブでも初聞きでの「柔らかさ」が感じられて、それにプラス生の要素があったというのがまたとても良くて…。

きっとこの曲もまた私にとって「特別な1曲」になるのでしょうね…。

そういえばモニターに映る歌詞を見ていた時に「「なぎさホテル」でふたりは貝になった」のところでふと、リバーサイドホテルの「ベッドの中で魚になったあと」を桑田さんなりに表現した歌詞だったのかしら…と思っておりました。

 

16.平和の街

イントロのベース音でしょうか。それに合わせて桑田さんが足踏みしているのが素敵でした。ライブでさらにポップさが増したといいますか予想以上に盛り上がる曲という感じを受けましたね。

モニターに映る「飛び抜けた才能なんて無いし 冴えない見てくれの僕」というフレーズを見ながら改めてステージを見ますと、勿論ステージの上に立っている方はそんなことのない、あくまで曲の中のキャラクターという感じを受けるのですが、同時に桑田佳祐というキャラクターに合ってしまうギャップといいますか、多面性を改めて感じた瞬間でもありましたね。

どうかこの先のツアーも無事に続いて各地に「平和の街」が広がっていきますように…。

 

17.現代東京奇譚

モノクロな街の映像が流れ、一瞬東京…?かと思いましたが、ステージをよく見ると桑田さんがギターを持つ様子がなく(スタッフさんが桑田さんの耳の辺りに手をやっていたので、イヤモニのチェンジか調整をしていたようですが)、となるともしかして…と思っていたところにこの曲のイントロが。

I LOVE YOUツアー以来10年ぶりでしたね(そういう曲が今回多いですね)。

全体的にライト等々赤かったのですが、2番に入った時からサビに入るまでのタイミングだけは映像含め白が中心になっていたのがとても印象に残っていますね。

平和の街というタイトルの曲から、都会の闇、といいますか真逆の「街」歌を持ってきたというのが、物事が表裏一体である、というメッセージを改めて感じておりました。

「笑みを浮かべた狼が 手招きしている」というフレーズがありますが、平和の街の「何故!? Oh 神様!! 助けてよ」のOh 神様が狼様にも聞こえますし、神様が狼様になれば、平和の街にも1つ間違えれば闇が訪れてもおかしくはない世界、という物語が潜んでいるのかしら…とも思ってしまったりするのです…。

「いつも何処かで」に収録される新曲2曲がポップよりな曲で、まさにいつも何処かで流れているような曲といったところですが、そこに対比するようにこのポジションに現代東京奇譚を持っていたという感じが、いつもではない、けど隣に潜んでいるというある種のリアルさを持たせるといいますか、ここ1番という形でこの曲が登場するところが、綺麗なだけで終わらせないという感じがありまして、これがソロの世界だからこそ出来るセットリストというなのだなと…。

 

18.ほととぎす[杜鵑草]

続いてはこの曲。街唄から人の生命へ…。というのが序盤の楽曲の色の違いによる高低とはまた違う、何と申しましょうか…。心(感情)を動かすという意味での高低差があったといいますか…。

「星の瞬きより儚い人生(いのち)」のところでリストバンドが白く光ったのですが、周りの皆様が光った瞬間、一度手元を見てから徐ろに手を挙げて揺らす…という動作をしていたのが、何だかとても良かったのですよね…。あの一瞬、それぞれが何を思っていたのでしょうか。

正直に申し上げますとこの曲との距離感といいますか、向き合い方が分からない時期が割と長くありまして…(たまにそういう曲があるのです。勿論嫌いとかそういう感情ではなく)。今回ライブでまたお逢い出来て少しそういった距離感が縮まった気がします…とまで書いたところで、ふと、がらくたツアーの感想雑文を見てみましたら、同じようなことを書いていて呆れてしまいました。仲良くなっても暫く遭わないとまた人見知りしてしまう私と人との距離感みたいですね(?)。でもそんな関係も悪くない(?)。

 

19.Soulコブラツイスト〜魂の悶絶

所謂煽りコーナーの始まりでございますね。2年連続でこの位置というのが、この曲への信頼感が伺えますね。

並びとして偶然なのでしょうが、この曲とほととぎす[杜鵑草]では歌詞の中に「逢いたくて 恋しくて」と同じフレーズが出て来ますね。テンションも意味も違うのが曲として並んでいるからこそ対比となっているのがまた面白いな…と。

2番のところだったでしょうか。赤ジャージのマスクマンさんが登場され、桑田さんに一撃を加えて去って行きましたね。しかしよく見ますとキーボードとドラムの間のところに待機されていて最後にまた登場されるのかしら…と思いきや結局そのまま静かに捌けていきましたね。よく見ると曲終わりにステージ上にあった何かを回収して去って行くという、途端にスタッフさんに変貌されたのが、ちょっとした面白さがありましたね(?)。流石にそこは違う方に出て貰った方が良かったのではと(急に冷静になるの止めなさい)。

間奏部分では「迷わず行けよ 行けば分かるさ」とあの方の有名な台詞の一部を桑田さんが。その後の炎の演出はやはりそういう事だったのでしょうか。去年のビッグマウスツアーのように現役時代の映像などを使わずにそういう形でリスペクトを示したというのが、とてもらしいな…と。

 

20.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

確かそのまま繋げて始まりましたでしょうか。イントロで今度は銀テープがパーン。

曲中にスタッフの方が銀テープを渡しに回っていましたね。

こう書くと今までが違うのか、と思われてしまいそうですが、今回とても楽しかったのですよね、この曲。何と申しましょうか…。今までやここまでの感想雑文を読まれた方はご存じかと思いますが、私は感情を表に出したり、手を大きくブンブン振ったり動かしたりするのがとても苦手なのですよね。今回もそういった動きが出来たわけではありませんが、同時に頑張らなくても良いのだ、と自分の身の丈にあった手拍子や体のゆらゆらがとても上手くマッチ出来た感じがあったのですよね。動きを頑張ることを止めたことで周りを気にせず(別に今までノリの悪さを指摘されたとかはありませんが)ステージに集中し、終始ノリ良く入れたのがまあ嬉しくて。

また1つライブにおける自分なりのスタイルを得ることが出来たのかしら…と。

 

21.ヨシ子さん

ヨシ子さん好きなのよ…。悲しい気持ちが来た時に今回はやらないのかしら、と頭によぎったのですがその次だったとはまた失礼致しました(?)。

今回は子供さんのマスクを被った方々がご登場されましたがまあ怖い、怖い。ライブの日の夢に出てこなくて良かった(?)(これを書いてしまったことで出てきませんように)。

2016~17年の本編ラストに固定されていた頃よりも遊びが出来たといいますか、使い方の幅が広がっているのが今なお進化している感じがあって良いですね。

上鴨そばのところが萩の月ずんだ餅、牛タンと変わっていましたね。ここはご当地食べ物枠として今回ツアーに限らず、使われていきそうな替え歌ですね。

 

22.真赤な太陽〜波乗りジョニー

疲れちゃった。とおもむろに話し始めた桑田さん。語尾にわよ、だったりと何だか口調がTwitterでの私みたいに(?)(寒くて気持ち悪いおじさんのツイートと一緒にしないの)。矢沢永吉はなんて呼ばれているか知っている?などと急に質問が(桑田さんはボスと答えて欲しかったらしいけど、永ちゃんと誰かがいって確かにそうとも呼ばれているけど…wとなっていましたね)。じゃあ私は?といわれて、「お嬢」という声が聞こえた時に初めてそういうことか…と(そもそも客席は声を出してよかったのかしら…と思いながら見ていた)。

そして始まりましたは「真赤な太陽」。バンドメンバーを指して、ブルーコメッツと言っていましたがバッグのモニターにはご丁寧にもお嬢とブルーコメッツの当時の音楽番組か何かの映像が、ラジオでもやってはいましたが、ROCK IN JAPAN FESTIVALではこの映像とやり取り込みでやりたかったのでしょうね。

そして曲が終わり立ち去ろうとしたところで波乗りの曲のイントロと共に水着ダンサーにステージへ連れ戻される桑田さんの姿が。その姿に「Act Against AIDS 2013「昭和八十八年度!第二回ひとり紅白歌合戦」」でのジジイ・ガガを思い出してしまったのは私だけで良いです(?)。

今回ダンサーの方は皆さん金髪でしたね。マリリン・モンローらしき髪型の方もいましたので(いくみさんでしたかね)、モチーフはその時代あたりだったのでしょうか。ジョー・ディマジオがいないのが残念でした(?)(そりゃそうです)。例のごとく(?)男性の方も混じっていましたが、金髪だったかを確認出来なかったことだけが悔やまれます(?)。

そしてこの曲で本編は終了。ライブ大定番曲で煽りの常連さんですが、本編ラストは2008年「石垣島ライブ」以来で公式なソロのライブとしては初めてという意外な起用だったりしたのですよね。

 

En1.過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)

アンコール明けステージに再登場した桑田さん。首にタオルを巻き(よく見るとピンク寄りな色でしたね)「元気ですか!?」と。

よく見ますと服には「ありがとう猪木さん!」「燃える闘魂」とテープに書いて貼ってありましたね。「元気があれば、東北が(宮城が、だったかもしれません)元気になる」といって、あれ同じ意味だとセルフツッコミを入れていた桑田さんがかわいらしかったですね(?)。あと「元気があれば、国会で質問が出来る」とも。

そんな空気(どんな空気だ)の中で始まりましたはこの曲でした。がらくたツアーではハンドマイクでしたが、今回はギター持ちで5年越しに「ギターを抱えて Singin' Pop Pop Pop Pop」する姿を見ることが出来ましたね(?)。

前回は自分自身に当てはめたような歌詞への照れ隠しもあったのか、内田裕也風スタイルで披露していましたが、今回は桑田さんそのままの姿での披露だったのが、そういう仮面といいますか、キャラクターに載せずに直球勝負した感じがとてもグッと来たのですよね…。そこに「エラいダークな世の中で たまにゃ冗談(ジョーク)も言わせてえな」と歌うところがまさに今の時代と桑田さんの心の声が重なった感じがよりあったのです…。

あの5年前の演出こそがまさに過ぎ去りし日々、さらばあの日のブームということだったのでしょうか(?)。

 

En2.ダーリン

冬の匂いがすると歌いたくなる(聞きたくなる、だったかな)です。という前置きがとても素敵な表現だったな、と。この一言だけで曲自身にも冬の匂いが感じられるようになるのですから不思議です。

5年前のがらくたツアーでは日替わりアンコール曲となっており、唯一縁が無く聞けなかった曲だったので、今回聞くことが出来たのはとても嬉しかったですね。

ビッグマウスツアー感想の遠い街角(The wanderin' street)のところでも書いたのですが、ダーリンの発売日の次の日がちょうどこの宮城で呼び捨てライブが行われた日だったのですよね。あの日に自分の住んでいるところから近い県に桑田佳祐がいるというあの不思議さと、15年経ち、その場所にまた桑田佳祐が来て、その場所に自分がいるという不思議さがリンクした何と表現して良いか分からない時間でしたね。

 

En3.白い恋人達

すっかりアンコール定番曲となりましたね。ダーリンからの冬曲の流れ良かったですね(書いていてそういえばI LOVE YOUツアーの時は逆だった(白い恋人達→ダーリン)ことを思い出すおじさん)。だからライブの次の日寒かったのですね(?)。

最後の「涙」のところは少し短くなっていたような…。まあ負担が大きそうですしそういったこともあったのでしょうか…。

現時点で追加公演の情報はありませんが、もし年越し公演があるとすれば去年の流れからするとこの曲が年明け1発目になるのかしら…と何となく思っておりました。札幌締めでこの曲というのもまた良いものがあるので悩むところですね(?)。

 

En4.100万年の幸せ!!

最後の曲はこの曲でしたね。序盤に明日晴れるかなというカードを切った時から最後は何が来るのかしら…というのが、頭の片隅にあったのですよね。何となく今回は祭りのあと締めではない予感があったので。

一瞬意外、と思いましたが、すぐになるほどこれか…と。だってライブの最初に「幸福(しあわせ)に逢いにゆこう」と歌っていたではありませんか。行き着く先は決まっていたのです(?)。

2番ではサポートメンバーの皆様が楽器を置き…これはI LOVE YOUツアーの再現ではありませんか。曲は始まる前に腕利きのメンバーとと言っていたのはそういうフリでもあったのですね。ポンポンを持ってからの(ここは若い広場が匂わせだったのでしょうか(?))、ボードを各自持ち、「宮城の皆さん元気に頑張りましょう」「ありがとうございました」だったかを表わしていましたね。…実はちゃんと覚えていないのです。何故ならまた涙を流していたから…何でしょうね、今回は涙腺が駄目でしたね…ええ。でも最後の最後「100万年ほどは幸せになろうよ」のところがカットされて「夢のかけらを集めて~」に繋がっていたのは聞き逃しませんでしたよ(?)。

カバー以外で作詞が桑田さん自身ではない曲で締めというのはキャリアの中でも初めてではないのでしょうか。とても珍しいものを見ることが出来ました。

「夢のかけらを集めて 旅に出ようか」…そうです。旅(ツアー)は始まったばかりなのですよね。

 

そしてライブは終了。最後は久しぶりでしょうか、「1.2.3.ダー」をやっていましたね。エンディング曲は「時代遅れのRock’n’Roll Band」。2番の野口五郎さんパートを口パクで、佐野元春さんパートをエアギター風の動きをしながら口パクしていたのが皆さん笑っていました。そしてステージ裏に下がる最後の最後に下手のスタンドのお客さんに向けてマイク無しでの「1.2.3.ダー」を。下手スタンドのお客さんだけが綺麗に返しているあの景色が何だかとても良かったですね…。

最後規制退場があり、待っていたのですが、BとDが聞き取りにくく、(多分)聞き間違えて回りの方が退場して行ってしまう中、隣の方と「多分今はDといってましたよね」というやり取りをしておりました。こういう時コミュ障おじさんはちゃんと話せず申し訳ない(?)。もうちょっと話せれば良かったという後悔です。宮城2日目のBと17が関係している席の方、あの時はしっかり会話できず申し訳ありませんでした。多分ここに辿り着くことはないと思いますが、ここで謝罪致します。


さて今回のセットリストを振り返ってみましょう。
基本的にはベストアルバム「いつも何処かで」をベースにしているセットリストでしたね。非ベスト曲も「真夜中のダンディー」や「Blue~こんな夜には踊れない」など人気曲が多かったような感じでしょうか。
一方で「大河の一滴」や「Yin Yaug」などが今回お休みでしたね。桑田さんもビッグマウスツアーとは違ったものにしたい的発言をしていたので意図的に外した感じでしょうか。またいつかお逢い出来る日が来るでしょう。

何といってもラストの「100万年の幸せ‼︎」ですね。ソロでこういった締めは初めてだったのではないのでしょうか。近年のサザンのライブでは「勝手にシンドバッド」や「みんなのうた」と盛り上がる曲で締めにするパターンが多く見られるようになりましたが、ソロでもその流れを踏襲した、といったところでしょうか。「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」でも「波乗りジョニー」でもなくこの曲、というのが、今の世や桑田さんのモードがとても出ている感じがありますね。

また素晴らしいライブと縁が繋がることが出来ました。

 

個人的な実にどうでもいい話なのですが、今回のライブがサザン・桑田さん以外を含めまして、18回目のライブ体験になったのですよね。その18回目が桑田さん、というのが野球好きからしますと、桑田18、元読売ジャイアンツの投手、桑田真澄選手の背番号「18」と重なるところがありまして、18という数字と桑田という名字がこういったところでマッチするのが、何とも私らしいと思った、というだけの話でございました(?)。

 

長いだけの駄文をここまで読んで下さった方ありがとうございました。

 

最後に桑田さんを始め、サポートメンバー・スタッフの皆様、このライブに関係する全ての方々本当にありがとうございました。またいつかお逢い出来る日を楽しみにしております。

その日までお互い元気に頑張りましょう。

 

 

 

 

 

余談

さてここから余の談でございます。読まなくて良い部分です。

今回もまたとても悩みました。ビッグマウスツアーの感想でも書いたのですが、自分の楽しいを優先していいのか…と。

悩んだ末に外れれば諦めが付くだろう、もし取れてもリセールに出す事を視野に入れてその時また悩めばいい、とチケットチャレンジ。結果はここに書いた通りです。

ビッグマウス感想で、行ける行けないは縁です、という趣旨の事を書きましたが、「縁」があったのですね。その時点で本当は覚悟を決めるべきだったのですが、当日会場でまで悩むなんて今思うとなんてバカで愚かなのだろう、とただ反省しかないですね。

そうそう私、ビッグマウス感想で1つ嘘を書いていましたね。それは行かないという選択に悔いはしていないと。本当は悔いはしていないけど後悔はある、という心情ではあったのですね。正確にはあの感想を書いた後にじわじわとそういった思いに襲われていた、といいますか…。

だから口ではどうしよう、と言ってはいましたが、心の何処かでは次のライブは行くと決めていたのでしょうね。今回感想を書いていてそれに気が付いたのですよね…。

もう少し自分に正直に、そしてあまり心を抑え付けすぎないようにしないと改めて思ったのでありました。

 

そういえば終演後にTwitterでこんなツイートをしたのですが、

 

これは意味がありまして、このツイートへのセルフアンサーだったりしたのです。

 

ちょっとネタバレになりかねないツイートでもあったので(サザン名義の曲を演奏するというのは全くのゼロではないので)、一応意味はあったのですよ、とここで言い訳させてください(?)。では余談は以上でございます。



(…こんな言い訳で感想を締めて良かったのだろうか)

 

Act Against AIDSにおける「月」の立ち位置についてふと思った事を

Act Against AIDSでのライブセットリストを見ていますと、桑田さん自作曲の中で「月」が2回(歌謡サスペンス劇場(1997年)・桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング(2000年))演奏されていますね。その2回とも立ち位置(使い方)についてふと思うことがありましたので、またつらつらと雑文を書いていきたいと思います。

 

まず「歌謡サスペンス劇場」から見ていきましょう。タイトルの通り、所謂歌謡曲がテーマとなったライブでしたね。このライブでは11曲目の東京ブギウギ~15曲目の買物ブギという桑田さん曰く服部良一メドレーというコーナーが設けられていましたが、このコーナーの後に演奏されたのが「月」でしたね。もちろん桑田さんの自作曲ではありますが、買物ブギの後にMCなどを挟まずに演奏されており、何処か敢えて自分の曲をここにぶつけた感があるといいますか、服部良一という音楽家に、桑田佳祐という音楽家として作った曲で勝負する、という構図になっている感じがとても好きなのですよね…。もちろんここでの勝負は勝ち負けでは無くて、桑田さんの血肉になっているであろう音楽の1つと並べる、という桑田さん流のリスペクトだったのかな…と思うのです。

このライブでの「月」に関してもう1つ付け加えますと、ギターを持っているというところでしょうか。基本的にこのライブはボーカリストに徹するというのがあったのが、あまりギターを持っていないのですが、「月」の時は持っているのですよね。他にギターを持っているのがフォークソングコーナーの3曲(春のからっ風・夏休み・チューリップのアップリケ)にアンコールの「今日の日はさようなら」、そして「旅人よ」でしたね。今日の日はさようならとフォークコーナーは曲調や演出的にギター持ちになるのは当然ではありますが、ここ一番で持っている感じが、ある種装備と言いますが、1つ違う見せ方、気合いの入れる瞬間なのかしら…とも思ってしまうのです。もしくは旅人よの加山雄三と自身を少し重ねようとしたところもあったのかもしれませんね。

 

桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング」の方を見てみましょう。確かライブのMCで「迷ったけどその時の気分で選んだ」的な事を話していたと思うのですが、邦楽洋楽問わずの選曲の中で唯一自作曲の中からセレクトされた(最終日に「いとしのエリー」が追加されてはいますが、個人的にこれはおまけ感がありますのでちょっと別ということで…)曲がこれまた「月」なのですよね。何と申しましょうか…。「月」という曲に対する信頼感といいますか、ライブ名の自分自身が選ぶベストソングという看板を掲げた中に自作曲を入れる際に選曲できるというある種の自信を持った曲ともいえるのかもしれませんね。

歌謡サスペンス劇場との違いを挙げるとしますと、服部良一コーナーにぶつけたかのような選曲だったのに対して、このライブでは3曲目というかなり早い段階で演奏されていると言うことでしょうか。これはおそらく1998年の「オールリクエストショー」がサザン・ソロ・KUWATA BANDと自作曲を多く演奏した影響もあったのではないのでしょうか。1曲ポンと序盤に演奏することで、自作曲を求めている声にも応えつつ、後は歌いたい曲を自由に歌いますというある種の宣言でもあったようにも感じるのですよね。

 

ある意味で「月」という曲はAAAにおいて桑田さんの自信と1つを切り替える為の曲であったのかもしれません。まあ当時のソロライブでは宮城ライブまでほぼ毎回演奏されていましたし、単に桑田さんが好きな曲を歌っただけ、ということなのかもしれません。

近年のライブではなかなかお目にかかれない曲になってしまっていますが、ベストアルバム「いつも何処か」に収録されますし、今回のツアーでは期待したいところですね。

その時はあまり都合の良い解釈をし過ぎないよう気を付けたいと思います(?)。

 

何故、大復活祭のラスト曲がOh!クラウディアだったのか、を雑に考えてみる

ええ、タイトルの通りでございますよ。「サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭」のセットリストを見ていますと、ふとラスト曲が「Oh!クラウディア」だったのかしら…と考えてしまいまして…。今回はその個人的ふと、をつらつらと書いていきたいと思います。

 

そもそも、何故そんなことを思ってしまったのかと言いますと、大復活祭はサザン10周年であり、3年ぶりの活動再開のライブですよね。そのラストが「いとしのエリー」でも「Ya Ya(あの時代を忘れない)」でも歴代アルバムのラスト曲でもなく、この曲というのが当時のライブの流れからしますと意外な選曲に映った、といいますか…。このライブまでのクラウディアの過去のライブ披露を見ましても、2回披露されたうち、1982年「青年サザンのふらちな社会学(ツアーTHE NUDE MAN)」は序盤、1984年「熱帯絶命ツアー夏“出席とります”」は中盤での披露とラストに使われそうな雰囲気をまだ出していないことも影響しているのかもしれません。とがいえ熱帯絶命の人気者で行こう収録曲以外で選曲されていることから既に夏のライブ曲としてのポジションを持っていたのかも知れませんね。

先程ラスト曲候補として上げました、Ya Yaはツアー初日の西武球場公演で1曲目に使われていますので、ラスト曲の選択肢から既に除外、エリーは翌年の「いっちゃえ'89サザンde'90」で演奏されたとはいえ、1987年に出ました書籍「ブルー・ノート・スケール」で「もう勝手にシンドバッドいとしのエリーは歌わないでしょう」という内容の発言をしていますし、まあシンドバッドは大復活祭で演奏していますが、そういった手前流石に両方歌うのは…というのもあったかもしれませんし、何より久々のサザンで全部を出してしまうライブをいきなりやってしまうというのは抵抗があったのかもしれませんね。逆に活動休止前最後のライブとなりました1985年「KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ」では両方とも演奏していますし、3年空いているとはいえ多少前回との区別を付けるという意味もあったのかもしれませんね。

いずれにしましても安易に2曲ともに頼り過ぎない、復活と同時に新生サザンとして動き出す為の1つ必要な要素だったのかもしれませんね。

 

では、アルバムのラスト曲から…となりますと、また難しいところですね。例えば「働けロック・バンド(Workin' for T.V.)」あたりですとまた違う「意味」を持ってしまいそうですし、「旅姿六人衆」というのも後々の使い方を見ましても区切りのタイミングでの披露が主になっていますし、復活のライブでは…というのがあったのではないのでしょうか。

ツアーの中で「メロディ(Melody)」の演奏位置が何度か変わっているとはいえ、アンコールがクラウディア以外ではメロディと「Bye Bye My Love(U are the one)」とシングルではありますが、アルバム「KAMAKURA」からの選曲でもあったので、KAMAKURAからのNUDE MANという、打ち込み中心からバンドサウンドに戻る流れがある意味で、原点回帰といいますか、バンドとしてのサザンにもう一度立ち返るという意味も含まれていたのかもしれませんね。

 

このライブでラスト曲として演奏されて以降、Oh!クラウディアさんはラストの定番曲の1つとして定着するようになりました。面白いのは真夏のツアーで初めてラストに演奏された後はほぼ年越しライブのラストとして定着したことでしょうか(年越し以外ですと「シークレットライブ’99 SAS 事件簿in歌舞伎町」厳密に言えばラストは「A Hard Day's Night」ですがあくまでオリジナルで、ということで…)。

何と申しましょうか…。恐らくこの時代から人気曲ではあったと思うのですが、このライブ以降より広く知られるようになったのではと思います。「女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ)」のシングルB面にこのライブの音源が、そしてVHS版には結果的に大復活祭の中で唯一映像化された曲、というのも1つ要素としてあったのかと思います。

そして立ち位置も変わりましたね。夏の曲ではありますが、前述したように年越しライブのラスト曲というポジションを務めることが多くなったことからか、逆に夏のライブでの披露は珍しい(サザンのライブでは「THE音楽祭 -1991-」と「真夏の大感謝祭」の2回)という曲になりました。個人的に年越しライブの締めに演奏されやすいのはサザンの活動に続きがある、というのがあるのではないのでしょうか。旅姿六人衆のところでもチラっと書きましたが、サザンのライブラスト曲はその期の活動の終わり・区切りを示唆しているような曲が多い気がするのですよね。それこそ旅姿やYa Yaあたりはそういった雰囲気が強めな曲な気がするのですよね(Ya Yaは活動再開のタイミングのライブでの披露も多いので、もう少し自由さがあるとは思いますが)。あくまでサザンという物語が続く過程のライブでの締め、という意外と代わりが限られる絶妙なポジションを任されている曲になったように思います。

 

その物語の過程、といいますか大復活祭というリスタートのタイミングでラスト曲に使われた、というのはある種必然だったのかもしれません。もしくはその大役に選ばれたことで後々それに近い役割を担うようになった、というのが正しいのかもしれませんね。

 

というわけで、個人的などうでもいいささやかな疑問から、また都合の良い解釈雑文を書いてしまいました。いつもよりもちゃんとした(?)タイトルの割に大した答えの出ないままといういつものパターンになったことを反省しつつ(本当に毎回それで反省しているのかね、君は)、今年の様々な実りの秋を楽しみにしたいと思います。

 

1994年桑田佳祐ソロライブツアー「さのさのさ」のセットリストを今更雑に見てみる

リアルタイムを知らないライブを雑に振り返るシリーズ第6弾でございます。今回は1994年の桑田さんソロライブツアー「さのさのさ」のセットリストを振り返ってみようと思います。

 

例によっていくつかのブロックに分けて書いていこうと思います。



1.洒落男

2.漫画ドリーム

3.希望の轍

4.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)

5.鏡

 

1曲目は「洒落男」でスタートでしたね。カバー曲ではありますが、一部替え歌がされているところがありましてオチが「38で妻子持ち~」と。何か妙にリアルなのですよね…w(この部分は製品版にも収録されていますね)。とはいえあくまでovertureとしての披露、という感が強めではありますね。

次が実質1曲目と言えます「漫画ドリーム」。アルバム「孤独の太陽」の1曲目と同じ流れではありますが、こうライブ映像を改めて見てみますと、何と申しましょうか…過去のライブを見返してもなかなか無いスタートですし、流れや雰囲気的にも、そして桑田さん的にも1つクッションが欲しかったのかな、と思ってしまうのです。

その漫画ドリームの流れのまま、アコースティックバージョンでの披露となった「希望の轍」・「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」と続きます。何と申しましょうか…。サウンド全体は勿論ですが、原曲のあのイントロのイメージが特に強いこの2曲をそういったアレンジで、しかもソロライブで披露するというのは、勿論サザンとの差別化を図っていたのだと思いますが、そこに敢えてこの2曲を持って来たというのがそれをより露骨に示したといいますか…。余談ですがこの2曲はサザンで出演した「Act Against AIDS’94」でも披露(しかも同じ轍→ミスブラという流れ)しており、結果的にそういった差別化を意図的に図ったかのようにより感じてしまうのですよね…。

そして「鏡」の演奏終わりと共に年越し。この頃には珍しい曲の途中ではなく、曲が終わってからの年越しでしたね。それまでの年越し単発公演ではなく、初めてツアーのラスト、千秋楽+年越しという流れでしたし、あくまでツアーのラストとして敢えて年越し色を強くしなかったのかもしれませんね。これもある意味ではサザンとの差別化ともいえるのかもしれません。

 

6.エロスで殺して(ROCK ON)

7.しゃアない節

8.太陽が消えた街

9.飛べないモスキート(MOSQUITO)

10.月

11.悲しみはメリーゴーランド

12.ヨイトマケの唄

 

ここからはアルバム「孤独の太陽」のコーナーでしたね。年越しの関係で鏡までを最初のコーナー分にしましたが、本来はこちら側だったでしょうか…。

「エロスで殺して(ROCK ON)」先輩は製品版では途中で編集カットというまさかの扱いとなっていますが、放送版では無事で良かったですね(?)。しかしその後フルバージョンが製品化されるのは28年後の「LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS!!」」の発売まで待つことになります。

一方で生放送版で放送された「太陽が消えた街」はその後ライブ演奏されていないことを考えますと、貴重なテイクとなっていますね。

前半のアルバムコーナーラストは「月」。孤独の太陽は一度鏡で始まり月で締める、と結果的に漢字一文字曲がこのコーナーのキーとなった感じでしょうか。

そしてサザン名義曲である「悲しみはメリーゴーランド」へ。原曲のフォーク調から大きくアレンジされてロック調となっていますね。このツアーでは原さんも女性サポートメンバーもいないステージにいるのは男性だけという、(ラジオ等のライブを除けば)今から見ると珍しい編成となっていますが、それがどこかKUWATA BAND感があるのですよね…。雰囲気なのかメンバー構成なのか歌唱・演奏なのか分かりませんが、その中にどこかブルースを感じるのは、ソロライブだから、というのもあるのかもしませんね。

そしてカバーである「ヨイトマケの唄」。前年の「Act Against AIDS’93」でも披露しているとはいえ、ソロライブでも披露されるとは予想した方も殆どいなかったのではないのでしょうか。桑田さん自身は以前に夜遊びでヨイトマケの唄の選曲について、「曲数が無かったから何故か選んだ」「でもハマったんだよね」と回想していましたが、AAA 93で披露していたこともどこかに残っていたのかもしれませんね。…きっとこの1年の間に1つ意味が少し変わってしまった曲でもあるのでしょうけど…。

 

13.MERRY X'MAS IN SUMMER

14.BAN BAN BAN

15.悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)

16.僕のお父さん

17.JOURNEY

(演奏しない公演もあった模様)

18.祭りのあと

 

孤独の太陽の世界が中心だった前半から一転してポップなコーナーになりましたね。今見ても「MERRY X'MAS IN SUMMER~BAN BAN BAN~悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」という流れはフェス感があるといいますか、逆に今のライブでは組まれにくいといいますか、ストレート過ぎてあまりやるイメージが沸かないですね。

これくらい振り切らなければ全体のバランスが取れなかった、というのもあるのかもしれませんが。

個人的にこれの逆に当たるのがサザンでの1998年「スーパーライブin 渚園『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ父(チチ)ウットリ~』」の「CRY 哀 CRY~Computer Children~01MESSENGER~電子狂の詩~」という3曲になるのでは…と思っております。

故に「僕のお父さん」の暗さがより強調されるといいますか、光と影の陰影がかなり濃く描かれる時間になったと思うのですよね。

そして「JOURNEY」。当時の代官山通信に載っていたセットリストを読みますと、「やらないことも…」とこの曲にはあるのですよね。アルバムツアーでありながら演奏しなかった公演もあるというかなり珍しい起用となっています(ツアー途中に行われた「青山学院大学学園祭ライブ「帰ってきた青山のダンディー」」の公演でもカットされていますね)。もちろん喉のコンディションなどといったところから日によって外していたと考えられますが、その曲のテーマ故にどうしても歌えないという心境に襲われることもあったのかもしれません。

だからこそ新曲として「祭りのあと」があったのは良かったと思うのですよね。良い意味でクッションといいますか、適度なポップさと桑田さんらしい「情けない男」のラブソング、というのが曲による感情の高低の後に待っている、というのが客席にも桑田さん的にも煽りに行く前の一息付くところといいますか…。JOURNEYの「寂しくて口ずさむ歌がある」が祭りのあとを、祭りのあとの「悲しみの果てに おぼえた歌もある」がJOURNEYを指していて、名も知らぬ歌と覚えた歌としてお互いにバランスを取り合っていたのかも知れませんね。

 

19.北京のお嬢さん

20.ハートに無礼美人(Get out of my Chevvy)

21.貧乏ブルース

22.ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)

23.すべての歌に懺悔しな!!

24.真夜中のダンディー

 

ここからは煽りコーナーでございますね。サザンでもソロでもKUWATA BANDでもなく、SUPER CHIMPANZEEから「北京のお嬢さん」というのがまた意外といいますか、意表を突く選曲ともいえるのかもしれません。良い意味でソロの曲数が少なかったからこそ出来た選曲なのかもしれませんね。

「ハートに無礼美人(Get out of my Chevvy)」は悲しい気持ち以外ですと、唯一1stアルバム「keisuke Kuwata」からの選曲ですね。DVDで一瞬だけ青学祭でのこの曲の様子が収録されていますが、あれは本当に一瞬過ぎますね…w。このライブから2002年の「けいすけさん、色々と大変ねぇ。(年越しライブ2002「けいすけさん、年末も色々と大変ねぇ。」)」まで、2001年「古賀紅太No Reason! ライブハウスツアー」を除けば煽りコーナーで皆勤でしたし、ソロライブ初期の煽りを担った重要な曲でありましたね。

そして孤独の太陽曲の間に唐突に登場されましたは、サザン名義の「ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)」。ソロワールドから急にサザンのライブになってしまった感がありますね。それだけ曲の強さがあるということなのでしょうが、やはり構成上わざと「浮かせた」といいますか、こういった曲が欲しかったということなのでしょうね。曲調等々違いはありますが、この役割を後に波乗りジョニーが担うようになった感じはありますね。それかサザンでのライブ定番曲を敢えてここに持って来ることで「貧乏ブルース」の「刺激という名の手堅い世界」「ドル箱映画も不倫のドラマも 演る役者変わらぬ芸能社会」等々のフレーズを活かす、もしくは皮肉的な見せ方をしようとしていたのかもしれませんね。そしてその使い方をまた次の曲目で回収した感もまた同時にありますね。

そしてJIVEメドレーこと(?)、「すべての歌に懺悔しな!!~真夜中のダンディー」コンビがいよいよご登場でございます。何と申しましょうか…。SUPER CHIMPANZEEを経由して1度ボディ・スペシャルで「サザンの桑田佳祐」に戻った後に再びソロ、という煽りコーナーの流れが、1988年のサザン復活(とソロ活動)から1993年の所謂サザン第2期、この年1994年のソロ活動という流れを表わしているように感じてしまうのですよね。そして懺悔とダンディーというのがまた、この年思わぬ形で起きてしまったちょいとした騒動の曲と、37~38歳という不惑になる手前の桑田さんの年齢が出ている曲で締めるという流れになったからこそ、一見バラバラで破綻しそうに見えて、絶妙なバランスで成り立った煽りの選曲になったのだと思うのですよね…。

 

En0.いとしのエリー

(ツアーの途中で追加された…が演奏しない公演もあった模様)

En1.ニッポンのヒール

En2.女呼んでブギ

En3.孤独の太陽

 

最後はアンコールでございます。公式では「ニッポンのヒール」が1曲目になっていますが、代通によれば青学祭での披露以降、公演によって「いとしのエリー」をアンコールの頭で演奏することがあったようですね。しかしこの曲も「たまに…」とJOURNEYと同じような補足が付いており、お目にかかれるのはレアだったのかもしれません。恐らくJOURNEYを歌わなかった公演で代わりというと失礼ですが、歌ったのかしら…と思っていたのですが、こう見ますと両方を演奏しなかった公演も少なからずありそうですね。逆に言えば両方を演奏した公演に当たった方はとてもラッキーだったことになるのですね。

「ニッポンのヒール」に「女呼んでブギ」とサザン名義曲が連続披露されましたね。ここの選曲もまた絶妙といいますか、ニッポンのヒールの孤独の太陽感と原さんと女性サポートメンバーがいないからこそのある種羽目を外したかのような女呼んでブギ、というサザン曲ではありますが、サザンでは出来ない使い方をしている感じがあるのですよね。こう振り返るとソロの世界感を守りつつ、曲が足りないところを助ける絶妙なサザンからの選曲だったのではないのでしょうか。

ラストはアルバム名でもある「孤独の太陽」。生放送・製品版共にカットではありますが、原曲の感じでいいますと、暗いまま、といいますか孤独の太陽という世界を歌いきった感じでしょうか。何となく今、孤独の太陽をリリースしてツアーを行ったとしてもラストには持ってこないように思いますね。もちろんそのラストの役割を果たす曲(主に祭りのあとや明日晴れるかな)があるというのもありますが、今はアルバムを中核に置きつつも全体をそのアルバムの色に染めるという感じがしないといいますか…。敢えて一辺倒にせず、ある程度メリハリを付けるようにセットリストを組んでいるように思うのですよね。



さて雑に振り返ってまいりました。改めて見てみますと、初のソロライブだからこそセットリストの組み方の難しさを感じるといいますか、2枚目のソロアルバムでありながら、1stの「Keisuke Kuwata」とあまりにも色が違うためか、ソロ名義としてはほぼアルバム1枚からの選曲になった、というのがやはり大きかったと思うのですよね。

サザンとソロのジョイントライブといえた「サザンオールスターズ-真夏の夜の夢-1988大復活祭」とも後のサザンの曲も演奏した「Xmas LIVE in 札幌」とも違う、雑文の中でも書きましたが、サザン曲も孤独の太陽(もしくはさのさのさ)色に染まっていたというある種の特殊性といいますか、1994年、というあの年にしか出来なかったライブだったと思うのです。

 

サザンオールスターズの歌詞に「茅ヶ崎」と入る曲についてふと思った事を

桑田さんの出身地であり、サザンイコールともいえます街「茅ヶ崎」。デビュー曲である勝手にシンドバッドを始めとしていくつかの曲の歌詞にも登場していますね。そんな歌詞の中の茅ヶ崎にスポットを当ててみよう、という雑文でございます。


まずは歌詞に「茅ヶ崎」と入る曲を一覧にして見ました。公式サイトで検索する際には「茅ケ崎」と「茅ヶ崎」の2種類になるので気を付けましょう(?)。


「茅ケ崎」

勝手にシンドバッド

茅ヶ崎に背を向けて

HOTEL PACIFIC


茅ヶ崎

・雨上がりにもう一度キスをして

・八月の詩(セレナード)


5曲とはサザン=茅ヶ崎というイメージで考えますと意外と少ない…と言えるのでしょうか。ちなみに1983年、ザ・ナンバーワン・バンドに嘉門雄三名義で提供・歌唱している「茅ヶ崎は今日も黄色い」という曲もありますので、実質6曲ということになりますでしょうか。旅姿六人衆(?)(言いたかっただけシリーズ)。


発売年で見てみますと、「勝手にシンドバッド」「茅ヶ崎に背を向けて」が1978年のリリースで1983年に「茅ヶ崎は今日も黄色い」を挟んでいるとはいえ、次に茅ヶ崎が登場するのが2000年の「HOTEL PACIFIC」と実に21年間が空くことになりました。その間江ノ島やエボシ岩、湘南といった単語は登場してはいますが、やはり「砂混じりの茅ヶ崎」のフレーズが良い意味で強すぎたのもあるのかもしれませんね。まあここはまさに茅ヶ崎に背を向けていた、ということにしておきますか(?)。

結果的にではありますが、桑田さんの凱旋公演となった「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」に向けての新曲となった「HOTEL PACIFIC」で茅ヶ崎が歌詞に久々に登場、というこれ以上ない展開になりましたね。面白いなと思うのが、「茅ケ崎あたりのモーテルにゃ」と茅ヶ崎とその周辺を指しているというところですね。ストレートに表わすことに多少の照れがあったのか、単純に茅ヶ崎だけのご当地ソングではなく周りの地域全てが故郷、といったある種の青春ソングでもあるという考えがもしかするとあったのかもしれませんね。

良い意味でご当地ソングで終わらなかったことが現在まで長くサザンのライブ定番曲となっている要素の1つになったのかもしれませんね。そこがある種シンドバッドっぽさがあると同時にシンドバッドが如何にサザンのイメージを作るのに大きかったのか、改めて感じるものがありました。

次の茅ヶ崎登場曲は意外に(?)早く、2003年の「雨上がりにもう一度キスをして」でしたね。

面白いのがこの曲でも「茅ヶ崎あたり」なのですよね。しかも「茅ヶ崎あたりのローカル」ですから、HOTEL PACIFICのセルフパロディ的なフレーズにもなっている感がありますね。ちょうど「SUMMER LIVE 2003「流石(SASが)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS!」~カーニバル出るバニーか!?~」が茅ヶ崎ライブ以来の野外ライブ(建長寺ライブは除いて)でサザン5人体制のスタートの年でもありますし、ある意味でHOTEL PACIFIC以上の原点回帰、という意識があったのかもしれません。同時にそれまでの曲と比べましてもさり気なさ、といいますか、これは「八月の詩(セレナード)」にも言えるのかと思いますが、あくまでメロディに乗りやすい単語としての起用という感じもありますし、サザン色が強い単語ではありますが、茅ヶ崎ライブ以降決定的になった感のあるサザン=茅ヶ崎イメージの固定化が逆に茅ヶ崎を歌詞に使いやすくした、という面があったのかもしれません。

一方でこの時期に固まっている、というのも茅ヶ崎ライブの余韻、ではありませんが、さくら〜キラーストリートというオリジナルアルバムの7年の間を思わせる感じがあって、この時期を振り返りながら茅ヶ崎という言葉を改めて見ますと興味深いな…と。


さて、何となく「茅ヶ崎」という単語から見てみましたが、茅ヶ崎という歌詞はスタート、もしくはリスタートというタイミングで登場しやすい、といえるのかもしれませんね。初期の茅ヶ崎は桑田さん自身が大学進学で茅ヶ崎から東京に出るようになったこともあったのか、距離が近いといいますか、住んでいる匂いを感じてしまうのですよね。一方で2000年以降は茅ヶ崎「あたり」・今夜茅ヶ崎に帰るなら、といった何処か抽象的、といいますか住んでいる匂いがしないのですよね。これは桑田さん自身が東京に暮らすようになって20年以上経っているというのもあるのでしょうが、その後現在までのサザン(桑田さん)と茅ヶ崎を見ますに、何処か少し離れていた故郷との距離がグッと縮まった瞬間(過程)を捉えた歌詞だったのかもしれませんね。


近年はまた歌詞に茅ヶ崎が入る曲はありませんが、また次にどのような曲に使われることになるのか楽しみにしたいところですね。

 

先日、桑田さんの新型コロナウイルス感染が発表されましたね。個人的にも色々と感情は生まれましたが、一番様々な想いを持っているのは桑田さんご本人ですし、それを思えば今はただ回復を願い祈るだけでございます。

 

「Miss YOKOHAMADULT YUKO HARA 2nd」のツアーがあった時のセットリストを雑に考えてみた

10月19日に原さんの31年ぶりとなるオリジナルアルバム「婦人の肖像(Portrait of a Lady)」がリリースとなりますね。アルバムがリリースとなると原由子としてのライブの期待も高まってくる訳でございますね。そんな中で過去の原さんソロ活動を振り返りますと、2枚目のソロアルバムである「Miss YOKOHAMADULT YUKO HARA 2nd」の時にはちょうどリリース時にサザンのアルバム「綺麗」のツアー「SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー '83」が開催されていたこともあり、原さんのライブが行われることがありませんでした(1stアルバムの「はらゆうこが語るひととき」もそうですが、一応リリース後に学園祭ツアーや翌年にラジオで放送されたひな祭りのライブ(飲めばライブ)があったので)。

そこで今回はもしそのMiss YOKOHAMADULTでのライブが行われていたらどんなセットリストになったのかしら…といういつもの(?)妄想駄文でございます。

早速ですが、先に妄想セットリストの方を…。当時のライブの曲数を踏まえ、20曲で組んでみました。

 

1.夕方 Friend

2.恋のメモリー:三昧編

3.Misty Morning

4.Rimbaud(ランボオ

5.女優

6.Dandelionて、タンポポのことなんです

7.嵐の第三京浜

8.新・野毛山模様

9.I Love Youはひとりごと

10.がんばれアミューズ

11.My Baby Shines On Me

12.流れる雲を追いかけて

13.ヨコハマ・モガ

14.横浜 Lady Blues

15.冷たい月曜日

16.そんなヒロシに騙されて

17.恋は、ご多忙申し上げます

En1.誕生日の夜

En2.いちょう並木のセレナーデ

En3.私はピアノ


さて以下いらない解説を…。いつものようにいくつかのブロックに分けて書いていきたいと思います。


1.夕方 Friend

2.恋のメモリー:三昧編

3.Misty Morning

4.Rimbaud(ランボオ

5.女優


1曲目は当時のアルバムツアーの1曲目はそのアルバムから、というサザンのライブの傾向も踏まえまして、アルバムからここは敢えて捻らず「夕方 Friend」を。2曲目にしましたが、後にベストアルバム「Loving You」で1曲目となりました「恋のメモリー:三昧編」と悩みましたね(?)。まあ妄想なのでどちらでもいいでしょう、というセルフツッコミを入れておきます(?)。

後は基本的にアルバムからですが、「Rimbaud(ランボオ)」「女優」の流れは後にカバーされる(Rimbaudは大地真央、女優は増田惠子がカバー)メドレーという裏設定がございます(?)。


6.Dandelionて、タンポポのことなんです

7.新・野毛山模様

8.嵐の第三京浜

ここでアルバム未収録となっておりますが、原さん作詞作曲であり、「恋は、ご多忙申し上げます」のB面曲である、「Dandelionて、タンポポのことなんです」を。原曲の後半にソロ回しが出来そうなパートがありますので、そこでソロ回し兼メンバー紹介を入れて欲しいという願望でございます。からの「ありがとうねポンタさん」の「新・野毛山模様」で行きましょう(?)。


9.I Love Youはひとりごと

10.がんばれアミューズ

11.My Baby Shines On Me

12.流れる雲を追いかけて

ここから過去曲コーナーでございます。第三京浜から渋谷のモーテルへという流れは意図的です(?)。からの当時渋谷に事務所のあったアミューズということで「がんばれアミューズ」という安易な流れを妄想でございます。この頃には大里会長になっていたので、歌詞の人物・役職が変更されて歌われていたのだろうか…という期待を(妄想なのに)込めました(?)。このタイミングでの「流れる雲を追いかけて」はサザン名義曲は今回やらないのかしら…という雰囲気をこの辺で壊したくなりましての選曲でございます。


13.ヨコハマ・モガ

14.横浜 Lady Blues

15.冷たい月曜日

16.そんなヒロシに騙されて

17.恋は、ご多忙申し上げます

煽り前のバラードはアルバムラスト曲である「ヨコハマ・モガ」を。この時期は基本的にアルバムのラスト曲=ライブのラストという構成ではありますが、アウトロからそのまま「横浜 Lady Blues」へという繋ぎをやりたいと思いまして。原曲では鮎川誠さんがデュエット相手ですが、ライブでは同じ誠さんでも斎藤誠さんが担当することになるのでしょうか(?)。そしてここから煽りでございます。

「そんなヒロシに騙されて」は綺麗からもうひとつの新曲枠として。既に知名度もありそうですし煽りでもいけるのではないのでしょうか。そして本編ラストはソロのヒットシングルとなりました「恋は、ご多忙申し上げます」しかありませんね。当時のサザンのライブでは演奏されていなかったので(横浜 Lady Bluesが歌われていましたね)、このソロライブに取っておいたのです…という妄想締めでございます(?)。


En1.誕生日の夜

En2.いちょう並木のセレナーデ

En3.私はピアノ

アンコールは「誕生日の夜」から。アルバムの発売日が11月21日で発売の前後にツアーがあると仮定しますと、原さんのお誕生日(12月11日)に重なる可能性がありますので本当に誕生日の夜に誕生日の夜を聞ける世界線があったのかもしれません(?)。もしくはその日限定曲として披露するというパターンかもしれません(?)。

「いちょう並木のセレナーデ」はヨコハマ・モガと入れ替えても良さそうですね。ここはお好みで(?)。

ラストの「私はピアノ」はボーカリストとしてのスタート曲で締めると共に、1991年の「花咲く旅路」の1曲目の私はピアノに繋がっていく訳です…というのをやりたかっただけですね。お後がよろしくないようで(?)。まあプラス近年のサザンライブでの「勝手にシンドバッド」締めの影響も多少なりには受けているのでしょう(自分自身で分析するのは寒いのでやめなさい)。

 

という訳で来週には関口さんのアルバム発売、桑田さんのロッキン出演が控えているとは思えない妄想と駄文のオンパレードでございました。

しかし今改めて、このアルバムのツアーがなかったのはつくづく勿体なかったと思ってしまう一方で、アルバム(綺麗)制作→積極的なフェス出演→翌年2月までツアー、というスケジュールの中で原さんのアルバムを作ったと考えますとねえ…。

今年は果たしてどうなるか今後の情報を楽しみにしていたいところですね。